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桐島記憶堂

ぽた

25.花言葉は

「随分と早かったですね。まだ一時間しか経ってないですよ」

 僕がそう言うと、桐島さんはそのままこっちへ向かって歩き出した。
 表情は穏やか。特に怒っている様子もなさそう――ではあるのだけれど。

 どこか焦点の合っていない視線に、上気した頬。ふわふわと軽い足取りで、仄かに色っぽさが増したようにも見える桐島さんは、僕のすぐ目の前まで来ると、

「こ、神前さぁん…! すっごく、すっごく緊張しました…!」

 そう言いながら、がばっと大きな振りで僕の肩に手を回し――

 端的に言えば、抱きついてきたのだ。

「ちょ、桐島さ――アルコール臭…!?」

「まぁ、酷いです神前さん…女の子に向かって酒臭いだなんて言っちゃ、めっ、なんですからね?」

 ぐりぐりと指先で背中をなぞられる感覚。
 気持ち悪くはないが、なんだか心地は悪い。

 しかし、これはおかしいな。いや、桐島さんの状態そのものも無論、面妖ではあるのだけれど、この人は確か酒には強かった筈だ。
 ヴェネツィアなんかでお酌をした折、この人は何杯も何杯も飲んでいた。それでも、酔いに潰れることも、ましてこんな可愛らしく絡んでくることもなかった。

 僕が勝手に記憶しているだけなのか?
 いや、それは否だ。確かに喉に送っている以上、耐性が無ければとっくにこうなっている筈だ。

 そうやってぐるぐると瞬間であれこれ考えている内に、閉じてしまっていた扉が再び開かれ、そこから大輔さんと小夜子さんが顔を出した。

「すいません神前さん、藍子には強かったみたいで――まぁ」

「ラブラブじゃないですか的な表情はどうか控えて頂きたく……そんなことよりも、一体何を飲ませたらこの人がここまで…? ちょ、いい加減離れてくださいよ…!」

「むむむぅ…神前さんは、私がお嫌いなんですか?」

「誰もそんなことは。いえ騙されませんよ、いいから離れてくだ――さい…!」

 無理やり剥がしてそのまま手を引いて、ソファに座らせておいた。
 足元はそれで安定した筈なのに、尚もゆらゆらと身体を揺さぶっては「ふふふ」と上機嫌なご様子。
 少し怖い光景だな。

 それで、と僕は話を戻す。
 両親二人に向き直り、事の詳細を要求した。

「お酒が無くなっていまして、修二の為にと買っておいたジュースを割って飲もうと藍子が言い出し……」

「度数の計算を誤ってしまったというわけだ」

 情けない、と付け足す大輔さん。
 昔からそそっかしい癖は治っていないようで、此度も一人で間違えてしまったのだそうだ。

 お酒がなくて割ろうだなんて、嫌な予感しかしないのだけれど。
 と思う僕のそれは見事に的中してしまう。

「まさか……純アルコールを?」

「スピリタスだ」

「同じですよ…!?」

 度数九十六パーセントを誇る、世界一強いお酒ウォッカの一つ。
 もはやただのアルコールなのだけれど、それをジュースに入れて割って手軽なチューハイにして飲むことは世界でもよくあるらしい。
 しかし、言ってみれば百パーセントのアルコール量とジュースの量との単純な計算を、よもやこの人が間違えようものか?
 ともすれば、意図的に――そう、敢えて酔っ払うように自ら量を調整したのではないだろうか。

 そしてその謎の直観も当たっていて。
 ふと目が合った桐島さんは、言いたいことがあるように、先とは違う笑みを浮かべた。

「ふむ……すまないが神前くん、少し藍子をお願いしてもよろしいかな? 一通りの話しも付け、まぁ何とか会話をしてくれるようにはなったが、その様子だと、君の介抱の方が良かろう」

「それは分かりませんが――別に構いません」

「助かる。私は小夜子と少し出て来るから、用向きは楠を呼んでくれ」

「分かりました。お気をつけて」

「ありがとう。また後で、ピアノ聴かせてくださいね?」

 元プロからのそんな誘いには、少し苦く笑って返しておいた。

 二人が部屋を出て扉を閉めると、僕は早くも桐島さんに、先までの時間でどのような会話が成されたのかを尋ねた。
 すると桐島さんは少し渋って、何度か言いにくそうに空気を食べ――少し待つと、やがて小さく話し始めた。

「冷静は冷静ですよ? 酔ってもいますけど、ふふふ」

「演技ではないんですね。それで?」

「えっと……お父さんがですね、全部話してくれて、お母さんも色々と謝ってきて、それに私も謝って――気が付けばお酒?」

 横にゆらゆらと楽しそうに揺れながら、自分言ったことに自分で疑問符を浮かべる。
 普段の彼女からはまるで想像がつかない、もはや違和感の塊だ。

 誤解解消記念にグラス一杯、と思い立ち酒を探すがなく、では作ろうという話になって、スピリタスを――という運びになったらしい。
 桐島さんが言うには、どうしても恥ずかしくて、情けなくて、それを誤魔化す為に何かに逃げたくて、わざと配分を違えた酒を造り、飲んだのだそうだ。

「ちょっとね、実は苦しかったんです……それを勝手に怒りにして、悪くもないお父さんを責めて……最低です」

「未来の今で仲直り出来ているから、悪くはないんじゃないですか?」

「そうかもですけど……いいえ、やっぱり、申し訳ないことをしました…」

 いつになくしょぼくれた顔を浮かべる。
 そんな表情、貴女には似合わないな。

 無邪気に笑って、穏やかに自由で、そうして僕をいじって楽しんで。
 それくらいの方が、貴女には似合っている。

 真面目で優しい大輔さんに、穏やかでふんわりとしているけれど正しい小夜子さん、厳格な兄に律儀な楠さん。
 随分とバラエティに富んだここでも、きっと本当に自由なことは出来なかったのだろう。
 好きなことをやって、好きに笑って。
 だから、きっと小夜子さんも――。

「庭にある藍、あれだけやけに手が入っている」

「藍…?」

「貴女が贈ったと言っていたものですよ。ただ貴女から貰ったから、という理由だけでは決してなさそうな思いの強さを感じるんです」

「どういうことですか?」

「藍の花言葉ってご存知ですか?」

 桐島さんは首を横に振った。

 藍。イヌタデ。
 その花言葉は“あなた次第”と“美しい装い”だ。

「図らずも貴女は家を出ることになりましたが、それは結果として、貴女が本当の意味で自由に、楽しく、華々しい装いにも似た豊かな人生を送るきっかけにもなった。貴女次第でどうにでもなる、広い世界で」

 なんて。
 勝手な想像だけれど。

 でも、説明がつくならそれでいいじゃないか。
 僕は探偵ではない。ただのアルバイトだ。
 その店主を少しでも明るく出来るのなら、多少の――

「嘘は、ちょっと傷ついちゃいます」

「心遣いと言って欲しいものです。理屈が通っているのなら、貴女も嫌ではないでしょう?」

「そんなこと……言いたくありません…! 神前さんはちょっと意地悪になってきました…!」

「お返しだと、自分の胸に聞いてみることですね」

「むむむ…!」

 酒の力を借りて可愛らしくはなっているが、基本はいつもと変わらないらしい。

 すると、桐島さんは僕に後ろを向いてくれと言って来た。
 またぞろ、目隠しでもされるのだろう。

 そう思っていたのだけれど。

「私、今から神前さんに抱き着きます」

「宣言されると抵抗しちゃいます」

「どうしてですか…!?」

 どうしてと言われても。
 言葉を濁していると、しかし桐島さんは何もしてこない。

 抱き着かない代わりに、一体何をされるのか。
 流石に、逆に怖くもなってくる。

「では――」

 小さく呟いて、

「これで」

 背中に、トンと軽い衝撃があった。

 抱き着かれているのではない、背中に何かが当たっているだけの感覚。

「背中に頭を預けています」

「両手も添えて、ですけれど。どうしたんです?」

「お礼です。きっと、私一人だと踏ん切りが付かなかったと思います。ずっとあの人の所為にして、自分を騙して、死に目に謝る羽目になったかも分かりません」

「たられば、ですけれど。でも、僕が誘うより早く、貴女の方から言い出しましたよね」

「あれは……バレバレで隠しながら頑張っている神前さんを見ていて、つい魔がさして」

 何という。
 あれも弄りの一環だったとは、恐れ入る。

「本当は、抱き着いてお胸の感触でも――」

「馬鹿な配慮はいりません」

「ば、馬鹿って言いました…!?」

 ガバっと僕の背から離れると、今度は背中を叩き出す桐島さん。
 痛くはないけれど、どうして僕が責められているのか。

 正面に向き直って、尚も振り下ろされる小さな拳を受け止める。

「お酒に任せてなんてことを口走っているんですか、お馬鹿な店主さん。僕だから良いもの、他の思春期男子には毒だ」

「ま、また馬鹿って言いました…! 二度も言いました!」

「三度目はいかがでしょうか、お馬鹿な店主さん?」

「もう言ってます…!」

 そう言って、最後に一発振り下ろされる拳。
 受け止めて弱くデコピンをお見舞いしてみると、両手で押さえて頬を膨らませて抗議。
 悪いのは僕ではありませんよ、流石に。

 再び始まる小さな拳の嵐。
 今度は甘んじて受け止めて、自然と止むのを待つ。

 と。

 桐島さんの背後――僕の視線の先、僅かに開かれていた扉が、ゆっくりと音を立てずに閉まっていくのが見えた。

 楠さんではなさそうだ。

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