愛した人を殺しますか?――はい/いいえ

@yumetogi_birt

第18話 石版の言葉

 パーンの島を出て、船内はいつもの雰囲気に戻っていた。ロミューが船員の人数を数えていたけど、数名足りなかったみたい。ニンフに連れ去られたのかな。船員も減ったし危険な目にもあったし、島に訪れた意味なんてあったのかしら……。


 わたしはシュラウド(縄で出来た梯子はしごのことよ)を登って、帆の調整をする。縄を登って上の方に行くと、甲板よりも風が強くなる。頬に冷たい風が刺さる。うるさいくらいに、帆はパタパタと横でなびいている。
 高いところから海を見下ろすのはなかなか爽快ね。これが昼だったらもう少し綺麗だったのに。日が落ちたばかりだからか、月もまだ出ていない。

「もう少し右だ!」
「はあい」

 手を伸ばして、縄を手繰り寄せる。帆を右斜めにずらした。少し船の進みが早くなった気がする。

 シュラウドを降りて、甲板にぽんと足を付いた。船長室の前で、ラムズが立っているのが見える。その横にロミューもいるみたいだ。ロミューが手を挙げて、わたしのほうへ合図をした。駆けて彼らの方へ近づく。


 わたしが二人の側によると、ロミューにとんと背中を叩かれた。彼は低く渋い声で話す。

「メアリ、お前さんけっこう疲れているんじゃないか? 船長たちと色々あったんだろ」
「少し疲れているかな。でも大丈夫よ」
「そうか。じゃあ聞いてもいいか? あの島ってなんだったんだ? メアリが知っているって船長が言うからさ」
「ええ、もっと早く気付くべきだったわ。あの島は、昔ニンフと一緒にパーンが住んでいた島なの」
「ほう。パーンはもう絶滅した使族しぞくだよな。あの島にいたのか」
「あの島だけにパーンはいたのよ。だから『パーンの島』と呼ばれていた──」

 ラムズは横で、眉をひそめたまま黙って聞いている。彼はこの話を知っているのかしら。
 わたしは、島について早く思い出さなかったことを後悔していた。船員たちを無駄に失くしてしまったわ。ニンフに連れていかれた人は死んではいない。でもあの島から出られない限り、ほとんど死と同じ意味よね。

 わたしは言葉を続ける。

「ニンフって、処女の化身だと言われるでしょ。ほら、地の神アルティドだけが創造に関わる使族だし」
「あぁ。そういえばアルティドは処女性を持つ神だって言うなぁ」
「そう、だからニンフは女しかいない。そして"純情"で"純潔"という言葉でよく表されるでしょ。逆にパーンは好色って言うじゃない」
「光の神フシューリアが創った使族だからな。フシューリアのつかさどる"無秩序"や"自由"からか」
「ええ。それで、ニンフの中のスキュラっていう名前の女の子が、あるパーンに口説かれて恋に落ちちゃったらしいの」
「ふむ。あれ、そもそもニンフは恋に落ちることはあるのか?」
「一応あるんじゃない? でも劣情を抱くことがないって言うわね。純潔さに代表される使族だから。愛することしか出来ないと思うわ」

 ロミューは眉をひそめると、ゆっくりと顎を引いて頷いた。

「なるほど。それで?」
「地の神アルティドは、二人の恋のことを知って怒る。だって好色と純潔よ? そんな二つの使族が恋をするなんて、ありえないってわたしも思うわ」
「そんなに悪いことでもないと思うがなあ。好色なパーンに絆されただけだろう?」

 わたしはなんだか罰が悪くなって、無意識に肩をすくめた。この話、耳に痛いわ。

「まぁともかく、だからアルティドは怒ってスキュラを怪物に変えた。さっきラムズから聞いた? 怪物の話……」
「おう。あのフェンリルが六頭付いてたってやつか。あれは魔物なのか? それとも使族?」
「分からない。神による突然変異とでも言えばいいのかな。『ニンフの呪い』って言われているわ。処女のニンフが他の使族に恋をすると、こうなるって」
「呪いか。それで?」
「怪物になったスキュラを見て、他のニンフは驚き、悲しんだの。そしてまた自分たちが同じ目に合わないように、パーンを皆殺しにした……」

 だから、あの島にはたくさんのパーンの骨があったんだわ。森の中にも、あの洞窟の中にも。洞窟の方が多かったのは、パーンがあそこを住処としていたからかしら。
 ニンフもパーンもさほど強い使族じゃない。
 パーンは音楽が得意で、歌ったり楽器を鳴らしたりして過ごしていたって聞いたわ。その代わり魔法の才能はないし、体力や力もなかった。
 でもニンフは、たしかに魔法の威力は低いけど、魔力量は無限。だからその魔法を使って、全員でパーンを殺した──。


 ロミューは顎にある無精髭ぶしょうひげを触りながら、視線を宙にわせている。

「えっと、消える島ってのはなんなんだ?」
「この話にはまだ続きがあるの。パーンが絶滅したことを知って、今度はパーンを創った光の神フシューリアが怒ったのよ。それで島を神出鬼没の島にした。つまり、現れる場所も、その時機も、島の形も常に変わるようにしてしまったの。そして必ず、日が暮れると同時に島が沈む。そんなわけで、消える島と呼ばれるようになったの。今回あの『パーンの島消える島』を見つけたのは、本当に奇跡よ」 

 パーンに恋をしたスキュラは、怒った地の神アルティドに呪いをかけられる。
 呪いを恐れて、ニンフがパーンを皆殺しにする。
 パーンを皆殺しにされた光の神フシューリアが、島を神出鬼没にする──。

 こんな流れで、この島は出来上がった。神様は何かあるとすぐにこちらへ干渉してくる。わたしの『呪い』もそう。まぁ神様もある程度の節操はあるみたいだけどね
(怒ったからって、使族を直接殺すことはしない。あくまで邪魔をするだけというのかしら。直接死をもたらすのは、彼らの中ではなんか"違う"みたいね。ルールなしでやりたい放題するのは、ダメってことなのかしら。神様同士も仲が良いわけじゃないから、お互いに牽制し合っているのかもね)。

 わたしはパーンの島消える島を見たことがなかった。仲間に数人見た者がいて、その子たちから話を聞いていたのだ。
 たしかに、形も場所も全然違うらしかった。そしてどこかで島が浮かび上がる、という訳でもない。
 あとは、普段は海の中に島があるのかっていうと、それも違う。さっき島が海の底に沈んでいったけど、そのあと海の底からも消える。日が暮れる前に島にいると、島と一緒に消えてしまうの。島がどこに行ったのかは、もう誰にも分からない。島に残った者も。

 わたしは口を開いた。

「ニンフは怒ったわ。島がそんな風になったせいで、全く人間が訪れなくなったからね。でもどうしようもないから、ニンフは訪れた人間を絶対に捕まえるようになったの。それで、『人間が消える島』という意味でも、『消える島』と呼ばれるようになったのよ」
「人間以外の使族しぞくはダメなのか?」
「それでもいいみたいよ。でも、人間の方が好きみたい」

 基本的に、ニンフは人間を気に入っている。人間は多種多様だからかな。性格も見た目も価値感も全然違う。わたしにとっても、たしかに人間は興味深いわ。
 でも本来ニンフはあんな風にして人間をさらわないのに。他の森なんかにいるニンフは、もっと"静"という感じだ。
 消える島のニンフは、ニンフにしては積極的過ぎるというか、少し攻撃性があるような感じがした。


「島には四種類のニンフがいるのか」

 黙っていたラムズが、薄い唇を動かした。

「えっとー。あの泉にいたスキュラ、彼女はたしか川と泉の……」
「ナイア水精ドか」
「そう。それだったと思うわ。ネレイ海精ドは島の周りの砂浜にいるでしょ。オレアー山精ドとドライア木精ドはもう見たし」
「てことは四種類いるんだな。なるほど、だからか」
「え? 何が? 四種類いると何か起こるの?」
「本来ニンフは人間には直接声をかけないだろ。アルティドは"静"もつかさどるしな」
「ええ、そうね」
「だが四種類のニンフがいる時だけ、なぜかその性質が少し変わるんだ。さらに《幻術》のテクニックも上がるらしい。だからあの島のニンフは、よく人間に話しかけたし、森もおかしかったんだ」

(ニンフは森の中で《幻術》を使うことが出来る。これは魔法とは違うもので、《使族特有の能力》よ。わたしの使族の、波を操れる能力──《操波そうは》と同じね。これも他の使族には真似できないから。
 ちなみにニンフは、地・風・水属性の魔法に特化しているわ。でもスキュラは闇属性の魔法が使えたわね。もしかしたら怪物になった時に、闇属性の魔法も使えるようになったのかもしれない)
 ニンフが四種類集まると《幻術》がもっと高度になる──だから、森では太陽の光が遮られていたのね。洞窟の入口も彼らの仕業かな。


 洞窟と言えば。わたしはラムズに向けて声を出す。

「例の石版にはなんて書いてあったの?」
「あー。理解できないかもしれねえぞ」
「どうして?」
「元々古い言葉で書かれていたし、あまり多くを語っていないからな」
「ふむ、俺も気になるな」

 ロミューが口を挟む。
 あそこまでして必死に書き写したものだもの。せっかくだから聞いておきたい。わたしはとりあえず教えてよと、ラムズに伝えた。

 ラムズは胸元から羊皮紙を取り出すと、それを読み始めた。


したたり落ちた雫の輪

 肆龍しりゅう 壱精いちせい 弍極にきょく 壱中いっちゅう


 薄板うすいた畳船たたみぶね

 零使 れいし 


 氷を溶かしたような声のせいなのか、それとも不可解な言葉のせいなのか、わたしの背筋にぞわりと何かが触れた気がした。
 脳をしぼるようにして考えてみたけど、全く分からない。ロミューも同じく、宙を睨んでうなっている。

「ラムズは意味が分かるの?」
「多少は」
「……逆になんで分かるのよ」
「賢いから」
「ハァ。たしかに賢いかもね。じゃあその意味を教えてよ」
「なんで教える必要があるんだ? もう言葉は伝えただろ」

 ラムズはそう言うと、羊皮紙をコートの内ポケットに閉まった。彼がそのまま船長室に入ろうとするから、わたしは袖を掴んだ。

パーンの島消える島のこと教えたじゃない。だから少しだけでも……」
「知ったところでどうすんだ?」
「いや、まぁ特にどうしようもないけど。でも気になるじゃない」
「んじゃ少しだけな。零使は、使族に0ということだろう。つまり薄板の畳船を持つ者はいない。肆龍は龍に4。龍はドラゴンだな。滴り落ちた雫の輪を、ドラゴンは4つ持っているという意味になる。あとは自分で考えろ」
「そんな……。そもそも畳船とか雫の輪って何よ……」
「さあ?」

 嗤笑ししょうの載った声でラムズは返す。ラムズはコートをひるがえすと、今度こそ船長室に入った。バタンと扉が閉まる。


 わたしは閉じられた扉を見て、唇をツンとすぼめた。頭にポンポンと手が載せられる。

「気にすんな、メアリ。大したことじゃないさ。船長は謎の多い男だ」
「そうね。ロミューも彼のことはあんまり知らないの?」
「あぁ。長い付き合いだがな。体力がないこと、宝石に夢中なこと、道に迷わないこと。あいつについてはそれしか知らんな」
「そう……」
「船長は、よっぽど時の神ミラームに愛されているんだろうな」 
「そうなの? どうして?」
「運命を疑わないだろ。それに、船長の言う通り船を進めて、結局不運になったことはほとんどないんだ。途中で多少の犠牲は出ても、これでよかったと思える」
「うーん。でもそういうのって、結局どんな道を辿ってもそう思う気がするわ」
「メアリはなかなかお洒落なことを言うな。なるほどな、たしかにそうかもしれない。結局選べるのは一つの道しかないし、俺たちはそれしか知ることができないからな」
「ええ」

 ロミューはもう一度わたしの背中をぽんと押した。わたしは少し前によろめく。たたっと足で踏ん張ると、ロミューは笑って手を振った。彼は仕事に行くみたい。
 睡眠の交代の時間まで、わたしはさっきの言葉について考えることにしようっと。



 ◆◆◆



 昨日聞いた例の石版の言葉、夜まで考えても全く意味が分からなかった。畳船たたみぶねなんかはともかく、肆龍しりゅうに当たる部分も思いつかない。それぞれ何らかの使族しぞくを示しているんだとは思うけど……。わたしの知らない使族なのかな
(わたしが知っているのは、人間、エルフ、クラーケン、ミノタウロス、フェアリー、ドラゴン、ニンフ、ペガサス。この中に当てはまりそうな使族ってある?)。


 太陽はちょうど天辺てっぺんにあって、かなりいい天気。雲は一つもなく、青を塗りたくったような空だ。少し風が強い気もするけど、船の上なんていつもこんなものだし。わたしは言葉について考えながら甲板かんばんを歩く。
 その時、急に腕を引っ張られて後ろへつんのめった。

「え? なに?」

 振り向くといつかの男の子がわたしを強く睨んでいる。たしか前に、エディと一緒にルテミスについて説明した男の子だ。
 前より鍛えた? 少し身長も高くなっている気がする。

「お前……」

 さすが男の子と言うべきか、わたしが腕を振りほどこうとしてもはなさない。何がしたいんだろう。
 放してよと声をかけたが、彼はわたしの言葉なんて耳に入っていないような素振りだ。
 ──嫌な予感がする。

 悲しいことに、わたしの勘は外れなかった。彼は、空いている方の手でわたしのそでまくり上げた。
 現れたのは青色の鱗。
 それの意味するところはもう分かっていた。そしてこれから、この人間が何を叫ぶのかも。

「こいつ、────

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