勇者「俺に回復魔法を使うな」

まさかミケ猫

勇者「俺に回復魔法を使うな」

 緑色の光が俺の左手を包んだ。
 傷が癒え、活力が漲る。

 回復魔法だ。
 ……余計なことを。

 舌打ちをこらえ、剣を振り下ろす。
 瞬間、魔王は黒い闇となり遠ざかる。
 俺はふっと息を吐き、一歩下がった。

「フィーリア、俺に回復魔法を使うな!」

 叫びながら、魔王の炎球を受け流す。
 左後方を振り返る。
 バルコニーを吹き抜ける強い風に、祈祷師の衣装がヒラヒラと翻る。夕日に染まった瞳が戸惑ったように俺を見た。

「でも……」
「いいから!」

 フィーリアの眉が困ったように曲がる。
 俺は小さくため息を吐き、魔王を見る。

 出会った頃のフィーリアは、いつもオドオドしている祈祷師見習いだった。魔法の腕前は周囲から頭一つ飛び抜けて優秀なのに、自己主張が苦手でいつも貧乏くじを引くような女の子。
 昔に比べれば自分の意思をはっきり言えるようになっていたが、まさか自ら志願してこんな危険な旅に付いてきてくれるとは思っていなかった。正直、フィーリアの生物魔法がなければここまでたどり着けなかっただろう。感謝してもしたりない。

 ただ、それはそれ、これはこれだ。
 今だけは回復魔法を使わないで欲しい。
 再度念押しとばかりに、フィーリアへと振り返る。

 ーーその瞬間、俺の体が緑の光に包まれた。

「フィーリア!」
「だってアルス怪我してる……」
「本気でやめてくれ! 大事なことなんだ」
「……でも」

 くそ、余計なことを。
 俺は嫌な汗を拭いながら、呼吸を整える。
 ゾワゾワと鳥肌が立ち始めた。
 まだ行けるか。

 フィーリアから視線を剥がして前を向くと、ジョルトの大剣が魔王の矛を受け止めていた。

「よそ見してんじゃねぇよ、勇者サマ」
「悪いな。信頼してるぜ、大戦士」

 魔王は大きな矛に黒い魔力を纏わせる。矛の表面に赤紫の稲妻がバチバチと走った。
 対するジョルトは自らの肉体と大剣に闘気を纏う。こいつは昔から、この戦い方一本だけを極めてきた。

 大丈夫だ。
 俺はゆっくり息を吐くと、剣の柄に触れ魔力を込める。
 まだ魔王の弱点属性は読めないから、単純に剣を強化する術式だ。

「待たせたジョルト」
「遅えよ。それより、アレやるぜ」

 アレをやる、だと。
 俺はジョルトと一瞬目を合わせる。ジョルトはコクリと頷く。

 俺が「アレって何だよわかんねぇよ」と言う前に、ジョルトは魔王のもとへと走り出した。こういうのは事前の作戦会議で決めておくことだろうに、といつも思う。
 ジョルトの行動から「アレ」の内容を類推する。この前四天王倒したときの攻撃か。いや、状況が全然違うだろ。お、なんかコイツ肩に力入ってる……ここか?

 ジョルトが三連撃の動作に入る。
 俺は剣に魔力を込める。
 魔王は闇に転化し、一瞬でジョルトの後ろへと回り込む。
 ジョルトの横薙の一撃を、魔王は矛の柄を強化して受け止めた。
 俺は無音で地面を蹴る。

 威力のみに振り切った俺の剣が、僅かに体勢を崩していた魔王の実体を捉えた。
 確かな手応え。
 魔王の動作に余裕がなくなり、再び闇となって逃げる。

「ワシも一撃いくぞい!」

 背後で高まる魔力に、俺とジョルトはサッと身を引いた。
 俺達の間を巨大な氷鳥が翔ぶ。

 魔王が闇から実体化する瞬間、氷鳥の嘴がその腹に突き刺さる。

 ズゥゥゥン。
 魔王の立つ場所……バルコニーの半分が大きな音を立て崩壊した。

「ガアァァァァァァァァ……」

 叫びながら落ちていく魔王。
 俺達の後ろでニヤッと笑うのは、大魔道士ダジウスだ。ここまで俺たちを導いてきてくれた、人間最強の魔道士。
 俺たちは杖を掲げるダジウスの元へと駆け寄った。

(カッコよく決まったコポ。現在の尊敬指数は1500だコポ)

 頭に響く声と同時に、身に纏う魔力が少しだけ増えた。精霊コポと交わした「勇者の密約」の効果だ。
 コポは勇者の精霊と呼ばれる存在。正式な「勇者」になるため試練の山を乗り越える際、俺のパートナーになった。そして、過去の勇者と同じように密約を結んだのだ。
 密約の内容は、次の通りだ。

 ①勇者は「尊敬される行動」をすること。
 ②精霊はそれを評価し力を貸すこと。
 ③この密約は決して他者に漏らさないこと。

 この密約は、勇者が傲慢に陥らないよう、また人々が勇者に希望を抱くよう、代々受け継がれている内容である。
 ただしこの「尊敬される行動」というのは、実のところ精霊のさじ加減だ。

 精霊にも性格があり、それぞれ評価基準が違う。
 例えば、「どんな時でも安易な手段に逃げず、信念をもって行動する」ことを良しとする精霊もいれば、「世界を救うためには手段を選ばず、泥をすすってでも成し遂げる」ことを良しとする精霊もいる。
 何が「尊敬される行動」なのかは、精霊との対話で確認していくしかない。

 ちなみに、コポの評価基準は、

(要は「人からどう見られるか」コポよ。カッコ良ければ評価するコポ)

 ということらしい。
 まぁ思うところはあるが、つまりは「カッコ良く振る舞うほど強くなる」というのが俺の勇者としての能力になるわけだ。

「この半壊したバルコニーはいつまで保つか分からぬ。続きは城の中じゃ」

 ダジウスの提案に頷くと、俺たちは壁の穴から小走りで魔王城の中に入った。
 西日の射し込む薄暗い城は、やはり少々気味が悪い。外から吹き込む風は冷たく、背筋にゾクリと悪寒が走る。
 俺の鳥肌は先ほどよりも強くなり、剣が脂汗でじっとりと湿った。

「ねぇ」

 振り返ると、フィーリアが右手に緑の光を灯している。
 俺は焦って首を横に振った。

「今は、いい。俺に回復魔法は使わないでくれ」

 フィーリアは少し悲しそうな顔をして、その緑の光をジョルトに押し付けた。
 彼女自身、最終決戦であまり役に立っていないと思っているのかもしれない。
 だが俺はともかく、ジョルトはフィーリアがいなければ何度か死んでいるところだった。

「すまない、フィーリア。これも作戦なんだ」

 頭をポンと撫でると、フィーリアは顔を赤くした。
 隣のジョルトは少し拗ねたように顔を背ける。
 とりあえず、これで当面は回復魔法から逃れられるだろう。

(人の恋心を弄んでるコポ。現在の尊敬指数は1150だコポ。リア充は滅びるコポ)

 うるせぇなコノヤロウ。こっちは必死なんだよ。コポと脳内喧嘩をしながらしばらく進むと、そこは大広間になっていた。
 俺はみんなに提案する。

「このあたりで、少し休憩を取ろう」

 そうだな、とジョルトが荷物から水袋を取り出す。フィーリアは壁を背に座り、魔力回復の瞑想を始めた。
 俺は隣接する小部屋へと小走りで向かう。
 やっとだ、やっとこれで。

「みな、備えよ。来るぞ!」

 ダジウスの鋭い声。
 もう少しだったのに。
 俺はギリギリと奥歯を噛みながら魔力を高めた。

 突如、壁の松明に火が灯る。

「ヤッテクレタナ……」

 ゆらり、と場の魔力が揺れる。
 現れた人影は、片手に持った双頭狼オルトロスを骨ごと喰む。
 双頭狼の断末魔と、バリ、ボキ、という咀嚼音が交じる。
 ゴギュリ、何かが強引に飲み込まれる音が響くと、あたりは静寂に包まれた。

「魔王……」

 壁の隙間から冷たい外気が、魔物の血の匂いを運ぶ。
 俺の体を絶望の波が襲う。

 心のなかで必死に問いかけた。
 コポ……答えてくれ、コポ。
 仮に、あくまで仮の話だが。

(何コポ?)

 ここで俺が、

 「ちょっとだけトイレ休憩させてくれ」

 と発言したら、お前の管理する尊敬指数はどうなる。
 あくまでそう、仮の話としてだ。

(そうコポねぇ。せっかくいろいろ盛り上がってきたのに、ここで水をさされたら……)

 ……さされたら?

(尊敬指数は地の底コポね)

 くっ……

(ま、あくまで仮の話コポよねぇ。カッコ良い勇者くんが、戦闘開始当初からウピーコ我慢してるなんてありえないコポよねぇ)

 お前、やっぱり知って――

(コポポポーっ! ちなみに盛大に漏らしても尊敬指数はゼロになるコポよ!)

 てっめぇぇぇぇぇっ!
 俺は絶望に体を震わせながら、剣を握った。

 そう、そうなのだ。
 俺はずっと排便を我慢していたのだ。
 なんとなく言い出せないうちに戦いが激化してしまったが、そろそろ限界を迎えそうなのだ。
 背中がゾクゾクして、脂汗と鳥肌がヤバい。
 状況は最悪だ。

「おい落ち着けよ相棒」
「ジョ……ルト」

 気づくと隣には、ジョルトが立っていた。
 学生時代からの腐れ縁。
 なんだかんだ、一番信頼できる男。

「分かってるぜ、お前がいつもの調子じゃないのは」

 俺の横でジョルトが笑う。
 こいつ、もしかして気がついていたのか。
 そうだ、いつもそうだった。俺が窮地に陥ったとき、悪態をつきながら助けてくれるのはいつだって――

「やつの強大さに飲まれるな。そういう時は腹に力入れて踏ん張れ!」
「え?」
「おらっ!」
「うぐっ」

 ジョルトの裏拳が俺の腹を強打した。
 このタイミングでこれは致命的だろうがよぉ……

「そう、その顔だよ。それをヤツに向けてやれ。さぁ、気合入ったら行くぞ」
「……ぉぅ」
(コポポポっ! まぁちょっと漏れただけだからオマケしとくコポ! 現在の尊敬指数は950コポね)

 俺は深呼吸を繰り返しながら魔王に駆け寄る。
 時間をかけるほど不利になる……ここからは短期決戦だ。

 俺とジョルトの剣が走る。
 魔王はそれを丁寧に捌く。
 魔王が近接戦闘をこれほどこなせるとは、予想外だった。
 事前情報では、魔法を用いた戦闘が主だと聞いていたのだ。

「一発いくぞい!」

 俺とジョルトが一歩下がる。
 無数の氷の礫が魔王に襲いかかった。
 あたりを冷気が立ち込める。
 お腹が痛い。
 胃腸がキュルキュル音を立てた。
 思わず前かがみになる。

(コポポポ! へっぴり腰コポ、尊敬指数750コポ!)

「勇者よ、こやつはおそらく氷雪系の魔法に弱い。今こそ属性剣だ」

 ダジウスの指示は的確だ。
 そして的確に俺の腹具合も抉ってくる。
 氷雪系の魔法は今の俺に対しても特攻だ。
 額に脂汗が滲む。

「いいや、ダジウス、俺はこのまま行く」
「勇者よ……」
「考えがあるんだ」

 冷気なんて纏ってられるか、腹に響くんだよ。

 俺は魔力を込め、速度重視で剣を振るう。
 ジョルトの大剣もそれに合わせて的確に魔王を襲う。
 だが、魔王は避ける。一瞬で闇となり、俺達の背後に転移する。
 背筋がゾクゾクし、鳥肌が立つ。

 魔王の一撃が俺を掠める。
 直後、俺の体を緑の光が包む。
 回復魔法だ。
 余計なことを!

「フィ……フィーリア、俺に回復魔法は使うな!」

 回復魔法は、生物魔法の一種。
 新陳代謝を活性化して傷を治す魔法だ。
 そう、新陳代謝を、活性化するのだ。
 つまり……

(回復魔法はウピーコ促進魔法でもあるコポよね〜! コーポポポポ……尊敬指数500コポ)

「フン、ヨワイナ……」

 魔王が矛を振り回す。
 俺は体勢を崩しながら、魔王の右手に圧縮された炎球を見た。
 マズい、避けられない――

「アルス!」

 腹に衝撃が来る。
 ジョルトだ。
 ジョルトが俺の腹を蹴りやがった。

 吹き飛ばされながら、ジョルトの顔を見る。
 口角を上げ、笑っていた。
 一瞬の怒り。
 だが、今は怒っている場合ではない。

 目を閉じる。
 息を吐く。
 そうだ。
 身体強化魔法の要領だ。
 俺の括約筋肛門の筋肉よ……


「ジョルト!」

 フィーリアの叫び声。
 俺は目を開け、立ち上がった。

 ジョルトは壁まで吹き飛んでいた。
 魔王の炎球をまともに受けたのだろう。
 両手足は、曲がってはいけない方向に曲がっている。
 フィーリアが駆け寄り、全力で治療を施しているが……

「ククク、勇者ヨ、怒ッテイルノカ……」

 魔王は余裕の笑みを浮かべ俺を見る。
 俺は今、どんな顔をしているのだろう。

「そりゃ怒るだろう」

 ジョルトは俺を庇い、瀕死となった。

 俺は半分の魔力を剣に込める。
 もう半分は括約筋に割いているから、これが正真正銘の全力だ。

「……怒るだろう」

 あの一瞬、俺は自分のことだけを考えていた。死を覚悟しながら笑みを浮かべる仲間に、俺は怒りを覚えたんだ。便意を我慢するその一心で。

 地面を蹴る。
 魔王と切り結ぶ。
 だが、力が足りない。

「そりゃあ、怒るだろうがよ!!!」

 不甲斐ない、自分自身に。
 俺は叫びながら剣を振り上げた。
 体が熱くなり、光る。

(なかなか熱い展開コポ。尊敬指数2000コポ)

 魔力が漲る。
 その三割を括約筋強化に割く。

 剣を振るう。
 魔王は闇に転化する。
 一瞬で俺の背後に現れる。
 俺は振り向かず、魔力を翼状に放出する。

「ナニ、マサカ――」

 それは、初代勇者の魔法。
 すべてを切り裂く光の翼。
 人類に平和をもたらした、希望の魔法。

 ……に見た目だけ似せた、ただの光魔法だ。
 殺傷揚力は全くない。
 それでも。

(おおおおお、熱いコポ、なんか覚醒展開っぽいコポよぉ、こういうの大好物コポぉ!)

 カッコ良く振る舞うほど、俺は強くなる。
 俺は穏やかな笑みを浮かべ魔王を見た。

「感謝するよ、魔王。お前のおかげで、俺は強くなった……」

(カッコいいコポ! 尊敬指数5000コポ!)

 俺は体から光を放つ。
 決めたんだ。
 カッコよく振る舞い、力を高め、魔王を倒す。
 もう黒歴史への悶絶あとさきは考えない。

「あとはお前を倒し、世界に平和をもたらすだけだ」

(いいコポいいコポ! 尊敬指数8000コポ!)

「この翼はお前を倒す剣……世界中の人々の苦しみ、その身でとくと味わうがいい!」

(んー、そろそろちょっとクドいコポ。7500コポ)

 ちっ、ここまでか。
 俺は剣を構え、翔んだ。

 魔王が闇に転化する。
 俺は光になった。
 一瞬の攻防。
 光が闇を駆逐する。

 お互いに実体化した。
 俺は剣を真っ直ぐ差し向ける。
 魔王は膝をついた。

「決着を……つけようぜ……」

 魔王はゆらりと立ち上がる。
 俺は肩で息をしながら、剣を向ける。

 ゴウっと音を立て、魔王の体から熱気が吹き出た。

「ククク……ハハハハハ――」

 魔王は笑いながら熱気を放出する。
 そして、狂ったようにデタラメに炎球をばらまき始めた。
 これはマズい。

 魔王城が揺れる。
 まるで俺達を建物ごと潰そうとするかのように。

「ワシのところに来るんじゃ!」

 ダジウスが結界術の壁を構築する。
 俺は光になってジョルトとフィーリアの元へと飛び、二人をダジウスの元へと運ぶ。
 結界壁の中へと押し込んだ。

 フィーリアが俺の腕をつかむ。
 俺はその手をそっと外す。

「これから俺がヤツを引きつける。その隙にジョルトを抱えて逃げるんだ」
「でも……」
「これまでありがとう。一緒に旅をしたのがフィーリアで良かった。だけど、ここからは正真正銘、勇者の仕事さ」

 魔力で括約筋を強化をしているものの、既に排便の波はぶり返してきていた。
 だが、ここで、みんなの目の前で漏らすわけにはいかない。
 精霊の力を失えば、魔王に勝てる可能性は塵ほども残らない。

「回復魔法、はダメなんだよね」
「あぁ、悪いな。でも本当に感謝してるんだぞ」
「うん……」

 俺は三人に背を向けると、魔力の翼を起動した。
 さっさと終わらせよう。
 腹痛が酷い……また腸がキュルキュル鳴り始めている。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 俺は雄叫びを上げる。
 その瞬間、体が赤い光に包まれた。

 こ、これは。
 俺はフィーリアを振り返る。

加速魔法ヘイスト。体感時間を1.5倍に引き上げた」

 よ、余計なことをぉぉぉぉ……

「ちゃんと、帰ってきて……絶対、絶対、死なないで……!」

 はぁ。
 息を吐き、フィーリアの目を見た。
 ほんと昔から、間が悪くていろいろ裏目に出るやつだよなぁ。

「大丈夫、全部スッキリさせて、ちゃんと帰るさ」

 フィーリアに笑いかけ、前を向く。
 魔王は赤黒く光る体から炎球を放出し続けている。
 俺は真っ直ぐ翔んだ。

 ◆ ◆ ◆

 これは伝説の勇者の物語。
 勇者一人をその場に残し、戦士ジョルト、祈祷師フィーリア、大魔導師ダジウスは崩れる魔王城から無事に脱出した。

 その後内部で一体どんな激闘が繰り広げられたのかは誰も知らない。
 勇者の口から語られることもなかったと言う。

 ただ、朝日と共に帰ってきた勇者は、とてもスッキリした顔をしていたと伝えられている。

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