愛した人を殺しますか?――はい/いいえ
第24話 金細工のボタン #R
「おい! お前見慣れない格好しているなぁ? ここが海賊の街って分かってんだろうな! どうやって街に入った?」
「貴族か? いやこいつもしかして、国のスパイじゃねえの?」
かなり柄の悪い男二人に迫られて、膝がガクガクと鳴った。なんでこんな目に合わなきゃいけねえんだよ!
異世界転移、初っ端から辛すぎるよ!
 
俺がここに着いたのは、つい30分くらい前。
最近よくアニメやラノベで話題になっている"異世界転移"を俺は体験してしまったようだ。
今は落ち着いたけど、30分前はけっこう取り乱していた。だって転移だぜ? そんなの物語上の話じゃないのかよ。
転移に至った経緯はこうだ。
俺は、クラスメイトの友達と休み時間に談笑していた。んで、そしたら急に足元に白い魔法陣が出てきた。その魔法陣が光って、気づいたらここにいた。
────たったこれだけ。
途中で神様なんて出てこなかったし、飛ばされている間の時間なんてものもないし、ただ、ここに立っていた。
最初に出会ったのはアロイスという名前の爺さんだった。明らかに"魔法使い"みたいな見た目の爺さんだ。灰色のフードを着て、腰やフードの中の服にはごちゃごちゃと物がたくさん入っていた。
俺の思う"魔法使い"としいて違うところを挙げるなら、杖を持ってないってところだ。まぁ爺さんが「わしは魔法使いじゃ」って言ったわけじゃないし、本当のところは知らない。
けど、優しい声とは裏腹に、顔つきは手強いような雰囲気を感じだ。大物ってオーラ? 話し方がすごい優しいおじいちゃん風だから、なんだか大したことないと錯覚しそうになるんだけどな。でも、伝説の魔術師だ、とかいわれても全然納得出来る。
爺さんは動揺した俺を宥めてくれた。「そういうことは誰にでもあることじゃ」とか言って。誰にでもあるわけねえだろ! という突っ込みは心の中に留めておいた。
俺は初め、さすがに異世界に転移したとは思っていなかった。でも爺さんと会話をして、そして街を歩く人を観察しているうちに分かってきたんだ。
俺がここを異世界と思った理由だけど、まずは転移前に変な魔法陣が出たこと。次に街歩く人の髪の色が青やピンクなど多種多様で、猫の耳なんかをつけている人も歩いていたこと。
そしてここが「トルティガー」とかいう外国めいた名前の場所で、爺さんの名前も外国人らしい名前だったこと。
さらに、それなのに言葉が分かったこと。
まずここの言語は日本語や英語じゃない。明らかに全く違う発音だ。かといって、それ以外の俺の知る言語でもない。
そもそも本来俺は、日本語と英語しか話せないし、それしか聞き取れない。でも俺はアイロスさんと会話ができたのだ。
全く知らないはずの言語を、俺は理解出来たし、話すことも出来た。なんていうか、相手が違う言語を話しているのは分かるんだけど、でも俺の頭がちゃんと処理してくれるんだ。話そうとすると、口から出るのはその異世界語になるしな。すげえ奇妙な感じがした。
よくある「異世界に転移したけど言葉は分かる」ってやつだと、俺はピンと来た。
それに海賊の街ときたのだ。海賊なんてファンタジーな職、地球の現代にはそうそうなかったはずだ。あってもあんなボロボロの格好じゃないと思うし。街自体もかなり古びた感じだ。日本の東京なんかとは大違い。中世のヨーロッパだって言われたらすごく納得できる。
建物の高さはどれも二階くらいまでで、木造のものが多い。色は茶色のままで木材が剥き出しだ。麻布がカーテンのようになっている店なんかも見かけた。露店という感じだな。
地面は塗装されておらず、ただの土だ。歩くたびに土埃が少し立つ。あとは、空気が凄く澄んでいる。それはここに来てすぐに気付いた。もう圧倒的に違うんだ。呼吸がしやすいというか、透き通るような空気というか。自然って本当はこんなだったんだなあ、なんて思った。まだ違和感を感じているくらいだ。
とにかく、こんなところから俺は異世界転移をしたんだと確信した。
爺さんは俺に名前を教えてから、「困ったら呼ぶんじゃぞ。助けてやるわい」と言って何処かにいなくなった。でもどうやって助けを求めるんだよ!
今割と助け欲しいんだけど! このごつい人達、どうしたらいいんだ?!
「黙ってちゃ分かんねえぞ。海賊かそうじゃないか、はっきり答えろ」
「お、俺は……いせかい」
「おい」
「異世界から転移してきました」と馬鹿正直に答えようとしていたところ、別の男が会話に入ってきた。
かなり見た目が派手派手しい男だ。宝石をじゃらじゃら身体中に付けている。髪の毛は銀色、目は青色で、しかも眼帯なんて物を付けている。
さしずめ、厳つい男達はただのモブ船員、新しく声をかけてきた男は若船長って感じだ。
「ま、まさかあのラムズ・シャークか?!」
「そうだが」
新しく会話に入ってきた船長らしき人は、どうやら有名人らしい。二人の男は「失礼しましたっ」と叫ぶと一目散に駆けていった。
このラムズ・ナントカさん、俺のことを助けてくれたのだろうか?
「助けてくれてありがとうございます……」
「ああ。礼を寄越せ」
なかなか珍しい奴だな?! こういう時は「いいってことよ!」って言うのがセオリーじゃないの? 変な恨み買われるよりいいのかな。
「その……礼と言っても俺ここに来たばかりで金もないし……」
「その金のボタンだ」
ラムズ・ナントカさんは俺の学ランのボタンを指さした。
これ? こんなのが欲しいならいくらでもあげるけどさ。やっぱ異世界の物って珍しいのかな。
俺は一番上のボタンを強く引っ張って外した。何だか1つじゃ物足りなそうだから、第二ボタンまで渡した。俺の学生服のボタンは、ドラゴンみたいなデザインが彫られている。そこに複雑な記号やら文字も一緒になっている。
第二ボタンと言えば、卒業式で可愛い後輩に第二ボタンをあげることもなくなったわけか。寂しいことよ。
「これでいいなら、どうぞ」
「助かる」
ラムズはまだ俺のボタンを見ているようだった。
もっと欲しいのか?! もう一度ボタンを取ろうと思ったが、俺はふと思い留まった。
もしかしたらこのボタンはこの世界ですごく価値のある物なのかもしれない。それなら、この男に全部あげるのは得策じゃない。礼はこれで十分なはずだ。
俺はそう納得すると、ラムズの目線は無視することにした。
ラムズは諦めたようで、俺に話を振ってくる。
「そういえばお前はアイロスという爺さんを知ってるか?」
「アイロス? さっきそいつと会ったばっかりだよ」
「本当か! どこに行った?!」
ラムズは目を見開いて言った。よっぽど切羽詰まった状況なのか?
「俺は知らないっす……。『困ったら呼ぶんじゃぞ、助けてやるわい』とか言って消えたよ」
「じゃあ呼べ」
「いや、呼べって言われても……」
「だから呼ぶんだ」
「いやだからそんな呼ぶって言われても、俺はそんなことできませんって」 
「お前馬鹿か?」
この人かなり失礼じゃね? 出会ってそうそう馬鹿って言うか? たしかに高校のテストは赤点スレスレだったけどよ。
ラムズはかなりイライラした様子でまた口を開いた。
「『アイロスー!』って呼ぶんだよ!」
「えっ? そういうこと?! あ、アイロスー!」
一秒過ぎた。二秒、三秒。四秒。やっぱり何も起こらねえじゃん。ラムズ・ナントカさんこそ頭悪いんじゃ──。
「ほいよ」
嘘だろ?! 来た!
アイロスの爺さんは、俺が転移した時見たような魔法陣の上に立っている。
──もしかしてやっぱり、魔法使いだったのか? 大魔術師?
俺は異世界に転移したと分かった時から、もう魔法やエルフなんかが出てきても驚かないって心に決めた。ここはそういうもんなんだって。いちいち過剰に反応してたら疲れちゃうだろ。だから、ひとまず急にアイロスが来たこともすんなり受け入れることにした。
ラムズは気がせったような感じで、アイロスの爺さんに話しかける。
「アイロス・サーキィだな? 助けてくれないか、人魚が死にそうなんだ。エルフのノアから話を聞いた。俺はラムズ・シャークだ」
「ふむ、エルフのノアとは、あやつのことかのう。人魚がなあ……。いいじゃろう、案内してくれ」
人魚? エルフ? さっそく異世界らしいワードが出てきて、俺は密かにわくわくする。
「そうじゃ、お主もついてこい。えっと名前は……何じゃったかの」
「川戸怜苑です」
「そうじゃそうじゃ。でも、逆から言えとさっき教えたじゃろう」
「そうか。怜苑・川戸です」 
「カワド? 変な苗字だな。爺さん、こっちだ」
ラムズはあくまで俺を馬鹿にしていくスタンスらしい。
彼は、爺さんを見つけてさっきより表情が明るくなっているように見える。よっぽどその人魚が大事なのだろうか。
◆◆◆
俺たちは『異端の会』という標識のある店の前に立っていた。ここも露店みたいな感じだ。
そういえば言葉も文字も分かるのは転移特典なのだろうか。文字も全く見慣れない気がするんだが、なぜか読めるんだよな。でももっと強い力なんかが欲しかったぜ。
店の方に近づくと、向こう側から金色の髪の毛を持つ女の人が歩いてきた。めちゃくちゃ美人。本当に美人。
ここに転移させてくれた神様、ありがとうございます! 俺はこれだけで死ねます!
俺が今まで出会った女の人の中で、彼女は一番綺麗だった。金色のウェーブのかかった長い髪の毛。聖女のような祭服は彼女がいかに純粋で清楚な女性かってのを伝えてくれている。
瞳は藍色で、潤んだその瞳に引き込まれそうになる。天使のような微笑みで俺たちを迎えてくれた。あの大きな胸に飛び込みたい!
「ラムズ、見つけたんですね?」
玉を転がすような高い声だ。期待を裏切らない、よし。
「ああ。入ろう」
ラムズと俺、爺さん、美しい聖女様が店主の前に並んだ。でも入ろうって入口ないけどな。見えないドアがあるとか?
店主らしき人は、海賊帽をくるくる回しながら俺たち三人のことを見ている。口を開く。
「皆さん揃いも揃って。さっき確認したからもういいぜ」
「ああ。この二人はツレだ。こいつらも登録はいい」
「ふっ、ご苦労なこって。あーいよ」
確認? 登録? もしかして会員制なのか? まさか合言葉があったりとか……。怪しい仕事をしている人達は、こうやって部外者を入れないようにするよな。ここは海賊の街だし。
せっかくだから俺も登録したかったな。それで合言葉とか言ってみたかった。かっこいいよな、そんなのって。異世界ならではって感じ。
そのあと、ラムズとロゼリィは左側の壁に向かった。
ま、まさか……。
そのまさかだった。彼らは壁に吸い込まれるようにして入っていく。
うっひゃー! 異世界ってサイコー!
母さんに会えないかもとか友達も消えたかもとか色々不安だったけど、ゆっくり地球に帰る方法を探そう。まずは楽しんだもん勝ちだよな。こういうのって、地球に帰ったら全然時間経ってなかったぜ、なんてことも多いし。浦島太郎なんてのは頼むからやめてくれよ?
俺はウキウキしながらその壁に突っ込んだ。もちろん壁にぶつかることはなく、店の中に入った。爺さんも俺のあとに続く。
身体が浮いたような気がしたあと、俺は店内に立っていた。
店の中は机と椅子があり、ちょっとした居酒屋みたいだ。カウンターやその向こうに厨房があるから、食事処だと思ったのだ。でも俺たち以外誰もいない。
ラムズは聖女様に向かって声をかけた。
「爺さんを案内してくれ」
「分かりましたわ。アイロスさん、こちらにお願いしますわ」
聖女様は爺さんを連れて、奥の階段に入る。俺は行かない方がいいみたいだから、とりあえずその場所に留まった。
「レオン、だったか。お前はなんでそんな格好をしてるんだ? ここでは浮いてるぞ」
ラムズも行かないらしく、俺に声をかけてきた。なんとなく暇つぶしに使われているような気もする。
「俺、ここの住人じゃないんだ」
「お前がトルティガーに住んでるとはさすがに思ってねえよ」
「そうじゃなくて、この世界の人じゃないってこと」
「はあ? 何おかしなこと言ってんだ?」
「俺もそう思うよ。でも、俺は地球っていう違う世界にいたんだ。そこにはエルフなんていなかったし、あんな魔法もない」
「本気でそう言ってんのか?」
「本気だよ」
ラムズは少し考える素振りをした。だが諦めたような顔で首を横に振った。
「仕方ねえな。記憶がなくなったお前に、ここのことを教えてやるとするか」
「なくなってないって! でも、教えてくれ。助かるよ」
「暇だからな」
ラムズはそう言うと、机に座った。やっぱり暇つぶしかよ。
ラムズの異世界講義が始まった。
「貴族か? いやこいつもしかして、国のスパイじゃねえの?」
かなり柄の悪い男二人に迫られて、膝がガクガクと鳴った。なんでこんな目に合わなきゃいけねえんだよ!
異世界転移、初っ端から辛すぎるよ!
 
俺がここに着いたのは、つい30分くらい前。
最近よくアニメやラノベで話題になっている"異世界転移"を俺は体験してしまったようだ。
今は落ち着いたけど、30分前はけっこう取り乱していた。だって転移だぜ? そんなの物語上の話じゃないのかよ。
転移に至った経緯はこうだ。
俺は、クラスメイトの友達と休み時間に談笑していた。んで、そしたら急に足元に白い魔法陣が出てきた。その魔法陣が光って、気づいたらここにいた。
────たったこれだけ。
途中で神様なんて出てこなかったし、飛ばされている間の時間なんてものもないし、ただ、ここに立っていた。
最初に出会ったのはアロイスという名前の爺さんだった。明らかに"魔法使い"みたいな見た目の爺さんだ。灰色のフードを着て、腰やフードの中の服にはごちゃごちゃと物がたくさん入っていた。
俺の思う"魔法使い"としいて違うところを挙げるなら、杖を持ってないってところだ。まぁ爺さんが「わしは魔法使いじゃ」って言ったわけじゃないし、本当のところは知らない。
けど、優しい声とは裏腹に、顔つきは手強いような雰囲気を感じだ。大物ってオーラ? 話し方がすごい優しいおじいちゃん風だから、なんだか大したことないと錯覚しそうになるんだけどな。でも、伝説の魔術師だ、とかいわれても全然納得出来る。
爺さんは動揺した俺を宥めてくれた。「そういうことは誰にでもあることじゃ」とか言って。誰にでもあるわけねえだろ! という突っ込みは心の中に留めておいた。
俺は初め、さすがに異世界に転移したとは思っていなかった。でも爺さんと会話をして、そして街を歩く人を観察しているうちに分かってきたんだ。
俺がここを異世界と思った理由だけど、まずは転移前に変な魔法陣が出たこと。次に街歩く人の髪の色が青やピンクなど多種多様で、猫の耳なんかをつけている人も歩いていたこと。
そしてここが「トルティガー」とかいう外国めいた名前の場所で、爺さんの名前も外国人らしい名前だったこと。
さらに、それなのに言葉が分かったこと。
まずここの言語は日本語や英語じゃない。明らかに全く違う発音だ。かといって、それ以外の俺の知る言語でもない。
そもそも本来俺は、日本語と英語しか話せないし、それしか聞き取れない。でも俺はアイロスさんと会話ができたのだ。
全く知らないはずの言語を、俺は理解出来たし、話すことも出来た。なんていうか、相手が違う言語を話しているのは分かるんだけど、でも俺の頭がちゃんと処理してくれるんだ。話そうとすると、口から出るのはその異世界語になるしな。すげえ奇妙な感じがした。
よくある「異世界に転移したけど言葉は分かる」ってやつだと、俺はピンと来た。
それに海賊の街ときたのだ。海賊なんてファンタジーな職、地球の現代にはそうそうなかったはずだ。あってもあんなボロボロの格好じゃないと思うし。街自体もかなり古びた感じだ。日本の東京なんかとは大違い。中世のヨーロッパだって言われたらすごく納得できる。
建物の高さはどれも二階くらいまでで、木造のものが多い。色は茶色のままで木材が剥き出しだ。麻布がカーテンのようになっている店なんかも見かけた。露店という感じだな。
地面は塗装されておらず、ただの土だ。歩くたびに土埃が少し立つ。あとは、空気が凄く澄んでいる。それはここに来てすぐに気付いた。もう圧倒的に違うんだ。呼吸がしやすいというか、透き通るような空気というか。自然って本当はこんなだったんだなあ、なんて思った。まだ違和感を感じているくらいだ。
とにかく、こんなところから俺は異世界転移をしたんだと確信した。
爺さんは俺に名前を教えてから、「困ったら呼ぶんじゃぞ。助けてやるわい」と言って何処かにいなくなった。でもどうやって助けを求めるんだよ!
今割と助け欲しいんだけど! このごつい人達、どうしたらいいんだ?!
「黙ってちゃ分かんねえぞ。海賊かそうじゃないか、はっきり答えろ」
「お、俺は……いせかい」
「おい」
「異世界から転移してきました」と馬鹿正直に答えようとしていたところ、別の男が会話に入ってきた。
かなり見た目が派手派手しい男だ。宝石をじゃらじゃら身体中に付けている。髪の毛は銀色、目は青色で、しかも眼帯なんて物を付けている。
さしずめ、厳つい男達はただのモブ船員、新しく声をかけてきた男は若船長って感じだ。
「ま、まさかあのラムズ・シャークか?!」
「そうだが」
新しく会話に入ってきた船長らしき人は、どうやら有名人らしい。二人の男は「失礼しましたっ」と叫ぶと一目散に駆けていった。
このラムズ・ナントカさん、俺のことを助けてくれたのだろうか?
「助けてくれてありがとうございます……」
「ああ。礼を寄越せ」
なかなか珍しい奴だな?! こういう時は「いいってことよ!」って言うのがセオリーじゃないの? 変な恨み買われるよりいいのかな。
「その……礼と言っても俺ここに来たばかりで金もないし……」
「その金のボタンだ」
ラムズ・ナントカさんは俺の学ランのボタンを指さした。
これ? こんなのが欲しいならいくらでもあげるけどさ。やっぱ異世界の物って珍しいのかな。
俺は一番上のボタンを強く引っ張って外した。何だか1つじゃ物足りなそうだから、第二ボタンまで渡した。俺の学生服のボタンは、ドラゴンみたいなデザインが彫られている。そこに複雑な記号やら文字も一緒になっている。
第二ボタンと言えば、卒業式で可愛い後輩に第二ボタンをあげることもなくなったわけか。寂しいことよ。
「これでいいなら、どうぞ」
「助かる」
ラムズはまだ俺のボタンを見ているようだった。
もっと欲しいのか?! もう一度ボタンを取ろうと思ったが、俺はふと思い留まった。
もしかしたらこのボタンはこの世界ですごく価値のある物なのかもしれない。それなら、この男に全部あげるのは得策じゃない。礼はこれで十分なはずだ。
俺はそう納得すると、ラムズの目線は無視することにした。
ラムズは諦めたようで、俺に話を振ってくる。
「そういえばお前はアイロスという爺さんを知ってるか?」
「アイロス? さっきそいつと会ったばっかりだよ」
「本当か! どこに行った?!」
ラムズは目を見開いて言った。よっぽど切羽詰まった状況なのか?
「俺は知らないっす……。『困ったら呼ぶんじゃぞ、助けてやるわい』とか言って消えたよ」
「じゃあ呼べ」
「いや、呼べって言われても……」
「だから呼ぶんだ」
「いやだからそんな呼ぶって言われても、俺はそんなことできませんって」 
「お前馬鹿か?」
この人かなり失礼じゃね? 出会ってそうそう馬鹿って言うか? たしかに高校のテストは赤点スレスレだったけどよ。
ラムズはかなりイライラした様子でまた口を開いた。
「『アイロスー!』って呼ぶんだよ!」
「えっ? そういうこと?! あ、アイロスー!」
一秒過ぎた。二秒、三秒。四秒。やっぱり何も起こらねえじゃん。ラムズ・ナントカさんこそ頭悪いんじゃ──。
「ほいよ」
嘘だろ?! 来た!
アイロスの爺さんは、俺が転移した時見たような魔法陣の上に立っている。
──もしかしてやっぱり、魔法使いだったのか? 大魔術師?
俺は異世界に転移したと分かった時から、もう魔法やエルフなんかが出てきても驚かないって心に決めた。ここはそういうもんなんだって。いちいち過剰に反応してたら疲れちゃうだろ。だから、ひとまず急にアイロスが来たこともすんなり受け入れることにした。
ラムズは気がせったような感じで、アイロスの爺さんに話しかける。
「アイロス・サーキィだな? 助けてくれないか、人魚が死にそうなんだ。エルフのノアから話を聞いた。俺はラムズ・シャークだ」
「ふむ、エルフのノアとは、あやつのことかのう。人魚がなあ……。いいじゃろう、案内してくれ」
人魚? エルフ? さっそく異世界らしいワードが出てきて、俺は密かにわくわくする。
「そうじゃ、お主もついてこい。えっと名前は……何じゃったかの」
「川戸怜苑です」
「そうじゃそうじゃ。でも、逆から言えとさっき教えたじゃろう」
「そうか。怜苑・川戸です」 
「カワド? 変な苗字だな。爺さん、こっちだ」
ラムズはあくまで俺を馬鹿にしていくスタンスらしい。
彼は、爺さんを見つけてさっきより表情が明るくなっているように見える。よっぽどその人魚が大事なのだろうか。
◆◆◆
俺たちは『異端の会』という標識のある店の前に立っていた。ここも露店みたいな感じだ。
そういえば言葉も文字も分かるのは転移特典なのだろうか。文字も全く見慣れない気がするんだが、なぜか読めるんだよな。でももっと強い力なんかが欲しかったぜ。
店の方に近づくと、向こう側から金色の髪の毛を持つ女の人が歩いてきた。めちゃくちゃ美人。本当に美人。
ここに転移させてくれた神様、ありがとうございます! 俺はこれだけで死ねます!
俺が今まで出会った女の人の中で、彼女は一番綺麗だった。金色のウェーブのかかった長い髪の毛。聖女のような祭服は彼女がいかに純粋で清楚な女性かってのを伝えてくれている。
瞳は藍色で、潤んだその瞳に引き込まれそうになる。天使のような微笑みで俺たちを迎えてくれた。あの大きな胸に飛び込みたい!
「ラムズ、見つけたんですね?」
玉を転がすような高い声だ。期待を裏切らない、よし。
「ああ。入ろう」
ラムズと俺、爺さん、美しい聖女様が店主の前に並んだ。でも入ろうって入口ないけどな。見えないドアがあるとか?
店主らしき人は、海賊帽をくるくる回しながら俺たち三人のことを見ている。口を開く。
「皆さん揃いも揃って。さっき確認したからもういいぜ」
「ああ。この二人はツレだ。こいつらも登録はいい」
「ふっ、ご苦労なこって。あーいよ」
確認? 登録? もしかして会員制なのか? まさか合言葉があったりとか……。怪しい仕事をしている人達は、こうやって部外者を入れないようにするよな。ここは海賊の街だし。
せっかくだから俺も登録したかったな。それで合言葉とか言ってみたかった。かっこいいよな、そんなのって。異世界ならではって感じ。
そのあと、ラムズとロゼリィは左側の壁に向かった。
ま、まさか……。
そのまさかだった。彼らは壁に吸い込まれるようにして入っていく。
うっひゃー! 異世界ってサイコー!
母さんに会えないかもとか友達も消えたかもとか色々不安だったけど、ゆっくり地球に帰る方法を探そう。まずは楽しんだもん勝ちだよな。こういうのって、地球に帰ったら全然時間経ってなかったぜ、なんてことも多いし。浦島太郎なんてのは頼むからやめてくれよ?
俺はウキウキしながらその壁に突っ込んだ。もちろん壁にぶつかることはなく、店の中に入った。爺さんも俺のあとに続く。
身体が浮いたような気がしたあと、俺は店内に立っていた。
店の中は机と椅子があり、ちょっとした居酒屋みたいだ。カウンターやその向こうに厨房があるから、食事処だと思ったのだ。でも俺たち以外誰もいない。
ラムズは聖女様に向かって声をかけた。
「爺さんを案内してくれ」
「分かりましたわ。アイロスさん、こちらにお願いしますわ」
聖女様は爺さんを連れて、奥の階段に入る。俺は行かない方がいいみたいだから、とりあえずその場所に留まった。
「レオン、だったか。お前はなんでそんな格好をしてるんだ? ここでは浮いてるぞ」
ラムズも行かないらしく、俺に声をかけてきた。なんとなく暇つぶしに使われているような気もする。
「俺、ここの住人じゃないんだ」
「お前がトルティガーに住んでるとはさすがに思ってねえよ」
「そうじゃなくて、この世界の人じゃないってこと」
「はあ? 何おかしなこと言ってんだ?」
「俺もそう思うよ。でも、俺は地球っていう違う世界にいたんだ。そこにはエルフなんていなかったし、あんな魔法もない」
「本気でそう言ってんのか?」
「本気だよ」
ラムズは少し考える素振りをした。だが諦めたような顔で首を横に振った。
「仕方ねえな。記憶がなくなったお前に、ここのことを教えてやるとするか」
「なくなってないって! でも、教えてくれ。助かるよ」
「暇だからな」
ラムズはそう言うと、机に座った。やっぱり暇つぶしかよ。
ラムズの異世界講義が始まった。
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