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桐島記憶堂

ぽた

EX:2.いざお祭りの、その前に

 結論から言うと、一睡も出来なかった。
 手早く風呂を済ませ、姉さんと母さんの晩酌に付き合った後で自室へ戻ると、待っていたのは無防備にも程がある姿で眠る葵。それだけなら、岸家の時のように布団をかぶせて終いなのだけれど、ついその数時間前に姉さんから言われたことが頭に残って、チラついて、十九歳男子には、十八歳女子の寝顔はとにかくも綺麗に見えてしまって心臓が五月蠅かった。

 小説を読んだりリビングで深夜放送を観たりとで時間を潰し、気が付けば外は仄かに明るくなっていて、まず一番に起きて来たのは葵だった。

 開口一番「ごめんなさい」と頭を下げて謝る辺りは、素直さがちゃんと出ている。

「気にしなくていいよ。それより、おはよう。よく眠れた?」

「おかげさま――って言うと、まことに悪い。でも、眠れた」

「それは良かった。寝不足だと、祭りのあの熱気には耐えられないと思うからね」

「……そんなに?」

 そんなにもそんなにだ。
 踊りながら練り歩く踊り子たちもさることながら、それを一目見んとカメラを構えるお客の熱気も圧も、それは凄まじいもので、時期が時期だけに、倒れてしまう人も少なくはあるけれどいないわけではない。
 そんな旨を葵に伝えるや「浴衣で大丈夫かな」と心配そうに眉根を下げた。

「言った通り、屋台なんかも出るから浴衣で歩く人も多い。下手をすれば、薄着だから浴衣の方が――って、何?」

 ふと気が付けば、葵が珍しくもジトっとした目で僕を見ていた。

「まこと――実はちょっと、やらしいこと考えてる?」

「え…? あ、いや、薄着だから暑さは私服よりも大丈夫って、そういう話で…! って、これ弁解必要なのかな、明らかに言いがかりな気が…!」

 きょどりまくり、両手をぶん回して慌てる僕に、葵は「ぷっ」と吹き出して笑った。

「冗談だよ。そんなに焦るなら、多分まことは大丈夫、うん。浴衣、着れる」

「そ、そう…? なら良かったけど――いや、心臓に悪い冗談はよしてくれない?」

「それはごめんなさい。でも、おかげで自身ついた。そういう目で見ないなら、安心して浴衣姿を見て貰えるかな」

「敢えて言われると意識しがちになるのが人間――とは言うまい」

「聞こえてるよー」

 葵には聞こえぬよう伏しがちに言ったそれは、しかしいつの間にか背後に忍び寄って来ていた姉さんには丸聞こえだったらしい。
 両肩をロック、そのまま百八十度反転させられて、

「男なら覚悟を――」

「決めません…! 朝っぱらから何を言い出すんだこの酔っ払いは」

「酔っ払い?」

 酒の臭いがするのは正面にいる僕だけか。
 葵が寝たあと、母さんも一緒になって根掘り葉掘り向こうでのことを聞き出された挙句、祝いだ祭りだ家族だのと騒ぎ、最終日本酒にワインまで開けていたのは、この”ド”が付くレベルに下戸な姉さんだ。
 弱いくせに沢山飲んで潰れて、介抱してやった恩も知らずにこの態度。

「香織、大丈夫?」

「ちょっと頭痛いけど、大丈夫。今からでも水をがぶ飲みすれば、祭りにはちゃんと着いていけ――おっと」

「何だよ、そのあからさまな”気遣い”オーラは?」

 姉さんはわざとらしく「べーつにー」とニヤついて目を逸らす。
 どうせ、二人水入らずの方が楽しいわよね、姉さんはお邪魔よね、とでも言いたいのだろう。

 しかしそれは、葵の一言によって封じられることとなる。

「人、多い方が楽しい」

「葵が良いなら僕も構わないけれど……いや、ほんとに大丈夫なの? フラフラだけど」

「まぁ最悪、まことが荷車引いてくれるから」

「どこに出荷してやろうか」

 そんなくだらないやり取りに、葵は笑いを堪えられないでいた。
 それを見て僕も、気を遣い過ぎる必要もないかな、なんてことを考えていた。

 葵は姉さんに、水を飲むことを猛烈に進めた。
 というのも、せっかくなら姉さんと、出来れば母さんとも、一緒に行って楽しみたいというのが本音なんだとか。それを聞いた瞬間に姉さんは、どこからともなく取り出した某天然水五百ミリを一気飲みし、それでどんな理論か、文字通りの完全復活を見せた。

「本当にふらついてないや。どんなトリック?」

「強いて言えば、愛の力かな。葵ちゃん、すっごくいい子。早く結婚して”神前”になってもらいなさいよ」

「ばっ…! だから、葵の前で笑えない冗談言うな――って、葵は葵で引くな! あぁもう、僕が何をしたって言うんだよ!」

 最近では葵も、僕に対する接し方を学んできている気がするのだけれど。
 流すときは流す、いじる時はいじると、少しずつではあるが馴染んできている。

「ごめんってば、そんなに怒んないでよ。葵ちゃんだって、別に本当に嫌ってわけじゃないでしょ?」

「だから姉さ――」

 掴みかかりそうな勢いで姉さんに詰め寄るや、その隣では葵が、

「……う、うん」

 と。

 予想を軽く裏切って見せた返答に、図らずも場は静寂に包まれる。

 合格発表まで待とうと誓った約束はいずこへ。
 これはもう、そういうことで間違いはないのでは。

「さ、さて、それじゃあ私も久々に、浴衣を着ていこうかしらね…! うん! 胸またサイズアップしたし着れるかなー!」

 無理やり切り替えられたテンションは、不要な情報までもを僕の耳に届けた。
 また上がったのか。それでどうして彼氏の一人も出来ないのだ。

 と、触れる必要のないことにまで頭を回していた時だ。
 静かに開けられたドアから控えめに顔を出した母さんが、こちらをじっと見て固まっていた。

 見れば、はだけた浴衣を羽織ったままで――

「帯の結び方を忘れてしもうたんだが……母さん、ネットって弱いけん、誰か代わりにやってくれん?」

 とのことだった。
 身内とは言え女性の着込みを手伝うのは、普通は姉さんの仕事だと思うのだけれど、自分をやる分には問題ないけれど人のは苦手なのだとかいう理由で拒否。
 葵はそもそもの着付けも怪しいとのことで、寧ろ同行したいとのこと。
 祖父母は早朝から出かけてしまって今はいないだけに、消去法的に僕しか残らない。
 母に付き合うのは別に何とも思わないけれど、葵の着付けは――ということよりも、そもそもの状況から間違いではあった。

「祭りは午後、それも夕刻からだ。準備早くない?」

「覚えとるか確認にと思って、試しに。そしたら、よう分からんことになったけん……早めに気付いて良かったわ」

「練習ってことか。なら、別に構わないんだけど。母さん”だけ”なら」

 強調したそこは、葵にしっかりと伝わったようで。
 しかし、何の覚悟を決めたのか、首を横にブンブンと振ると「大丈夫」と言って拳を胸の前で強く握った。

「大丈夫って言われても。困ったな。上を着付ける分には別にいいんだけど……流石に、キャミソールやタンクトップは僕の理性がもたない。浴衣下は一緒に持ってる?」

「うん」

「なら、ちょっと窮屈なのは我慢して貰おうかな。姉さんは非協力的な姿勢を前面に見せてるから、そういう条件なら手伝っても良いよ」

「分かった。ありがと」

「どういたしまして」

 短いやり取りを終えると、僕は二人を連れて二階の母さんの部屋へ。
 姉さんは朝から見たいニュース番組があるとかで、一人リビングに残った。 

 都会に越す前も、ここに入ったのは幼少の頃が最後だ。
 確か、耳の掃除をしてやるからとか何とか。
 あれは、小学校は三年くらいの話だから、それ以来となるわけだ。
 しかし、変わり映えのない。昔から自分のことにはお金をあまり使わない性分だった母の部屋は、ほぼほぼ当時と差はない。変化があるのはただ、見慣れない銘柄の化粧品に化粧棚、それだけだった。

 既に我が家に上がり込む際に口にしていた「お邪魔します」を復唱して、葵が最後、遠慮がちに母さんの部屋へと入る。
 エアコンも極力使わない母は窓を開けて風を通し、穏やかな涼しさを部屋の中に招き入れた。
 そんな様子に葵が漏らす感想は、田舎って良いな、というものだった。

「都会はちょっと、息が詰まる。ずっと育ったから感じたことはなかったけど、初めて昨日からこっちに来て、向こうはやっぱり造られた環境な気がする」

「分からないでもないかな。僕もやっぱり、ここが一番だ」

「あらあら、嬉しいことを。ふふ。こっち来んさい、浴衣下だけは私が面倒見てあげるけ」

「うん――は、はい…!」

「緊張せんでええよー、ふふ」

 母さんは、それは嬉しそうに、葵を娘のように優しくもてなす。
 家族の僕からしても、この人の母性は相当なものだ。

 少しだけ出ていてくれと言われ、僕は廊下で待機。
 程なくして呼ばれて入った部屋には、何故か下手をすれば下着やタンクトップよりも刺激的な光景が広がっていた。
 純白の浴衣下を羽織り、付属の紐で結んだ状態は、葵のもつ肌の白さと真っ黒で艶やかな髪と相まって、それだけで一つの衣装だとすら思わせる。

「あんまりじっと見ないで」

 再び向けられるジトっとした視線。
 存外と嫌いではない自分がいるのが不思議だ。

「ごめんごめん。なら、お互いの為に早く終わらせるべく、早速と着付けていくけど」

「大丈夫」

「ごめんねー、まこと」

 葵、母と並んで小さく謝られる。
 僕はやや流し気味にそれを凌いで、さっさと浴衣を手に取った。

 とは言え、やはり葵にベタベタと触るのも違う気がして、葵には母さんに着付けるのを見てもらい、隣で自分でやってもらうこととした。
 その旨を葵は快諾し、たどたどしくも徐々に仕上がっていく。

「まずは袖を通して。そう、真横に腕を伸ばして、浴衣の中心線を背骨に沿わせるんだ」

 順々に説明していくそれに、葵はちゃんと着いて来ていた。
 折に触れてそれを確認しながら、僕はどんどんと先へと進めていく。

 前は臍部辺りと、丁度その後ろをそれぞれ持ち、くるぶしが隠れるくらいの高さまで上げる。
 次いでの工程は、やや難しい浴衣の左右幅合わせ。これをやらないか、やってもアバウトだと、腕や足を動かした際に裾が捲れたり、ダボっとして格好が悪くなったりしてしまう。
 しかし器用な二人は、ともすれば本当の親子なのではないかと見紛うばかりに揃った息で、それをクリアした。

「おっけ。じゃあ、次だ。浴衣は右前だから――」

「ちょっと待って」

 説明途中、順調だった葵が突然ストップをかけた。

「何?」

「えと、私が間違ってたらごめん。それって、亡くなった人の着方じゃないの? 左側が前に来るようにするから、左前なんじゃ…?」

 あぁ、なるほど。
 知っている僕からすれば当たり前だったことだけれど、確かにそういう見方も出来るか。

 自分から見て左の方が前にいっているから左前。そういった考え方は確かに出来る。
 しかし日本語とは不思議と言うか難しいもので、ここにおける”前”というのはそういう意味ではないのだ。
 自分からの目線という点に違いはないけれど、そこからの見方は異なる。
 言い合い的には、自分から見て”手前にある方”、つまり内側に入っている方のことを指して言うのだ。

「へぇ……まこと、やっぱり物知り」

「これが不思議と、学校の勉強は普通くらいなんだけどね。あの大学にだって、割とギリギリだったし」

「雑学が多いってこと?」

「そういうことかな」

 葵は「ふーん」と流して、自分で止めてしまった工程を再開。
 納得のいった”右前”を実践し、出来たと次の手順を所望する。

「分かった、じゃあ次だ。右折り目の端の部分を持って、左脇腹は腰の辺りに持ってくる。分かり易い縦の柄が、足に沿って真っ直ぐになるようにね」

「こういうこと?」

 覚束なくも、作業は正確に進んでいる。
 それほど難しいというわけではないけれど、器用なやつだと感心してしまう。

「完璧。そのままその位置をずらさないよう、しっかりと押さえて――そうそう。今度は左側を引っ張って、同じように反対側の腰元へ」

 床と平行に巻いていく、といった注意点をしっかりと取り入れながら、葵は綺麗に巻いていく。
 普段器用な母さんは、何故だか今日は少し下手だった。

 右を十センチ程、左を五センチ程上げて巻くと、今度は紐締め作業だ。
 腰骨やや上辺りに紐で結んで固定するが、その際シワはそれよりも少し上にたくし上げておく。
 片蝶結びと呼ばれるコブが少ない特別な結び方でかさばらないよう紐を結び終えると、今度は”おはしょり”作業。これは人によっては必要のない作業だけれど、意味合いとしては、浴衣の丈を着用者に合うよう調節する部分だ。
 脇元の穴から手を通して、シワになっている部分を下にトントンと手刀を作った指先でもって下に押していく。背部も同様に整え、最後に襟を拳一つ程の隙間を開けて伸ばし、前からも内側の襟元を伸ばす。
 二度目の紐締めは、今度は胸部の下辺りで片蝶結び。
 結び目を、身体に巻いている部分に挟んで終了。

 そして来たるは、浴衣の花形である帯締めだ。
 これ一つで、浴衣の見方が同じものでも随分と変わってくる。 

 結び方にも色々あったが、昔祖母に教わったいくつかの心得はあるからと、出来るものをピックアップしてどれが良いか選んでもらうことにした。
 結果、二人ともが凝った半幅帯の結び方を選んだ。
 葵はそれに対して「面倒?」と聞いてくるが、細かい見た目とは裏腹に、その実簡単なのでと承諾した。

「女の子で大体……そうだな、手幅三つ分くらい。帯の端から計って」

「三つ――はい、ここ」

「オーケー。じゃあ、今度はそこをお腹の真ん中に持ってきて、短い方を手前に折って肩にかけて」

「肩……っと、はい」

 初めての人にそのままやれと言うのは少し難しいだろうと、母さんからクリップを一つ借り受けて葵の帯の目印と置いた。

 そこからの作業は実にスムーズだった。
 長い方の帯を二周巻き、肩にかけていた帯端をおろして長い方に回してクロス、ぎゅっと絞ってひと結び。結び目をねじっておくことで解けにくくしておく。
 長い方の帯端を広げ、輪っかを作って押さえつけ、余りを残して羽を作る。
 ヒダを折って、短い方の帯で羽を一周巻いて固定。
 残る反対側の端を広げ、帯内側を下から通して前に垂らせ、中を整えて背中に回すと――

「完成、っと。どう、着心地悪くない?」

 存外かからなかった手間で仕上がった綺麗な帯を見て、葵は満足気に頷く。
 母さんは年甲斐もなくはしゃいで「あら可愛い」と一言だ。

 祭り本番までお預けだった筈なのだけれど、そういえばもうどんなだか見てしまったな。
 葵が着ているそれは、黒を基調とした生地に桜柄が散りばめられた大人なものだ。
 帯は控えめな桃色で、色っぽさをより際立たせている。

「どう、かな…?」

 普段のボーイッシュな服装と違って和装美人となった葵は、どうにも言葉にし難い妖艶さを纏っていた。
 思わず失った言葉に、葵は「何か感想は?」と顔を寄せる。

「何て言うか……月並みな言葉しか出てこないな。凄く似合ってる」

「そう? なら良いんだけど。まだ未完成だけどね。髪型は香織がやってくれるらしいから、それまでお預け」

「なるほど、了解」

 そんなやり取りを経て。
 再び追い出された母さんの部屋で、二人は私服に着替えて扉を開けた。変に折り目がついてしまってはと、一度ラフな格好に戻ろうということらしい。
 そうして階段を降りてリビングへ向かう。

 と、廊下に差し掛かった時だった。

 そいえばと声を上げて立ち止まった母さんに、僕と葵の視線が集まる。

「昔、凄く変わった、不思議な体験をしたんよ」

「不思議?」

「うん――って、ここじゃ何やけ、リビング行って落ち着いてにしよ」

 頷き、そのまま僕らは真っ直ぐとリビングへ。

 姉さんも混ぜて机を囲み座って、まず言われたのは、まことと葵ちゃんにちょっとしたお願いがある、とのことだった。

「お願い?」

「ええ。桐島藍子さんってあんたのバイト先の人から聞いたんやけど、何でもそこ、記憶堂言うて客人の抱える謎を解いてあげるんが仕事なんやて?」

「そうだけど――ほとんどって言うかほぼほぼ全て、あの人の手柄だよ」

「まぁまぁそう言わんで。気になるけん、聞きたいのよ。昔――」

 そうして訥々と語られ始めたのは、母さんがまだ、小学校は五年生の頃の話だった。

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