異世界スロータイム

ひさら

間話 ジェイ




この日の朝は、目覚めから気分がよかった。覚えてないけど夢見でもよかったのか。最近ではかなり久しぶりの事だ。今日はいい事があるかもしれないと、何となく思えた。

「よぉジェイ。今日の連れはもう決まったか?  まだなら助けてくれないか。ちぃ〜とキツめの依頼なんだ」
「あぁいいよ。キツめってどんな依頼なんだ?」

日が昇ってまだそんなにたっていない時間帯でも、建物の中は結構な人がいる。依頼内容によっては朝早くから始めないとその日のうちに終わらないからだ。
依頼書が貼ってある掲示板の方に行こうとしていた俺に、わりとよく一緒に仕事をするパーティーの男が声をかけてきた。ここには口説いてくる女の子がいるからちょっと遠慮したいところだけど、ランク的にも相性的にも一番やりやすいからつい断れない。

「リラの事は気にしなくていいからさ」

声をかけてきた男オースティンがこっそり耳打ちしてくる。俺は無言で頷いた。

俺は特にパーティーを組まずに一人で仕事をしている。助っ人を頼まれればそこで一緒に依頼をこなす。いつでも自由に行動できるようにしておきたい。いつ、どんな情報がきて、どんな遠方にも行けるように。それは二年ほど前から変わっていない。



約二年前、俺は人生を変えるような女の子と出会った。大げさでも何でもなく、心からそう思っている。それまでの価値観や(価値観という言葉や意味も教えてもらった)考え方や感じ方もガラッと変わった。知らなかった事を知ったという衝撃だったと思う。
別の世界から来たという女の子の名前は、ユアといった。

一番最初の衝撃は、美味いという感覚だった。
それまでの飯は、腹が減ったから食うというものだった。死なないために食う。生きるために食う。そりゃあたまには美味いと思うものもあったし、すげぇと思うものもあった。めったに食えない肉とかな。それからよく熟した果物なんかも。そういうのとは全く違う  『料理された美味いもの』  に、俺は初めてこれが美味いという事なのかとわかった。

ユアから初めて食わせてもらった甘しょっぱいあの味は、その後味わう事はできなかった。あれはユアの国の調味料で作ったものだからと言われてガッカリした。そうか、あれはもう食えないのか。
それから信じられないほど甘くてやわらかいパンとか!あっという間に食い終わってしまった。もっと味わって食えばよかったと後悔した。クッキーというサクサクした甘い菓子も初めて食った。菓子なんて金持ちか貴族様しか食わないからな。

その後も、村でのシチューというものとか、宿屋での色んな美味いものに感動した。
ユアの作るものは美味いだけじゃなくて栄養というものも考えられている。これも道々聞いた事だけど、健康に生きていくためにはバランスよく色んなものを食べる事が大事だと……  学のない俺には難しくてよくわからなかったけど、大事だという事はわかった。
ユアの作るものが美味いのは、相手の事を考えて作っているのもあると思う。食うヤツの体調とか気分?とか、そんな事を考えて飯を作るヤツなんて今まで周りにはいなかった。

夜空の星が綺麗だと言ったのにも驚いた。星とか月とか、そんなのそこにあるもんだろ?朝になったらお日さまが昇って、夕方になったら沈んで、月が出る。毎日の繰り返しに、別段何か思う事はなかった。
空気だってユアに言われるまで気にした事はなかった。目に見えないものを、どうしてそこにあると思える?そもそも空気という言葉も意味もユアに教えてもらって知ったくらいだ。
この世には、目に見えてるものも見えてないものも全部に名前があるらしい。そんな腹の足しにもならない事、誰も教えてくれなかった。きっと村に住んでいるような貧しい者には必要ないんだろう。

だけどそんな色んな事を教えてもらうたび、俺はすごく楽しかった。知らない事を知るっておもしろい。ユアとの旅の間中、本当にたくさんの事を話した。ユアにもこの世界……  という程大きな事は知らないから、この国の、俺の知っている事を教えた。ユアがこの先ずっとここで暮らしていくなら、知らなくては生きづらいからな。

一緒に過ごすほど、ユアはこの世界で生まれ育った人間ではないと思えた。価値観や考え方や感じ方だけじゃなくて、生きる力というものが同じ年頃の女の子と比べて格段に低かった。十歳以下の子ども並みだ。村の子供だったら十歳でもよっぽど要領よく動けるだろう。体力もないし、全体的にヤワだった。ただ歩いてるだけなのに疲れるし、野宿をすれば身体を痛めている。だけど泣き言は言わない根性はあった。

初めてあった時も驚いた。魔獣に襲われているというのに逃げもせず突っ立っている。助けた後は子供のように声を上げて泣く。そんなだから、見たまま自分より年下と思っていたら同じ年だという。続けての驚きだ。
低い身体能力、鈍い反射神経。出会ってすぐに、この子一人では生きていけないだろうと心配になった。

元々おせっかい焼きな俺は、置いていけば間違いなく死んでしまうだろうユアを一番近い村まで連れて行く事にした。最初の印象からどんどん変わっていくユアとの会話。身体能力的には劣るけど、それ以上に頭がいいとしかいえない話しの内容と、俺の話への理解力。
ユアの生まれ育った世界というのは一体どんなところなんだろうと、三度目の驚きだった。

ユアの見た目にも驚いた。
周りにはいないけど聞いた事はある黒い髪と、こっちは聞いた事も見た事もない黒い眼。それと内面からにじみ出るような不思議な、異国の雰囲気というか、あ、異世界というのか?何とも印象的な女の子だった。

俺にはすでに両親はない。母親は早くに死んだから、そうおしゃべりでもない父親と二人暮らしが長かった。愛情がないと思ってはなかったけど、そこは男同士だし必要最低限な会話しかなかった。
何が言いたいのかと言えば、挨拶というものをした記憶がほとんどないという事だ。
ユアは、おはようから始まって、行ってらっしゃい、おかえり、お疲れさま、おやすみと、いちいち言葉をかけてくれた。気をつけてね、なんて事まで言ってくる。そんなの言われなくてもみんな気をつけてるよ。でもそうやって言葉にされるのは……  何だかいいもんだ。心が温かくなった。

何より一番嬉しかったのは、弁当を渡された事だ。弁当といえば、たいていパンだけだ。いい匂いがしてたから、きっと美味いもんだろうとは思っていたけど、ちゃんと調理されているのに驚いた。ユアの飯は熱々もだけど、弁当もめちゃくちゃ美味かった。よーーーく味わって食いたかったけど、誰にも取られないように素早く食った。俺のためにって作ってくれたと思うのは……  かなり嬉しかった。
それから、ブレイディさんの宿屋で毎日ユアの飯を食ううちに、ずっとこれが食えたらと思うようになっていた。

仕事から帰ったら  『おかえりなさい、お疲れさま』  なんて可愛い嫁さんに迎えられて、美味い手料理を食う。
想像しただけで顔が熱くなるけど!  これでも成人してるし、いつでも世帯はもてるし!  なんて思ったりも……  なくもなかったり。

料理が上手くて頭がよくて、何より転移者様で尊い方らしいし、俺なんかの嫁さんになんてなってくれないよな……。
嫁さんはムリでも、俺が護衛くらいにはなれるかも。優しいユアのことだから飯くらい食わせてくれるかもしれない。いや、ちょっとずうずうしいか。

そんな事を何日も考えていたあの日。
『いついっちゃうの?』  なんて不安そうな顔で見上げられたら、そりゃあ言っちゃうだろ!  本当は、ずっと一緒にいたいって言いたかったけど、さすがにそこまでストレートな言葉は口にできなくて、一緒に行こうとしか言えなかったけど、ユアが笑顔で  『一緒に行く!』  って言ってくれたから、もうそれだけで嬉しすぎた。

そんな天国から、地獄へまっさかさまな誘拐。

守ってあげたかった女の子。守ってやると思っていた女の子。初めて好きだと意識した女の子を目の前でさらわれて、俺は自分の無力さに絶望した。
いや!  諦めるな!  お前が好きになった女の子はいつでも強気に前を向いていただろう?お前も諦めるな!!
バンとひとつ己の頰を張ると、俺は絶対探し出すと決意した。



それから約二年。無力さを嘆いてる間があったら力をつけようと、厳しい依頼をこなしていたらランクが上がった。ほんのわずかな情報でも聞けば、どんな遠出だってした。今のところユアは見つかっていない。だけど諦めない。
エマとは手紙のやり取りをしている。ユアが戻るとしたら、連れ去られたプリュネのブレイディさんの宿屋だと思うけど、もしもこっちの方で逃げだせたとしたら、最後の会話のリーリウムに来ないとも限らない。二人いるなら二手に別れた方が望みが増える。望みは捨てない。毎日毎日ユアにつながる努力を惜しまない。

我ながらちょっと執着しすぎかと思うけど、嫁妄想までした好きな子が目の前からいなくなったからしょうがない。それに、あんな女の子は二人といない。ユアといると人生が楽しくなる。あんな日々を知ってしまったら、ユアのいない人生は、もう余生になってしまうだろう。

ユアの飯が食いたいな……。
俺は硬いだけのパンと干し肉をかみながら思った。



目覚めのいい日は、そのままいい一日になった。オースティンが厳しいと言っていた依頼も、思ったより早く終える事ができた。俺たちは依頼にあった数の魔獣を手分けして背負い、夕日に赤く染まる道を歩いていた。

「ジェイ、今日一日機嫌がよかったわね。私と一緒だから?」
「リラはブレないな」

夕焼けよりも赤い髪をした女が隣を歩く。リラは同じ歳だけど、もう女の子とは言えないような色っぽい別嬪さんだ。こんなに美人なのに、俺の何がいいんだ?リラを狙ってるヤツは大勢いるのに。

リラは艶やかに笑うと、色っぽい流し目を送ってくる。オースティンとイーサンは、いつもの事だと気にせず前を歩いている。俺もいつも通りに苦笑いをしながら返事をした。

「ブレないわよ!  もう一年も口説いてるのよ?  今日こそ落ちない?」
「何年口説かれても落ちないよ。俺には探してる子がいるって言ってるだろ」
「もう!  ずっとそればっかり!  この一年全然何も変わりばえしないじゃない!  そんな何年も前にほんの少し過ごした子より、ずっと一緒にいる私の方が絶対いいのに!」

そりゃあ俺だって男だし、こんな美人にこんな風に言われたら悪い気はしないけど……  やっぱりユアじゃなくちゃダメなんだ。
リラには、最初の頃にずいぶん情熱的にせまられたので、好きな女の子を探していてその子以外は考えられないときっぱり言ってある。

元気でいるんだろうか。  ユア、どこでどうしているんだろう……。



適当に話をしながら歩いてあると、リーリウムの都市を囲む外壁が見えてきた。
とりあえずギルドで報酬をもらったら飯だ。俺は滞在している安宿の不味い飯を思い浮かべた。珍しく、たまにはちょっとだけ美味いものを食おうかと思ったのは、さっきユアの話題があったからかもしれない。腹も減ってるし、すぐに食えるギルド内の食堂によっていこう。
少し沈んだ気持ちが、たったこれだけで浮かんでくる。我ながら単純だな。
でもそうやって、小さいいい事や嬉しい事を積み重ねていくのが幸せって事だと教わった。もちろんユアに。

どうも今日はよくユアを思う日だ。まぁ思い出さない日はないんだけどな。

ギルドの扉を開けると、時間帯もあって大勢の人がいた。これは結構待つことになるかも……  と思っていると、大勢の中に、チラリと黒い色が見えた。服や装備で黒は多い。濃い色は汚れが目立ちにくいからな。でも、そういうのとは違うとわかった。一瞬見えた黒はすぐに人の中に見えなくなってしまったけど、見間違えるはずはない。
確信してるのに、声は小さく落ちた。

「ユア……」




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