高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第45話 忘れた頃に

 エイミーさんが持ってきてくれた頭痛薬を何とか陰山くんに飲ませる事に成功した。すると意外や意外、陰山くんの容態が目に見えて良くなっていったのだ。市販の頭痛薬だったので即効性ではない筈なのだが、まあ、これで彼の一命が取り留められたのだと思えば、結果オーライでも全然良いではないだろうか。死んでほしくはないからね。

 そして時間が経過し、現在彼は散々のたうち回って疲れてしまったのか、ベッドの上に横たわりスヤスヤと寝息を立てていつもの俯せスタイルで眠ってしまったのだ。
 さっきまで苦しんでいたとは思えない程安らかに眠っている。顔は見えないけど。

「ハア……一時はどうなるかと思いましたが、陰山さまが落ち着かれて良かったでございます。何事も実行してみなくては解らないものですね。為せば成るとはよく言ったものでございます。……とエイミーは胸を撫で下ろします」

「あんな状態の奇鬼さん三年間付き合ってきて初めて見たッスよ……。後にも先にも、奇鬼さんのあんな姿を見るのは今回で勘弁してもらいたいッス」

「右に同じだね。不可抗力だからどうしようもないのは仕方ないけれど、あんなの陰山くんらしくないよ」

 私達三人にも漸く安堵の時が訪れた。大急ぎで救急箱を取ってきたので息が上がり肩で深く呼吸をするエイミーさん、終始陰山くんに力の限りの大声を出し励まし続けた結果声が嗄れてしまった臆助くん、私はというとまだ先程起こった状況の脳内整理が追いついておらず軽度の放心状態に陥ってしまっている。

 何せ目の前で一人の人間が原因不明の重度の頭痛に襲われたのだ。当の本人は痛みに耐えるのに必死で私達の声など耳に入ってこなかっただろうし、正しい治し方も解らなかったのだ。それはもう慌てるだろう。

 最終的に『薬で治す』という最もらしい回答に辿り着き結果治ったのだけれど、正直な話これで治らなかったら本当に私達は手の施しようが無かっただろう。少なくとも私自身はそんな無責任な事を考えていた。 

「そもそも事の発端は、私が皆様に料理を振る舞った事からでした。その所為で何故か陰山さまは勿論、海野さま達にも多大な迷惑を掛けてしまいました。私の責任でございます。どうかこの愚かなメイドめに罰をお与えください! ……とエイミーは跪きます」

「エイミーさん、あなたが謝る事はないですよ。このような事態が起こってしまうなんて誰にも予想できなかったのですから。強いて誰の所為と言うのであれば、それは私達の注意力散漫による不行き届きでしょう」

「う~ん……。海野さんが言っている事はよく理解できないんスけど、要するにみんな悪かったって事ッスね!」

「うう……むう……!」

「!」「!」「!」

 その瞬間、グッスリと眠っている筈の陰山くんの呻き声で部屋の空気が張り詰める! また発作が起こったのだろうか 

「うう……んん……。すぅ~……すぅ~……」

「な、何スか……。ただの寝言ッスか……。ああー! びっくりしたッスぅ……」

「いやいや……私、一瞬心臓が止まりましたよ……。……とエイミーは生死の境を彷徨います…」

「………!」

 良かった。心の底からそう思った。よくよく考えたら、安堵の時などと安心し切った事を言ったけれど、その時間はそれ程長くはないかもしれない。また彼の発作が二度と起きないとは限らないのだ。地震で言う余震みたいなもので、残り香的なものがまだ残っている可能性を否むことは出来ない。また起こるかも知れないと言う気持ちでないと、私達はいけないのだ。

「彼の容態の急変をいち早く察知する為にも、今は私達が常に傍に居ないと、いけないのかも知れませんね」

「そうでございますね。陰山さまを見捨てる事など自らの意に反する事になります。海野様の御意見に従いましょう。……とエイミーは陰山さまを見守ります」

「俺っちもそのつもりッス。奇鬼さんが苦しんでいる時に、俺っちがそれと同じくらい苦しい想いをしないのは不公平ッス。共にこの苦しみを味わい、共に死ぬ覚悟で行きましょう!」

「死んじゃ元も子もないよ臆助くん!」

 まあ何はともあれ、満場一致で陰山くんの様子を全員で見守るという事が決まった。
 でもそれが一体いつまで続く事だろうか。彼を介抱した時に既に体力を消耗してしまい皆疲れてしまっている。現時刻は午後三時前、明日からまた学校が始まるので授業が受けられるくらいの体力は残しておきたいところだけれど。その願いは願うだけ無駄だという事は火を見るより明らかだろう。

 少なくとも彼が目を覚まさない限り私達はこの場から離れることは出来ないだろう。無理やり起こすのも可哀想だし、彼自身も疲れているのに起こされては余計ストレスが溜まるだろう。寝起きで機嫌も悪そうだし怒られるのが目に見えている。

「余談なんスけど、お訊きしまッスが海野さん、奇鬼さんがこのアパートに帰ってきた時、「作戦結果の報告をしよう」って言ってましたよね? それってもしかして、奇鬼さんが片手に持っていたそのボストンバッグと、何か関係あるんスかね?」

 話すことがなくなり、一瞬の沈黙の後、臆助くんがふと思い出したようにそう言った。

「ああ……そう言えば彼、そんな事を言っていたような気が……」

 いや、これって余談なの? とても重要な事ではないのだろうか? あの後彼と別れた後彼の動向が知る事が出来なくて心配していたけれど、彼は行く前と後とでは全く変わった様子は無くその時点で安心できたのだけれど、唯一変わったところは行く前には持っていなかったやたら大きくて重そうなボストンバッグを片手に持っていた事だ。

 もしかして作戦の結果とはこのバッグの事を意味しているのか? 

「奇鬼さんの事ッス、きっと作戦成功してその中にはお金がたんまり入ってるッスよ!」

「宝石を質屋でお金に換えて? なんて手回しの早い……」

「なるほど、陰山さまはこの町でも依頼を請け負っておいでなのですね。ですがこのまま放っておいてしまって良いのでしょうか? 依頼人さまはそのお荷物を受け取られるのを待っておいでなのではないでしょうか? ……とエイミーは推測いたします」

 エイミーさんのその推測は確実に的のど真ん中を射ていた。確か陰山くんは頭金くんに「お金を二日で工面する」と約束をしていた。

 土曜日の午前中に依頼を請け負ったので、それを一日の勘定に入れるとするならば今日で二日目だ。もしそうだとするならば今日でこのボストンバッグに入っているであろうお金(こんなに渡すのだろうか?)を渡さなければならないけれど。

 当の本人が現在この様だ。勝手に持ち出してしまって良いものかどうか。
 などと判断に迷っていると、

――ピリリリリリリリリリリリリリリリ 

「わっ!」「きゃっ!」「ひっ!」

 突然何処からか携帯の呼び出し音のような音が鳴り響いたのだ。陰山くんの事もあったのでもうどんなに些細な変化でも敏感になりすぎて驚いてしまう。

「ななな何スかこの音 ︎ どこかで火事でも起こったッスか!」

「落ち着いて下さい、このアパートにそのような設備など備え付けられてはいません! この音はこの部屋だけに響き渡っています。恐らく誰かの携帯に着信が入っているのでしょう! ……とエイミーは再び推測致します!」

「! まさか陰山くんの……!」

 と寝ている彼には申し訳ないけれど、失礼して彼のパーカーのポケットの辺りを弄ってみた。俯せで寝ているのでポケットにはギリギリ指が二本入る程度の隙間しかなかったが、入り込ませた指を頻りに動かしていると固いものが指先に当たった。

 よく聞くとここから音が大きく聞こえるしバイブレーションも感じる……間違いない! ポケットの中に携帯が入っている。
 まだ着信音は鳴り響いている、日本の指を駆使して何とか携帯を取り出そうと必死になる! 何処かの出っ張りなどに引っ掛けて掻き出そうか、二本の指をトングの要領で挟んで取り出そうか、考えた結果後者を選び私は携帯を指で掴み取り出そうと試みた。

「んん……! す、滑る……!」

 焦りからかポケット内が籠っているからか指に汗が纏わり付き上手く携帯を掴むことができない。あと何秒もないだろう?早く取り出さなきゃ……!

――ピリリリリリリリリリリリリリ………

「あ……」

 奮闘虚しく、あともう少しで取り出せると思った矢先、携帯の着信音が途絶えた。携帯だと決めつけていたけれど実際この中には何が入っていたのだろう。
 私が夢中で取り出そうとしていた物体がポケットの隙間から顔を覗かせていたので取り出してみる。

 それは紛れもなく、彼がいつも携帯(触れないで!)している……今時の高校生が持つにはやや時代遅れ感が漂う黒色のガラパゴス携帯だった。

「ああ~、惜しかったッスねぇ~。もうあと二秒早ければ出られたのに……」

「ていうか今回の陰山くん何で起きないの ︎ いつも起こそうとしたら腕を思い切り掴むんで起きるくらい睡眠が浅いのに!」

 彼に当たったところで後の祭りなのだが、あれだけ下腹部辺りを弄られてさぞくすぐったかっただろうというのに気持ちよさそうにいびきを掻いて快眠を貪っていたのだ。
 それ程までに疲れていたと言うのだろうか…だとすればあの頭痛の体力消費は相当なものなのだろう。全力疾走で走っても息一つ上がらない彼の体力を消耗させるなんて。
 恐るべし、陰山くんの頭痛…!

「ですが海野様、何故それ程までにお焦りにあっておいでだったのですか?」

「私の予想が正しければ、今の電話の相手は頭金くん——今回の依頼人なのです。きっと依頼の結果を陰山くんに訊く為に電話を掛けてきたんだと思います」

「そうだったのでございますか。ですが海野さま、諦めるのはまだお早いのではありませんか? もしかしたらお相手の方が、留守番電話を残しているかも知れません。……とエイミーはまたまた推測致します」

 そう促され、失礼して携帯を開けると、彼女の言った通り、確かに留守電のメッセージが一件入っていた! というか先程からエイミーさん勘が冴え過ぎ鋭過ぎ! 
 早速私は携帯を操作して留守電メッセージを聞く事にした。久々にガラパゴス携帯を扱ったので少々手間取ったが、何とか留守電を聞く事に成功した。そして携帯から聞き覚えのある男性の妙に焦った声が聞こえてきた。

「おい山田! 俺だ! 頭金だ! 今部活が終わって昨日お前と約束した空き地にいるんだが、大変なんだ! 今日顧問からよぉ……「もう我慢の限界だ! 今日までに部費を払わなかったらお前は強制退部だ!」って言われちまったんだよぉ! タイムリミットは正確には今日の午後六時までだ。それを一秒でも過ぎると俺は退部だぁ! 山田頼む! お前は二日で工面してやると言ってくれたがもう時間が無い! 今すぐに持ってきてくれ! というかその前に! 電話に出てくれぇ――――!」

 という悲痛の叫びが途切れる形でメッセージが締め括られていた。
 あそこの空き地は人通りも少ないし民家もそれほど多くないから近所迷惑にはならなかったと思うのだけれど、今はそれどころじゃない! どうやら彼は明日にでも貰えたら良かったのだと思っていたようだ。だが幸いな事にもう彼の欲している物は目の前にある! 

「山田? 山田って誰ッスか?」

「恐らく陰山さまが現在学校で名乗ってらっしゃる偽名でございましょう。……とエイミーの推測は止まりません」

「いやいやいやいや! そんな事より大変! 今すぐにこれを彼に届けないと……!」

 と、ソファの側に置いてあるボストンバッグを使える右手で持ち上げようとしたら、

「あ、あれ? お……重いぃ……!  持ち……上がらないぃぃぃ……!」

 と大袈裟じゃないかと思われるかもしれないけれど、本当に床から一ミリも離れる様子が無いのだ。両手で持ち上げて初めてやっと床から離せる事が出来るのではないだろうか、それでも持ち上げるのが精一杯だ…とても持ちながら歩ける重さではない。

「海野さん大丈夫ッスか? ケガしてるんスから無理しないで、俺に任せるッス!」

 下がっててくださいッス! と臆助くんが私を制すと、ボストンバッグの取っ手は持たずに、バッグの底に両腕を回し込み、そのまま持ち上げたのだ。

「いよっとぉッスぅぅ ︎ いやぁ! これは確かに重たいッスぅ! 奇鬼さんがいつも持っているあのケースが軽く感じるくらいッスよぉ!」

 彼がいつも掲げているアタッシュケースより重いだって……? 確か陰山くんそのバッグ片手で持ち上げて普通に歩いていたような……。もしかして彼、あの服の下には想像もできないくらいの鋼の肉体を隠し持っていると言うのか?
「さあ! 海野さん! 早く……行きましょう!  依頼人さんが……待ってるんでしょう?」

「でも臆助くん大丈夫? 顔真っ赤だよ?」

「お気遣いなくッス! 奇鬼さんが再起不能な状態の今……! 俺っち達が動かないで誰が動くッスか! ハァ……これもまた奇鬼さんに認めてもらう為ッス!」

 彼に認めてもらう為。
 臆助くんが張り切るのも解るがしかし、陰山くんの事も気掛かりだ。私はアイコンタクトでエイミーさんにそう訴えた。すると彼女は、

「ご安心ください海野さま! 何も陰山さまと二人きりなったからと言って、無抵抗な状態の殿方を襲う程私は落ちてはおりませんからぁ! ……とエイミーは心から誓います!」

 全然伝わっていなかった…。

「ちちちちちち違いますよ! なななななな何を言っているんですかエイミーさん!」

「あら? 御冗談でございますよ? そんなに御顔を真っ赤になさって……初心うぶなんですね」

「う……! こ、こんな時にふざけないで下さい! 陰山くんの事、お願いできますか?」

「フフフ……ええ、陰山さまなら、私一人で十分でございます。どうかお気になさらず、行ってきてくださいませ。……とエイミーはお見送りいたします」

 エイミーさんはその場で立ち上がり、深々とお辞儀しながらそう言ってくれた。確かに病人を看ているだけで三人は多いだろう。一人いれば十分だ……その人がエイミーさんなら尚更だ(先程のは冗談に聞こえなかったけれど)。

「ありがとうございますエイミーさん。じゃあ臆助くん! 早く行こう! 頭金くんも待ち侘びているだろうし何よりあなたも苦しそう……」

「任せて下さいッス! 例えこの腕が捥げようと! 目的地まで運ぶッスよ!」

「じゃあそうなる前に辿り着こう!」

 頭金くんを私達の所為で退部させてしまう訳にはいかない! そして臆助くんの腕を駄目にしてしまってはいけない! 陰山くんがああなってしまっている今、私達が代わりに務めを果たさなければ! 現時刻午後五時一分——タイムリミットまで一時間も無い!

 私は臆助くんと共に、頭金くんの待つ空き地へと、臆助くんが動くペースに合わせながら、焦り且つ逸る気持ち押さえながら、向かって行った。

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