異世界スロータイム

ひさら

間話 ラック




永い時を、真っ暗な闇の中で過ごして来た。

突然、闇の中が温かくて柔らかいものに変わった。もうずっと、触れるものは冷たくて硬いものばかりだったのに。

ーーあぁ、とうとう死んだのか。

そう思ったのに、なぜか瞼を開ける。
眼が覚めると、立派な部屋の柔らかい布団の中にいた。どういう事かわからず見回すと、近くに黒い髪が見えた。どうやら半身をベッドにのせて寝ている人のようだ。

黒い髪……。
ジッと見ていると、その人が動いた。起きたその人と(驚いた事に少女だった)目が合う。

「おはよう!」
「……」

何故、挨拶されたのかわからない。

「体調はどう?  ちょっとごめんね」

少女はオレのひたいに手を当てた。いきなりの事に驚く。奴隷に手を触れるなんて!

「あぁ、ごめんね。  ……熱はないようだけど、君の平熱はわからないからなぁ。熱っぽくない?」

何を言ってるんだ?  訳がわからず、思わず後ずさると、

「落ちちゃうよ。  ……大丈夫だから。大丈夫。  いい子だから、まだ寝ていてね」

抱きとめられた。
奴隷に対してこんな事は見た事も聞いた事もない。
頭の中が真っ白になった。

それから、ぬるい水と温かいスープを飲まされた。味は全くわからなかった。
いったいどうなってるんだ?  オレは死ななかったのか?    
混乱していて、されるがままだった。



それから二日ほど、オレは赤ん坊のように世話をされた。
いったいどうなってるんだ?この少女は何者なんだ?
奴隷に対する扱いじゃなかった。どうしていいのかわからない。

起き上がれるようになると、自分で食事をとるようになった。奴隷になってから食べた事のない、上等な食べ物。本当に自分が食べていいのか戸惑う。
なかなか食べないオレに、少女が食事の介添えをしようとすると、女兵士が注意する。少女は残念そうに離れて、ベッドのすぐ脇の椅子に腰かけた。

食べるオレの横で、少女は家族の話をした。

家族か……。  
オレは何十年ぶりに考える。離れ離れになった頃はいつも思っていた父と母。いつからか思い出す事もなく、生きるために必死になっていた。

食べ終わったオレに、少女が言う。

「お願いがあるの。  イヤかもしれないけど、君の事ギュってしていい?」

とても哀しそうで、淋しそうに見えた。ずっと前に知っていた気持ちのようだ……。答えないオレを、少女は優しく抱きしめた。

「ありがとう」

少女の声と、朧な記憶が、ほんのり胸を温かくした。

その後も、寝たり起きたりしながら過ごした。奴隷になってからこんな風に何もしないで養生した事はない。どんどん回復していった。

少女はできるだけオレのそばにいようとしてくれているようだった。
部屋の中でやる事もないからか、少女は色んな話をしてくれた。
オレの知らない世界の話。家族の話をする時はいつも淋しそうだった。それからこちらの世界に来てから過ごした話。
オレには話す事は何もないから、ただ黙って聞いていた。

少女は、見た目が子供のオレを弟と重ねているようだった。彼女が嬉しそうだからそれでいいと思った。

死にかけてからずっと寄り添ってくれている事は、きっと彼女の立場を悪くしている。オレは奴隷だから。
こんなによくしてくれる理由はわからないけど、彼女の立場を考えれば、早く奴隷小屋に戻らなければと思う。
思うけど……。

何もない訳じゃなかった。

思い出さなければ、欲しくなる温かさを忘れたままなら、何も感じず、ただ諦めていきていられたのに。

記憶の片隅に、すり減って、削られて、小さく小さくなった、家族の思い出を見つけてしまった。二度目の独りに耐えられるだろうか。
少女との別れを思うと、心と身体が冷たくなっていく。
ずっと希望も絶望もなかった。ただ諦めていきていたのに。



「あのね、聞きたい事があるんだけど……。  君が回復したから、そろそろ私は帰らなくちゃならないの。でもね、私は君とこれからも一緒にいたいと思ってるんだ。君がちゃんと元気になるまで。できれば君が大きくなるまで。  君はどうかな?  奴隷の仕事がどんなものかわからないけど、知らない場所に行くのは……  やっぱりイヤかな?」

だから。
幻聴かと思った。あまりにも自分に都合のいい言葉。

「私と一緒に行くの、イヤ?」

無意識に首を振る。

「私と一緒に来てくれる?」

ーー叶うなら。
もしそれが叶うなら、他に望みなんてない。

それから、とても現実とは思えない成り行きに、ただ流されていた。自分の事ではないような、間に半透明な膜があるような、不思議な時間。

異世界から来たという少女は、確かにこの国の常識を逸していた。
ご領主様の元に連れて行ったのだ。奴隷のオレを。
騎士に咎められても全く意に介さないで話を進める。

「この子を看病しているうちに、すっかりこの子を好きになりました。ぜひ私にください」

「人の価格はわかりませんが。というか、そういうのって私のいた国にはなかったのでわかりませんが、この国では人も財産と思いますからお聞きします。この子はおいくらでしょう?  私に払える対価を考えます」

頭がついていかない。
好きだと言った?  オレを?  奴隷のオレを?  対価?  オレを買おうと?
この時にはもうわかっていた、魔力のなくなった、何の価値もない、ただの奴隷を?

魔力がなくなった事を告げると、当たり前のように切り捨てられた。魔力もない、大人一人分の働きもない、小さな身体の非力なモノなどいらないのだ。
厄介払いとまで言えない程ただ捨てればいいだけのモノを、報酬という名で少女に渡された。
得られるはずだった金品の代わりに、生涯彼女に尽くすと心の中で誓った。

主人が変わるたび契約を書き換えられて、百年ほどつけられていた首輪も外された。

「日焼けしてない跡に巻いておこう。これ、君にあげるね。  ちょっと色褪せちゃってるけど、君の眼の色とお揃いだよ」

冷たくて硬い首輪の代わりに、柔らかい布がまかれた。
初めての贈り物。
この気持ちを何と言えばいいのか。お礼も言えず、ただ頷いた。

贈り物は続いた。

「じゃあ、私が君の名前をつけてもいい?」
「君の名前はラックね!  黒って意味のブラックと、幸運を意味するグッドラックからラック。どう?」

名前がついた。
昔々、ずっと遠い日々に両親から名前を呼ばれていた筈なのに、死と隣り合わせの永い時の中で、呼ばれもしない名前は忘れてしまった。

「ラック、これからよろしくね!」

名前を呼ばれて、生きている実感がした。

ユアはたくさん贈り物をくれた。

眼を綺麗だと褒めてくれ、馬車に乗る時は手を差し出してくれる。オレとそう変わらない小さな身体で、色んな事から【元】奴隷のオレをかばってくれた。ユアと常に一緒にいるケイトも、今では渋々ながらオレがいる事を諦めてくれている。

明日は旅立ちという前の日。
ケイトとオレの前に、熱々ツヤツヤの美味しそうなものが置かれた。甘い香りがしている。こんな高価なもの、ケイトが遠慮するような高価なものを食べられる筈がない。勧められても手が出ないでいた。

「せっかくラックのために焼いたのに食べてくれないなんて……  ユアちゃん哀しい」

大変だ!  ユアを哀しませるつもりなんてない。  オレは急いでそれを口に入れた。

……驚いた。
この世にこんなに美味しいものがあったのか……。
初めて食べた、甘いものだった。

放心しながらゆっくり食べていると、ユアとケイトの会話から、頑張ったご褒美と聞こえた。
頑張った?  ご褒美?

オレは何かを頑張っただろうか?  これを食べていいのだろうか?  考えて手が止まった。ユアは手の止まったオレに気づいた。

「……私は戦がどんなものかわからない。だけど、君は生きてるここにいる。  生きてるだけでお腹は空くしね。これからもがんばらなくちゃだしね!」

生きてるだけでいいと、言われた気がした。
生きているだけで、頑張ってきたのだと。

頑張るという意識はなかった。ただ死に物狂いに生き残ってきただけだ。
命よりも勝利を優先されてきた。奴隷なんてそんなものだ。

何と言っていいかわからない感情が込み上げてきた。眼が熱くなって、鼻が痛くなる。オレは急いで甘いパンを食べて飲み込んだ。喉も詰まっているようで胸が苦しかった。さっきはあんなに甘かったそれは、少ししょっぱいような苦いような味に変わっていた。
不味い訳ではない。美味しいだけではないそれを、咀嚼して飲み込む。これからもがんばるために。



出発の朝。
馬車に乗り込む時、当たり前のようにユアは手を差し出す。
手を差し出される事と立派すぎる馬車に慣れないオレは、ほんの一瞬身体が強張る。むやみに暴力を振るわれた事はないけど、兵士や騎士にも緊張する。

ふいにユアが、御者ができるかと聞いてきた。荷馬車ならと答える。戦の時の輸送で荷馬車なら操った事はある。
じゃあお願いしてみようと聞こえた。  何を?

それから慌ただしく準備がされたのは、普通の荷馬車と、それに似合わない立派な馬。御者台にはオレ。毛布とクッションがたくさんの荷台にはユアとケイト。
兵士も騎士も同乗していない。騎乗して護衛につく様子もない。

「さぁ、出発だ!」

ユアの掛け声で思わず手綱を振った。馬車は走り出す。
まさか。オレの気後れに気づいたのか?それで荷馬車になって、護衛もケイトだけになったのか?

荷台でケイトと楽しそうに話しているユアの声を聞きながら、胸が温かくなった。

馬車は朝日に向かって進む。世界は明るくなっていた。






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