高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第52話 小説よりも奇なり

「ふぅ、やはりあの屋台のおでんは天下一品だ。また行ってみたいものだ」

 と、ポンポンとお腹を叩きながら満足げに語る陰山くん。
 今思い出しても彼の食べっぷりには脱帽の一言だ。あんなに細い身体のどこにおでんが吸い込まれていくのだろうか。
 本当にあの屋台のおでんを無くす勢いで食べていたものだから恐れ入る。

 しかしながら、お暇しようとおでん屋台を出ようとしたところの時だった──

『え、あんちゃんそいつは頂けねえよ! 俺の奢りだって言ったじゃねえか!』

『私が気分が悪いと言っているのだ。いいから取っておくのだ』

『で、でも……』

『店主、今日のあなたは遠慮などする必要は無いのだ。ただ一つ約束して欲しい。
 また私がここに来る時は、今日よりも更に美味しいおでんを馳走してくれ』

『お、おうよ! 当ったり前よ! おでんどころか生まれ変わった俺の店を今度あんちゃん達が来てくれた時には見せられるようにして待ってっからよ』

『それは楽しみだ。では、これが今日の飯代だ。これで足りるか?』

『いやいや! 十分だあんちゃん! ありがとな今日は、何から何まで』

 店主さんの奢りだった筈なのに結局食べた分全額きっちりと支払ったのだった。
 しかも、私が食べた分まで。

「陰山くん、ありがとう……と言いたいところだけれど、私が食べた分のお金返すよ。幾らだったかな?」

「余計な気を遣うな。アンタの懐事情は知らぬが、学生の身分で大した持ち合わせなどないであろう? それに元々そういうつもりであの屋台に寄ったのだ。黙って財布をしまうのだ」

 いや、あなたも学生の身分であることには変わらない筈なのだけれど。
 でも彼はそれ以前に依頼請負人の身分なのだ。それなりどころかおでん屋台でのお勘定なんて雀の涙程度のものぐらいなのだと思ったら、羨ましくもとても妬ましく感じる言い草だった。

「で、アンタはどうだったのだ? あの店主殿のおでん屋台は? 錚々そうそうたるおでん屋台の中でも逸品中の逸品では無かったか?」

 歩いていたら、突然こちらを向き後ろ歩きをしながら陰山くんは訊いてきた。
 普段の彼に似合わない興味津々な姿勢に若干引きつつも私は感想を述べた。

「え……、ええ……。確かにとても美味しいおでんだった……けど……」

「何だ? あれだけ長居していたというのに感想はそれだけか? もっとあるであろう。おでんの一つ一つの味つけは言わずもがな、屋台の雰囲気、コストパフォーマンス、店主殿の人柄……例をあげれば枚挙に暇がないというのに、アンタの目は節穴を通り越して向こう側が見えるようであるぞ!」

 熱い……。グツグツと煮えたぎるおでん鍋の如き熱弁に更に引いてしまっている私がいる。
 でも、彼の言葉に熱が入るのも納得は出来なくもない。

 私自身、ああいう形でおでんを食べるのは初めての経験だったから、おしなべて全てのおでん屋台がどんなものなのかを判断することは出来ない。

 あの店主さんのお店よりいい屋台や店があるかもしれない。
 おでんの味、値段、接客だってもっといいかもしれない。
 だけど、十八年生きてきてあんなに美味しかったおでんを今まで食べてこなかったというのは紛れも無い事実だ。
 正直もう、コンビニに売ってるおでんにお金を出してまで食べようとは思えないくらいに。

「本当は教えたくはなかった……、あの屋台は仕事終わりの私の疲れを癒してくれる憩いの場であり、第二の隠れ家であった。そんな場所をまだ出会ってから一週間足らずのアンタに教えてやったのだ。
 もう少し気の利いた感想は言えぬのか? 店主殿に合わせる顔がないではないか!」

 それもまた気になる事だ。
 この数日間、寝食を共にした間一度も彼の口から「美味しい」という一言を聞いていなかったというのにあの屋台のおでんだけ唯一何度も美味い美味いと言い彼は絶賛していたのだ。

 別に本当に美味しいものをいちいち「美味しい」と口に出して言う必要など全くない。そんなのは自分の心の中で留めておいたらいい話だ。
 だからこそ異様と言える。時には店主さんと談笑を混じえつつ、ある時には独り言のように囁くように、終いには私にまで同意を求めて来るなど正直しつこいとも思える程に連呼していたのだ。

 訊かずにはいられない。何故彼があそこまであの店主さんのおでんを賞賛していたのかを。

「じゃあ陰山くん。あのお店のおでんはどれくらい美味しかった?」

「何?」

「私はまだ店主さんのお店のおでんを初めて食べたものだから純粋に美味しいとしか思えなかった。二回目を経験しているあなたなら、私よりもいい表現が出来るんじゃないかと思って」

 我ながらとんだカウンターを入れたものだ。お手本を見せてと言わんばかりの上からの物言いに少し後悔しつつも、彼はたじろぐこと無く淡々と語り始めたのだった。

「良いか委員長。料理というものは味で決まるものでは無い。下拵えを始める──仮にこれを序章とでも例えようか」

 長くなりそうだ。けれどツッコんだのは私の方だ。もういいですなんて勝手な口を挟むことなど出来るはずもない。

──にしても……序章とは…………?

「下拵えが済んだら次は調理に取り掛かる、ここからはそれぞれの料理人の腕の見せ所──即ち章立てに入るという展開だ。

「そして、その『章立て』にこそ料理の全てが集約されていると言っても過言ではない。食材たちに命を吹き込む──魂を与えてやるのだ。

「手際よく、それでいて繊細に、しかし時間を掛けず簡潔にまとめ上げる。ここを手間取る、ないし怠るようでは良い料理など到底作れぬ。

「腹を空かせた客人に料理をもてなし、胃袋に入れさせる──終章へと入るその時まで、料理人たるもの微塵の気の緩みも許してはならぬのだよ。

「言うなれば、料理とは一つの物語なのだよ。全ての物にそれぞれストーリーがあり、それを客人に感じ取ってもらう一種の創作物なのだ。料理とはそういうものだ。その為ならば自らの命さえ賭けてもいいと思える。

「それすら賭けることの出来ぬ愚か者は数多くいる。エセ料理人共はその程度の腕で鼻を高くし、金を我々客から貰っているのかと思うと、非常に腹立たしい。

「だがあの店主殿──あの方は料理人と言うより、数多の戦場を生き残ってきた不屈の兵士だ。料理というのが何たるか全て心得ておられる。

「あの方もきっと努力をしてきたのであろう。それはあのおでんを初めて食べた瞬間に悟った。

「どうすれば客は満足できるか、味は然り、雰囲気。試行を繰り返した結果があれだ。賞賛すべきだとは思わぬか?

「まぁ、仮に店主殿がおでん屋でなくとも、私はきっとあの方の料理に惚れ込んでいた事だろうな」

 アンタも見習うがいい。
 と、彼は最後にそう締めたのだった。

 ──壮大。

 いや、彼が今語ったことは全て作り話。妄言だ。そして自己中心的かつ傲慢な主張に過ぎない。そして全国の料理関係の仕事に就く人たち、果てはその卵たちまで全員を敵に回すような発言までする恐れ知らず。
 しかし今、私は、彼が言うように一つの物語を読み終えたような妙な達成感に浸ってしまっていた。そして何故だか納得すらしてしまっていた。

 昨今では、食品関係での不手際があった際は必ずニュースなどでも取り沙汰される。SNSが普及した今、その影響力たるや光の速さで拡散される時代だ。

 記憶に新しいのは、某飲食店にて働く学生アルバイトが悪ふざけで投稿していた動画だったかな。
 素人目から見ても消費者を愚弄しているとしか思えない非行に私も苛立ちを覚えたものだ。
 彼の言い分はその人たちに対する薫陶と言えようか。

 料理人は命を賭けて料理をしなければならない。

 『命』──それはその人自身だけでなく、料理に使われる食材たちの──『命』

 私たちが今を生きていられるのは、私たち人間の為に犠牲になってくれている動物たち、植物たちが居てこそだ。
 そんなものたちの大切な命を、料理人が粗末に扱っていい筈がない。

 私は反面教師のいい例だ。二日前、陰山くんに振舞った朝ごはん。
 適当に作ったつもりなんてなかったけれど、かと言って命を賭けるほど真剣に作ったと言われればそういう訳じゃない。

 中途半端だったんだ。何もかもが。
 彼の言っていた言葉の意味がこれではっきりと理解出来た。

 陰山くんは神の舌など持っている訳じゃなかった。
 料理に込められた『物語』を紐解くことで料理人の魂を感じ取っていたのだ。

 そんな事を考えながら食事をする今時の高校生がどこに存在する?
 料理人の魂がどうのこうのなんて。

「ありがとう、陰山くん」

「? それは何の礼だ? 奢った件に関しては大丈夫だと言ったであろう」

「ううん。陰山くんがあの店主さんのお店に対する想いを知れて良かったと思って」

「フッ……、漸くアンタにもあの店の良さが理解出来たか」

 私は敬意を表するよ。あなたのその心意気に。

「但し、これ以上の他言は無用だぞ。ただでさえ席の数が限られているというのにあれ以上客が増えたら私の席が無くなってしまう」

「でも次行く時は、大きな店になってるかもしれないから、座れる席は多くなるんじゃない?」

「私はあの屋台で食事をするのが楽しみなのだ。昔ながらの下町情緒溢れるあの時代遅れの屋台で食べるおでんがな」

 もはや貶しているとしか思えない褒め言葉だけれど、陰山くんの声色を聞く限りは機嫌が良さそうなので、褒め言葉として受け取っておこう。

「もう一度食べたいと思える、何だか懐かしい味だった」

「そうだな。やはりおでんというのはそういうものでなくてはならぬ。
 私もかつて色んな物を食べできたがな……」

 しみじみと感傷に浸るように彼は続けた。

「百八十グラムで四千五百円もするフォアグラのテリーヌや、百五十グラムで六千円もする神戸牛のステーキよりも、何だかんだ言ったところで、あのおでん屋台で食べる一個五十円で売られてる出汁の染みた大根に敵うものなどない」

「………………」

 あえて返事をしなかったのではない。陰山くんのあまりに正確すぎる的を射た発言に絶句してしまったからだ。
 値段の高いものは美味しくて当たり前だ。それだけのお金を払って食す価値はある。
 けれど、安いからと言って普段の食事も捨てたものじゃない。
 決して贅沢した食事ではないけれど、ああいう物を安く美味しく食べられる方が、実は最も幸せなんじゃないかと。
 彼の庶民目線の言動に、彼の背を見つめながら、胸を打つ感覚を覚えた。

「では、ここで別れるとしようか。アンタの住処はそっち方面であろう?」

「…………え?」

 気が付いたら、彼のアパートと私の家への岐路へと辿り着いていた。
 私が物思いに耽ると本当にあっという間に事が進む進む。

「また明日から一週間が始まる。追い打ちをかける訳じゃないが、その間にも借金の返済期限は迫ってきているのだ。アンタのコネで依頼がありそうな奴でも探したらどうだ?」

「私にそんなコネクションはありませんし。それに、依頼は私たちが求めるものじゃないでしょ」

「フッ……助手が一丁前に意見をたれるか。だがその通り。私たちはただ依頼が、来るのを待つのみ。来る者は拒まず、去る者は追わず──それが私のモットーだ」

 そんな標語があったのは初めて聞いたけれど、実に彼の仕事に理に適った銘だ。
 今回の依頼を振り返ると、彼がしでかした事ははっきり言って犯罪だ。明日のニュースに取り上げられてもおかしくないような窃盗事件を起こした。
 しかし結果的には今日二人の──もう一人はどうなったかは知らないけれど、とにかく二人の人間の人生を救ったのだ。

 平凡だった今までの人生とは程遠い、何と濃い三日間を送ったのだろう。

 また明日から一週間が始まる。明日か、明後日か、はたまた一週間後の今日か。

 また始まるのか──私の運命を賭けた依頼が。

「さらばだ、委員長」

「また明日、陰山くん」

 日が落ち、雲隠れに月が顔を覗かせる夜道を、私たちは別れて歩いていったのだった。
 

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