未来人は魔法世界を楽しく魔改造する

まさかミケ猫

君のおかげで、いい人生だった

 俺はどうしようもなく赤ん坊だった。
 柔らかい色の肌着、暖かい毛布、ミルクの匂い。
 ぼんやりした頭と不自由な手足で母の乳房を探す。

「※※※、※※※?」

 母の声色にホッとして、俺は目を閉じる。
 意識がゆっくりと遠のき、静かな眠りに落ちていった。


 フッと体が重くなる。


 ピ、ピ、ピ。
 規則正しい電子音が耳に響いた。
 目を開ける動作に合わせ、照明壁がゆっくりと光度を上げてゆく。

『おはようございます、マスター』
「ん……あぁ……おはよう……」

 頭の中に響く、いつもの無機質な声。
 死を待つばかりのこんな老人にも、人工知能はいつもと変わりなく接していくれる。ありがたいことだ。

 俺はゆっくりと病室を眺め、深く息を吐いた。
 そして先程の夢を思い出す。

 このところ、赤ん坊になる夢を見続けている。
 シチュエーションはいつも変わらない。

 はじめの頃はもっと短時間のぼんやりした夢だった。それが最近では夢の時間も長くなり、内容もハッキリしてきている。
 一方、夢から覚めて意識を保てる時間はどんどん短くなってきていた。おそらく、俺の命はもういくらも保たないのだろう。

 ゆっくり首だけを動かし、体を見る。
 シワの刻まれた両腕には数本の管がつながり、胸から下は医療カプセルに覆われていた。生命維持モニタは正常を表すグリーンだ。

「……長いこと寝ていたのか?」
『3日ぶりの起床です、マスター』
「そうか……そろそろお迎えか」
『弱気にならないでください』
「気持ちの問題ではないさ……」

 実際、もう十分長く生きた。

 親の顔は知らない。しいて言えば中央行政システムの人口調整局が親になるだろうか。幼少期は同じ境遇の多くの兄弟とともに過ごしたものだ。既に他界した者が大半だが、皆優秀でいい奴らだった。

 基礎学校を終えて一人暮らしを始めたのは8歳の頃。希望していた人気の農家に就職出来たのは本当に幸いだった。社長も同僚も皆いい人たちで、新しい遺伝子改良パターンを研究しては朝まで語り明かしたものだ。

 妻と出会ったのは14歳頃だったか。

「アルバムを……」
『承知しました、マスター』

 目を閉じ、脳裏に映るアルバムを一つ引っ張り出す。

 妻はいい顔で笑う少女だった。
 人と比べて特別美人というわけではない。だが、気がついたら目で追ってしまう妙な魅力があった。口下手だが、面倒見が良くて子供好き。ボーッと眺めていると、よく周囲にからかわれたものだ。
 そういえば、妻の両親は地球本星からの移民だったな。価値観の違いが新鮮で、義両親との会話はいつも愉快なものだった。

「今となっては、遠い昔、か……」

 20歳で結婚。
 しばらくして、子供がほしいという話になった。
 生身での性行為はVRほど気持ちよくもないし、出産もリスクが高い。それに、妊娠中の母親は仕事もしづらい。人工子宮で生殖細胞を掛け合わせるのが合理的だ。
 そういう会話を、生身での行為後にベッドの上でよくしたものだ。

 結果的に、妻は3人の子供を生身で出産した。
 今どき珍しいと周囲に驚かれたものだが、今思えばあれは地球の価値観から来る行動だったのか。

「あっという間の人生だった……」

 子育てをして、研究をして、たまに家族で旅行に行った。
 子が独立してしばらく、孫ができた。
 そうしてどんどん歳を重ねた。

 少しずつ知人が逝った。
 妻も逝った。
 随分と欲求が減った。

 そのうち起床しているのが難しくなった。もうそろそろ、潮時なのだろう。平凡だったが、周囲の人たちに恵まれた良い人生だった。

『マスター』
「君には、感謝しかない……この平凡な人生を、頭の中で共に歩んでくれた。多くの者は君をただの人工知能としてしか見ないだろうがな……」

 ビー、ビー、ビー。
 生命維持モニタの警告音が聞こえる。
 少しずつ意識が遠のいていく。

「おかげで、いい人生だったよ、親友」
『……おやすみなさい、マスター』





 柔らかい布に包まれる感覚で覚醒した。
 これは、いつもの夢だろうか。

「※※※、※※※※?」

 聞き慣れた母の声に胸をなでおろす。
 老いた体が機能を停止する前の、最後の夢なのだろう。
 こういう穏やかな終わりも悪くない。

 そう思いながら、何日も何日も過ごした。
 寝て起きて、おっぱいを飲んで、寝て起きて、少しずつ体が動くようになり、首が座り、ズリズリと這い回れるようになった。
 それでも、いつまでたっても夢が覚めることはなかった。

 掴まり立ちの練習をしながら、俺は認める決意をした。
 これはもう、夢ではなく新しい現実である。
 つまりは、第二の人生と呼んで良いものだろうと。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品