Dear Big and small girl~もしも白雪姫が家出をしたら~

些稚絃羽

最終話 さよなら、Big and small girl

「しっかし、まさか毒林檎を食ってもなんともないとはな!」
「食べてはないわ、少し齧っただけじゃない。ほら」

 白雪姫特製の焼き立てアップルパイを囲むテーブルに、林檎がひとつ。彼女の綺麗に並んだ歯形がくっきりと付いています。

「毒入りはひとつだったんですね。アップルパイ、とても美味しいです」
「カイヤナおじさま、ありがとう。おかわりもあるわよ」
「こんなことなら、やっぱりあの時賭けときゃ良かったなぁ」
「マンダリは全部だって言ってたから結局負けてたけどね」
「うるせぇ」

 賑やかに笑い声が上がります。別れの前日とは思えない、とても平和でなんでもない夜のひと時です。

「姫は、強いんだね……」

 毒林檎を興味深そうに眺めるアメジの隣で、サファイはなぜだか恥ずかしそうにそう言います。毒林檎を口にしていながらみんなの心配にも平然としている白雪姫が一際眩しく見えました。
 ですが、白雪姫の方は少し視線を落とします。

「どうしたの?」
「もう、わたし“姫”じゃないわ。お城も、この国も、出て行くんだもの」

 口に運んだアップルパイがさくりと音を立てます。どの料理も美味しいけれど、優しくて懐かしいアップルパイが好きだと頭の隅で思います。記憶の中の大好きだと思える味とはなにかが違う気がしましたが、ルヴィオに手伝ってもらいながら作ったアップルパイは、十分美味しくできました。
 そこからでは見えない、そしてもう見ることはないかもしれないかつての国一番の美しい我が家を思い浮かべます。

「罪深いことよね、王女が国を出て行くなんて。国民のこれからを見捨てるようなものだわ」
「そうかもね」
「エメラッド……」
「でもそんなことを気にしてどうするの? 国民のためだからって城に戻って、殺されるのを待つっていうの?
 違うよね、だれもそんなこと望んでないよ。それならどこかで元気に笑っていてくれた方がいいってみんな思ってるよ」

 事実、町の人たちはみんな知っています。森に住む七人の小人の家で、王女がかくまわれていたことを。いなくなって、また帰って来たことも。そして今度は、長い旅に出ようとしていることも。
 八人が最後のディナーに満腹になるまで食べた料理の食材は、すべて王女を思う国民たちが代金も取らずに小人たちに持たせたものでした。白雪姫が料理を口にする度、胸がつかえて涙がこみ上げそうになったのは、王妃に負けずに強く生きてほしいという切なる願いがスパイスとなっていたからかもしれません。

「姫じゃなかったら何になるんだよう?」
「姫じゃないんだから、白雪?」
「“白雪姫”がこの子の名前だからね。姫だけ無くすというのも……」
「母親である王妃が付けた名前は本当に愛らしいよね!」
「いっそ名無しになったらいいじゃねえか、心機一転さ」
「でも名前が無くなったら、なんて呼んだらいいんでしょう?」
「どうするの……?」

 小人たちのやり取りを聞いて、少女は考えます。ですがすぐに答えは出ませんでした。

「これから旅をしながらゆっくり考えることにするわ」
「……そうだね、それがいいだろう」

 みんな彼女の意思を尊重します。なぜならこれは彼女が選ぶべき道だからです。旅に出ることを自ら決めたように、これから先、多くのことを自分で決めなくてはならないのです。

「どんな名前になろうと、君は君さ。私たちと国民たちの大切な家族であることが変わることはないのだから」

 前を向き、新しく歩き出すことを少女は改めて決意します。
 その時、一瞬だけ、王妃の証のティアラを身に着けた女性が七人の小人たちと笑う姿が頭を過りました。あれは母親の姿でしょうか。それとも――。
 答えはだれにも分かりません。ただみんな、笑顔の似合う未来を願うばかりです。



 翌朝、のんびりと起きた八人はいつもの質素な朝食を食べました。華やかな宴の後に残る侘しさが、家のあちこちに漂っています。

「ごちそうさまでした」

 行儀良くみんなで挨拶をすると、少女が食器を片付けようとしますが、エメラッドに奪われてしまいます。
 手伝おうとキッチンに向かおうとするのを、アメジが止めました。

「これ、最後にあげるよう」
「まあ、お手紙?」

 小さく頷くので、それを両手で受け取ります。いつもの真っ白い封筒に、真っ赤な蝋で封がしてあります。宛名はこう書かれていました。

「Dear littleお嬢 ladyさんへ……?」

 彼女の荷物に一緒入っている十通の手紙とは違いました。
 アメジは不安そうな面持ちです。

「お、怒った……?」
「いいえ、こっちの方がずっと素敵よ!」

 少女はまだ幼いですが、大人になる日へと近付けたような、そしてそのことを認めてもらえたような気がしました。
 裁縫上手なシトリーが夜通しかけて作った新しい生糸のシャツと、羊毛でできたお古を仕立て直したズボンに身を包んだ姿で胸を高鳴らせます。床を鳴らすのは、マンダリがプレゼントした少しサイズの大きいブーツです。

「この“little”を書けなくなるくらい立派な“lady”になってみせるわ」
「さあさ、今度はなにが書いてあるんだ?」
「だめだよう!」
「そうよ、あとで一人になってから読むんだから」
「はいはい、そうかよ」

 いつの間にか全員が集まっていました。手紙を荷物の中に大切にしまうと、少女は胸に手を当て七人の小人たちと向き合います。
 どうしても最後に伝えたいことがあるのです。 

「最後にもう一度言わせて。心配をかけて本当にごめんなさい」
「心配するのもさせるのも、家族の特権なんだから」
「エメラッド、水を差すなよ」
「はぁい」

 興味なげにわざとあくびをして見せる様子にくすりと笑って、それから続けます。

「そして、たくさんのことを教えてくれてありがとう。なにもお返しのできないわたしを送り出してくれて、本当にありがとう」

 カイヤナの鼻をすする音が一層大きく聞こえました。

「どうか願っていて、わたしが立派な大人になれるように。みんなが願っていてくれる間は、わたしきっと強くあれるから」
「誓うよ、君の歯形の付いたあの毒林檎にね」

 片隅でとても大切なもののように置かれている林檎をみんなが見つめます。毒林檎にも打ち勝った少女です、どこへでも逞しく進んでいけるでしょう。七人の小人の心に、彼女への願いが深く根付きました。

「ルヴィオおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その右頬に愛らしいキスを落とします。ルヴィオは腕を伸ばして髪を撫でました。

「マンダリおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その左頬に愛らしいキスを落とします。マンダリは拳で軽く肩を小突きます。

「シトリーおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その耳に愛らしいキスを落とします。シトリーは仕立てたシャツの襟元を直してあげました。

「エメラッドおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その瞼に愛らしいキスを落とします。エメラッドは指先を少しだけ強く握りました。

「サファイおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その額に愛らしいキスを落とします。サファイも彼女の額にキスを返します。

「カイヤナおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その鼻にキスを落とします。カイヤナは美しいハンカチを取り出して胸ポケットに差してあげました。

「アメジおじさま」

 呼んで、抱きしめて、その両頬にキスを落とします。アメジはもう一度だけ、彼女をぎゅっと抱きしめました。

 これでもうお別れです。少し寂しいですが、決して悲しくはありません。少女が大人になるための旅立ちなのですから。

「最後に、なんか言えよ」
「なんかってなにをだい?」
「出かけて行く家族を送る言葉なんか、ひとつしかねえだろ」

 マンダリに言われて合点がいったらしいルヴィオが、兄弟たちを代表して言います。

「いってらっしゃい、私たちの可愛いlittleお嬢 ladyさん

 名無しになった少女はとびきりの笑顔を輝かせて、元気よく飛び出します。

「いってきます、わたしの素敵なおじさまたち!」


**********


 少女は森の中を歩いていきます。思わず止まりそうになる足を、振り返りそうになる顔を今だけぐっと我慢して、プレゼントされたハンカチで目尻を拭います。
 それでも来た時よりも足取りが軽く感じられるのは、新しい服とブーツのおかげでしょうか。

 目を落とすと草花が露に濡れて光っています。木々の葉からも雫が落ちて、見上げた頬を濡らしました。

「ねぇ、君」

 小人たちが賑やかに暮らす森の中は、太陽の温もりに包まれつつも、穏やかで静かな時間が流れています。
 思えば、この森では自分と七人の小人たちの声以外を聞いた覚えがない、と思わず足を止めて辺りを見回します。

「ああ、こっちこっち。おっと、そこからだと見えないかな?」

 木々の枝が絡み合う茂みの向こうから、正装をした長身の若い男が現れました。毎日忙しくもう随分と会っていない父親の、特別な服にどこか似ていることから、身分のある人であることは一目で分かりました。

「やぁ。君はこの辺りの子なの?」
「ええ、そうよ」

 たった今、森にある我が家から出てきたところです。迷いなく答えた少女の顔に、男の視線は惹き付けられます。幼いながらも凛とした強さを感じさせる少女ですが、その頬にはか弱げな雫の跡を残しています。
 なにも言わなくなった男を少女は不思議に思います。

「あなたはこの国の人ではないわね、どこかの王子さま?」

 森に住む少女がそう言うので、男は驚いてしまいました。
 その端正な顔立ちのためか、それとも身分のためか、大抵の女性は彼に声をかけられたとあれば悲鳴にも似た甲高い声を上げて、自身の家柄を捲し立てるのが常でした。
 しかしこの少女は、動きやすさを重視した服装で男の前にいることを少しも気にせず、臆面もなく聞いてきます。男にとっては王子という身分を忘れそうになるほど、それは新鮮でした。

「そうだよ、隣の国の王子さ」
「そんな人がなぜこんなところに? 城はあっちだし、森の外を通った方が安全だわ」
「この静かな森にも山賊じみた輩がいるのかい、きみのような子が住んでいるのに?」

 少女は肩を竦めると、わずかにからかいの色を付けて唇の端を持ち上げます。

「怖いのは人ばかりじゃないわ、ただ森にいるのは野鳥くらい。だけどその靴じゃ……すぐそこでぬかるみに足を取られるかもね」

 すでに靴底の汚れた白い革靴に視線を下げて、王子は恥ずかしそうにはにかんで見せました。
 いつもならこんな姿では人前にいるのも躊躇うところですが、少女の前では不思議とこれでもいいかと思えました。彼女にはそれを咎める様子がまったくなかったからでしょう。

 王子は、ふと胸に宿ったあり得ない期待のような灯りに突き動かされるように口を開きます。

「きみ、この国の王女がどんな子か知ってる?」
「……王女? どうして?」
「見合いに行くところなんだ。といってもいくら手紙を送っても城からはなんの返事も貰えないから、直接来たんだけど」

 その言葉に少女はなんとも言えない複雑な表情で、王子を見上げます。図らずも上目遣いで見つめられ、王子の鼓動が跳ねました。

「そういうことなら行っても意味はないかも」
「なぜ?」
「うーん……やっぱり今のは聞かなかったことにして。お城に行くならその靴の泥はしっかり拭った方がいいわ。王妃さまは厳しい方だから」
「ご忠告ありがとう」

 少女が言いたがらないならと深く聞かないことにして、森を出たら靴を磨くことを思いに留めました。

「王子ー!」

 遠くから声が聞こえます。

「あなたを呼んでいるみたいよ?」
「ああ、そうらしいね」

 もっとこの少女と話をしてみたいと思っています。まだ知らぬ王女よりも、目の前の素朴で美しい少女に心惹かれているのを確かに感じます。
 王子はひとつため息をついて、右手を恭しく差し出しました。

「良ければ名前を教えてくれないか? ……また会いたいんだ」

 すると少女は右手を伸ばして、王子の手ではなくその肩に触れて遠のきます。その指には木の葉がありました。

「ごめんなさい、名前はこれから見つけに行くの」
「名前を?」
「ええ、だからさようなら。帰りの道中の安全を祈るわ」 

 そう言い残して、少女は駆け出して行きます。肩に軽く触れた指先の感触が強まっていく気がしました。

「王子! ここにいらっしゃいましたか、こんな森の中をお一人でふらふらとされては困ります! 他国でその身になにかが起こったなんてことになりましたら、私は国王陛下の前はおろか、国の境を跨ぐことさえ――」

 執事からの小言を受けつつも、王子の頭の中はたった今別れたばかりのただ一人のことでいっぱいでした。そしてしぱらくの間、彼の心は捕らわれることでしょう。

 そう、愛らしくて逞しいlittleお嬢 ladyさんにね。


おわり

 

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