自由な不自由ちゃんの管理日記

陽本奏多

25 消えるのですが、もう安心です。

「――い、唯? 聞いてるの?」

「ん……あぁ。で、なんだっけ?」

「聞いてないじゃない……。いま私、かなり大事な話をしてたわよ?」

「……そうか。ちょうど話が終わったあたりなんだな」

「何言ってるの?」

 玲乃が下から俺を覗き込んできた。
 おそらく今はあの玲乃の話が終わったところらしい。まぁ、時間逆行とかを平然と受け入れている俺も俺だが。

 しかし、玲乃のあの話より今は優先すべきことがある。
 この場所からの脱出だ。ここにいたら、また確実に玲乃は――。

「玲乃、花火も終わったみたいだし、もう帰ろう」

「え? ……あの話に対するリアクションは何もないの?」

 話……確か、俺は昔玲乃と仲が良くて、その俺が死んで……
 その時に玲乃は俺を生き返らせる代わりに手足の自由を失った、のか。
 なんか平然と聞いてたけど、衝撃的というかなんというか……。

「えっと……ありがとう、っていうのはなんか違うよな」

「そうね、今更謝られても嬉しくもなんともないわ」

 そりゃあそうだ。
 では、俺は彼女になんと言葉をかければよいのだろう。
 ……いや、今はとにかくここから――

「……地震?」

 玲乃が首を傾げた。
 わずかだが、地面が震え始めている。

「――玲乃! しっかりつかまってろよ!」

「え――」

 俺は自分が持てるすべての力を出し切って、玲乃を車いすごと動かす。
 そして、ここまで来る時に通った山道にちょうど差し掛かった時。

「うわっ!」
「なに!?」

 あたりに轟音が鳴り響いた。本格的に揺れ始めたのか!?
 横を見遣ると崖の端っこに亀裂が入っていた。

「あーもう! もうちょっと前まで戻しとけよ!」

 『何か』に向かって怒号を飛ばすが、今更どうしようもない。
 俺は崩れ始めた崖を後ろに見ながら全力で坂を下っていく。

 ――だめだ、これじゃ飲み込まれる。
 車いすだけならもっと早いのだろうが、俺が走ってついていってるのがブレーキになっているな。なら……!

「玲乃っ! 俺も乗るぞ!」

「何言って――!?」

 重力に従って下へ下り続ける車いすに俺も後ろから飛び乗った。
 体重を思いっきり前に傾けて、車いすの後ろの金具へ足をかける。

「うわああああああ!」
「ちょっと、唯!」

 土砂がもうそこまで迫っていた。
 だけど、こちとら急な坂道をノーブレーキで下っているのだ。スピードはそこそこ出ている。

 その時。

 ふいに横を向いた。
 何かに導かれるように俺と、多分玲乃の視線もそれに吸い込まれていた。

 森の中にひっそりとたたずむ森の洋館。猛スピードで坂道を下りながらも、その姿だけはしっかりと見えた。また、その建物が土砂に飲み込まれる様子も。
 スローモーションで見えていたその風景も洋館を通り過ぎると元に戻った。

「――今は気にしてる場合じゃない……か」

 無理やりそう結論付けて俺はただ走ることに集中した。
 洋館から町まではそう遠くない。このまま降りていけばすぐに着くはずだ。

 後ろを見れば、さっきまで追ってきていた土砂が止まっていた。
 ……あの洋館が押さえ込んでくれた――なんて俺らしくないことを考えてしまう。

「とりあえず、助かったみたいだな……」

「えぇ、そうね」

 一つの車いすに二人の人間が乗る、という不可思議な格好のまま俺たちはもう一時坂を下った。
 下へ降りていくうちに傾斜はだんだんと緩やかになり、ちょうど町が見えてきたころには車いすが自然と止まった。

「……よかった……」

 我知らず、そう呟いていた。
 さっきまではもう必死で、ただ逃げることしか考えられなかった。

 だけど、今こうしてなんとか生き残ることができ、思う。
 玲乃を助けることができて、本当に良かった、と。

「唯……?」

 足を止めた俺に、彼女が振り向く。
 その表情には怯えのようなものは一切見えず、本当に今さっき死にかけたやつなのかと疑ってしまう。

「あぁ、大丈夫。おまえこそ大丈夫か?」

「えぇ。……というか、逃げるのが少し遅かったら……」

「まぁ、死んでただろな」

「なんでそんなあっけからんと言えるのかしら……?」

 この一週間で幾度となく見た玲乃の呆れ顔。それさえもいとおしくて、もうさっきまでの出来事なんて忘れてしまいそうだった。
 いまはただ、こいつがここにいるってことを喜びたい。本心からそう思えた。

 だけど。

「……ねぇ、唯。あれ……」

 玲乃が町の方向をおもむろに指さした。

「ん? 町がどうした?」

「町じゃないわよ。海を見て」

 海? 俺は彼女が言う通りに町の向こうに広がる海を見遣る。
 別に、変なところなんてない。夜だから真っ暗だが、いつも通りに海はそこに広がって――。

 ――いなかった。いつも通りなんかじゃない。
 ここからは見えにくいが、町からかなり離れた沖の海。そこがまるで一段高くなったようになっている。まるで、海をしたから押し上げたような……。

「あれって……」

「えぇ、おそらく津波でしょうね」

 津波。彼女がその言葉を口に出した瞬間、それは実体をもって俺に恐怖を与えた。

「津波っていっても……そんな大規模なものなわけ……」

 口に出しながら、頭ではわかっていた。
 こんな大規模な地震の後に、そんな小規模な津波が来るわけないって。
 あと、俺の目に映るその波は、もう波なんて表現できない。言うなれば、巨大な水の壁が海岸の町へ迫っていた。

「わかってるんでしょう? あれが町に到達すれば建物はきっと全壊するわ。町の人たちも無事ではないでしょうね」

 俺の前で、車いすに乗る彼女は淡々と言い放った。
 ここから見る限り、町の人びとが避難をしているような様子は見えない。

「今から、危険を教えて……」

「無理よ、そんなこと。あの展望台あたりなら助かったかもしれないけれど、今から逃げてあんなところまで行けるわけがない」

「そんな……」

「それはもちろん、私たちも一緒よ」

 まっすぐに前を向いていた玲乃が、再びこちらを振り向いた。
 とても冷静で、非情なことを言っているくせに、そいつは泣いていた。

「……ねぇ唯。わたしたちやっぱり死ぬのかな」

 脳裏に移るのは、かつての東日本大震災で町を飲み込んだ津波の映像。
 テレビ越しに見たその光景が、いまここで起ころうとしている。
 ただ、ひたすらに怖かった。

 なんでだよ。
 必死であの崖崩れから逃げて、死ぬはずだった玲乃を助けて、これで助かったんだ、って思ったのに。
 わけわかんねぇよ。ふざけんなよ。こんなのどうしようもないじゃねえか。

「……死にたくねぇよ。だけど……」

 無理だろ。もう詰んだ。
 いまからまた山を登ったとしても、後ろから迫る津波に飲み込まれる未来しか見えない。
 もっと言えば、玲乃は車いすだ。そんな彼女を連れて足場の悪い山を登るなんて無理に決まってる。

「どうしようか……」

「……もうどうしようもないでしょう?」

 諦めよう。彼女の声は言っていた。
 まっすぐに海を見つめる彼女の目は、きっと昏いのだろう。

 それから、俺たちはただひたすらに迫りくる壁を見つめていた。
 やっと事の重大さに気づいたのか、町の光が少しずつ消えて、車のヘッドライトが増え始める。
 ここからでも聞こえるのは、大量のクラクション。それに、耳を澄ませば怒号や泣き声まで聞こえて来そうな気がした。

 どれくらいそうしていただろう。
 俺はずっと車いすのハンドルを握りしめていた手が、薄らいでいるような気がした。
 透明になっていく、と言えばいいだろうか。自分の体が少しずつ透けていっている。

「唯……?」

 違和感を察したのか、玲乃がこちらを振り向いた。
 そして、その表情が驚愕に歪む。

「もしかして、唯……。ねぇ、聞かせて。あなた、自分自身を『犠牲』にしたの?」

 玲乃のその言葉に、俺は黙って微笑みを返した。
 いや、微笑みなんかじゃないな。ただの、自分に対する嘲笑だ。

 俺がこうやって、世界を巻き戻すために『犠牲』にしたのはあの瞬間の俺の命。
 だから、過去に戻ってやり戻せば、その時点では俺の命はまだ存在していた。

 巻き戻した時間は一時間。そして、巻き戻ってからもう少しで一時間が経つのだろう。
 つまり、巻き戻る前のその瞬間になってしまえば、俺は再び自分の命を失うのだ。

「……どうして……? なんでそんなことをしたの」

「……察しろよ。状況とか、自分の立場とかから」

 ちょっとぶっきらぼうになってしまった。だけど、彼女はやはりそれだけじゃ理解できないようだ。
 あぁ、もう。そのくらいわかれよ。

 俺は大きくため息を吐き、玲乃の正面に回り込んだ。そして、しゃがんで目線を合わせる。

「お前を助けるためだよ、馬鹿。察しろ」

「なっ――!」

 恥ずかしいな言わせんなよこんなこと。
 だけど、俺以上に目の前のこいつはなんか恥ずかしがってた。
 顔も耳も首筋も真っ赤にして、目はおかしいぐらい見開いてた。

「ど、どっちが馬鹿よ。……なに恥ずかしいこと言ってるの」

 ぷいっと目をそらして彼女はぼそぼそっと言った。
 なんだよ、その態度。助けてやったんだぞ? ……くそっ、可愛いじゃん。

「で? どうするよ、あの津波は」

「……まず、どうにかしようって思える唯が私は羨ましいわ」

 彼女は別に皮肉っぽくもなく、そう言い切った。

「は? なんで」

「自分だけ逃げれば助かるかもしれないわよ? そんなこと考えないの?」

「いや、ないだろ」

 即答していた。
 いやだって、玲乃置いて逃げたってわざわざ時を戻した意味もないし、それに町の人たちが一人でも死ぬのは嫌だ。なんだか後味悪いし。

「はぁ……我が儘ここに極まれり、ね」

 呆れた、というように彼女はまた笑った。
 そんな微苦笑なんだけど、どこか嬉しげ……みたいに見えたのは俺の気のせいだろうか。

「ねぇ、唯。命の価値って誰が決めてると思う?」

「急になんだよ。……そんなの、だれにも決められるもんじゃなくないか?――あっ」

 俺は言い終えてから気が付いた。
 命の価値。俺はその言葉を……。

「残念ながら、往々にして命には価値が付けられるのよ。そして、この世界でそれを付けるのは、社会的身分が高い人でも、ましてや世間自体なんかじゃない。たった一人の神様が価値を決めているの」

「それは……交換の話か?」

「そう、正解。実を言うとね、私の命の価値はかなり高いらしいのよ。なんでも将来、人類の文明を一段階上げるくらいの発見をするらしくてね」

「どんな自慢だよ、って……あぁ、そういうことか」

 玲乃の命の価値っていうのは、高い。その事実があれば、今までのことも納得がいく。
 なぜかつて、俺がトラックに轢かれて命を落とした時、玲乃は手足の自由だけで俺の命を復活させれたのか。
 なぜ玲乃が死んだとき、俺のすべてを集めても命をよみがえらせるには至らなかったのか。

 その理由は単純。俺のような凡人とは、本当に玲乃の命の価値が比べられないほど高かったからだ。

「そろそろ呼びましょうか。ねぇ、いるのでしょう?」

 俺と同じ呼び方だった。
 その玲乃の声に反応して、夜空から一つの光が降ってくる。

『もちろん。それで、君たちはいったい何を望むのかな?』

 『何か』は笑った。なんというか、こいつ、ずっと笑ってるな。

「唯、もし私が、自分の命を『犠牲』にするって言ったらどうする?」

「俺が止めたら、お前はそれを聞き入れるのか?」

「……残念ね。最後ぐらい、私に泣きついてくれたりしてもいいじゃない」

 彼女の戯言は、いつも悲しみを含んでいる。
 最後、なんて言葉を使ってくるあたり、本当に俺からしたら辛い。

 でも、悲しい表情なんてしない。不安もない。むしろ、心は満たされている。

『結論は出てるみたいだね?』

「えぇ。私の命と引き換えに、この災害をなかったことにして。それが、私の望む『対価』よ」

『その望み、聞き受けたよ。それじゃ、お邪魔虫はここらでお暇するとしよう。またどこかで会えたらいいね』

 そう言い残して、『何か』は俺たちの前から消え去った。

 玲乃に目を遣る。
 彼女の透き通るような白い肌は、比ゆ表現ではなく透き通り、そして、輝いていた。

「なんだか、あっという間だったな、一週間。まぁ終わりがこんな衝撃的なんて予想もしてなかったけど」

「あなたをここに呼んだこと、謝ったりしないわよ?」

「そんなの求めてないし、お前がそんな奴じゃないってことはとうの昔から知ってるよ」

 ニヒルな笑みを浮かべる俺に、彼女はまた呆れ笑いを返した。

 「自暴女」
 俺は彼女につけたあだ名をいまさらながら省みる。

 確かに、わがままで自分勝手なところはあると思う。人の話を聞かなくなったりとかな。
 だけど、こいつにはそんな欠点以上に魅力的な部分も多い。いや、というかその欠点なんて言ってる部分も可愛いなんて思ってしまうんだけどな。

 しかも、俺にはああいってたが、玲乃だって人のためには自分を犠牲にすることもいとわない。
 そうだな、こいつの真のあだ名は

 自己犠牲満足女。
 「自満女」だ。なんとなく太ってそうだな、このあだ名。

「……また何か失礼なことを考えてる」

「そ、そんなことないし。うん、全くない」

 なんだよこいつ、テレパシーかよ。
 なんて思ってる俺の体も、相当薄れてきた。
 自分という存在が消えてなくなっていくその感覚。それには果てしなく恐ろしいものがある。
 だけど。

「ねぇ、唯」

「なんだ?」

「……一週間、管理人としてのお仕事、お疲れさまでした。あと……その、ありがとう」

 最後の一言だけは、こちらを向いて、笑ってくれた。
 あぁ、消えるのが怖いなんて俺は馬鹿だ。
 こいつと一緒にこの世から旅立てるのなら、それこそ本望ってやつだろ。

「こちらこそ……って、こんなの俺たちには似合わないだろ」

「そうね。まぁ……あっちの世界でも、よろしく頼むわ」

「あぁ。ま、同じところに行けるかはわからんけどな」

「どういう意味よ」

 最後の最後に、玲乃をからかってやった。むすっと顔をしかめる彼女を見ると、思わず笑みがあふれてきた。
 俺たちの光がゆっくりと薄らいでいく。
 体の輪郭がだんだんとぼやけて、端っこから光の糸のようにほどけていく。

 だけど、もう何も怖くない。
 こいつさえ。玲乃さえ近くで笑ってくれてれば、なんだってできる。

 呆れ笑いでも、ふざけた嘲笑でも、微苦笑でも、もちろん、大輪の花のような微笑みだっていい。
 ただ、笑ってくれてれば、俺はそれだけで。

「ねぇ、唯。キスって知ってる?」

「知らないって言ったら?」

「……馬鹿。こんな時ぐらいかっこよく決めなさいよ」

 夏の静かな夜空の下。
 俺たちは唇付けをした。

 悲しいくらいにそれは柔らかくて、嬉しくて苦しいほどそれは温かかった。

 すべてが、ほどけて、なくなっていく。

 俺のこの自我も、玲乃に触れる感覚も、きっとすぐに消えていく。
 でも、それでも。今こうして、触れている感覚や温かさは、きっと本物だ。

 なら、それだけでいいじゃないか。
 今を全力で抱きしめて、あとのことなんて考えないで。
 唯一の、今という本物を愛することさえできれば。

「ねぇ唯」

「ん?」

「大好きよ。どうしようもないくらいに」



 ――彼らが、その言葉を交わした時には、そこにはもう、誰もいなかった。
 ――悲しいくらいに真っ暗な空。
 ――そこに明かりを灯す太陽が昇るのは、まだもう少し後のこと。

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