未来人は魔法世界を楽しく魔改造する
たぶん天使なのだろう
冬も中旬になり、寒さが本格化してきていた。
今年は例年以上の冷え込みで、歩いているだけで風が痛い。多くの家では極力外出を避け、家の中で暖を取っていた。
我が家のリビングでも、本を読んだり編み物をしたりと皆が思い思いの過ごし方をしている。例外は、忙しさが極限を突破した父さんが、あれやこれやとバタバタ出かけていくくらいだろうか。
ミラ姉さんと母さんは、温かい紅茶を飲みながら何やら話をしていた。
「今年は見慣れない虫が街にいるんだって」
「あら。寒いから、北の方から下りてきたのかしら」
「前は変な病気が流行ったんでしょ。心配で……」
「そうねぇ」
新しい虫は王都中で話題になっているらしい。
少し前に流行った病気の影響で、人々はそういった見慣れない虫にかなり神経質になっているようだ。
知らなかったな。
俺はフローラをあやしながらあれこれ考える。
すると、レミリアが隣に腰掛け、耳元で囁いた。
「リカルド……あれの件……できた?」
「あぁ、そうだった。研究室に行こうか」
妹のフローラを抱き上げると、キャッキャと笑う。
最近つかまり立ちを始めた妹は、なにかと俺のあとを追いかけて来ようとする。そして、よく俺の耳を引っ張ったり、手に齧り付いたりしてくる。たぶん天使なのだろう。
フローラを母さんに預けると、俺たちは母屋を出て工房棟へと向かった。
研究室に入り、俺はソファに座った。
改めて見渡すと、この研究室もずいぶん混沌としているな。レミリアが魔導ケトルで湯を沸かし、豆茶を入れてくれる。
「このケトルはサルト兄さんの作なんだけどさ。魔導コンロは既にあるのに、よくこれが売れたよね」
「火が出ないのは……安心。それに、簡単だし」
レミリアはお茶のコップを俺の前に置くと、俺の横にちょこんと腰掛ける。その拍子にフードが外れ、長い耳や左頬の火傷跡が露わになる。以前は必死にフードで隠していたが、最近は二人きりのときだと気にせず晒すようになっていた。
コテン、と俺の肩に小さい頭を乗せた。黒い髪がサラサラと俺の頬を撫でる。
「例の件は──」
「もう少し……あたたまってから」
「外、寒かったもんね」
「ん……耳が冷えた」
「少し触ろうか?」
「…………うん」
確かにこれだけ耳が長いとずいぶんと冷えそうだ。耳長人も大変だな。そう思いながら、俺はいつものようにレミリアの長い耳をコリコリと触って暖める。
レミリアは俺の服をキュッと掴んですり寄ってくる。暖房の魔道具が、レミリアの頬を赤く照らしていた。
「へっちゅん……」
「今の、クシャミ?」
「……変だった?」
「可愛かった。独特なクシャミだね」
レミリアの体を暖めるように、背中に手を回した。
しばらくして部屋も暖まってきた。
俺たちはゆっくり立ち上がって伸びをする。そして、ごちゃごちゃした俺の作業台の方まで移動した。
「ところでその本……どうなってるの?」
「本って、あぁ、試作魔導書のことか」
「ん……リカルドの作るモノの中で……一番ワケがわからない」
「あはは、そう言われてもなぁ。簡単に言っちゃうと、ようは汎用計算機なんだ」
「こんぴ……?」
俺は試作魔導書のページをパラパラとめくる。
各ページには小さい魔法陣がビッシリと隙間なく書き込まれている。まぁ確かに、これを目で見ただけじゃ何が何やらさっぱりわからないだろうな。そう思いつつ、俺はあるページで手を止めた。
「メモリキューブやニューラルコアなんかも大事だけど、試作魔導書の肝になるのはこのあたりのページだね。前に論理演算の話はしたと思うけど、覚えてる?」
「うん……なんか二進数がうんぬんって」
「それそれ。簡単に話をすると、この付近のページは汎用的にその計算をしてくれる部分なんだ。例えばこの入力部に、3と4を足し算してくれ、と命令するだろう。それが分解されて、このあたりの回路を魔力が流れる。ここで合流して、出力部には7という答えが出てくるんだ。回路のこの部分を工夫すれば、足し算じゃない計算もできる。これ一つでいろいろな演算が可能だ」
「ふーん……やっぱり、簡単じゃなかったね」
「そうかなぁ。まぁ、細かいことは置いておいてさ。それで、この周りの部分に記録回路をつなぐだろう。それから、演算回路に投げる計算群をパターン化して命令出来るようにしておくだろう。そうすると外部の命令をデコードして──」
「わかった……」
「そう、これで──」
「全然わからないことが……よくわかった」
レミリアが俺に生ぬるい視線を投げかけてくる。
あぁ、また熱くなりすぎてしまったな。
どうも興奮すると、相手の理解を待たずに畳み掛けてしまうのは悪い癖だ。
ごめんごめんと謝ると、レミリアは長い耳をピクピク動かして小さく笑った。
たぶん、前の世界で農家をやってた経験があれば、このあたりの話はすんなり理解できるんだろうなと思うけど……さすがに知識のベースが違いすぎると難しいかな。というか、そもそもレミリアはまだ5歳だしな。
「ところで……この魔法陣……全部手で描いたの?」
「あはは、まさか。それこそ奴隷のみんなに手伝ってもらっても数年かかるよ」
「だよね……じゃあ、どうやって……?」
「ほら、前に見せたじゃないか」
俺は研究室の片隅を指差す。あれらはこの試作魔導書を作るために、前提としてどうしても必要だったものだ。
「耐水不燃紙を作る紙生成機。書いたものをデータ化するスキャナ。データの一部に縮小や複製とかの変換をかけられる簡易なエディタ。そのデータを別の紙に出力するプリンタ」
これらの道具を一般公開することは父さんに泣いて止められたけど、研究室内ではフル稼働している。これがなければ何年かかっても試作魔導書は完成しなかっただろう。
「切ったり貼ったりして再度スキャンする。最終的に魔導インクで紙に出力すれば、精密な魔道具が作れるんだ。卓上計算機を作ったときに論理魔導回路の動きも検証したから、あとは組み合わせるだけなんだよ。まぁ、ノイズの除去が難しくてそこまで集積度は上げられてないんだけど……それも含めて改良中だ」
「……すごい、リカルド」
「ありがとう、これはだいぶ頭をひねったからね」
レミリアの頭を撫でた。
さて、本題の魔道具を探そう。
俺はゴソゴソと資料をひっくり返す。机からいろいろな物が床に転がり落ちる。そして、机上に転がる指輪を見つけた。そうそう、これだ。
気づくと、レミリアが俺をジト目で見ていた。
「片付け……しようよ」
「う、今度ね」
そう言って、レミリアに指輪を渡した。
指輪には大きな魔石がついている。彼女はそれを右手の人差し指に填めた。やっぱり少し重そうだ。
「じゃ……やってみるね」
レミリアは命力を込めて右手をグルッと動かす。
小さくボソボソとつぶやくと、部屋の中に風が吹く。
彼女に向かって空気が集まるのが分かった。
俺は息を飲んで彼女を見る。
これが魔法、か。
レミリアはこれまで、深い魔法知識を持ちながら魔法を使うことが出来なかった。一族の中でも高名な魔法使いに師事して、たくさんの練習を重ねたのに、だ。
その理由。
彼女は体内の命力量が少な過ぎたのだ。
せいぜい一般人と同程度。魔道具を使ったりするのに問題はないけれど、それでは魔法使いにはなれない。
俺が作ったのは、小さな増幅装置だ。
命力が足りないのであれば、魔石から持ってくればいい。レミリアが制御する命力に合わせて、その動きを単純に増幅するだけの道具。命力増幅器を作ったんだ。
魔石の光が急激に弱まる。
レミリアが命力を解いた。使われなかった魔力の粒がキラキラと光り、レミリアの頭上で渦を巻いて霧散した。
それは、天使の輪のように見えた。
「できた……でもこの指輪、重い」
「見るからにそうだね」
「反応に少し遅延がある。魔石もこれだけで空っぽ。それに、増幅率が調整出来ない」
「確かに。いろいろ課題は多そうだ」
「でも……」
レミリアは指輪を外し、両手で抱える。
役立たず。
彼女は家族からそう呼ばれて育った。
魔法貴族にとって、魔法を使えない娘など汚点以外の何ものでもない。そんなことを、彼女は息苦しそうに話していた。
命力の原理はまだ掴めない。
でも、なんとか上手くいって良かった。
俺はゆっくりと歩み寄る。
レミリアは潤んだ瞳で俺を見た。
「私にも、魔法が使えた……ありがと、リカルド」
小さな影が俺の胸の中に飛び込んできた。
俺はその肩の震えが止まるまで、彼女をそっと抱きしめながら、ずっと頭を撫で続けたのであった。
今年は例年以上の冷え込みで、歩いているだけで風が痛い。多くの家では極力外出を避け、家の中で暖を取っていた。
我が家のリビングでも、本を読んだり編み物をしたりと皆が思い思いの過ごし方をしている。例外は、忙しさが極限を突破した父さんが、あれやこれやとバタバタ出かけていくくらいだろうか。
ミラ姉さんと母さんは、温かい紅茶を飲みながら何やら話をしていた。
「今年は見慣れない虫が街にいるんだって」
「あら。寒いから、北の方から下りてきたのかしら」
「前は変な病気が流行ったんでしょ。心配で……」
「そうねぇ」
新しい虫は王都中で話題になっているらしい。
少し前に流行った病気の影響で、人々はそういった見慣れない虫にかなり神経質になっているようだ。
知らなかったな。
俺はフローラをあやしながらあれこれ考える。
すると、レミリアが隣に腰掛け、耳元で囁いた。
「リカルド……あれの件……できた?」
「あぁ、そうだった。研究室に行こうか」
妹のフローラを抱き上げると、キャッキャと笑う。
最近つかまり立ちを始めた妹は、なにかと俺のあとを追いかけて来ようとする。そして、よく俺の耳を引っ張ったり、手に齧り付いたりしてくる。たぶん天使なのだろう。
フローラを母さんに預けると、俺たちは母屋を出て工房棟へと向かった。
研究室に入り、俺はソファに座った。
改めて見渡すと、この研究室もずいぶん混沌としているな。レミリアが魔導ケトルで湯を沸かし、豆茶を入れてくれる。
「このケトルはサルト兄さんの作なんだけどさ。魔導コンロは既にあるのに、よくこれが売れたよね」
「火が出ないのは……安心。それに、簡単だし」
レミリアはお茶のコップを俺の前に置くと、俺の横にちょこんと腰掛ける。その拍子にフードが外れ、長い耳や左頬の火傷跡が露わになる。以前は必死にフードで隠していたが、最近は二人きりのときだと気にせず晒すようになっていた。
コテン、と俺の肩に小さい頭を乗せた。黒い髪がサラサラと俺の頬を撫でる。
「例の件は──」
「もう少し……あたたまってから」
「外、寒かったもんね」
「ん……耳が冷えた」
「少し触ろうか?」
「…………うん」
確かにこれだけ耳が長いとずいぶんと冷えそうだ。耳長人も大変だな。そう思いながら、俺はいつものようにレミリアの長い耳をコリコリと触って暖める。
レミリアは俺の服をキュッと掴んですり寄ってくる。暖房の魔道具が、レミリアの頬を赤く照らしていた。
「へっちゅん……」
「今の、クシャミ?」
「……変だった?」
「可愛かった。独特なクシャミだね」
レミリアの体を暖めるように、背中に手を回した。
しばらくして部屋も暖まってきた。
俺たちはゆっくり立ち上がって伸びをする。そして、ごちゃごちゃした俺の作業台の方まで移動した。
「ところでその本……どうなってるの?」
「本って、あぁ、試作魔導書のことか」
「ん……リカルドの作るモノの中で……一番ワケがわからない」
「あはは、そう言われてもなぁ。簡単に言っちゃうと、ようは汎用計算機なんだ」
「こんぴ……?」
俺は試作魔導書のページをパラパラとめくる。
各ページには小さい魔法陣がビッシリと隙間なく書き込まれている。まぁ確かに、これを目で見ただけじゃ何が何やらさっぱりわからないだろうな。そう思いつつ、俺はあるページで手を止めた。
「メモリキューブやニューラルコアなんかも大事だけど、試作魔導書の肝になるのはこのあたりのページだね。前に論理演算の話はしたと思うけど、覚えてる?」
「うん……なんか二進数がうんぬんって」
「それそれ。簡単に話をすると、この付近のページは汎用的にその計算をしてくれる部分なんだ。例えばこの入力部に、3と4を足し算してくれ、と命令するだろう。それが分解されて、このあたりの回路を魔力が流れる。ここで合流して、出力部には7という答えが出てくるんだ。回路のこの部分を工夫すれば、足し算じゃない計算もできる。これ一つでいろいろな演算が可能だ」
「ふーん……やっぱり、簡単じゃなかったね」
「そうかなぁ。まぁ、細かいことは置いておいてさ。それで、この周りの部分に記録回路をつなぐだろう。それから、演算回路に投げる計算群をパターン化して命令出来るようにしておくだろう。そうすると外部の命令をデコードして──」
「わかった……」
「そう、これで──」
「全然わからないことが……よくわかった」
レミリアが俺に生ぬるい視線を投げかけてくる。
あぁ、また熱くなりすぎてしまったな。
どうも興奮すると、相手の理解を待たずに畳み掛けてしまうのは悪い癖だ。
ごめんごめんと謝ると、レミリアは長い耳をピクピク動かして小さく笑った。
たぶん、前の世界で農家をやってた経験があれば、このあたりの話はすんなり理解できるんだろうなと思うけど……さすがに知識のベースが違いすぎると難しいかな。というか、そもそもレミリアはまだ5歳だしな。
「ところで……この魔法陣……全部手で描いたの?」
「あはは、まさか。それこそ奴隷のみんなに手伝ってもらっても数年かかるよ」
「だよね……じゃあ、どうやって……?」
「ほら、前に見せたじゃないか」
俺は研究室の片隅を指差す。あれらはこの試作魔導書を作るために、前提としてどうしても必要だったものだ。
「耐水不燃紙を作る紙生成機。書いたものをデータ化するスキャナ。データの一部に縮小や複製とかの変換をかけられる簡易なエディタ。そのデータを別の紙に出力するプリンタ」
これらの道具を一般公開することは父さんに泣いて止められたけど、研究室内ではフル稼働している。これがなければ何年かかっても試作魔導書は完成しなかっただろう。
「切ったり貼ったりして再度スキャンする。最終的に魔導インクで紙に出力すれば、精密な魔道具が作れるんだ。卓上計算機を作ったときに論理魔導回路の動きも検証したから、あとは組み合わせるだけなんだよ。まぁ、ノイズの除去が難しくてそこまで集積度は上げられてないんだけど……それも含めて改良中だ」
「……すごい、リカルド」
「ありがとう、これはだいぶ頭をひねったからね」
レミリアの頭を撫でた。
さて、本題の魔道具を探そう。
俺はゴソゴソと資料をひっくり返す。机からいろいろな物が床に転がり落ちる。そして、机上に転がる指輪を見つけた。そうそう、これだ。
気づくと、レミリアが俺をジト目で見ていた。
「片付け……しようよ」
「う、今度ね」
そう言って、レミリアに指輪を渡した。
指輪には大きな魔石がついている。彼女はそれを右手の人差し指に填めた。やっぱり少し重そうだ。
「じゃ……やってみるね」
レミリアは命力を込めて右手をグルッと動かす。
小さくボソボソとつぶやくと、部屋の中に風が吹く。
彼女に向かって空気が集まるのが分かった。
俺は息を飲んで彼女を見る。
これが魔法、か。
レミリアはこれまで、深い魔法知識を持ちながら魔法を使うことが出来なかった。一族の中でも高名な魔法使いに師事して、たくさんの練習を重ねたのに、だ。
その理由。
彼女は体内の命力量が少な過ぎたのだ。
せいぜい一般人と同程度。魔道具を使ったりするのに問題はないけれど、それでは魔法使いにはなれない。
俺が作ったのは、小さな増幅装置だ。
命力が足りないのであれば、魔石から持ってくればいい。レミリアが制御する命力に合わせて、その動きを単純に増幅するだけの道具。命力増幅器を作ったんだ。
魔石の光が急激に弱まる。
レミリアが命力を解いた。使われなかった魔力の粒がキラキラと光り、レミリアの頭上で渦を巻いて霧散した。
それは、天使の輪のように見えた。
「できた……でもこの指輪、重い」
「見るからにそうだね」
「反応に少し遅延がある。魔石もこれだけで空っぽ。それに、増幅率が調整出来ない」
「確かに。いろいろ課題は多そうだ」
「でも……」
レミリアは指輪を外し、両手で抱える。
役立たず。
彼女は家族からそう呼ばれて育った。
魔法貴族にとって、魔法を使えない娘など汚点以外の何ものでもない。そんなことを、彼女は息苦しそうに話していた。
命力の原理はまだ掴めない。
でも、なんとか上手くいって良かった。
俺はゆっくりと歩み寄る。
レミリアは潤んだ瞳で俺を見た。
「私にも、魔法が使えた……ありがと、リカルド」
小さな影が俺の胸の中に飛び込んできた。
俺はその肩の震えが止まるまで、彼女をそっと抱きしめながら、ずっと頭を撫で続けたのであった。
「ファンタジー」の人気作品
-
-
3万
-
4.9万
-
-
2.1万
-
7万
-
-
1.3万
-
2.2万
-
-
1.2万
-
4.8万
-
-
1万
-
2.3万
-
-
9,711
-
1.6万
-
-
9,545
-
1.1万
-
-
9,448
-
2.4万
-
-
9,173
-
2.3万
コメント