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桐島記憶堂

ぽた

15.雨音

「そう言えば、葵」

 井無田高原キャンプ場を後にして二十分。
 隣を歩く葵に、僕は今更ながらの疑問をぶつけた。

 彼女が持つ肩掛けの袋に入ったブルーシート、キャンプグッズの椅子は、二時間という長い時間を歩く女の子には似つかわしくない。

「あぁ、これ。役に立つかは分かんないけど、一応」

「一応って。まぁいいんだけど」

 僕が気になるのは、ただそれを持っているということだけでなく、何度も何度も重さでズレ落ちるそれを直す姿なのだけれど――。
 葵は強がってか使命感か、誰にも頼らず涼しい顔をしているのだが、

「椅子、貸して。重いでしょ」

 強引に引き剥がして担いだそれは、予想を少し超えて重かった。

「……ポイント?」

「またそれを言うの。親切心だって」

 悪態を吐ける限りは、まだ極限までへばってはいないらしい。

 スマホ片手に仲良く並んで歩く姉妹に先導されて、向かっているは通潤橋。
 有数の観光スポットと同時に歴史的背景を色濃く持つ、国内最大の石造り水管橋だ。

 あれから少し勉強した知識を披露すると。
 水不足に悩む農民を救う為に、布田保之助ふたやすのすけという人物が五老ヶ滝川に創設したもので、そこから六キロも離れた笹原川から水路を引き、埋設された通水路三本を介して水を運んだ。
 石橋の高さの限界である二十メートルを実現するために、様々な工夫が導入されており、その甲斐あって、実に百十年という長い年月使用されたのだ。

 今でこそ観光スポットとなっているが欄干がないのは、当時は人々を救った、あくまで”通水路”であったから。

 といった、僕からすれば自慢できる知識も、

「そういった背景があったのですね」

「写真で見たことのある石像は、その人のものだったんですか」

 長い道中を暇で潰してしまわないようにと、桐島さんによって披露されたそれに皆が食いついて反応していた。
 覚えていることが合っているのかどうか、不安になる僕と違い、彼女は全てを図式のようなイメージで覚えている。文字の羅列ではなく、それを一つの纏まりとしてインプットしているのだそうだ。
 叶う筈もない。

「はぁ」

 と、溜息を吐いた僕の袖を弱く引いてくる人影一つ。
 半歩斜め後ろを歩く葵は、浮かない顔をして深く息を漏らした僕のことが気になったらしく、つい袖をつかんでいたのだと言う。
 何でもないと言うと「そう」と返すのだけれど、少し速度を上げて僕の真横に並ぶと、じっと顔を見つめて逃がしてくれなくなった。

「あっちの話、聞かなくていいの?」

「いい。私が求めてるのは橋じゃなくて、おじいちゃんだから」

 なんて真っ直ぐ、なんて純粋な気持ちなのだろう。
 それに付随する何かを知っておきたいと思うのは、きっと間違いではないのだろうが、葵が求めるものの中に限ってはそれが必要ないらしい。
 祖父の触れたものに、祖父と触れたものに、触れたままの気持ちでの再開を望んでいる。
 どこまでも正直な、偽りのない心。

 葵は、とにかくもただ真っ白だ。
 僕が透明だなんて、恐れ多いとさえ思える。

「……そっか」

「うん」

 その決意に満ちた瞳に、濁りのない心に、依頼されたからには応えなければならない。
 どこまで出来るかは分からないけれど、せめて納得して帰れるようには尽くしたい。

「葵」

 僕はその名前を呼んだ。
 まだ知り合ってから一週間しか経っていない関係だが、彼女の為なら今出来る全てを賭けてでも役に立ちたいと思っている。
 そう思わせてくれる程、彼女の真っ直ぐさは眩しい。

 そんな思いが、声にまで現れてしまっていたのか。
 葵は「何?」と僕の方を向いて、

「絶対に、見つけよう」

 僕が言うと、少し驚いて固まった。

 それは、彼女を勇気づけるようでもあり。
 それは、自らの弱さを鼓舞するようでもあり。

 どちらに取られたかは分からないけれど、葵は力強く「うん」と頷いてくれた。
 きっと、手ぶらで帰ることだけはないだろう。



 と、息巻いてみたはいいものの。
 通潤橋までは程遠い。

 それを悟ると、急激に恥ずかしさやら何やらが込み上げてきて、まだ春は始めの肌寒い日だというのに、体温が恐ろしいほど速く上がっていくのが分かった。
 発狂して虎にでもなってしまいそうだ。

 と、馬鹿な話をしていると。
 はやる気持ちを抑えきれない葵の速度が少しずつ上がっていく。
 焦って怪我でもしたらと、その小さい後ろ姿を追って僕も速度を上げようとするのだが、

「ん…?」

 不意に、ちょんちょんと肩を叩かれるのを感じて振り返ると、僕の前を歩いていた筈の桐島さんが、いつの間にか背後から手を伸ばしていた。

「びっくりした……どうかされたんですか?」

 という問いに桐島さんの答えは「ちょっと」と。

「厄介なことになるかもしれません」

「厄介?」

「えぇ。分かりませんか、臭い」

「匂い――と、言われてみれば梅雨の日のような…ってまさか…!?」

「はい、雨です。あと四、五分といったところでしょうか。雨傘などは持ち合わせてはいませんか?」

「予報は0%だった筈じゃ…!」

「その筈なのですけれど、この匂いは明らかに、雨のものです」

 そう断言する桐島さんの目は、鋭い。
 僕にもそれが感じ取れているだけに、それを認めたくはなくても、否定することが出来ない。

 もしかすると、葵が速度を上げたのも――

「葵さんには申し訳ありませんが、今日はおそらく」

「そんな…! あれだけ準備もして、楽しみにしてて…! それに――」

 夢の中でも、その思い出に触れて涙を流していたのに。
 あれだけ強く思っていて、あれだけ触れたいと願っていても、高々自然の気まぐれでそれが阻まれてしまうなんて。
 今ほど強く、運命を呪ったことはない。

「どうかされましたか?」

 と、無意識下で立ち止まっていた僕に、二歩先から桐島さんが呼びかける。

「何でもありません」

「そうですか。ともあれ、皆さんにも話しておきましょう。少し先の方にいる、他の観光者の方にも」

 桐島さんが目線で指す先には、三人並んで歩く男女の姿。
 明らかに地元民らしからぬ装備から察するに、歩いている理由は桐島さんが言った通りだろう。

「風邪をひいてしまっては元も子もありません。明日を過ぎれば、四人には学校が、誠二さんにいたっては大事なお仕事があります。同じ雨に打たれるのでも、時間は短い方がいい」

 それは極めて合理的な判断で。
 同時に、極めて無情な判断で。

 ただ物見遊山に来たのであれば、その策に乗るのは必定。身体を大事にして、学校に行って、また日が空いてから来ればいい。
 確実に雨でない日を選び、あるいはキャンプを抜きにして車で来るのもありだ。観光バスも回っているらしいから、公共手段で来るのもいいだろう。

 ――違う。そうじゃない。
 頭では分かっていても、心がそれに着いて行くとは限らない。
 僕にはまだ、離れているけれど両親が居て、その祖父母はどちらも無事で、誰かを失った経験がないから葵の気持ちは分からない。分かろうとしても、近付けるものではない。
 けれど、葵の話を聞いて、思いに触れてみて、その強さだけは分かった。
 楽し気な女子同士の会話を無駄だと言える程、意識の及ばない夢で涙を流せる程、求めて求めて、今やっと近付いているのだ。

 しかし。

「葵」

 僕は、早歩きで先へ先へと進む葵の名前を呼んでいた。引き止めるためだ。
 そうだ。自分で言った通り、時間は先にいくらでもある。
 引っ越しだの卒業だの、そういった話がない限り、いくらでも。
 金欠だって言うなら、僕が貸す。道なりが分からないなら案内する。

 だから、まずは風邪をひかず、健康で未来のことを考えられるように――

「四月十四日」

 せめて何事なく、ただ今は身を引いて欲しかっただけなのだけれど。
 ふと、葵がその日付――今日の日付を口にした。

 疑問符を浮かべる僕に、振り返ることなく、小さく一言。

「おじいちゃんの誕生日」

 それがとどめとなって。
 僕は迷わず、葵の隣に立った。

 風邪なんて、学校なんてと、そう思うには十分過ぎる理由だった。
 ただ時間があるから、ただバイト代があるから、ただ会いたいからではなかった。
 この日に合わせたのには理由があった。
 今日でなければダメだったのだ。

「ここまで約三十分。四キロといったところでしょうか。走ればすぐ戻れます」

「神前くん?」

 振り返った僕に、何を言っているのかといった様子で桐島さんが僕の名前を呼んだ。
 それは、多分無茶だとは思う。こんな道では、どんな災害に見舞われるとも分かったものではない。

 でも、それでも。

「葵、携帯貸して」

「はい」

 理由も聞かず、正直に応じる葵。
 何をするかは察してくれているようだった。

「壊しちゃまずい。僕のと二つ、持って戻ってください」

「断ります。貴方達も来なさい」

 初めて聴く、命令口調。
 やや気圧されもしたが、今更その決意が揺らぐ筈はなかった。
 葵も隣で、今か今か、早く早くと急かすように僕の方をちらちらと確認してくる。

 分かってる。
 僕は戻らない。

「葵の願いを叶えたら」

 そう答えても、桐島さんの目は揺れない。
 それはまるで、子を叱りつけ、言いつける母親のよう。

 そう見えてしまったものだから、僕は続けざまにこう言った。

「僕は大学生ですから。葵をかばって風邪をひいても、それほど差し支えない」

 馬鹿もいいところだった。
 これではただ、駄々を捏ねる幼子の図。
 ものは言いよう。そんな、便利な言葉に頼っているだけの我儘だ。

「はぁ」

 それが分かっているから、桐島さんはきっと、溜息を吐いて観念したんだ。
 最初から、そんな気なんてなかったくせに。

「折り畳みならあります。使ってください」

 バッグの口から先端だけ見えていたそれを取り出し、手渡す。
 綺麗な水色のそれは、途中からずっと視界をちらついて落ち着かなかった存在だった。

 まだ何の話かも分かっていない岸家の人たちは、桐島さんが手を伸ばした、誠二さんの運んでいた携帯キャンプバッグから取り出した大小異なる普通の傘三本でもって事態を察した。
 同時に、知らぬ内に忍び込まされていたそれに、四人は驚いて固まった。
 大きいサイズのものを親二人に、中くらいのものを姉妹に、小さいものを自分で持ったまま、

「一度戻って、車で通潤橋へ向かいます」

「ありがとうございます」

 準備があるからと、桐島さんは皆を連れて一度戻ってから後を追ってくると言う。
 互いに背を向け歩き出して、程なくして一粒、一粒と雨が降って来た。

 それにあやかれば良かったと気付いたのは、少し後になってからだ。

 雨露を凌ぐには、傘は傘でも折り畳みとあらばあまり意味を成さなかった。
 無言で僕に押し付けて葵の肩の方が濡れるものだから、僕はついぞ持っていた傘を渡してそこから出た。
 気を遣われるのが何だか嫌で、気を遣わせてしまっている自分が嫌で、良い香りがして、肩が触れあうのが恥ずかしくて――と、後半二つは置いておいて。
 葵さえ風邪をひかなければ良かった。

 十分。
 二十分。

 歩けど歩けど変わり映えのしない景色は、自然と二人を黙らせる。
 二つの足音、荒めの吐息、雨音だけが耳に届く。

 そんな中でふと、葵が僕の名前を呼んだ。

 立ち止まって、もう一度。

「私、まこと好きよ」

 変わらぬ真顔の中に、少しばかり見え隠れた緊張の色。

「風邪をひかずに戻ったら、もう一回聞いてあげるよ」

 誤魔化すわけではなくそう言うと、

「……やだ」

 少しの間を置いてから口を尖らせて呟き、恥ずかしそうに傘で隠した。

 通潤橋まで、あと半分と少し。
 そこまで行ってしまえば、岸家族や桐島さんが何とかしてくれるはずだ。

 かっこよく言い切っておいて、頼るべくはしっかり頼る。
 僕一人ではとても、守りきれないから。

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