【餌が欲しけりゃ戦え!】これはペットなヒーローの嗤い噺

通行人C「左目が疼く…!」

2-2話 ノリナミワタル4


 ─5月12日 19:40 倉木邸入り口─



 その屋敷についたのは、ようやく西日が差し始めた頃。

 ぼーとしたまま黒塗りの車に詰められて、気づいた時には車の外に放り出されていた。
 土埃で薄く汚れたシートに頰を引きつらせながら、執事は亘たちを屋敷の前におろしてどこぞへと消えた。

「でっけぇ」

 和式の庭……、その真ん中に建っているのは古びた洋館だ。
 和洋折衷、という言葉がまた浮かんだがこちらは不思議と異質さは感じない。屋敷も庭も統一感があるというか、ひとつに纏まった形に見える。
 屋敷が古いからだろうか。和モダンとは違うが、それに酷似した感覚だ。

 気が抜けたように屋敷を見上げる亘の肩を誰かの手が叩いた。

「ようこそ、わが家へ」

 車の中で、倉木総司郎と名乗った男が微笑む。

「今日から君の家になるからよく覚えておいてくれ」
「……」

 帰る家なんてないので、住まわせてくれると言うなら大歓迎なのだが……。
 イマイチ実感が湧かない。

 倉木が先導し、建物の真ん中についた扉を開く。
 その背を追っておずおずとついていくと、その先に小綺麗な玄関が迎えた。

「うっわ……」

 豪華さを主張しない品のある落ち着いた内装だった。
 しかし、それでも毛の細かい絨毯が、木製の艶やかな下足入れが、程よい明かりを灯す電灯が、亘を別世界にでも来たような気分にさせる。
 それらの質の良さはまさに一目瞭然だ。

 自分の身なりをきちんと理解している亘は、扉の中に足を踏み入れるのに少々躊躇してしまう。
 しかし倉木が微笑んでそれを促すから……。
 亘は意を決して中に足を運んだのだ。

 最後に入って静かに扉を閉めるメイドに倉木は微笑みかける。

「彼を部屋に。……俺もすぐ行くから」
「承りました」

 その言葉に了承を口にしてぺこりと腰を折ったメイド。
 くるり踵を返しながら倉木は考えるような素振りで顎を撫でた。

「確か、……明日の出場はシジマだったかなぁ」
「そうだったと記憶しておりますが……」

 そうぽつりぽつりと簡単な会話を残して、倉木は屋敷の奥へと姿を消した。
 残されたのは亘と小柄なメイドだけだ。
 戸惑いと若干の気まずさが間にあったが、亘は思い切って口を開く。

「ねえ、ねえってば、メイドさん」
「……なんか用?」

 その呼びかけにメイドは冷たく伏せた目でこちらを振り返った。

 まだ幼さの残る丸みを帯びた顔立ちだ。年の頃は十を幾ばくかすぎたあたりだろう。
 短く切りそろえた艶やかな黒髪が、彼女に中性的な印象を含ませている。
 しかし、彼女の纏う膝下までの長さのスカートがそれを否定した。

 少女が身に纏っているのは一般的に、エプロンドレスとか言う名のそれだ。
 亘にとっては「メイド服」と呼ぶ方が舌に馴染みがある。
 だからだろう、その服装には否応無くなにか蠱惑的な響きを感じてしまうのだが。少女のそれは違う。

 黒と白を基調とした彼女の衣装は、ただ ただ純粋にシンプルなものだった。
 無駄な装飾は一切ない。胸や襟元にブローチぐらいあってもいいと思うのだが、そんなものは全くなくて。
 申し訳程度に僅かなフリルとリボンが編み込まれているだけだ。

 纏う少女が恥ずかしげもない事も理由に挙げられるだろうが、その立ち姿に艶めきを感じることは難しい。
 どこか事務的で……、作業着やスーツと同じように映るのだった。

 亘は頰をかく。

「あのさぁ、えっとね……なんつーか、ここまで来といて今更変なんだけどさ。……俺全然状況つかめてないんだけど」
「もうお前はここのもので、絶対に逃げられない。それだけわかってれば充分でしょ」
「いや確かに肩代わりはしてもらったけどさぁ」

 メイドは一ミリも動かない表情と同じく平坦な声で告げる。
 その言い方ではまるで亘が買われたみたいだ。
 ──……いや、まぁ、俺一人分にしたってデカすぎる金額だったけどさぁ。
 過小評価などではなく、きっと全ての人類で多数決をとっても同じ答えになるだろう。
 命に値段なんかつけられないとか言う者もも中にはいるだろうが。
 金と深く関わってきた亘の中では、そんなもの幻想にすぎなかった。

 だからそんなどうでもいいことよりも。
 亘はふともう一つ、少女の吐いた不穏な単語に眉を寄せる。
 ──大体逃げるってなんだよ。

 メイドの方は亘の表情など見てもおらず、無表情のままこう突き放す。

「これ以上ボクがお前に教えることなんてないよ」

 主がいなくなって畏まった態度はどこへやら、急に砕けた口調になるメイドの少女。
 その黒目がちな瞳がようやく亘を一瞥した。

「お前が知る必要もない」
「えー、なにそれ。俺当事者なんだけど……」
「じゃあボクは当事者じゃない。この件に一切の関わりはない」

 そうバッサリと切り捨てられて、亘は頭をかき回した。
 せめて現状ぐらい掴みたいものだ。
 助けてもらったことには恩義を感じているが、『今日からここが家ですー』なんてぽんと言われても頷くに頷けない。

 飲み下せないものほど居心地の悪いものはない。亘はそれでも言い募る。

「でもメイドさんはあのセンセー? のお付きの人なんでしょ?」
「不本意だけどね」
「あ、不本意なんだ……」

 少女がコクリと首を縦に振った。
 甲斐甲斐しく勤めてるように見えたのだが、どうやら違うらしい。
 でも、それでも、

「ほら、なら関係はしてるじゃん」
「そうだとして、なんでボクがお前を気にかけてやらなきゃいけないの」

 亘なりにうまく揚げ足をとったつもりだったのだけど。メイドは冷たく言い捨てた。
 あまりの手応えのなさに亘は口を尖らせる。

「つめてぇー」
「これでもやさしく言ってるつもりだよ」

 それだけ言って、少女は歩き出した。
 おそらく部屋に案内してくれるつもりなのだろう。少し行ったところでこちらを振り返る。
 待っているのだと気づいて慌ててついて来た亘のその姿をちらり確認し、また足を運び出すメイド。
 それ以降ぱったりとこちらに見向きもしなくなった。

 そうやってゆったりと歩く姿はインテリっぽいというか、大人しそうなナリをしているというのに。
 吐き出す言葉はどうしてこうも、いちいち棘のように鋭いのか。
 しかし、これから長い付き合いになりそうではあるわけだし、何より女の子だし。そう亘は意気込んで少女にニコニコと笑みを送る。

「メイドさん、名前は? キミの名前は聞いていい?」

 その軽い口調でかけられた質問に和夢はこれ見よがしにため息をついた。
 数秒の沈黙の後、渋々といった様子で口を開く。

「梨元和夢」
「和夢ちゃんっていうんだ? カワイーね、なんかアイドルっぽい名前」

 それでも言葉を返してくれたことに勝機を見いだして、亘は笑みを深くした。
 歩幅を増やして和夢に並び、前を向く彼女の視界に入るように和夢を覗き込む。

「俺はねー、法波亘。ワタルって呼んでくれていーよ和夢ちゃん」

 すると予想に反して和夢は眉をひそめた。
 その目には若干侮蔑のような色さえ混ぜている。
 そして吐き出されたのはやはり粗雑な言葉。

「聞いてねえよ」
「えー、なになにちょっと酷くねえ?」

 ぶはっと吹き出して亘は笑い声を立てた。
 ここまでツンケンどんにされると逆に笑えてくるっていうか笑うしかない。
 和夢はやっぱりそんな亘のことなんか知らん顔で、一定のリズムの歩調を繰り返す。

 しかし諦めの悪い亘がこの程度でめげるはずもなく。

「ていうかメイドさんなんだから敬語とかで喋ったりした方がいいんじゃないのー。クビになっちゃうよー?」

 そんな事を言って少女をからかった。
 ──俺的には別にどうでもいいけど。
 これといった話題もないので、そう口にしてはみたが実際のところあまり気にしていなかった。

 見るからに二十にも及ばない少女だ。
 そりゃあ、完璧な敬語を操っていてもそれはそれで違和感があるだろう。
 しかし、スポーツなんかとは無縁とばかりの白い肌の上に、ちょこんと鎮座した小さな口。
 それに粗雑な言葉はさらに似合わない。

 和夢はその唇が変わらず平坦な声を吐き出した。

「お前は客じゃないもの」
「……、そこらへんホント詳しく説明してくれると助かるんだけど」

 あの執事も言っていた。
 確か亘はもう倉木総司郎のものだ、と。
 ポジティブに考えれば普通にいい人で助けてくれたとか。それはなくともここで彼女や執事と同じように働くとかだけど。
 ネガティヴに考えれば、奴隷、情夫、変な宗教団体に売り飛ばされて生贄、エトセトラ……、エトセトラ……。
 こちらの方がぞろぞろと湧いて出てくる。

「ねえ和夢ちゃん、あのさ」
「ほら、ここ」

 急に不安になって口を開けば、和夢の声に遮られた。
 何だ部屋についたのかと細い指が示す方に顔を向ければ、そこにドアはなく。
 壁にぽっかり空いた大人の男でも優にくぐれる穴と、それの縁を囲う木枠だ。

 間にはシンプルな模様のない暖簾が下がっていて、まるで温泉宿のそれを思わせた。

「さっさとシャワーでも浴びて来てくれない? ……土が床に落ちてる」
「え、あ」

 そうため息まじりに和夢が言うのだから、ここは風呂場で間違いはないのだろう。

 言われて振り返ってみれば、毛足の長い絨毯たちを俺の通って来た足跡がハッキリと彩っている。
 他の部分が綺麗なだけに、その部分が浮き出るようだ。

 和夢がじとりとこちらを睨んだ。

「仕事増やさないでよ」
「ウィッス……」

 ふつふつと湧き出した罪悪感に亘は乾いた笑みを浮かべた。

 あれよあれよという間に亘を脱衣所に押し込んで、和夢は暖簾の向こうへと消えた。
「着替えは置いておくから、上がったらボクに声かけて」と言い残して。

 亘はぽかんとその場で立ち尽くす。
 機能を停止した頭が、うまく働かずに─風呂入るって なにから始めりゃいいんだっけ。と分かりきったことを考える始末だ。

「……」

 イキナリ起きたことが多すぎて、それらがトンデモない事ばかりで、うまく処理できていないのだ。
 だから、一人で残されると尚更何をしていいのかわからなくなる。

 ……とは言ったって、風呂にまで彼女についていてもらうわけにもいかないだろう。
 亘に別段問題はなくとも少女にはあるだろうし。

 上着を脱げば服に隠されていた部分とそれ以外で綺麗に色が別れていて、その境目が顔を出した。
 自分のことながらげんなりする。
 無様というか情けないというか。

 ──これから、どうなるのかな。

 脱衣所に置かれたものたちはそれぞれ、こんな自分とは正反対に美しく艶めいている。
 きっと一つ一つがバカみたいな値段なんだろう。……自分なんか足元にも及ばないぐらい。

 亘は僅かに震える心臓を深い息でなだめ、土だらけの服のボタンを外していく。
 混乱してたってしょうがない。まずは土臭さを払いのけなければ始まらないのだ。

 ──あーあ……、俺、アタマ使うのは苦手なんだよなぁ。



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