高校生である私が請け負うには重過ぎる

吾田文弱

第19話 住処

 彼に連れられるまま(その間に私は空いた片方の手で携帯を巧みに操作し親に連絡を入れた。意外とあっさり承諾してくれた)やってきた場所は、学校から約一キロほど離れた場所、ひっそりとした裏通りに建てられた古くて寂れたアパートだった。

 私は約十八年この町で暮らしてきたのだけれど、こんな場所にこのような建物があったなんて初めて知った。

 私はそのアパートを一目見た時、この建物だけ周りにある建造物とは違った雰囲気を放っているように感じた。例えるならこの建物は元々ここに立っていたものではなく本当は別の場所――具体的に言えば日本ではなく何処かヨーロッパ辺りの古都に建っていたものがそのままの状態でここに移ってきたという感じだった。

 そのアパートの外観は、四階建てでありアパートとは言ったけれどマンションと言ってもいいくらいの大きさである。
 外壁は煉瓦造りでどこかヨーロッパはフランス、アルビの旧市街を思わせる趣ある景観だった。

 そして一番気になったのは屋上にある特徴的なモニュメント。それは恐らくこのアパートの象徴ともいうべきものだろう。
 このアパートの名前が『西之岬アパート』。その名前から最も相応しいものを連想させたのだろう、そのモニュメントは灯台の形をしていた。
 このアパートの設計を考えた人は実に粋である。あのモニュメントがあれば一目でこのアパートの位置が把握できる。真っ暗で見渡す限り何も見えない大海原に彷徨う船が灯台の明かりを見つければそこが陸であることを確認できるかのように。

「ここが私の隠れ家だ。どうだ、この立地条件。このよつな人通りも少なくてひっそりとした場所なら誰にも見つかることなく住んでいけると思わないか?」

 無論、彼はそんな趣ある景観など一切眼中にないわけで、彼にとって住処とは隠れ家であり、アジトであり、いかに目立たずにそこに住み続けられるか。ただそれだけなのだ。

 入口に向かう為に私たちは数段の石段を登り、両開きの扉を彼が空いた片手で開いた。

 そこには割と広いロビーが広がっていた。外側から見た古めかしさから中身も大体想像がついたけれど全くそんなことはなく意外と綺麗だった。扉から向かって左側の空間には大きな休憩スペースがありそこにはテーブルが二台と椅子がテーブル一台に対し四脚置かれており休憩所のような場所になっていた。

 向かって正面には二階へ続く階段と地下へと続く階段二つあった。その階段の隣に扉があった。彼曰く、そこは大家さんの部屋らしい。別に気にする必要などないと言い彼は二階へと私を案内した。

 彼の住んでいる部屋は二階にあるようで私は未だ彼に握り締められたままの腕を引かれながら導かれた。いい加減ここまで来たら離してほしいものだ。血の巡りが悪くなるくらい強く握られている。事実、手の甲には既に血管が浮き出てしまっている。

 階段を上がり踊り場を抜け、二階に辿り着き廊下に向かうと彼の部屋は直ぐそこにあった。部屋番号は202号室。彼は空いた片手でジュラルミンケースを開けて中から部屋番号のキーホルダーが付いた鍵を手にし、鍵穴に鍵を差し込み、手を捻り、ドアノブを回し、開けた。部屋の中に這入り、彼はドアの方に向き直り鍵を内側から掛けた。その動作を静かに迅速に抜かりなく行った。時間にして僅か九秒ほどの間だった。

「はあ、ここまでくれば大丈夫だ」

 と言いほっと安堵し、ようやく私の腕を離してくれた。かなり長い時間、それも強い力で握り続けられていたので腕には握られた跡がくっきりと赤くなっていた。

「ここが私の部屋だ。決して寛げる場所とは言えないがな」

 まあゆっくりしてけ、と彼が言う。私は部屋を見渡してみる。

 この部屋は床も古い木材で出来ており歩くたびにギシギシと音を立て壁紙は所々剥がれているところがあり古さを感じるが人が一人で住むには十分な広さのワンルームで、窓から見える景色は閑静な住宅街が広がっておりさほど悪くない。

 しかし、部屋の雰囲気はかなり殺風景で生活感が感じられなかった。家具は一人用のベッドとその傍に電気スタンドを置く台、大きめの黒革のソファ、角形のローテーブル、それらを乗せるカーペット、それだけ。余計なものなど一切置いていない(クローゼットと食器棚、そして冷蔵庫があったのだけれど置いてある家具とものが違ったので恐らく備え付けの物だと思った)。実に彼らしいと思った。

「何を突っ立っている。そこに座るのだ」

「え? ああ……うん、失礼します」

 と私はソファの上に腰掛けた。座り心地がいい。こんな高級そうなソファに何の迷いもなく腰掛けても良かったのだろうか。またちょっとした後悔をしてしまった。

「少し待ってろ。茶くらいあった筈だが……」

「あっ、いいよそんなのお気遣いなく!」

「何を言う。泊まっていくのだから遠慮などするな」

 そうだ。そもそもなぜ私が出会って数日しか経っていない、しかも男子の部屋で、同じ屋根の下で共に寝泊りをしなければならないのか、それが未だに疑問だった。
 
 私が放課後正門にて出会ったあの人物の名を出すと彼は急に態度を豹変させ私を無理やり連れ出しここに泊まってもらうと言い出したのだ。

「ねえ、そろそろ教えてもらえない? 私をここへ連れ出した理由、私の腕がこんなになるまで連れ出した理由、教えてもらわなくちゃ困るよ?」

 やや皮肉めいて言ってしまった。我ながら大層腹黒い。

「アンタがあの男に会ったからだ。白臣塔に会ったんだろう?」

「うん、放課後に正門を出ようとした時に出会ったよ。こう言ってはあの人に失礼だと思うけれど、第一印象は良くはなかったかな。何だか不吉な雰囲気が漂っていて……」

「フム、そうか……。全くその通りだ。私もあいつに初めて会った時はそう感じた。ハッキリ言おう。あんた——生きてて良かったな」

「……え?」

 彼の言っている意味がよく分からなかった

——生きてて良かった?

 まるで私が今頃ここにいないみたいな言い方で私は一瞬ゾッとした。

「それって、どういう意味? 生きてて良かったって。それにあの人って何者なの? 陰山くんの事知ってたみたいだし」

 私が二つほど質問すると、彼はゆっくりと順序良く確かめるように説明を始めた。

「あいつは、闇医者だ。あいつとはちょっとした知り合いなのだ。俺みたいに人から依頼を受けて治療をして生計を立てている。だが、俺はあいつの診察を受けることは滅多にない。というか受けたくない。なんせあいつの医療技術は全て独学。殺した人間と生かした人間の数なら圧倒的に前者の方が上だ」

 何その漆黒の白衣を着た無免許医師の出来損ない版見たいな人は。確かにそれは危ない人かも知れないけれど、肝心なことがまだ解らない。

「でも、それが私が生きてて良かったこととどう関係があるの? 私あの人の職業も知らなかった訳だし、依頼を頼むようなことも話さなかったよ?」

「では、逆に質問しよう。あいつは普段人から依頼を受けて生計を立てていると言ったが、医療技術などほとんどない奴に依頼なんてそう毎回ある訳じゃない。では、あいつは依頼がない時はどうやって生計を立てていると思う?」

 依頼が無い時にあの人がすること? 医者と言えば、一般的に考えるの外科医だよね……。外科医が専門的に行う治療法と言うと、手術……解剖――、…… 

 私が導き出した答えは至って単純なものだったけれど、もしそうだと考えたら背筋が凍り付くほどゾッとした。本当に生きていて良かったと思えた。

「フッ、気付いたようだな。そう、あいつは依頼がなくなり食えなくなった時、健康そうな人間を探すのだ。そして言葉巧みにその人間を食事にでも連れ出し、飯を食ったら途端に眠気に襲われるのだ。そして、一度眠りに落ちたが最期、二度と目を覚ますことはない。その人間がどうなってしまったかは……アンタの想像通りだと思うぞ」

 ああ、そんなシーンを想像してしまうと吐き気がする。確実に映像化できない。出来ても確実に深夜枠だし若しくは十八歳未満閲覧禁止だよ。

「アンタ本当に運が良い、あいつが話しかけたところから察するにかなり健康そうだとみた。差し詰め大病を患ったことなどない感じだ。聞いたところによると男よりも女の方が高く売れるらしいしな。私がこうして連れ出していなければもう骨すら残ってなかっただろう……。五臓六腑四肢五体全部持ってかれてたろう……、フフフフフ……」

「陰山くん、これ以上グロテスクな表現は止めない? 見てくれている人の中には不快に感じる人もいると思うし」

「? 見てくれている人って何の話だ?」

 しまった。口が滑っちゃった! 

「ううん! 何でもない! こっちの話だから! 気にしないで!」

「? あんたってたまに変な時あるよな。直した方がいい。委員長の名が泣くぞ」

 時々私はこうしてメタフィクショナルな発言をしてしまう。これも私の悪い癖。

「ま、とにかくあんたがその男に出会ってしまった時点であんたの顔は憶えられてしまったわけだ。そこで俺はあんたが殺されないためにこうして匿う必要があった。一億円返済してもらうまで死なれては困るからな」

 飽くまで本当の目的はそれなんだ。最後の台詞さえなかったら恰好よかったのに。
 でもよく考えてみれば、私があの人に憶えられてしまったのは顔と名前だけで、家の場所までは流石に解らないわけだし、ここに連れ出す意味なんてなかったんじゃ。
 いや、彼はかなり用心深い性格をしている。きっとあの人が私の住んでいる家を探し当て襲われてしまうのを危惧したのだろう。そうなると守ってもらえる人などいない。私の親なんてたかが知れているし、あっという間に拉致されていただろう。

 そんな深いところまで考えてくれていたなんて。これは優しさの裏返しといってもいいのだろうか。

「さて、湯が沸いたぞ。紅茶くらいしかないがいいか?」

「うん、ありがとう。陰山くんって意外と紳士的なんだね。ちょっと見直しちゃった」

「フッ、これくらいのことで私のことを見直すのか? 本当にあんたって偽善というか、お人好しというか、詐欺にでもあったらどうするのだ? アンタ」

「んん、でも私は本当のことを、思ったことを素直に言っただけだし、別にそんな捻くれたこと言わなくてもいいんじゃない? もっと素直になった方がいいよ」

「私はいつでも素直だ、ただ自分や金に対してだけだ。人のいう事などあてにならぬ。例えアンタのような偽善者であってもな」

 そんな他愛ないちょっとした口論をしている時にも彼は台所で紅茶を慣れた手つきで淹れていく。その動きは滑らかで一切無駄がない。部屋には紅茶をカップに注ぐ音のみ響いている。粛々と。静々と。

 そして彼は此方に向き直り、二人分のお皿に乗ったカップを手に持ち、片方を私に差し出した。

「ほら。ホテルのルームサービスでもこんなに美味い茶を淹れて宿泊客に提供することなど出来ぬぞ。それくらいの自信と俺の素直さがこもった一杯だありがたくちびちびと舌の上で弄ぶように飲むがいい」

「つまり要約すると「今までより上手く淹れることが出来た自信があるから飲んでみて」ってことだね。ホント素直じゃないんだから」

 でも彼から受け取った紅茶は色、香り共に非の打ち所がないほど完璧だった。それも其の筈、彼が紅茶を淹れるのに使っていた水、そして容器がこの紅茶を作り出す決め手となっていた。先ずは水。彼が紅茶を淹れるのに使っていた水は、軟水だった。
 特にこの軟水は空気を多く含んでいる為紅茶向きだと言える。まあでも、日本には軟水が豊富にあるので、別にそこまで特別と言うほどではない。私が注目した点はこの紅茶の温度だ。このお湯は沸騰直後の百度くらいの温度だったのだ。ぬるすぎたり沸騰し過ぎたりしてしまうと紅茶特有の香気成分がよく出ないのでこの温度が丁度良かった。

 そして次は紅茶を注ぐのに使ったポット。彼は緑茶用の急須を使っていたが別にこれは構わない。むしろこれは正しい選択だった。要は鉄分の含まれたポットを使わないかどうかだ。何故鉄分を含んだポットではいけないのか。理由は一つ、それは紅茶に含まれたタンニンという成分が鉄分と化合して香味を損なってしまうからである。しかもそれだけでなく紅茶の色を黒っぽくしてしまい見た目も悪くなってしまう。

 他には陶磁器か銀製のティーポット、或いはガラス製のティーサーバーでもいい。これら何れかの四つさえあれば紅茶の香味、色を損なうことはない。

 最後に彼が紅茶を注いだこのティーカップ。先ほどから何度も言っているように紅茶の命ともいえるのは色と香り。それらを存分に活かすためにはカップ選びでさえも手を抜いてはならない。彼が選んだカップは内側が白く、浅い形のティーカップだった。
 これなら紅茶の色を際立たせることが出来、香りが広がりやすくなる。

 これら三つのゴールデンルールを一切損なうことなく彼は紅茶を淹れていたのだ。

 この人、一体何者なの? 何処かで執事の依頼でも請け負っていたのだろうか。

「どうした? さっきから紅茶ジッと見つめて。ゴミでも入っていたか?」

「ああ、ごめんなさい。とても色と香りが良かったから、見とれちゃって」

「ほう、そうか。それは良かった。ならサッサと飲むといい。熱いものは熱いうちが命だ」

「じゃあ、戴きます」

 私はカップを口に付け、傾ける。すると紅茶の豊潤な香りと上質な味が口いっぱいに広がり、鼻から抜けていった。まさに最高で、最上で、最良の一杯だった。

「美味しい……、凄く美味しいよ。景浦君の淹れ方もさる事ながら、この紅茶の茶葉もただの市販の物じゃない。ねえ、この紅茶の茶葉って何を使ってるの?」

「フム、成る程。委員長さんは頭だけでなく、舌の感覚も鋭い様だ。だったら話が早い。あんた、フォートナム&メイソン社は知っているか?」

「フォートナム&メイソン社——確かイギリスにある老舗百貨店だよね。イギリス王室も御用達にしているとか。あっ、もしかしてこの茶葉って……!」

「御名答。もしかしなくても、そいつはその会社のロイヤルブレンドさ。深いコクと渋みのバランスがとれた紅茶の中でも最高級の代物だ」

 フォートナム&メイソン。イギリスのロンドンを拠点とする老舗百貨店であり、本店は同都市のピカデリーにある。ウィリアム・フォートナムとヒュー・メイソンの二人で千七百七年に創業。ここ日本にも支店が二つある。

 質の高い商品を販売することで知られており、国際的に認知度も高く、先ほども言ったけれど過去百五十年以上にも渡ってイギリス王室から王室御用達の店舗として認定されているほどだ。

 また紅茶の販売でも有名であり、特に彼が私に振舞ってくれた『ロイヤルブレンド』は最高級紅茶の代名詞とも言えるもので、元々はエドワード七世の国王即位をお祝いする為に作られたものである。

 そんな有名ブランドの紅茶を振舞ってくれたなんて歓喜を通り越して逆に恐縮してしまう。泊めてもらうだけでもありがたいのに。

「何だが申し訳ないな。こんな高級なものを御馳走してもらうなんて」

「たかが二百五十グラム五千円程度の品だ。一般的に見れば高級かも知れんが私は大してそうとは思わぬ」

 どこのセレブが言いそうな常套句なの。五千円は大金だよ。どんな金銭感覚しているの。

 依頼料を請求する時もそうだったけれど元値から大幅に値引いてあの額だったのだから確実に彼の金銭感覚はおかしい。今時の高校生を何だと思っているのだろう。

「ところで陰山くん、ここに来てからずっと気になってたことがあるんだけれど、訊いてもいいかな?」

「ん? 何だ? やはりこの部屋の景観が気に入らなかったか?」

「ううん、部屋の事じゃなくて、あなたのことだよ。陰山くんさぁ、何で部屋の中でも帽子とフードを被ったまま脱がないの?」

「………」

 そう、彼は学校では病気を患っているという設定の為、常に帽子とフードを被っている訳なのだが、学ランは脱ぐけれど下に着ている黒色のフード付きパーカーと黒色のキャップは脱がなかったのだ。まさか自室にいてもその恰好だとは思わなかったので気になっていたのだ。

「素顔を隠してるというのに、何で晒さなきゃならないのだ」

「え? だって私はもうあなたの助手なんだから別に顔見たって過失なんてないと思うのだけれど」

「例え助手だろうが彼女だろうが配偶者だろうが愛人だろうが素顔を見せる訳にはいかぬのだ。素顔がバレれば仕事がしづらくなる。アンタが告げ口を絶対にしないなんてことは限らないしな」

「そんなことしないよ! それだと私も仕事が出来なくなって困るもの!」

「まあ、万が一そんなことした場合は、容赦なく後頭部から鉛玉が飛んでくると思うのだ」

 殺されるのね……。この人の依頼をしくじるようなことがあったりこの人の仕事に支障をきたすようなことがあると殺されるのか、よぉく憶えておこう。そのような理由で幾人もの犠牲者が出てきたと思うと改めて戦慄する。

「いつ何処で誰が私のことを見ているとも限らないしな。アンタがここにいようがいまいが私は常時この格好だ。さて、そろそろ腹が減ってきた。何か飯はあったか……」

 そう言いながら彼は飲み終えた自分の分のティーカップを持ち立ち上がり、それをシンクに浸けて、冷蔵庫の中を物色し始めた。

「ムウ、こんなことになるなんて思ってなかったからろくな物がない。
 おい、アンタ。私は食材の買い出しに行ってくる。私が帰ってくるまで絶対に外に出るな。呼び出しベルが鳴っても絶対に出るな。死ぬぞ」

「大袈裟だなぁ。でもそれもあながち過言ではないかもしれないね。分かった、待ってるよ」

 すると彼はそれでいいと言わんばかりに鼻で笑ってみせ、部屋の外へ出て行った。

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