今様退魔師!~当主達の退魔記録~
種へと戻る
息を切らして森は抜ける。こんな気分は子供の時以来だ。それもほんの幼い時分に感じた高揚感。
これでもう、私を縛るものは何もない。
あの鬱陶しい村民の目も無ければ、忌々しい父親の顔を見なくても良いのだ。
今となっては、この村に私を縛り付けた血筋にすら価値がある。“百鬼”もsealsという会社も、この珠を持ち帰れば相応の待遇を約束してくれた。
さて…どちらを選ぼうか?
百鬼を選べば、妖怪にも成れる。まさに特別な存在となって、今までの分まで他者から奪うのも良いだろう。
sealsならばどうだろう?正直なところ並べられた飴玉は、狭い世界に生きてきた身としては分からない物も多かった。しかし、都会の大企業にポストがあるというのは田舎者にとっては憧れる。
ああ…選択の自由というのはこれほどまでに甘美なのか。
速く、もっと速く。一秒でも早く…この世界から抜け出したい。そして、普通ではない特別な日々を味わうのだ。
もっと早く。もっと速く。もっと速…
「…あれ?」
さっきから少しも前へと進んでいない。
木々は変わらず、生い茂っている。見慣れた針葉樹林のままだ。この紫樹村はさほど広くない、というよりは狭い。いくらか弱い足でも、幾らか景色に変化が見えて良いはずなのに。
『ふん。それぐらいの違和感には気付くか。持って生まれた才能ってやつだな、そこそこ才能あるよアンタ』
耳に響く若い男の声。声質は軽そうだが、なぜだか酷く冷たく感じる。
『さて、一応聞いとこう。その珠を渡せ』
短いが、断定的な響き。既に決定された事実を話される不快感は慣れたものだが…
「いやよ!これは私の物よ!私の…!」
『そうか』
この声からは父のような脆さが感じられない。断頭の刃めいて、決定を迫ってきている。そして、それは自分の意思がどうであろうと、振り下ろされる。
「これだけは渡せない!渡せば選べなくなっちゃう!私の自由!私のとくべっ…あひゅっ!?」
譲れないという訴えは、虚しく断たれる。
背中から胸を通り過ぎて地面まで、紙の剣が突き抜けた。現実味の無い光景だ。痛くも無いがこの紙は“自分”を確実に貫いていると、魂が訴えてくる。
「いや!いやぁぁ!死にたくない!こんな村で…!」
『死なんから安心しろ。アンタの要素を奪うだけだ。そもそもアンタに殺すだけの価値はない』
慈悲ではなく、私の命の責任など背負いたくない。響くどこからかの声は紫樹海桜はその程度の価値しか持っていないと突き放す。
『…っていうか、死にたくないとかどの口がほざいているんだ?普通じゃない存在になりたかったんだろう?そうなりゃ当然、普通じゃない死が待っているわけで…ああ、めんどくせぇな。柄じゃないし言えた立場でも無いからな俺も』
珠を取り落とす。そこに紙でできた何かが降り立ち奪っていく。持って行かないで…私の自由を。新しい世界を。
『つーわけで、アンタの血と珠は貰っていく。然るべき場所で裁かれれば、新しい世界で臭い飯が食えるさ』
/
空を飛ぶことが別に好きなわけではない。必要だからやっているだけだ。
背から鋼鉄の羽を生やして、滑空する度にそう考える。彼女からしてみれば他の騎士がやらない理由が分からない。
“深淵”はどういうわけか、地や海に根ざすことが多い。その理由は諸説あるうえに、飛ぶ個体が全くいないわけでもないのだが…
どちらにせよ自分が飛べるとなれば、戦闘時にとり得る手段は格段に広がる。ただでさえ、圧倒的な性能差があるのだ。それを埋めるには多少のリスクは背負うべきだった。
徐々に近づく紫樹の威容。離れていたからこれまでは小枝相手で済んでいたが、ここまで近づけば自分よりも太い大枝、そして本体が相手となる。
『…おーい二人共。制御装置っぽいのを確保したぞー。引き続き、元の社から引き離してくれーい』
軽そうな男の声。本格的な接触前に役割を果たすとは、あの男も随分と優秀だったらしい。
そう判断したが、今は賞賛する時間も惜しいので短く返答することにした。
「了解した」
『…何かあったのか、博光?』
『…別になんもない。ゴッちゃんも集中しないとやられんぞ?俺とぶちょーが今から社に向かう。そっちは頼んだわ』
『あっははっは!どうも私は狙われ難いようだから、大船に乗った気持ちで任せておきたまえよ部員諸君』
彼らの間には絆がある。短い間に随分と親しくなった気はするが…割り込めはしない。縁。この国の生まれである母が教えてくれた概念。機会がまたあれば、私もあの輪に加われるのだろうか?
「戦闘中に考えることではないな」
首を振り、切り替える。おぞましい巨眼が喜色を示して新たな玩具の到来を歓迎していた。
//
「正直、ぶちょーを連れていくのも気が咎めるんすけど…樹だけに」
「ちっとも面白くないね。3点。大体、私があの樹の幽霊を間近で拝む機会を逃すと思っているのかい?」
「いや、だからアレ幽霊じゃなくて…まぁいいや。はいコレ。アレの制御装置っす。持ってれば襲われないっぽいんで。あとこの紙を持ってれば社に入れるっす」
博光は紫樹海桜から吸い取った霊質で満ちた符剣を、華風に渡した。
「…なにこのドス赤黒い剣。ちょっと引くわ」
「そこは気にせんで下さいな。オカルトってそもそも黒いもんですしね」
紫樹の感知能力は存在規模からすれば随分と高い。ただの人間が砂粒、護兵達特殊な訓練を積んでいる者ですら豆粒程度にしか思っていないだろうが、決して見逃さない。
博光もこれから前に出るわけだが、狙われる確立は非常に高い。ならば社まで行くのは砂粒の中の砂粒、狭霧華風の役割だ。
その後の封印の強化は博光の役割となるだろうが、まずは一旦事態を終息させなくてはならないのだ。
「頼んだぜぇゴッちゃん、騎士様」
死んではならない位置というのは随分と面倒なものだった。
///
全力で引き離す。そのために護兵とベリンダは奮闘していた。そもそも、紫樹を前にすれば全力でかからなければ一瞬も保たないだろう。
「枝もここまでくれば壁だな」
振るわれた巨木の枝をベリンダは空中で直角に曲がり、回避した。巨人と戦った英雄はきっとこんな気分を味わったに違いない、そう確信する。
振るわれた後の枝から、小枝と葉が追尾してくるのを避けるべく縦横無尽に飛び回るベリンダはまさに戦乙女。翼持つ女戦士の体現者だった。
その動きはもはやヘリどころではなく、ミサイルなどの無人兵器じみた動きだ。なぜ、こんな動きが可能なのか?それに対する答えは実に単純だった。
回避の度に打ち据えられ、きしむ肉体。敵の攻撃ではなく、自分の鎧でだ。
ベリンダの甲冑…サングリーズルの飛行機能は至ってシンプル。背中のルーンを発火させ、翼で飛行する。ソコまでは良いが、それだけでは長くは飛べない上に、ここまでの回避運動は取れない。
「…ぎっ!この程度…!」
痛みなど知った事か、と耐えるベリンダ。
彼女の回避起動は全て直線を描く。敵の攻撃が迫る度、細身の甲冑に無数に刻まれたルーンが輝く。そう、自分自身を打撃して方向を無理やり変えているのだ。これが、双眸護兵がベリンダの正気を疑った原因だった。
しかし、ベリンダからすれば当然のことだ。死ぬほどの痛みなど、勝利のためならば耐えて当然。使命を全うするに、痛みを厭うて効率を無視するなど信じられない。どうして他の騎士はしないのか?と大真面目に考えていた。
そんなベリンダですらこれほどまでに、軌道変更を連続した試しは無い。単純に手数が非常に多い紫樹との相性があまり良くないのだ。どれだけベリンダの覚悟が強かろうと、現実にある限界を超えれはしない。
突撃を中断されること、実に十数回。これが現在のサングリーズルの限界でもあった。
///
「あんまり無理するなよ!」
空舞う騎士に遠く地上から声をかける護兵だったが、彼もまた相当な無理をしている。発光する全身は、気の循環を速め過ぎた結果だ。気脈の流れに関するエキスパートである護兵でも、ここまで加速させると気のロスが発生して周囲に漏れてしまうのだ。
しかし、そうしなければ戦えない。もどきとはいえ、深淵の性能は人程度と比べるのも馬鹿らしい。迫る枝の数は減るどころか、増える一方だった。速度も全く衰えない。
興が乗ったと見えて、護兵の側にも大枝が顔を出した。節々の目が興味深げに護兵を観察している。
「我が双眸を舐めるなよ!化け物風情が…!」
ここまで太い枝を相手にするには更なる超越が必要だ。気刃をさらに長く、それこそ大剣のごとくまで伸ばし、切れ味を増す。結果として、気のロスはさらに増大したが、構いはしない。
「オオオォォオオーー!」
狂った風車のごとく、四方八方を切りつけて回る護兵。最早狙いを付ける必要もあまりなかった。空間全体に紫樹の枝は満ち始めていた。
////
予想通り、紫樹は符木津博光も逃しはしなかった。彼にも興味という名の暴威が押し寄せる。
「頼りにしてすまねっす!部長、後は頼んます!」
「任せてくれたまえ!それから、すまないは不要だよ!」
華風の脚は速い。だが常人にしては、である。
ここからは自分も最前線。素人に任せて、先に倒れるなど許せるはずもない。
「おいでませい!〈一鬼〉!〈二魅〉!」
博光の懐から大鬼と蛇人を模した式神が現れる。それに自身を加えた三位一体。その攻撃手段と手数の多さは、親友である護兵を上回ると自負している。
「さぁ、どんどん来いや!そんなに見たいんなら、幾らでも見せてやる!」
声に応えて、広がり来る疑似深淵の末端。
しかし、博光もまた怯みはしない。紙でできた軍を率いる指揮官は、先程までの鬱憤を晴らすかのように対抗した。
/////
息を切らして走る。
胸に満ちるのは喜びだ。我ながら不謹慎で傲慢だとは思っているが、止められない。
奇妙な樹に、部員達。
「凄いねぇ!本当にあるんだ神秘は!」
人が羨む全てを持って生まれた。しかし開示される神秘と、それに伴って変わっていく世界に取り残された。なんとかして、自分もと願って懸命に行動してきた。
その努力は正しく報われている。それは恵まれているからこそ、初めてのことで…ここで死んでも悔いなど残らない。
華風はあくまで霊的な存在から認識され辛く、自身からも難しいだけだ。狙って暴が押し寄せることはないが、巻き添えでも喰らえばそれまでである。
しかし、楽しい。世界はこんなにも楽しい!
駆けて、駆け抜けて、辿り着く倒壊した建物。
瓦礫を登る最中に幾度も転び、木の破片が刺さって朱が滲んだ。割れたガラスで手を切った。
そんな瑣末は感動の前にはどうでもいいことだった。
でもいつまでも楽しんではいられない。終わりが無ければつまらない。
…見つけた!手に持った球体におあつらえ向きの台座。部屋は崩れているというのに、その台座だけが驚くほどに無傷だった。
「そーれ!ゴールもしくはタッチダウン!」
華風はそこに宝珠を叩き込んだ。輝く赤の符剣。
ここに…只人の手によって疑似深淵は終わりを迎える。
地に堕ちたベリンダの眼前で枝が止まった。地面に転がった護兵に向かっていた葉が枯れ始める。符が底をついた博光の前から大枝が去っていく。
『ふんぐ…ふん…ふ…』
大樹の目が全て穏やかに閉じていく。萎む巨体は元あった場所へと潮が引くように戻っていくのだ。巨木から木へ、木から若芽へ。そして種へと。
成長を逆回しにしたような光景が展開される。それを輝いた目で華風は食い入るように見ていた。
//////
「それで?部長ちゃんやベリンダ?ちゃんとは何の進展も無かったの?」
「この話の流れでどうしてそうなるのか、不思議です」
姉と向かい合う食卓でため息を零した。そんな暇などあるはずもなかった。戦っていた時は、無限のように感じたが実際には二泊三日しか無いのだ。
一日目しかマトモな日は無く、二日目は戦い通しで、三日めは後始末と帰宅で終わった。
報告やら何やらを然るべきところに手配するのは伝手を頼っても相応に手間がかかった。自分達に応急治療を施して帰るまでずっと忙しない旅行であった。
大学まで休んで、これである。本当に部長が企画するイベントはろくでもない。
「つーまんなーい!ゴッちゃんはもう少し、青春するべき!」
「今回ばかりは流石に私もそう思いました」
もっと平和な小旅行が良かった。心からそう思う。しかしまぁオカルト研究会にいる以上は、ずっと続くのだろう。家業を考えれば死ぬまでこうかも知れない。
仕事に行く姉を見送り、自分も今日こそ通学するぞとクリアケースを手にとる。気による治療は時間がかかる。見た目に問題が無い程度に回復するまで、一週間近く経過してしまった。
身支度を整えて、玄関へ。そしていつもの日常へと…出発しようとして何かを踏んだ。
人だった。
「あの…?大丈夫ですか?ってその金髪…」
「…ゴヘー?奇遇だな」
「…そうだな。何をしている」
「見て分からんか。腹が減って倒れている」
日常がまた少しだけ変わった。
これでもう、私を縛るものは何もない。
あの鬱陶しい村民の目も無ければ、忌々しい父親の顔を見なくても良いのだ。
今となっては、この村に私を縛り付けた血筋にすら価値がある。“百鬼”もsealsという会社も、この珠を持ち帰れば相応の待遇を約束してくれた。
さて…どちらを選ぼうか?
百鬼を選べば、妖怪にも成れる。まさに特別な存在となって、今までの分まで他者から奪うのも良いだろう。
sealsならばどうだろう?正直なところ並べられた飴玉は、狭い世界に生きてきた身としては分からない物も多かった。しかし、都会の大企業にポストがあるというのは田舎者にとっては憧れる。
ああ…選択の自由というのはこれほどまでに甘美なのか。
速く、もっと速く。一秒でも早く…この世界から抜け出したい。そして、普通ではない特別な日々を味わうのだ。
もっと早く。もっと速く。もっと速…
「…あれ?」
さっきから少しも前へと進んでいない。
木々は変わらず、生い茂っている。見慣れた針葉樹林のままだ。この紫樹村はさほど広くない、というよりは狭い。いくらか弱い足でも、幾らか景色に変化が見えて良いはずなのに。
『ふん。それぐらいの違和感には気付くか。持って生まれた才能ってやつだな、そこそこ才能あるよアンタ』
耳に響く若い男の声。声質は軽そうだが、なぜだか酷く冷たく感じる。
『さて、一応聞いとこう。その珠を渡せ』
短いが、断定的な響き。既に決定された事実を話される不快感は慣れたものだが…
「いやよ!これは私の物よ!私の…!」
『そうか』
この声からは父のような脆さが感じられない。断頭の刃めいて、決定を迫ってきている。そして、それは自分の意思がどうであろうと、振り下ろされる。
「これだけは渡せない!渡せば選べなくなっちゃう!私の自由!私のとくべっ…あひゅっ!?」
譲れないという訴えは、虚しく断たれる。
背中から胸を通り過ぎて地面まで、紙の剣が突き抜けた。現実味の無い光景だ。痛くも無いがこの紙は“自分”を確実に貫いていると、魂が訴えてくる。
「いや!いやぁぁ!死にたくない!こんな村で…!」
『死なんから安心しろ。アンタの要素を奪うだけだ。そもそもアンタに殺すだけの価値はない』
慈悲ではなく、私の命の責任など背負いたくない。響くどこからかの声は紫樹海桜はその程度の価値しか持っていないと突き放す。
『…っていうか、死にたくないとかどの口がほざいているんだ?普通じゃない存在になりたかったんだろう?そうなりゃ当然、普通じゃない死が待っているわけで…ああ、めんどくせぇな。柄じゃないし言えた立場でも無いからな俺も』
珠を取り落とす。そこに紙でできた何かが降り立ち奪っていく。持って行かないで…私の自由を。新しい世界を。
『つーわけで、アンタの血と珠は貰っていく。然るべき場所で裁かれれば、新しい世界で臭い飯が食えるさ』
/
空を飛ぶことが別に好きなわけではない。必要だからやっているだけだ。
背から鋼鉄の羽を生やして、滑空する度にそう考える。彼女からしてみれば他の騎士がやらない理由が分からない。
“深淵”はどういうわけか、地や海に根ざすことが多い。その理由は諸説あるうえに、飛ぶ個体が全くいないわけでもないのだが…
どちらにせよ自分が飛べるとなれば、戦闘時にとり得る手段は格段に広がる。ただでさえ、圧倒的な性能差があるのだ。それを埋めるには多少のリスクは背負うべきだった。
徐々に近づく紫樹の威容。離れていたからこれまでは小枝相手で済んでいたが、ここまで近づけば自分よりも太い大枝、そして本体が相手となる。
『…おーい二人共。制御装置っぽいのを確保したぞー。引き続き、元の社から引き離してくれーい』
軽そうな男の声。本格的な接触前に役割を果たすとは、あの男も随分と優秀だったらしい。
そう判断したが、今は賞賛する時間も惜しいので短く返答することにした。
「了解した」
『…何かあったのか、博光?』
『…別になんもない。ゴッちゃんも集中しないとやられんぞ?俺とぶちょーが今から社に向かう。そっちは頼んだわ』
『あっははっは!どうも私は狙われ難いようだから、大船に乗った気持ちで任せておきたまえよ部員諸君』
彼らの間には絆がある。短い間に随分と親しくなった気はするが…割り込めはしない。縁。この国の生まれである母が教えてくれた概念。機会がまたあれば、私もあの輪に加われるのだろうか?
「戦闘中に考えることではないな」
首を振り、切り替える。おぞましい巨眼が喜色を示して新たな玩具の到来を歓迎していた。
//
「正直、ぶちょーを連れていくのも気が咎めるんすけど…樹だけに」
「ちっとも面白くないね。3点。大体、私があの樹の幽霊を間近で拝む機会を逃すと思っているのかい?」
「いや、だからアレ幽霊じゃなくて…まぁいいや。はいコレ。アレの制御装置っす。持ってれば襲われないっぽいんで。あとこの紙を持ってれば社に入れるっす」
博光は紫樹海桜から吸い取った霊質で満ちた符剣を、華風に渡した。
「…なにこのドス赤黒い剣。ちょっと引くわ」
「そこは気にせんで下さいな。オカルトってそもそも黒いもんですしね」
紫樹の感知能力は存在規模からすれば随分と高い。ただの人間が砂粒、護兵達特殊な訓練を積んでいる者ですら豆粒程度にしか思っていないだろうが、決して見逃さない。
博光もこれから前に出るわけだが、狙われる確立は非常に高い。ならば社まで行くのは砂粒の中の砂粒、狭霧華風の役割だ。
その後の封印の強化は博光の役割となるだろうが、まずは一旦事態を終息させなくてはならないのだ。
「頼んだぜぇゴッちゃん、騎士様」
死んではならない位置というのは随分と面倒なものだった。
///
全力で引き離す。そのために護兵とベリンダは奮闘していた。そもそも、紫樹を前にすれば全力でかからなければ一瞬も保たないだろう。
「枝もここまでくれば壁だな」
振るわれた巨木の枝をベリンダは空中で直角に曲がり、回避した。巨人と戦った英雄はきっとこんな気分を味わったに違いない、そう確信する。
振るわれた後の枝から、小枝と葉が追尾してくるのを避けるべく縦横無尽に飛び回るベリンダはまさに戦乙女。翼持つ女戦士の体現者だった。
その動きはもはやヘリどころではなく、ミサイルなどの無人兵器じみた動きだ。なぜ、こんな動きが可能なのか?それに対する答えは実に単純だった。
回避の度に打ち据えられ、きしむ肉体。敵の攻撃ではなく、自分の鎧でだ。
ベリンダの甲冑…サングリーズルの飛行機能は至ってシンプル。背中のルーンを発火させ、翼で飛行する。ソコまでは良いが、それだけでは長くは飛べない上に、ここまでの回避運動は取れない。
「…ぎっ!この程度…!」
痛みなど知った事か、と耐えるベリンダ。
彼女の回避起動は全て直線を描く。敵の攻撃が迫る度、細身の甲冑に無数に刻まれたルーンが輝く。そう、自分自身を打撃して方向を無理やり変えているのだ。これが、双眸護兵がベリンダの正気を疑った原因だった。
しかし、ベリンダからすれば当然のことだ。死ぬほどの痛みなど、勝利のためならば耐えて当然。使命を全うするに、痛みを厭うて効率を無視するなど信じられない。どうして他の騎士はしないのか?と大真面目に考えていた。
そんなベリンダですらこれほどまでに、軌道変更を連続した試しは無い。単純に手数が非常に多い紫樹との相性があまり良くないのだ。どれだけベリンダの覚悟が強かろうと、現実にある限界を超えれはしない。
突撃を中断されること、実に十数回。これが現在のサングリーズルの限界でもあった。
///
「あんまり無理するなよ!」
空舞う騎士に遠く地上から声をかける護兵だったが、彼もまた相当な無理をしている。発光する全身は、気の循環を速め過ぎた結果だ。気脈の流れに関するエキスパートである護兵でも、ここまで加速させると気のロスが発生して周囲に漏れてしまうのだ。
しかし、そうしなければ戦えない。もどきとはいえ、深淵の性能は人程度と比べるのも馬鹿らしい。迫る枝の数は減るどころか、増える一方だった。速度も全く衰えない。
興が乗ったと見えて、護兵の側にも大枝が顔を出した。節々の目が興味深げに護兵を観察している。
「我が双眸を舐めるなよ!化け物風情が…!」
ここまで太い枝を相手にするには更なる超越が必要だ。気刃をさらに長く、それこそ大剣のごとくまで伸ばし、切れ味を増す。結果として、気のロスはさらに増大したが、構いはしない。
「オオオォォオオーー!」
狂った風車のごとく、四方八方を切りつけて回る護兵。最早狙いを付ける必要もあまりなかった。空間全体に紫樹の枝は満ち始めていた。
////
予想通り、紫樹は符木津博光も逃しはしなかった。彼にも興味という名の暴威が押し寄せる。
「頼りにしてすまねっす!部長、後は頼んます!」
「任せてくれたまえ!それから、すまないは不要だよ!」
華風の脚は速い。だが常人にしては、である。
ここからは自分も最前線。素人に任せて、先に倒れるなど許せるはずもない。
「おいでませい!〈一鬼〉!〈二魅〉!」
博光の懐から大鬼と蛇人を模した式神が現れる。それに自身を加えた三位一体。その攻撃手段と手数の多さは、親友である護兵を上回ると自負している。
「さぁ、どんどん来いや!そんなに見たいんなら、幾らでも見せてやる!」
声に応えて、広がり来る疑似深淵の末端。
しかし、博光もまた怯みはしない。紙でできた軍を率いる指揮官は、先程までの鬱憤を晴らすかのように対抗した。
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息を切らして走る。
胸に満ちるのは喜びだ。我ながら不謹慎で傲慢だとは思っているが、止められない。
奇妙な樹に、部員達。
「凄いねぇ!本当にあるんだ神秘は!」
人が羨む全てを持って生まれた。しかし開示される神秘と、それに伴って変わっていく世界に取り残された。なんとかして、自分もと願って懸命に行動してきた。
その努力は正しく報われている。それは恵まれているからこそ、初めてのことで…ここで死んでも悔いなど残らない。
華風はあくまで霊的な存在から認識され辛く、自身からも難しいだけだ。狙って暴が押し寄せることはないが、巻き添えでも喰らえばそれまでである。
しかし、楽しい。世界はこんなにも楽しい!
駆けて、駆け抜けて、辿り着く倒壊した建物。
瓦礫を登る最中に幾度も転び、木の破片が刺さって朱が滲んだ。割れたガラスで手を切った。
そんな瑣末は感動の前にはどうでもいいことだった。
でもいつまでも楽しんではいられない。終わりが無ければつまらない。
…見つけた!手に持った球体におあつらえ向きの台座。部屋は崩れているというのに、その台座だけが驚くほどに無傷だった。
「そーれ!ゴールもしくはタッチダウン!」
華風はそこに宝珠を叩き込んだ。輝く赤の符剣。
ここに…只人の手によって疑似深淵は終わりを迎える。
地に堕ちたベリンダの眼前で枝が止まった。地面に転がった護兵に向かっていた葉が枯れ始める。符が底をついた博光の前から大枝が去っていく。
『ふんぐ…ふん…ふ…』
大樹の目が全て穏やかに閉じていく。萎む巨体は元あった場所へと潮が引くように戻っていくのだ。巨木から木へ、木から若芽へ。そして種へと。
成長を逆回しにしたような光景が展開される。それを輝いた目で華風は食い入るように見ていた。
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「それで?部長ちゃんやベリンダ?ちゃんとは何の進展も無かったの?」
「この話の流れでどうしてそうなるのか、不思議です」
姉と向かい合う食卓でため息を零した。そんな暇などあるはずもなかった。戦っていた時は、無限のように感じたが実際には二泊三日しか無いのだ。
一日目しかマトモな日は無く、二日目は戦い通しで、三日めは後始末と帰宅で終わった。
報告やら何やらを然るべきところに手配するのは伝手を頼っても相応に手間がかかった。自分達に応急治療を施して帰るまでずっと忙しない旅行であった。
大学まで休んで、これである。本当に部長が企画するイベントはろくでもない。
「つーまんなーい!ゴッちゃんはもう少し、青春するべき!」
「今回ばかりは流石に私もそう思いました」
もっと平和な小旅行が良かった。心からそう思う。しかしまぁオカルト研究会にいる以上は、ずっと続くのだろう。家業を考えれば死ぬまでこうかも知れない。
仕事に行く姉を見送り、自分も今日こそ通学するぞとクリアケースを手にとる。気による治療は時間がかかる。見た目に問題が無い程度に回復するまで、一週間近く経過してしまった。
身支度を整えて、玄関へ。そしていつもの日常へと…出発しようとして何かを踏んだ。
人だった。
「あの…?大丈夫ですか?ってその金髪…」
「…ゴヘー?奇遇だな」
「…そうだな。何をしている」
「見て分からんか。腹が減って倒れている」
日常がまた少しだけ変わった。
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