クズで捻くれの自己中心的な青春日記

柏崎 聖

オールマイティー

 

 俺は人に対して平等に接する。
 天才にも凡才にも。
 性格がいい人にも悪い人にも。
 イケメンの人にも不細工な人にも。
 好みの人にも嫌いな人にも。

 嫌な人とも平等に話す必要はないように思えるかもしれない。
 でも俺は違う。

 人は見かけによらないと言う。
 俺の人の好みや性格の善し悪しは、あくまでも見かけだけ。
 勘違いである可能性も無きにしも非ずだ。
 本当は性格がよく気が合うような人だというのに、勝手に性格が悪いと思い話そうとしないのはとても勿体ない。
 自分から機会を失っていることになるのだ。

 ちなみに俺が思うに、友達という関係は完全に密接な関係ではないと思っている。
 何故なら、自分の全てを友達と共有することは余程密接な関係でない限りできないからだ。
 誰だって人に言いたくないことや、秘密などはあるだろう。
 でもそれが友達に言えないようなら、それは密接な関係とは言えないだろう。
 仮に言えるほど親密な関係を築いているとする。
 それはおそらく、親友と呼ぶだろう。

 どこからどこまでが友達で、どこからどこまでが親友だという境界線の定義はない。
 だけど、俺はそういう線の引き方をする。

 俺が平等に接するのは、人の本心を探るため。その人の情報が正しいものなのかを知るため。
 そして、親密な関係を求めるからである。



 人に平等に接するようになったのは中学時代。
 ある出来事があったからだ。

 中学3年の時。
 ハロウィンの日。
 俺のクラスは、かなり人と人との距離が近く仲が良かった。
 そのため、お菓子の交換くらいはあってもおかしくなかった。
 おかしだけに……。

 というギャグは置いておいて。
 一応俺は、お菓子を鞄にいれその日、学校に向かった。

 朝、登校するといきなりお菓子の交換をせがまれた。
 まぁ、持っているからいいかと俺は何人かの人と交換した。

 そして何となくで授業が始まった。
 朝、交換はしたもののお菓子はまだ余っていた。
 そのため俺は授業と授業の間にお菓子を配ろうと考えた。

 迎えた授業の合間の休憩時間。
 俺はたまたま横を通りかかった女の子3人配ろうとした。
 ……のだが、その3人はいわゆるスクールカーストの上の方にいる人達。
 俺からすれば結構、苦手な相手だった。

 まぁ、でもお菓子は余ってるしいいか……。
 と、割り切って俺は彼女たちに声をかけた。


「お菓子いる?」


 お菓子を手渡すと、その人達の反応は予想外だった。


「ありがとう!」


 その嬉しそうな笑顔は、今でも覚えている。

 その日をきっかけに、その3人とは仲良くなり結構話すようになった。
 そしてその3人とは、腹を割って話せる仲まで進展したのだ。


 こうした経験を経て俺は変わった。
 今までは、嫌いな人とは全く関わろうとはしなかったが、色んな人と普通に接するようになった。
 事実、殆どが自分の勘違いで色んないい所を見つけることが出来た。

 だから、俺は高校に入っても同じようにどんな人にも平等に接するようにしているのだ。

 いろんな人と腹を割って話せるようになるために。


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