自由な不自由ちゃんの管理日記
13 帰り道途中に、振り返りました。
あのクルージングの後、玲乃の容態は急に悪化した。
イルカと別れた後、少し疲れのようなものが彼女に見えていたのは気づいていた。しかし、それがなにを意味していたのかは、陸に上がるまで気づけなかったのだ。
「やっと帰ってきた……」
長い船旅を終え、船を波止場に停泊させてから俺は小さくつぶやいた。
日はすでに傾き、西の空に輝いている。あ、そういえば昼飯も食べていない。帰ったらどうするか考えないとな。
「お疲れ様」
「おう」
「自暴女」からの珍しいねぎらいの言葉を聞きながら、エンジンを止める。
そして、俺はそのまま船を降り、波止場のコンクリートに足を付ける。
そこで慣れない船旅の疲れが出たのか、俺はうぅーんと大きな背伸びをした。
最初はどこに行くのかも聞かされず、どうなることかと思ったこのクルージング(?)だが、俺としては貴重な体験もでき、有意義な時間となった。ほとんど強引にとはいえ、連れ出してくれた玲乃には感謝だ。
と、その言葉を彼女に告げようとしたとき、後ろからどさりと物が落ちるような音がした。
「――玲乃?」
振り向いた瞬間、俺はそう叫んでいた。
まっ白なワンピースが、まるで散った花弁のようにコンクリート上へ広がっていた。
「大丈夫か!? おいっ!」
「――……ただ転んだだけよ。大げさすぎるわ」
船から上がるときに倒れたのであろう彼女は起き上がりながら俺にそう言う。
しかし、その途中で再び体勢を崩し、転びかけている。
いつもは自信ありげに開かれている瞳も、今は辛そうに揺らいでいた。
「ばか、そんなんじゃ歩けるわけないだろ」
「……ならどうしろっていうのよ。ここから家まで這って帰れとでも言うの?」
彼女は四つん這いの姿勢のまま、こちらを見上げてそう問いかける。
その声音には、悔しさがにじみ出ていた。
今日はここまで歩いてきたので、車椅子はここにはない。だが、彼女の様子を見る限り、自力で歩くことは難しいだろう。
というか、俺は馬鹿か。これだけ長時間無理な体勢で波に揺られていたのだ。俺でも体の節々が痛くなるのだから、玲乃にも何かしら不調が出るに決まっているだろ。
これは、気づかなかった俺の責任だ。なら。
「ん」
俺は彼女に背を向けて、出来るだけ低くしゃがみこんだ。
玲乃のほうを振り向けば、ぽけーっと呆けたような表情をしている。
「わかるだろ、俺がお前を背負って帰るって言ってんだよ」
「え、えぇ? あなた、本気で言っているの?」
「本気に決まってるだろ」
そして、俺は再び「ん」と言って手を彼女に出す。
玲乃はしばし逡巡していたようだったが、やがて覚悟を決めたらしく、もぞもぞと俺の背中に這い上がって来た。
「いいわよ」
「おう」
しっかりと首にも手を回した彼女を確認しつつ俺は立ち上がる。いわゆるおんぶの姿勢だが、腕を彼女の脚下に添えれば本当に人をからっているのだろうかと思うほど、重さは感じなかった。
「行くぞ?」
「確認しなくていいわよ。早く行って」
その素っ気ない声音は少し恥じらいを含んでいた気がする。
髪の長い少女を背負って、俺は歩き出した。
夏の海岸線、海を横目に見ながら歩くこのシチュエーションは非常に「いい感じ」ではあるのだが、それも背中の彼女を意識してしまうともうダメだ。
変な汗かいてないかな、とか、俺おかしな匂いしないよね、とかやたら心配になるのだ。風景なんて楽しむ余裕はない。
「……重くない?」
「いいや、まったく」
多少は申し訳なさを感じているのだろうか、彼女の言葉は弱々しい。
とくとくと心音が聞こえる。
それが俺のものなのか、それとも背中の彼女のものなのかもわからない。
彼女の熱も感じなかった。暑い夏だ。人肌の体温より刺す日光の方がよっぽどあたたかい。
だけど、俺は確実に、彼女の感覚を感じていた。
「外になんて、出なければよかったわね」
「なんで?」
「だって……わたしが外に出たい、なんて言わなければ、唯にこんな大変な思いはさせていなかったでしょう?」
彼女は嗤っていた。
なにを? たぶん、自分自身を。
だけど、それはきっと彼女の勝手な思い込みだ。
「俺はそう思わないけど」
「え?」
「だってほら、イルカ見れるとかなかなかないだろ。めっちゃかわいかったし」
「……それがどうしたのよ」
困惑するように彼女は問うた。
「あー、なんていうか、玲乃がこうして連れてきてくれなきゃ俺はイルカなんて一生見れなかっただろうし、つまり……俺はこうして今日外に出てきて、良かったと思ってる」
「……」
「あと、外に出てこなきゃ玲乃を背負えるなんて貴重なイベントも起きなかっただろうしな」
そう言って、俺は振り向く。
瞬間、目が合った。背に負う彼女の顔が、驚くくらい近くにあった。
まっすぐで、大きな瞳に、薄桃色の唇。整った形の鼻。
あと、筆か何かで塗ったんじゃないかってくらい、真っ赤に染まった頬。
言う。彼女は、かわいかった。
「ば、馬鹿っ、前を見て歩いてっ」
ぐりって変な音がしたかと思ったら、俺の頭は彼女の手で無理やり正面を向かせられていた。
「痛ってぇ……絶対、首おかしくなったよ……」
「急に振り向くのがわるいのよ」
あからさまに不機嫌になったその声に、変に振り向かなければよかったとほんのちょっと後悔する。
海岸の道をゆっくり歩く。
背中に女の子を背負ってはいるが、重くもないしのんびり行くとしよう。
あの洋館までの道はまだ遠いけれど、時間だって今日はたっぷりあるのだし。
――いや、時間はない……のか。
そこで、俺は思い出した。
なんというか、真夏の暑くて心地よい夢から引き戻された気がした。
――そうだ。俺のこの仕事はたった一週間限り。それが過ぎれば……
「……唯?」
急に立ち止まった俺を不思議に思ったのか、彼女が声をかけてくる。
「どうかしたの?」
「……いや、なんでもない。急いで帰ろうか」
さっきからずっと聞いていた波の音。
まるで水の音ではないかのように重い音を響かせるそれが、少しだけ遠くなった気がした。
イルカと別れた後、少し疲れのようなものが彼女に見えていたのは気づいていた。しかし、それがなにを意味していたのかは、陸に上がるまで気づけなかったのだ。
「やっと帰ってきた……」
長い船旅を終え、船を波止場に停泊させてから俺は小さくつぶやいた。
日はすでに傾き、西の空に輝いている。あ、そういえば昼飯も食べていない。帰ったらどうするか考えないとな。
「お疲れ様」
「おう」
「自暴女」からの珍しいねぎらいの言葉を聞きながら、エンジンを止める。
そして、俺はそのまま船を降り、波止場のコンクリートに足を付ける。
そこで慣れない船旅の疲れが出たのか、俺はうぅーんと大きな背伸びをした。
最初はどこに行くのかも聞かされず、どうなることかと思ったこのクルージング(?)だが、俺としては貴重な体験もでき、有意義な時間となった。ほとんど強引にとはいえ、連れ出してくれた玲乃には感謝だ。
と、その言葉を彼女に告げようとしたとき、後ろからどさりと物が落ちるような音がした。
「――玲乃?」
振り向いた瞬間、俺はそう叫んでいた。
まっ白なワンピースが、まるで散った花弁のようにコンクリート上へ広がっていた。
「大丈夫か!? おいっ!」
「――……ただ転んだだけよ。大げさすぎるわ」
船から上がるときに倒れたのであろう彼女は起き上がりながら俺にそう言う。
しかし、その途中で再び体勢を崩し、転びかけている。
いつもは自信ありげに開かれている瞳も、今は辛そうに揺らいでいた。
「ばか、そんなんじゃ歩けるわけないだろ」
「……ならどうしろっていうのよ。ここから家まで這って帰れとでも言うの?」
彼女は四つん這いの姿勢のまま、こちらを見上げてそう問いかける。
その声音には、悔しさがにじみ出ていた。
今日はここまで歩いてきたので、車椅子はここにはない。だが、彼女の様子を見る限り、自力で歩くことは難しいだろう。
というか、俺は馬鹿か。これだけ長時間無理な体勢で波に揺られていたのだ。俺でも体の節々が痛くなるのだから、玲乃にも何かしら不調が出るに決まっているだろ。
これは、気づかなかった俺の責任だ。なら。
「ん」
俺は彼女に背を向けて、出来るだけ低くしゃがみこんだ。
玲乃のほうを振り向けば、ぽけーっと呆けたような表情をしている。
「わかるだろ、俺がお前を背負って帰るって言ってんだよ」
「え、えぇ? あなた、本気で言っているの?」
「本気に決まってるだろ」
そして、俺は再び「ん」と言って手を彼女に出す。
玲乃はしばし逡巡していたようだったが、やがて覚悟を決めたらしく、もぞもぞと俺の背中に這い上がって来た。
「いいわよ」
「おう」
しっかりと首にも手を回した彼女を確認しつつ俺は立ち上がる。いわゆるおんぶの姿勢だが、腕を彼女の脚下に添えれば本当に人をからっているのだろうかと思うほど、重さは感じなかった。
「行くぞ?」
「確認しなくていいわよ。早く行って」
その素っ気ない声音は少し恥じらいを含んでいた気がする。
髪の長い少女を背負って、俺は歩き出した。
夏の海岸線、海を横目に見ながら歩くこのシチュエーションは非常に「いい感じ」ではあるのだが、それも背中の彼女を意識してしまうともうダメだ。
変な汗かいてないかな、とか、俺おかしな匂いしないよね、とかやたら心配になるのだ。風景なんて楽しむ余裕はない。
「……重くない?」
「いいや、まったく」
多少は申し訳なさを感じているのだろうか、彼女の言葉は弱々しい。
とくとくと心音が聞こえる。
それが俺のものなのか、それとも背中の彼女のものなのかもわからない。
彼女の熱も感じなかった。暑い夏だ。人肌の体温より刺す日光の方がよっぽどあたたかい。
だけど、俺は確実に、彼女の感覚を感じていた。
「外になんて、出なければよかったわね」
「なんで?」
「だって……わたしが外に出たい、なんて言わなければ、唯にこんな大変な思いはさせていなかったでしょう?」
彼女は嗤っていた。
なにを? たぶん、自分自身を。
だけど、それはきっと彼女の勝手な思い込みだ。
「俺はそう思わないけど」
「え?」
「だってほら、イルカ見れるとかなかなかないだろ。めっちゃかわいかったし」
「……それがどうしたのよ」
困惑するように彼女は問うた。
「あー、なんていうか、玲乃がこうして連れてきてくれなきゃ俺はイルカなんて一生見れなかっただろうし、つまり……俺はこうして今日外に出てきて、良かったと思ってる」
「……」
「あと、外に出てこなきゃ玲乃を背負えるなんて貴重なイベントも起きなかっただろうしな」
そう言って、俺は振り向く。
瞬間、目が合った。背に負う彼女の顔が、驚くくらい近くにあった。
まっすぐで、大きな瞳に、薄桃色の唇。整った形の鼻。
あと、筆か何かで塗ったんじゃないかってくらい、真っ赤に染まった頬。
言う。彼女は、かわいかった。
「ば、馬鹿っ、前を見て歩いてっ」
ぐりって変な音がしたかと思ったら、俺の頭は彼女の手で無理やり正面を向かせられていた。
「痛ってぇ……絶対、首おかしくなったよ……」
「急に振り向くのがわるいのよ」
あからさまに不機嫌になったその声に、変に振り向かなければよかったとほんのちょっと後悔する。
海岸の道をゆっくり歩く。
背中に女の子を背負ってはいるが、重くもないしのんびり行くとしよう。
あの洋館までの道はまだ遠いけれど、時間だって今日はたっぷりあるのだし。
――いや、時間はない……のか。
そこで、俺は思い出した。
なんというか、真夏の暑くて心地よい夢から引き戻された気がした。
――そうだ。俺のこの仕事はたった一週間限り。それが過ぎれば……
「……唯?」
急に立ち止まった俺を不思議に思ったのか、彼女が声をかけてくる。
「どうかしたの?」
「……いや、なんでもない。急いで帰ろうか」
さっきからずっと聞いていた波の音。
まるで水の音ではないかのように重い音を響かせるそれが、少しだけ遠くなった気がした。
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