Koloroー私は夜空を知らないー

ノベルバユーザー131094

第八話 私は弱い人間

小学生の時、一度だけ、特別な理由で刃物を持ったことがある。
“生きるんだ”
もし、彼にそう言われなければ、私は、今…。



「…あれ、ここどこ…」
次に目が覚めた時、私がいたのは自室、ではなかった。とってもよく似ているが、どことなく違う。具体的に何が違うのだろうと私はキョロキョロと辺りを見回した。最初に視線に入って来たのはルーノだった。ルーノは隣の椅子に座って眠っており、よく見ると手が握られている。心配してくれていたのか、ずっと手を握ってくれていたのだろう。
窓の外を見ると、かなり暗い。あれから夜までぐっすり眠ってしまっていたようだ。
眠っている彼を起こすのは悪いので、このままジッと手を繋いで起きるのを待っていよう…と思っていたのだが、とてもお腹が空いて軽くお腹が鳴ってしまった。
(何か食べに行っちゃ…ダメ、だよね…)
流石に手を離したぐらいじゃ起きるわけがないだろうが、万が一、物音を立てて起こしてしまったら可哀想だ。折角眠っているのに!!
普段、ここまでお腹が空くことはないが、どうも深く眠っていたらしく、お腹の中にあるもの全てエネルギーに変えてしまったらしい。
(お腹鳴るな、お腹鳴るな、お腹鳴るな)
念を唱えながら彼の眠っている顔を見た。相変わらず前髪が長くて表情を伺うことはできないが、規則正しい寝息から心地よい眠りについているのだと知る。
握ってくれている手が暖かい。病的な白さを持つ彼に人間味を感じる…と言ったら失礼かもしれないが、生きていることを実感できる、彼が目の前にいることを確認できる、唯一の証拠だった。
何故、そうしてまで彼が目の前にいることを信じたいのかはわからない。私はまだどこかでこの世界を夢だと思い込んでいるのだろうか。そんな思いすら不思議に感じる。

…最近、この世界に来てからというものの、大事なことを忘れている気がする。

それはこの世界に来た意味か、それとももっと大事な、何か、なのか。
何かを思い出そうとするたびにぐらりと揺れる気持ちの波が気持ち悪くて、不安が強くなって、彼の手を少しだけ強く握り返した。すると、ピクリと彼は動いて彼の顔がこちらを向いた。
「…起きてる…」
ルーノが小さく呟いた。起こしてしまったようだ。私の勝手な不安のせいで申し訳ないことをした。
ボーナンマテーノンおはよう、ルーノ。起こしちゃっ…」
起こしてしまったのと心配させてしまったのと、二重の意味で謝ってお礼を言おうと思ったのだが、全ての言葉を遮るように彼は飛びつくように私を抱きしめた。
「よかった…起きない、かと」
そんなに心配させるようなことをしてしまっていたのだろうかと思わせるほど、私より細いくせに大きな身体が、震えている。
「私は大丈夫だよ」
空いている手で彼の背中を摩る。私の手の温もりが伝わるように、ゆっくりと。
「具合が悪いところは?何か、変なところは?」
よっぽど心配してくれていたようだ。
「今は大丈夫。それよりお腹空いちゃった」
リビングに食べに行こうよ、と提案しようと思ったのだが
「わかった。料理を持ってくるよ」
ここに料理を持ってくるという。どんだけ過保護なんだお前は、と普段なら言いたくなるが…倒れてしまったのは私だし、気を使ってくれているのだと思う。彼は優しい人だ。
「ちゃんと歩けるし食べに行けるよ?」
元気だよと伝えるためにニコニコと私は答えた。が、彼は眉間に皺を寄せてこう言った。
「ここから一ミリも離れないで」
いややっぱりルーノ、貴方は過保護すぎる。
「…大丈夫だって」
「頼むから」
彼に懇願され、私は渋々頷いた。
私が頷いたのを見ると、もう一度念を押すように「絶対に動かないで」と言った彼は料理を取りに部屋から出て行ってしまった。
待っている間は暇なので、部屋の様子を観察する。ここがどこなのか、いまいちわかっていなかったがどうもルーノの部屋っぽい。私の部屋と家具が同じだが、位置が対になっている。
普段からきちんと収納しているようで、散らかってる様子もなく綺麗に片付いている。物が少ないから今のところ物が少なくて片付いている私の部屋とあまり大差はない。つまらないなとキョロキョロ見ていると、一つだけ、私の部屋にもないものがあった。
「なんだろ、あれ…」
真黒な木で作られた大きくて長い杖。てっ辺に埋め込まれるように真黒な石がついている。黒が好きな彼が好みそうな品物ではあったが…。
「ルーナ、どうした?」
「え?あ、ご飯!ありがとう」
彼ベッドの近くにテーブルを持ってくると、二人分のご飯を置いて自身は椅子に座った。とてもいい匂いがする。私は先ほど見ていたものなどすっかり忘れて食事に意識を集中させた。
「行儀は悪いが、今回は仕方ないだろう」
「別にリビングに戻れたのに」
「いいんだ。俺が心配してるんだから」
やっぱり彼は過保護だ。嬉しいくらいに、うっとおしいくらいに。
「わぁ、今日はシチューなんだね!」
「栄養のつくものを食べさせた方がいいと、神父様が」
「いっただっきまーす!!」
ごめん、聞いてられないほど今飢えてる。
「…いただきます」
彼はガっつく私にクスリと笑った。
空腹の腹が満たされるように、噛む暇もなく食べ終えるとお腹がいっぱいになって気持ちも満たされた。

ふぅ、と息を吐いて落ち着くと、思い出すかのように彼を質問攻めにした。
「ねえルーノ、聞きたいことがたくさんあるんだけど」
「…なんだ?」
「順を追って聞いても?」
彼はベッドに座っている私の隣に座った。
「勿論」
こういう時に自分の記憶力がいいのは助かる。何を言われたのか、疑問に思ったことは頭に引っかかって離れない。この能力はちゃんと活かそう。
「まず、私は緑の街グリーンタウンに住んでたことになってたよね?」
「ああ」
緑の街グリーンタウンの観光名所的なものとして、サティルーソという魔導研究所マジックラボ運命保管庫ディステニーボールトがあるって神父様が言ってたけど、あれは何?」
我ながら私の記憶はしっかりしていてビックリするくらいだが、話が円滑に進めやすいので自画自賛は心の中で終わっておこうと思う。
魔導研究所マジックラボはその名の通り、魔法を研究する場所だよ。国中の優れた研究者が集められて、ああじゃないこうじゃないと知恵を出して新たな魔法を開発している場所」
「…なるほど」
「魔石なんかもあそこが発見したんだよ」
つまり、緑の街グリーンタウンがこの世界で一番魔法関係に関しては強い、と捉えたほうがいいだろう。そして、国中の研究者が集められる、または行きたいと思わせる魅力的な場所…技術力、もしくはその施設内の設備、それともそこに行かないと手に入らない資格でもあるのかもしれない。特許権とかそっち関係の。
まあでも、魔導研究所っていうぐらいだからなんとなく彼の答えと似たようなことは想像はしていたので、あまり驚きはしない。気になっているのはもう片方のほうだ。
「それで、運命保管庫ディステニーボールトっていうのは?」
「その名前の通りだけど」
「運命を保管するって意味がわかりません」
「まあ、知らない人からしてみたらそうだろうな」
世の中の全ての人の運命を握っているとでも言いたいのだろうか。
「実際はまあ、目で見たほうがわかりやすいだろうけど…具体的に言うと、死んだ人の人生を特別な魔法で一冊の本にまとめ、保管している場所、だな」
「…一体なんでそんな面倒なことを…?」
正直、この国でどれだけの人が死んでいるのかはわからないが、年々本の数は増えて行くだろうし、何とも言えない人生を送っている人だっているだろうに。
「そこには、研究者がいる場所だからこそのなにか強いこだわりがある、と言ったほうがいいだろうな」
「…拘り?」
「統計学的に調べる、とか」
…それはもしや、同時期に似たような人生を送った人がいた、とか、こんな人生を送った人がこれだけいたとか、そう言うのを調べているのだろか。何のために?
「…ルーナ、もしも、この世界の人間の運命が、本当に知ることができたらどうする?」
「え?」
「全ての人間の人生の運命を知ることで、必然的に似たような事例だって現れる。今は無理でも、本が増えれば増えるほど、今では回避不可能な不幸も回避可能になる可能性だって現れる」
「それは、いい、こと?」
不幸を回避することは、いいことだろうに、何故疑問形で返してしまったのだろうか。
「そう、いいことかどうかわからない。だから賛否両論が凄いんだよ、今、まさに」
「え」
「だって、人生のすべてを知ってしまったらなにも面白くないだろう?タイムトラベルのようなことができたらなんて言う学者もいたが、それこそ俺はつまらないと思う」
ルーノの言葉に驚く。彼は反対派の人間だったのか。
「やり直しができる人生ほど、つまらない人生はない」
そっか。そりゃそうだ。何度も何度も、あの時嫌だったから、あの時辛かったからって過去に飛んでいたら意味がない。そんなタイムトラベルと同じで、運命を知ってしまえば、必然的にやらなくていいこともわかってしまうわけで。
でも、この世に無駄な出来事なんてあるのだろうか。いや、それはないと私は思う。
私の人生、沢山の趣味があったが、どれも一つとして極めるほどやりこんだ思い出はない。考古学が好きだからと本を読み漁っても考古学者は目指さなかったし、ダンスをやっても学校との両立がしんどくてやめてしまった。
こんなのやっていて何のためになるだと思っていたこともあったが、結局のところ大好きだったし、どれをやっていても学ぶことは多かった。
考古学は「多くの人物の歴史的瞬間」を知ることができたし、ダンスは「仲間同士の連携」を覚えた。舞台度胸もついて、人前で緊張することも減った。つまり、どれも経験していてよかったなと改めて思う。
「…でも、ルーノ」
「ん?」
「運命を知ってしまうのは、つまらないことだとは思う。だけど、多くの人生を本で読めて、こんなすごい人もこんなこと思ったんだな、とか、こんなことあったんだ、とか、歴史的なことを詳しく学べるそこって、素敵じゃない?」
勿論、直接見てない私の夢物語だとは思うが、なんだかロマンがあっていいなと私は思ってしまう。使い方さえ違えば、色んな人の宝にもなるであろうその場所、私にとってはやっぱりロマンだ。
「ルーナはポジティブだな…だけど、それは俺も理解できるよ」
きっと、運命を知ることができるのは神様しかいないし、運命の糸を操ることができるのも神様だけなのだと、私は思っている。神様が喜劇を望むのか、はたまた悲劇を望むのか、私は知らないし、知ろうとも思わない。私は私の決められた運命を生きるのだ。
例えそれを回避できる選択肢があったとしても。
「じゃあ次の質問ね!悪魔インクーボって?それは今日、教会に来ていた人達にも関係しているの?」
二つ目の質問、これが本題だ。ずっと気になっていた。
悪魔インクーボ。奴らは人の心の闇に気づいてそっと入り込み、そしてそのまま人間を闇に染める厄介な化け物だ」
ルーノが少しだけ視線を下げた。暗い話になるのだろうか。
「どんな人間にも心に闇があって…鬱になっている者が一番危険だ」
「…鬱?」
「そう。自己否定を繰り返すんだ。自分の生まれてきた意味、生きている意味、この世界にいる意味を問いかける。そして、何もできないと嘆く」
その症状は、元の世界が今一番困っていた病気だ。
「自己否定を繰り返して眠れない夜を過ごし、徐々に体力を奪われ普通の生活ができなくなる。普通の生活ができなければさらに自己否定が酷くなり、周りからの否定も激しくなる。人間が生まれながら持っている闇が深まると、奴らは近づいてくる」
「それが、悪魔インクーボ?」
「奴らに憑りつかれると会話することすらままなくなる。こちらの世界には戻ってこれないことが多い」
こちらの世界、というのは、現実世界に、ということだろう。教会に来ていた人達のほとんどが空を見つめ普通に喋れる雰囲気ではなかったなと思い出す。
「それでも、そこまでの症状なら、まだ精神安定剤を飲ませたり、魔法で心の闇を払い心自身に光を見せることで対処している」
精神安定剤を飲ませるのは現代日本でもできるが、心の闇を払うというのはこの世界だからこそできるという物だろう。魔法が使えるというのは本当に便利だ。だが、魔法があるから魔物がいて、悪魔インクーボがいる。だからこそ、病気はさらに深刻化していく。
「だが、悪魔インクーボに憑りつかれた者の中に、稀に身体の全てをやつらに貸してしまう者がいる。そうなると、何人もの命は奪われるだろうな」
「命?どうして!?」
「…魔力を吸いとるんだよ。触れた相手の命の源、無くなるまで全て」
それは、もしかして…。
「ルーナ、ここまで聞いたらわかるかもしれないけど、君は命を奪われるかもしれなかったんだ。あの小さな少女に」
今日の教会、空を見つめていた少女、おいしそうだねと笑って私に触った途端、崩れるように力が抜けたあの感覚。あんな小さな少女に。あんな小さな手に、一回り以上も大きな私が?簡単に?
「あの教会に来る子達は、ほとんど心が闇で覆われた人間が多くて…悪魔インクーボに憑りつかれた者もいた。危ない状況であったのは確かだった。でも、君にこの世界の闇を知ってほしくて………」
それは、彼なりにこの世界を知ってほしかったんだと、私にはわかる。
「本当に、危ないことをさせたと思ってる…」
彼が謝るべきじゃない。ボーっと突っ立っていた私が悪かったのだから。
「ルーノが悪いわけじゃないし、それにほら、私は、生きて…」
「あの瞬間、母親が悲鳴を上げてなかったら君が倒れていることに気づけなかったかもしれない。気づいた瞬間駆け寄って俺の余っている魔力を送り続けたんだ。もし、あの時俺が魔石で魔力を完全に回復した後じゃなかったら、母親が叫んでなかったら…そう思うと…」
じゃあ何か一つでも間違えていたら、私は死んでいたのか。そう気づくとゾッとし背中に鳥肌がたった。改めて今この場に生きていることを感謝する。だが、ルーノはさらに視線を下げた。
「…ああなった場合、少女を殺してしまってもいいと、法で決まっている」
「え!?」
私一人の命を助けるために。あんな小さな子を殺してもいいと、法律で…。
「全員が殺さなければいけないと腹を括った時だ。ルーナ、君が…彼女に、ウサギの話をした」
「あっ」
彼女の闇の中で見た一つの光。小さなウサギのぬいぐるみ。
「その瞬間、少女の中に光が燈り、悪魔インクーボの力が弱まった。悪魔インクーボは闇を纏う人間には強いが、光を纏う人間には弱い」
もしや、私が彼女の小さな光を見つけることができたから、私も少女も死なずに済んだのだろうか。
「君はウサギの話をし続け、あろうことか彼女を抱きしめた。…そして、奇跡的に、彼女はこちら側の世界に戻ってきた」
偶然だったのかもしれない。それでも喜ばしいことだった。
「その後も神父様の元で少女も様子を見ていたが、起きた途端、屈託なく笑ってお腹が空いたと笑っていたよ。彼女の中から悪魔インクーボが消えた瞬間だったんだ」
「本当!?私、あの子のこと、助けれたのかな!?」
もしかすると、悪魔インクーボに乗っ取られた人を助けられる術があるのかもしれない。もっともっと、魔法で闇を払うよりも効率的で効果的…あの時は無我夢中で、なんとなく彼女の闇と対峙していたから感覚的なものしかわからないが、魔法が使えない私にもできるこの方法がしっかりわかれば…。
そう、希望に揺らいでいた私にルーノの言葉は冷たく刺さった。
「でも、もう、危険なことはしないでくれ」
私は固まってしまった。折角人を助けれる、私も人の役に立てると思ったのに。
「一歩間違えれば死ぬんだ。最悪二人とも死んでいたかもしれない」
聞いていれなくて、反論しようとした私を彼は抱きしめた。
「ルーナが死ぬところを、俺は見たくないよ」
その時に、彼の言葉が心の底から私のことを心配してのものだったのだと、知った。

死、それは突然来るもので。死神が鎌を振って命を身体から奪ってしまうのか、それとも神が生命の糸を切ってしまったのか、あるいは神も死神もおらず、形あるものは全て形くす運命さだめなのか。
どんなに誰かが死ぬことをわかっていたとしても、それは簡単には受け入れられず、多くの人の心に傷をつける。哀しくてどうしようもない痛みと、受け入れられない現実だけが、残された人の心を覆い尽くす。

彼をそんな風にはさせたくない。

「…ルーノを、一人にはしないよ」
「絶対に、約束だからな」
「うん」

彼と出逢ったのは、本当に偶然で、たった数日のことだったと思える。だけど、彼を独りにできないほど、彼をおいて死ぬ覚悟ができるほど、もう、彼と私は遠い人間ではなかった。
そして、私は彼を置いていってまで人を救えるほど、強い人間でもなかった。

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