錫メッキ短編集

錫メッキ

死に際の華




もし。
君だよ君。
そう、君は自分の死に際について考えたことはあるだろうか。
そうだな、私は今迄に3葉程考えたことがある。

ふむ。
その1葉目はまだ私が数えて7つ(6歳)の夏の話だ。
当時の私は幼さ故か珍しい物に貪欲で
あった。
丁度当時、悪垂れ仲間であった山田の兄が飼い始めた色鮮やかな小鳥が近所に評判で、
私にはそれが羨ましくて羨ましくて堪らなかった。
どうしても小鳥が欲しい。
そして近所で評判になりたい。

と、要するに当時の私はとにかく目立ちたかっただけなのだろう。
そんな不純な私が目をつけたのが小鳥を飼うという行為であった。

しかしながらその小鳥を飼うという行為が7つの子供には困難なもので、
父親にせがんでみたら山田の真似かと鼻で笑われ、
母親に頼んでみたがお前にはまだ早いと諭された。

まぁ、これも今なら理解できるのだが当時の自分は幼子特有の自信の塊であり、到底納得できるはずも無かったわけだ。

ここでやめとけばまだ救いようがあったが、
しかし当時の自分が無い知恵を絞って考え出したのは
自分で捕まえるという至極原始的でお粗末な作戦であった。
だが時に天は馬鹿にも味方をする。

なんとこの時我が家の竹製の篭の1部が壊れ、
修理するよりもおもちゃにした方が早いと言って土をすくうなり石を詰めるなりして遊べと母から譲り受けたばかりだった。

私はそれを嬉々として鳥を捕まえる簡単な罠に作り替え、
毎日空きもせずに蝉がジワジワと鳴く木の下でせっせと罠に米をまいては鳥が罠にかかるのを待った。

そして罠にかかったのは1匹の小さな雀で、
当時の自分はなんの変哲もない地味な茶色の小鳥に少しの落胆と、
初めて自分で捕まえた自分だけの小鳥だという興奮だけが残った。

幼い頃の私は残酷だった。
…いや、子供は皆等しく残酷だ。
幼さ故の無知から私はその雀を日中水も与えず夏の暑い日差しの中に放置したまま山田弟と遊びに行った。

もう結果は分かるだろう。
そう、
私が遊びから帰ってきて米をやろうと篭を開けたら雀は死んでいたのだ。
死因は熱中症だろう。
だが当時熱中症なんて言葉は無く、
私は死んだ雀の薄く開いた目を見ながら、
ただ漠然と
『雀はこの暑さで煮立って死んでしまったのだ。』
と思ったのを今でも憶えている。

私はこの事が父にバレてしまうのが恐ろしくなり雀の死骸を篭で救うと、
家の裏の湿った土に埋めた。

その夜だ。
私が初めて自分の死に際を認識し、恐怖したのは。
当時は死なんて概念は無く、
自分という存在は永遠に続くとなんの根拠もなく思い込んでいた私は、
雀の死…それも自分が与えた死を目の当たりにして初めて本当の意味で生命の儚さと有限を知ったのだろう。

因みに雀の墓は次の日、花を供えようと覗いてみたら私の掘り方が浅かったのだろう。
近所の野良猫か野良犬に掘り返されて跡形もなくなっていた。


これが私の1葉目であり初めて心に傷を負った出来事だ。
ところで君、心に傷を負うなんて言葉は少し長いとは思わないか?
欧米ではなんと言うのだったかな?
なに、虎馬?
ふむ、入案す?
違う?なるほど。

私も年をとった。
欧米の言葉もよく分からないな。
あぁ、君。
教えてくれてありがとう。




さて、ニ葉目の話をしようか。

あれは…17の頃だろうか。
雪がちらつく、風の強い寒い冬だったのを覚えている。

この話はなんの変哲もない、
実に単純な話で、親戚に不幸がありその人の葬式に参加したときの話だ。

私はその親戚と顔を合わせたことが殆どなくてね、
どんな人間でどんな人生を過ごしたのかなんてのは軽く話に聞いていたが…

まぁ、
なんというか、
あまり尊敬のできる人生ではなかったのは覚えている。

しかしその死因だけは印象的で、忘れられないものだった。
その人は夜、病院で寝てる間に喉をつまらせて死んだと聞いた。

人にとってはどこにでもある死因なのだろう。
ただ、その話を聞いた時私は

『あぁ、この人は空気に溺れて死んだのか。
それは随分と苦しかっただろう。』

と同情し、自分は窒息で死ぬのは嫌だ、出来ることなら楽に死にたいなぁと思った。
これが、この心情こそが何より印象的で忘れられないものだった。

この葬式が始まる前私は両親に連れられて最後の見送り、
と称して親戚の遺体をまじまじと見る事になった。

正直私は親戚と言ってもよく知りもしない人間の死体を至近距離から眺めるという行動が嫌でたまらなく、
あまつさえ頬を撫でてあげさない。
と言った母の言葉が信じられないものだった。

とは言ってもまだ当時17という歳で目上の人間の言葉を無視することもできず、
きれいに整えられた親戚の遺体の頬を恐る恐るそっと撫でた。

初めて触った人間の死体は、
ヒンヤリとしていたが氷のように冷たいわけではなく、
よく話に聞く石のように硬いなんてこともなくフニャリとした柔らかさがあり、
そして肌はしっとりとしていて記憶にあった荒れた雀の死骸と随分違うことに驚きつつも服の裾でバレないようにそっと手を拭った。

葬式の間は、むせ返るような香の匂いと坊主の長い経に辟易しながらずっとうつむいていたのを思えている。


葬式も終わり、
遺体の火葬を始めると今度は煙を見送ろうと言われ、
雪と風と煙が舞う火葬場の外に連れ出された。

寒い中。
立ち上り、舞散らかす茶黒っぽい煙は今までかいだことのない臭いで、
草を燃やす臭いでも、
木を燃やす臭いでも、
肉を燃やす臭いでも無い、
よくわからない、だが癖の強く不快な臭いだった。

その臭いをなるべく嗅がないようにしながら服に臭いがつかないかを心配した私は薄情な人間だったのだろう。

全て焼かれ、
遺骨を箸で掴んだとき、標本などで見るツルリとしていて硬く重いものを想像していたが、
実際はキシキシとしていてスカスカなで、かなり軽く脆いものだったのをとても意外に思い、同時に

『あぁ、さっきの煙の臭いは骨を焼く臭いだったのか。』

と妙に納得したのを覚えている。


その時に私が学んだのは、客観的な死の苦しみと死後の虚しさだろうか。
なんと言えばいいか、死んだら終わりだ。
という言葉の意味が初めて理解できた。
と言えばいいだろうか。


なんだい?臭い?
あぁ、煙の臭いは結局、
全て終わったあとに服を嗅いでみたが服には葬式場の香の匂いが染み付いていて全くしなかったね。

君はまだ他人の葬式に出たことが無かったのか。
ふむ、まぁ、これから経験するだろう。



そして3葉目だ。
これは今。
そう、丁度今だ。

不思議そうな顔をしているね。
さて、最初の質問に戻ろう。
君は自分の死に際について考えたことはあるだろうか。
最期の瞬間はある意味人生の華だ。

そして死に際の価値観は人それぞれである。

カラッと晴れた日に明るく死にたい、
いや、
雨の降る日にしっとりと死にたい、
いや、
何も知らずに眠るように死にたい、
いや、
苦しまないうちに楽に死にたい、
いや、
愛する人と一緒に同時に死にたい、
いや、
家族に囲まれて幸せに死にたい、
いや、
他人に迷惑をかけないでに死にたい、
いや、
自然の中で同化するように死にたい、
いや、
思い出の場所でひっそりと死にたい、
いや、
信念の為に英雄的に死にたい、
いや、
大きな一歩の為に犠牲的に死にたい、
いや、
もしかしたら死にたくないと足掻く人間もいるだろう。

さて、君の死に際の華は決まったかな?

そろそろ時間だ、人生も楽しい時間もあっという間に過ぎる。
気付いたときにはもうあとほんの少ししか残っていないものだ。

直に私の家族が来るだろう。
君はもうお帰り、これから私の華を飾るとしよう。


ーーーある病院の個室。
そう言って、
カーテンが揺らめく窓を背にして僕の目の前にゆったりと座っている老人はお茶目に微笑んだ。






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死に際の華!
正月明けの話じゃないですね!
本当は天国と地獄→死に際の華
って続き物にしたかったのですが作者の気力的にできなかったです!

感想、ブクマ、アドバイス
よろしくお願いします!

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