高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第60話 ぶれぬ心

 ルールブックの最後の項目に書かれた、対戦者が賭ける物は──『相手が自分に賭ける物』。

 それはつまり──陰山くんが書いた『財産』は嵌村さんが、嵌村さんが書いた『命』は……陰山くんが嵌村さんに賭けなければならないもの、という事になる。

 とんだ勘違い……というか、思い違い。
 いや、こんな事、あってはならない!

「嵌村さん、私たちを騙しましたね……?」

「騙す? ちょっと海野さん、人聞きの悪い事を言わないでくれたまえよ」

 明らさまにしらばっくれている。どうやらこの流れ、やはり故意に行っている!

「あなた達が最初にルール説明さえしてくれていれば、山田くんは命を賭けられる事なんてなかった。ルールも知らないのにそっちの都合で話を進めるなんてどう考えてもおかしいです!」

「それは言い掛かりだよ。僕はこの紙に書くものが自分が賭ける物だなんて一言も言っていないよ? それは君たちが勝手にそう解釈したんだ。分からない事があるんだったらその時に質問だってすればいいのに、それに応じてしまったのは君たちの過失だと思うけれどね。
 それに、僕は保険を掛けた筈だよ。しつこいくらいにね」

「う……」

 それを言われてしまうと言い訳が出来ない。
 成り行きに任せて彼の策略に嵌ってしまったのはこちらの方だ。そして結果勘違いをしてしまったのも事実。
 挙げ句の果てに私たちは嵌村さんが与えてくれた最後のチャンスまで棒に振ってしまっていたのだ。

 私たちは、嵌村さんの掌の上で踊らされていた傀儡も同じだ。
 陰山くんでさえこの絡繰りに気付けていなかったのだ。部外者である私が気付ける筈もない。

「ああ、因みになんだけどね。脅すつもりじゃないけど、僕ロシアンルーレットは数あるギャンブルの中でも結構得意分野としているんだよ。もちろん負ける気なんてサラサラ無いね」

 悪魔のような微笑みだ。魂を刈り取らんする死神が獲物を狙うが如く、ギラついた目線は陰山くんを真っ直ぐ見据えている。
 私たちは彼を──嵌村虜という男の事なんて何も分からなかった。
 しかし、彼は陰山くんの事を知っていた。
 此方は分からないから慎重に、そして相手の出方を伺っていた。一方で其方は分かっているから懐のから忍び寄り、寝首を搔く寸前まで追いやられてしまったのだ。
 この紙一重は実に──広い。

──ダンッ!

 為す術無く佇立しているところ、いきなりデスクの上を掌で思い切り叩く音が室内に鳴り響き静寂を破った。

「嵌村さん! 海野さんの言う通りっす! 勝負師なら勝負師らしく、正々堂々と勝負するべきだと思うっす!」

「んん?」

 なんと、先程まで青菜に塩をかけたみたいに項垂れていた頭金くんが、初めて嵌村さんに反抗しだしたのだ。
 腐っても彼は元空手部員。嵌村さんの卑劣な行いに我慢など出来なかったのだろう。
 彼の思わぬ反逆に流石の嵌村さんも動揺──するかと思われたけれど、

「頭金くん、勘違いしないでくれたまえ。これは駆け引きだよ。相手をどう欺いて自分の有利な状況を作り、戦局を操るかの戦いでもある。今のところ、僕の方が一歩優勢というところじゃないかな?」

 しかし、嵌村さんは大して戸惑う事も悪びれる様子もなく自分の行いをさも正当かのように述べ上げた。
 メンタルの強さだけで言えば陰山くんと同等だ。悪い事を悪いとも思わない非道徳的な態度には恐ろしさを感じずにはいられなかった。

「いや……! 駆け引きも何も……、勝負はまだ始まって──」

「始まっているんだよ、既に。この額縁に入れられた紙に賭けた物が記された時からね」

「……!」

「全く、君はいつから僕にそんなにエラそうに意見を言えるようになったのかね? 誰のお陰で今日まで生きてこられたと思っているんだい?」

 口調や顔色は穏やかだけど、言動は重く苛烈。静かなる凄みにこちらまで気圧されそうになる。
 それを直に受け止めた頭金くんの意気はたちまち消沈してしまったのか、後ずさる様に一歩退いて、

「も、申し訳ないっす……嵌村さん」

 言いくるめられてしまった。ほんの僅かな離反期間だった。そしてそれが、本当に最後の希望が失くなってしまった瞬間でもあった。
 だけど、そんな希望が潰えてしまったからと言ってこのゲームを始めさせる訳にはいかない。
 相手は手段を選ばず勝利に貪欲な勝負師。それもロシアンルーレットが得意と来た。
 そんな人物を相手に命を賭けるなんて死にに行くも同然だ。自殺行為だ。

「山田くん、ダメだよ……戦ったら」

「…………何故だ」

 ここでようやく彼の声を発した。この戦々恐々とした様子をただ静観していた彼は一体何を思っていた。そしていざ彼を止めようと話しかけたところ、帰ってきた一言がそれだった。
 そのたった一言には、一歩たりとも退く気がないという気持ちが込められていた。

「何故って。山田くん死んじゃうかもしれないんだよ?」

「死んだら死んだでその時。私の運が無かったということだ」

「運とか賭け事とか、こんな事で自分の人生投げ出す事はない。そこまでこの勝負に拘るのは何で? お金が懸かってるから? 嵌村さんの財産を手に入れるチャンスだから?」

「………………」

 そうだ。賭ける物が相手から貰うものなのだと分かった今、陰山くんが狙うのは図らずもその紙に書いた『財産』の文字──嵌村さんのお金だ。お金が発生しなければ陰山くんは絶対にこんな勝負乗る訳がない。
 現に五百万の小切手をチラつかせた途端にこの依頼も請け負ったのだ。所詮彼にとってお金の前では命など二の次なのだ。
 
「お金の為に命捨てるなんて、馬鹿だよ」

「………………」

「お二人さん、そちらの世界に入って緊迫してるところ悪いけれど、僕はそろそろ待ちくたびれたよ。さっさとゲームを開始しようじゃないか」

 嵌村さんがそんな横槍を入れてくるけれども、このゲームは始めるべきではない。最初から不正が発生するようなゲームなんて……!

「駄目だ……山田くん。こんなゲームを始めてしまったら……あなたは負け──」

──ダンッッッ!!

 と、またしても室内にてデスクを思い切り叩く音が響き渡った。しかし今度の音はかなり激しく、古いデスクが軋んで、机の上の拳銃や弾丸が一瞬跳ねるほどの勢いだった。
 そしてそれを行ったのは、頭金くんではない──その人物は、

「いいか委員長。何事も行動を起こす時に必ず目的の達成や成功を願い、導いていく。その為に計画を立てるのだ」

 一瞬宙に浮いた弾丸が、差し出した彼の手の平に吸い込まれるように乗っかり、彼はそれを掴んだ。
 
「だが、アンタは計画を立てる段階で失敗や未達の事を考えてしまっているな。そんな事を計画に入れる阿呆が何処にいる!」

 手に持った弾丸を上空に弾きながら、彼は立ち上がり、私の方に詰め寄ってきた。

「ひっ……!」

「緊張、躊躇い……計画を立てた上でそのような症状が起こる者は準備の出来ていない者がやる事だ。アンタは何もかも準備不足なのだよ委員長!」

 絶望などという感情などひとつも感じさせない真っ直ぐな目線。力強い豪胆な口調は説得力をこれでとかと言うくらいに感じさせた。

「騙されただと……? 勝負とは騙し騙され競い合うのが常套手段よ。私はそれに一つ嵌められただけだ」

 その間に、空中へと放たれた弾丸はクルクルと回転しながら上昇し続け、やがて落下をする為にその勢いを下方へと傾け始めるのだった。

「だが! 私は嵌められたなどとは微塵も思ってなどいない。むしろ好都合だ。委員長、アンタの言う通り私は金の為だったらこの命、惜しくも何ともない! 欲しければくれてやる! よっては私は、この勝負──受けて立とう!」

 嵌村さんに突き付けた指先が伸びきる瞬間に、弾丸が机の上に落下。
 その先っぽは最初嵌村さんの方に向いたと思われたが、僅かに傾斜になっているデスクの上をコロコロと転がり、最終的に紛れもなく陰山くんの方へと向いたのだった。そうまるで、運が陰山くんに味方しているかのように。

「山田さん! いいんすか本当に!? 第一弾丸をトスするのはディーラーの役目……」

「頭金くん、ルールブックに『バレットトス』はディーラーが必ず行うなんてルールは載っていなかった筈だよ」

「えっ?」

 私と頭金くんは改めてルールブックを確認する。確かにそんな事は一文字たりとも記されていなかったけれど、陰山くんが勝手に行ってしまった上に嵌村さんは後攻に回され、それでやや不利な状況になってしまっている。

「先攻くらいは譲ってあげよう。僕なりの情けだよ山田くん」

「フッ……、そんな態度を取っていられるのも今のうちだ。吠え面かかせてやろう」

 彼らはこれから本当にギャンブルを始めるんだよね? 取っ組み合いが始まるんじゃないかという程の闘志が立ち込めているんですが。
 兎にも角にも、成り行きとはいえゲームの開始を意味する弾丸のトス(嵌村さん曰く、『バレットトス』)を陰山くんが行ってしまった以上、もう引き返すことは出来ない。
 そう、ルールブックに書いてある通り、この勝負はどちらかの『賭けた物』が全て相手の手に渡り切るまで終われない。
 それ即ち──陰山くんの死か、嵌村さんの破産かで決着がつく。

 当然ながら私は後者であることを祈っているけれど、今分かる事はただ一つ。

 この勝負、ひいては依頼──決してハッピーエンドでは終わらない。

「頭金くん、弾を装填してくれたまえ」

「りょ、了解っす……!」

「フフフ…………、いい勝負にしようか…………嵌村」

 いざ、開戦。

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