愛した人を殺しますか?――はい/いいえ
第34話 魔法の戦い *
移乗戦が始まると、ラムズはジウと共に敵船の方へ乗り移った。ラムズは船内をぐるりと見渡すと、船尾楼の近くで貿易商人たちが立っているのを見つけた。彼らは戦闘員でないため、戦わずに傍観しようとしているらしい。
ラムズは足を早めて彼らの方まで少し近づくと、一旦魔法を使って宙に浮いた。そして見張り台の高さまで飛び、近くの縄に手を添える。
下にいる商人たちを見据えると、ラムズは木属性の魔法を使った。手の上に大きな種のようなものが現れる。種から芽が出て、それは凄まじいスピードで伸びていく。芽はいつの間にかツタのようになっていて、そのまま真っ直ぐと商人たちの方へ向かった。
ツタが甲板近くまで降りると、急に角度を変えて商人を一気に縛り上げた。
「な、なんだよこれ!」
商人たちは慌てながら、ツタがどこから伸びてきたのか探している。一人の商人がラムズを見つけると、「あれだ!」と叫んだ。
「おい! 俺らは戦わないんだからやめろよ!」
「そうだそうだ!」
商人らしき男たちが口々に叫び、ツタから逃れようとした。だがツタは普通の縄とは違い、魔法で作り出したものだ。くねくねと自在に動き、どんなに足掻いても一向に離れようとしない。むしろその締め付けはさらにきつくなっていく。
商人たちは一纏めに括られて、手足を動かせなくなった。
「聞け! ラムズ・シャーク! この縄を解くんだ!」
ラムズは面倒くさそうに顔を向けると、手の指を二回ひらひらと動かした。
「【草と化せ ── Hedera Commtionge】」
そう詠唱を呟く。今度は男たちの後頭部の髪の毛が伸びて、毛先が緑色に変わった。成長して太い茎になると、茎は屈曲してそれぞれの口を封じた。まるで猿轡のようだ。
商人たちは叫ぶこともできず、うんうんと唸っている。魔法を使おうとした者もいたようだが、すぐに不可能なことに気付いた。彼らは全員人間であり、口がきけないのに詠唱をできるはずがないのだ。彼らはなす術がなく抵抗を諦めた。
「取って食うわけじゃない。戦闘の邪魔をしないように縛っただけだ」
ラムズはそれだけ言うと、商人から顔を背けた。離れてはいたが、彼の声は商人たちに届いていた。
ラムズは宙から船内を見下ろす。適当に標的を決めると、魔法を使って攻撃していく。
まずは例の木属性の魔法でツタを出した。それは勢いよく敵に迫っていく。ツタはある男の首をきつく締め上げた。
「うっ……。あっ」
ほとんど抵抗なく、その男は死んだ。
今度は水属性の魔法で吹雪を発生させると、一人の冒険者にそれを向けた。吹雪は男の周りでぐるぐると渦を巻く。しばらくすると男は凍り、ばたんと甲板に倒れた。
敵船には、ルテミスがいる訳でも、高度な魔法を使える使族がいる訳でもない。戦闘員は人間の雇われ冒険者、傭兵、そして奴隷の獣人だけであった。獣人の中には跳躍力の優れたものもいたが、ルテミスには負ける。すなわち、ラムズの高さまで飛んで辿り着く者はいなかった。
また縄を伝って彼の方まで近付いた者がいたが、後一歩というところで、風属性の魔法で吹き飛ばされた。冒険者が魔法でラムズに攻撃しているが、周りにいるルテミスに殺されるか、ラムズの魔法で相殺されている。
ラムズは急に降下して、甲板に降り立った。わっと敵船の船員たちが襲いかかる。
「おい! シャーク海賊団の船長だ!」
「やっちまえ!」
「殺せば収益も増えるぞー!」
ラムズは迫ってきた船員の腕を掴むと、電撃を流した。それは伝播していき、周りにいた者全てが電撃で負傷する。
「お、おい!」
「どういうことだよ……!」
それでも死ななかった者は、じりじりとラムズから後ずさっていく。ラムズは近付いて、一刹那ずつ触れながら歩いた。触れられた者は、口から血を吹き出して死んだ。
「とにかく殺すんだ! やっ!」
一人の男が、カトラスでラムズに斬り掛かる。ラムズの腕の皮膚が服ごとぱっくりと割れ、鮮血が滲み出す。近くにいたもう一人の男も、同じくラムズへ剣を向ける。
だが、ラムズは怪我には見向きもしなかった。痛みを全く感じていないような表情で、魔法を使う。スルスルとツタが伸びて、二人の男の首を縛る。
「ううううっ!」
「まだ! まだだ!」
片方の男は避けて、カトラスでツタを断ち切ろうとした。だが切れない。なんとかツタの隙間から、ラムズに向かってカトラスを突いた。
「なかなか元気だな?」
ラムズは突き出された剣先を握り、そのまま相手の手からカトラスを奪い取った。もう一度ツタの魔法を放つと、今度こそ男の首が絞まった。男は死んだ。
ラムズは奪ったカトラスを甲板に落とした。掌からポタリポタリと血が滴る。服は破れ、血で汚れている。だが、傷はもうどこにもなかった。
一方その頃、ヴァニラはガーネット号の方で戦闘を続けていた。と言っても、彼女のそれが戦闘と言えるかは怪しいが。
背の低いヴァニラは、片手に酒瓶を持ったまま、スキップをするような感じで船内を歩いていた。彼女があまりにも戦闘員に見えなかったため、誰も彼女に攻撃を仕掛ける者はいない。
仕方なく彼女は、自分の方から敵に話しかけていた。
ようやく一人を殺し終えた彼女は、次の敵を探しに行く。若い男の冒険者らしき船員が、誰とも戦っていないのに気付いた。彼は敵船の雇い冒険者のようだ。ヴァニラは男に近づくと、その手を優しく掴んだ。
冒険者は後ろを振り向き、慌てて剣を構えた。だが掴んでいるのが少女と気付いて、その手を下ろす。
「君、どうしてこんなところに?」
「えへへ」
可愛らしい容姿の少女が、上目遣いで自分を見ている──。男は無意識に反応して、耳を僅かに赤くした。
ヴァニラは指を絡ませて、男と手を繋いだ。繋いでいる手を少し揺らす。明るい声で、男に話しかけた。
「ヴァニはね、お酒が大好きなの」
ヴァニラはそう言うと、持っていた酒瓶を傾けた。彼の手の甲にたらりと酒を流す。ジュージューと何かが焼けるような音が鳴る。男は悲鳴を上げて手を離した。
酒のかかった所が焼けただれて、皮膚が抉れている。肉は今も溶けているようで、ついに骨や血管が見え始める。ヴァニラは酒が男の皮膚に届く前に、魔法で酒を酸性毒に変えていたのだ。
冒険者はそこそこの経験を積んでいたため、それだけで逃げる程の心意気ではなかった。痛みに顔を顰めているが、なんとか剣を構えた。
──彼女はただの少女ではない。
男は魔法を放つ。
「【蔦よ、縛れ ── Hedera Colligation】】」
男の掌から細いツタが生まれて、それがヴァニラの手首を縛ろうとスルスル伸びた。ヴァニラは楽しそうにそれを見やったあと、手を上げて魔法を出した。間一髪の所で、彼女の手から現れた太いツタが、バサりと男のツタを切り捨てた。
男の出したツタは粉々になって甲板に落ちる。ヴァニラは落ちたそれを見ながら、けらけらと笑っている。
「とっても可愛い魔法なの!」
「お前……人間じゃないな」
ヴァニラの持つ怪しい雰囲気に、ぶるりと男の肩が震えた。
彼女の周りには、太いツタがゆらゆらと揺れている。男は剣でツタを斬り付けた。ガキンと嫌な音がする。ツタには一筋の傷も付いていない。
男は諦めてヴァニラ本人に切りかかろうとしたが、そのツタが邪魔をして彼女に近付くこともできない。
「【炎よ、砲撃せよ ── Flamm Germinant】!」
男はツタに向かって火の属性の魔法を放った。ヴァニラの顔を覆うほどの炎の渦が、彼女に迫る。だが次の瞬間、男に大量の水が浴びせられる。もちろん炎は煙となって消えた。
魔法ではどう見ても勝ち目がない──男はジリジリと後ろへ下がる。
「ねえ。行かないで。ヴァニといいことしよう?」
ヴァニラの声が、いつもより上擦っている。身長や顔つきと似合わないその艶かしい声が、男の背筋をくすぐった。あどけない顔つきなのに、表情は女のそれに変わっている。ヴァニラは一歩ずつ男に近付いていく。
男の目はヴァニラに釘付けになり、彼の足が全く機能しなくなった。足を動かそうとは思っているのだが、何故か動かないのだ。
「ヴァニがお酒を飲ませてあげるの」
ヴァニラはぽんと、小さな手で男の身体を押した。弱そうな力に見えたが、魔法の伴った突きであったため、男は簡単に倒れた。
ヴァニラは馬乗りになり、彼の胸の上でちょこんと座る。そこでヴァニラは美味しそうに酒を飲んだ。紫色の液体が、彼女の薄紅の唇から溢れていく。顎を伝い、大きく開いた胸元に滴り落ちた。
男はなんとか彼女をどかそうと試みたが、体がやはり動かない。男は、ビリビリとした感覚が足や手にあることに気付いた。
「まさか、麻痺魔法を使ったのか?!」
「ええ? ヴァニはそんな名前、知らないの」
ヴァニラはまた一口、酒を飲んだ。彼女の潤んだ唇から、男の身体へ酒が零れていく。だがそれは、ただの酒ではない。シューと音を立てながら、男の服を溶かしていく。
男は必死になって魔法を唱えた。
「【異常よ、解けよ ── Depravu Lease】、
【Depravu Lease】、【Depravu Lease】」
「そんなんじゃムリなの」
ヴァニラは微笑んで、もう一度酒を垂らした。
男は何度も魔法をかけているが、一向に身体に変化は訪れない。液体は服を溶かし終えると、男の肌まで到達した。
「あぁあぁぁあ゛」
「お酒、欲しいの? あげるの」
ヴァニラは酒瓶を傾けて、彼の口にそれを入れた。
「美味しいの?」
「う、うあ゛────────!」
舌も溶けてしまったのか、言葉にならない悲鳴が上がった。ヴァニラは色っぽい笑みを浮かべて、片方の手を彼の頬に添えた。
彼の顔をじっと眺めながら、つーっと指を動かした。瞼に優しく触れる。酒で潤んだ唇から吐息が漏れて、男の顔を湿らせた。
「ねえ。これもあげるの?」
身を起こすと、ヴァニラは彼の顔の上で、酒瓶を傾けた。指で抑えて、無理やり眼を開かせる。紫色の液体が、ゆっくりと瞳に落ちる。もちろんそれも毒だった。
男の目が白目を剥く。痛みに耐えかねたのか、いつの間にか彼の鼓動は止まっていた。
「人間は脆いの」
ヴァニラは男から身を起こした。彼女は立ち上がると、酒をまた口につける。ピンクの唇がつやつやと光っている。
美味しいの、と呟いた。
ラムズは足を早めて彼らの方まで少し近づくと、一旦魔法を使って宙に浮いた。そして見張り台の高さまで飛び、近くの縄に手を添える。
下にいる商人たちを見据えると、ラムズは木属性の魔法を使った。手の上に大きな種のようなものが現れる。種から芽が出て、それは凄まじいスピードで伸びていく。芽はいつの間にかツタのようになっていて、そのまま真っ直ぐと商人たちの方へ向かった。
ツタが甲板近くまで降りると、急に角度を変えて商人を一気に縛り上げた。
「な、なんだよこれ!」
商人たちは慌てながら、ツタがどこから伸びてきたのか探している。一人の商人がラムズを見つけると、「あれだ!」と叫んだ。
「おい! 俺らは戦わないんだからやめろよ!」
「そうだそうだ!」
商人らしき男たちが口々に叫び、ツタから逃れようとした。だがツタは普通の縄とは違い、魔法で作り出したものだ。くねくねと自在に動き、どんなに足掻いても一向に離れようとしない。むしろその締め付けはさらにきつくなっていく。
商人たちは一纏めに括られて、手足を動かせなくなった。
「聞け! ラムズ・シャーク! この縄を解くんだ!」
ラムズは面倒くさそうに顔を向けると、手の指を二回ひらひらと動かした。
「【草と化せ ── Hedera Commtionge】」
そう詠唱を呟く。今度は男たちの後頭部の髪の毛が伸びて、毛先が緑色に変わった。成長して太い茎になると、茎は屈曲してそれぞれの口を封じた。まるで猿轡のようだ。
商人たちは叫ぶこともできず、うんうんと唸っている。魔法を使おうとした者もいたようだが、すぐに不可能なことに気付いた。彼らは全員人間であり、口がきけないのに詠唱をできるはずがないのだ。彼らはなす術がなく抵抗を諦めた。
「取って食うわけじゃない。戦闘の邪魔をしないように縛っただけだ」
ラムズはそれだけ言うと、商人から顔を背けた。離れてはいたが、彼の声は商人たちに届いていた。
ラムズは宙から船内を見下ろす。適当に標的を決めると、魔法を使って攻撃していく。
まずは例の木属性の魔法でツタを出した。それは勢いよく敵に迫っていく。ツタはある男の首をきつく締め上げた。
「うっ……。あっ」
ほとんど抵抗なく、その男は死んだ。
今度は水属性の魔法で吹雪を発生させると、一人の冒険者にそれを向けた。吹雪は男の周りでぐるぐると渦を巻く。しばらくすると男は凍り、ばたんと甲板に倒れた。
敵船には、ルテミスがいる訳でも、高度な魔法を使える使族がいる訳でもない。戦闘員は人間の雇われ冒険者、傭兵、そして奴隷の獣人だけであった。獣人の中には跳躍力の優れたものもいたが、ルテミスには負ける。すなわち、ラムズの高さまで飛んで辿り着く者はいなかった。
また縄を伝って彼の方まで近付いた者がいたが、後一歩というところで、風属性の魔法で吹き飛ばされた。冒険者が魔法でラムズに攻撃しているが、周りにいるルテミスに殺されるか、ラムズの魔法で相殺されている。
ラムズは急に降下して、甲板に降り立った。わっと敵船の船員たちが襲いかかる。
「おい! シャーク海賊団の船長だ!」
「やっちまえ!」
「殺せば収益も増えるぞー!」
ラムズは迫ってきた船員の腕を掴むと、電撃を流した。それは伝播していき、周りにいた者全てが電撃で負傷する。
「お、おい!」
「どういうことだよ……!」
それでも死ななかった者は、じりじりとラムズから後ずさっていく。ラムズは近付いて、一刹那ずつ触れながら歩いた。触れられた者は、口から血を吹き出して死んだ。
「とにかく殺すんだ! やっ!」
一人の男が、カトラスでラムズに斬り掛かる。ラムズの腕の皮膚が服ごとぱっくりと割れ、鮮血が滲み出す。近くにいたもう一人の男も、同じくラムズへ剣を向ける。
だが、ラムズは怪我には見向きもしなかった。痛みを全く感じていないような表情で、魔法を使う。スルスルとツタが伸びて、二人の男の首を縛る。
「ううううっ!」
「まだ! まだだ!」
片方の男は避けて、カトラスでツタを断ち切ろうとした。だが切れない。なんとかツタの隙間から、ラムズに向かってカトラスを突いた。
「なかなか元気だな?」
ラムズは突き出された剣先を握り、そのまま相手の手からカトラスを奪い取った。もう一度ツタの魔法を放つと、今度こそ男の首が絞まった。男は死んだ。
ラムズは奪ったカトラスを甲板に落とした。掌からポタリポタリと血が滴る。服は破れ、血で汚れている。だが、傷はもうどこにもなかった。
一方その頃、ヴァニラはガーネット号の方で戦闘を続けていた。と言っても、彼女のそれが戦闘と言えるかは怪しいが。
背の低いヴァニラは、片手に酒瓶を持ったまま、スキップをするような感じで船内を歩いていた。彼女があまりにも戦闘員に見えなかったため、誰も彼女に攻撃を仕掛ける者はいない。
仕方なく彼女は、自分の方から敵に話しかけていた。
ようやく一人を殺し終えた彼女は、次の敵を探しに行く。若い男の冒険者らしき船員が、誰とも戦っていないのに気付いた。彼は敵船の雇い冒険者のようだ。ヴァニラは男に近づくと、その手を優しく掴んだ。
冒険者は後ろを振り向き、慌てて剣を構えた。だが掴んでいるのが少女と気付いて、その手を下ろす。
「君、どうしてこんなところに?」
「えへへ」
可愛らしい容姿の少女が、上目遣いで自分を見ている──。男は無意識に反応して、耳を僅かに赤くした。
ヴァニラは指を絡ませて、男と手を繋いだ。繋いでいる手を少し揺らす。明るい声で、男に話しかけた。
「ヴァニはね、お酒が大好きなの」
ヴァニラはそう言うと、持っていた酒瓶を傾けた。彼の手の甲にたらりと酒を流す。ジュージューと何かが焼けるような音が鳴る。男は悲鳴を上げて手を離した。
酒のかかった所が焼けただれて、皮膚が抉れている。肉は今も溶けているようで、ついに骨や血管が見え始める。ヴァニラは酒が男の皮膚に届く前に、魔法で酒を酸性毒に変えていたのだ。
冒険者はそこそこの経験を積んでいたため、それだけで逃げる程の心意気ではなかった。痛みに顔を顰めているが、なんとか剣を構えた。
──彼女はただの少女ではない。
男は魔法を放つ。
「【蔦よ、縛れ ── Hedera Colligation】】」
男の掌から細いツタが生まれて、それがヴァニラの手首を縛ろうとスルスル伸びた。ヴァニラは楽しそうにそれを見やったあと、手を上げて魔法を出した。間一髪の所で、彼女の手から現れた太いツタが、バサりと男のツタを切り捨てた。
男の出したツタは粉々になって甲板に落ちる。ヴァニラは落ちたそれを見ながら、けらけらと笑っている。
「とっても可愛い魔法なの!」
「お前……人間じゃないな」
ヴァニラの持つ怪しい雰囲気に、ぶるりと男の肩が震えた。
彼女の周りには、太いツタがゆらゆらと揺れている。男は剣でツタを斬り付けた。ガキンと嫌な音がする。ツタには一筋の傷も付いていない。
男は諦めてヴァニラ本人に切りかかろうとしたが、そのツタが邪魔をして彼女に近付くこともできない。
「【炎よ、砲撃せよ ── Flamm Germinant】!」
男はツタに向かって火の属性の魔法を放った。ヴァニラの顔を覆うほどの炎の渦が、彼女に迫る。だが次の瞬間、男に大量の水が浴びせられる。もちろん炎は煙となって消えた。
魔法ではどう見ても勝ち目がない──男はジリジリと後ろへ下がる。
「ねえ。行かないで。ヴァニといいことしよう?」
ヴァニラの声が、いつもより上擦っている。身長や顔つきと似合わないその艶かしい声が、男の背筋をくすぐった。あどけない顔つきなのに、表情は女のそれに変わっている。ヴァニラは一歩ずつ男に近付いていく。
男の目はヴァニラに釘付けになり、彼の足が全く機能しなくなった。足を動かそうとは思っているのだが、何故か動かないのだ。
「ヴァニがお酒を飲ませてあげるの」
ヴァニラはぽんと、小さな手で男の身体を押した。弱そうな力に見えたが、魔法の伴った突きであったため、男は簡単に倒れた。
ヴァニラは馬乗りになり、彼の胸の上でちょこんと座る。そこでヴァニラは美味しそうに酒を飲んだ。紫色の液体が、彼女の薄紅の唇から溢れていく。顎を伝い、大きく開いた胸元に滴り落ちた。
男はなんとか彼女をどかそうと試みたが、体がやはり動かない。男は、ビリビリとした感覚が足や手にあることに気付いた。
「まさか、麻痺魔法を使ったのか?!」
「ええ? ヴァニはそんな名前、知らないの」
ヴァニラはまた一口、酒を飲んだ。彼女の潤んだ唇から、男の身体へ酒が零れていく。だがそれは、ただの酒ではない。シューと音を立てながら、男の服を溶かしていく。
男は必死になって魔法を唱えた。
「【異常よ、解けよ ── Depravu Lease】、
【Depravu Lease】、【Depravu Lease】」
「そんなんじゃムリなの」
ヴァニラは微笑んで、もう一度酒を垂らした。
男は何度も魔法をかけているが、一向に身体に変化は訪れない。液体は服を溶かし終えると、男の肌まで到達した。
「あぁあぁぁあ゛」
「お酒、欲しいの? あげるの」
ヴァニラは酒瓶を傾けて、彼の口にそれを入れた。
「美味しいの?」
「う、うあ゛────────!」
舌も溶けてしまったのか、言葉にならない悲鳴が上がった。ヴァニラは色っぽい笑みを浮かべて、片方の手を彼の頬に添えた。
彼の顔をじっと眺めながら、つーっと指を動かした。瞼に優しく触れる。酒で潤んだ唇から吐息が漏れて、男の顔を湿らせた。
「ねえ。これもあげるの?」
身を起こすと、ヴァニラは彼の顔の上で、酒瓶を傾けた。指で抑えて、無理やり眼を開かせる。紫色の液体が、ゆっくりと瞳に落ちる。もちろんそれも毒だった。
男の目が白目を剥く。痛みに耐えかねたのか、いつの間にか彼の鼓動は止まっていた。
「人間は脆いの」
ヴァニラは男から身を起こした。彼女は立ち上がると、酒をまた口につける。ピンクの唇がつやつやと光っている。
美味しいの、と呟いた。
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