本日は性転ナリ。

漆湯講義

40.林道の待ち人

 見晴らしの良い崖沿いの道を歩いてきた私達だったけど、少し歩いて行くと周りの風景が一気に変わった。
 新緑の葉を靡かせる木々たち。そして力強く生い茂った森林に囲まれたその道の脇は、役目を終えた落ち葉たちがまだ少し残っていて、歩くたびに軽やかな音が……あれっ? そう、歩くたびにシャリシャリと乾いた音色を刻んでいる。
 その音に重なる、心地良いパリパリというハーモニー……?

「って莉結か!」

 後ろを振り返ると、莉結が持ってきたであろう菓子を、ほのかさんや千優さん、皆んなで頬張っていたのだ。
 気を取り直し、木々に挟まれた狭い道を少し進むと、少し開けた場所に出た。その開けた場所の端は崖になっているみたいで、その端にひっそりと建てられた山小屋の前には、"崩落の恐れあり! キケン近づくな! "と書かれた大きな看板がぶら下がっている。
 すると好奇心を擽られたのか、ほのかさんが先頭へと躍り出て山小屋へと駆け寄って行ったかと思うと、突然その足を止めた。

「あれ……、五組の天堂さんじゃない?」

 曲がり道に建てられているせいで、山小屋の影に隠れていて私の位置からはまだ見えなかったけど、少し前に進んで行くと山小屋の前に女の子が座っているのが見えた。

「天堂さんっ、どうしたのっ?」

 ほのかさんが親しげに声をかけると、その子は
 近づくにつれてだんだんと彼女の表情がはっきりと浮かび上がってくる。

 ……綺麗な子だなぁ。

 その少女は、綺麗な金色の長髪を風に靡かせ、皆と同じジャージを着ているというのに、その姿は気品に溢れているように思えた。

「天堂さん、休憩?」

 その少女の胸には"天堂"の文字が刺繍されていた。天堂さんは、ほのかさんの呼び掛けには答えず、何故か私を真っ直ぐ睨みつけるとゆっくりと私の元へと突き進んできた。

「随分と楽しそうね」

 突然そんな事言われても返す言葉が見つからない。すると天堂さんは私の耳元でこう囁いたのだ。

「二人きりでお話をしましょ」

 そして天堂さんは、私の返答を待つ事無く、私の手を引いて歩き出した。
 状況が飲み込めないまま、私は崖の方へと連れて行かれる。背中に「衣瑠っ、どこ行くの?」と莉結の声が聞こえたけど、それに答えるようなほのかさんの声が聞こえて、それ以上莉結が何かを言う事は無かった。
 天堂さんは躊躇うことなく立ち入り禁止のロープを越えると更に奥へと進んでいく。そんな姿に不安を覚えた私は天堂さんに声を掛けた。

「あの……天堂、さん? この辺り崩落の危険有りとか書いてあったけど……」

「そうね」とだけ答えた天堂さんの横顔に表情は無く、一瞬私を見たその瞳には本当に私が映っていたのだろうかと思ってしまうほどだ……。

「けど、そろそろ危ないんじゃない?」

 私がそう言って立ち止まると、天堂さんもその足をピタリと止め、前を向いたまま、妙に落ち着いた透き通った声でこう言った。

「林間学校に来ていた女子高校生……ウォークラリーの途中で崖から転落、ってとこかしら」

 私は何か冗談を言っているのだと思った。でも……人形のように無表情で、まるで感情を忘れてしまったかのような天堂さんの表情が、私にそれが冗談などでは無い事を分からせた。

「可哀想……そう言ってもらえるだけ嬉しいと思わない?」

「なに、言ってるの? 天堂さん……」

 すると天堂さんは、その表情の消えた顔を私に向け、光を失った瞳で私を見ると、ゆっくりと低い声で……そう、あの時聞いたあの声で、こう言ったのだ。

「貴女なんて……居なくなればいい」

 その瞬間、あのトイレでの出来事が脳内で早送りに再生される。あの時の、あの声……

「どうして……?」

 私は喉の奥から絞り出すように掠れた声でそう聞いた。天堂さんはその問い掛けに答える事無く、私をジッと見つめ続ける……するとその暗い瞳に細い光が見えたかと思うと、涙の粒が頬をつぅーっと伝ったのだ。
 そして天堂さんは、表情を変える事無く、見開いたままの目から涙を溢してこう言った。

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