14,告白

「あぁ、財布が軽い……」

「必要な物なんだからしょうがないでしょっ。いつまで落ち込んでんのよ」

「今月一杯は落ち込みそう……女ってめんどくさい……」

　……麗美と学校で別れた後、私は莉結に言われるがまま帰り道のドラッグストアへと寄り道をした。どうせ莉結の買い物に付き合わされるだけなんだろうな、なんて考えていた私が甘かったのだ……

「ねぇ衣瑠、今日いくら持ってる？」

    店に入るなり、突然莉結がそんな事を聞いてきた。俺は"なんだ、立て替えてとかそういう感じ？"と思って「今日は俺ビップだから大丈夫っ」なんて答えると、何故か莉結が不敵な笑みを浮かべた。

「じゃぁ大丈夫だねっ！よしっ、それじゃぁ足りない分は私も出してあげるからとりあえずは全部揃えよっか！」

    その瞬間、俺は莉結の陰謀に巻き込まれたのだと悟った。あの笑顔を見ていい事があった試しなど無いのだから……

「全部……揃える？　え、何を？」

「だって衣瑠スキンケア系持ってないでしょ？　それとサニタリー……系とかっ？」

「いや、俺は別にスキンケアとかは気にしないし、えっと何？　サニタリー・K？    それもよく分かんないけど俺はいらないや」

　すると、急に莉結が自分の髪を掻き立てながら「あぁっもう！」と店内に響き渡る程の声をあげた。

「なんだよ突然っ」

　唖然と莉結を見つめる俺に、莉結の人差し指が向けられたと思うと、その指が俺の鼻先にぐっと近づいてきて、俺は思わず身体を反らした。

「ほんっとに勿体無い！」

    俺は聞き違いとしか思えないその言葉に首を傾げてしまう。

「勿体……無い？」

「勿体無いじゃんっ！　折角そんな可愛くなったのにさっ！　それにさっきから俺俺俺って！　どこに自分を"俺"なんて言う女の子がいんのさっ！　次"俺"って言ったらほんとに怒るからね！　私だって"衣瑠"ってちゃんと言ってるのになんで当の本人が…………」

　莉結の説教は止まる事無く続けられる……こうなった莉結に俺がどうこうできる訳もなく、俺はただただ頷いては"ごめん"と言う事しかできなかった。

「そう言う事だからっ！　分かった？　衣瑠っ！」

「はい……えっと私、如月衣瑠は今後一切男みたいな言動をしないように努力する事を誓います……」
　こうして、やっと解放されたお……私は、莉結に言われるがまま、"女の子の最低限の身嗜みセット"なる、無駄な……いや、大切な物を買わされたのたった。

"ありがとうございました"

    やけに胸に突き刺さる店員の声を背中に、私達は店を後にする。

「あぁ、財布が軽い……」

「必要な物なんだからしょうがないでしょっ。いつまで落ち込んでんのよ」

「今月一杯は落ち込みそう……女ってめんどくさい……」

「何言ってんの？　こういうのがあるから女の子はいいんじゃん」

「そうだよね……"女の子"だもんね……」

　静かな帰り道にレジ袋のガサガサという音が一定のリズムを刻んでいく。
　私の家が近づいてきた所で、妙に機嫌の良い莉結が私の背中をポンと叩いた。

「それじゃぁ今日は私帰るねっ、明日はちょっと早く迎えに行くから寝坊しちゃダメだぞっ、衣瑠ちゃんっ！」

「う、うん」

　そして莉結は私が持ったレジ袋を指差し、「今日の夜からちゃんと使いなよっ！　　　　それじゃまた明日ねっ」と言って小走りに去っていく。

"また明日"……か。
    また明日も衣瑠なんだよな……いつまでこの姿なんだろ……もしかしたら明日起きたら戻ってたりして……なんて考えても虚しいだけか。

    近所の家から色々な夕飯の香りが漂っている。カレーや焼き魚、美味しそうな焼肉の香り……それと同時にふと浮かんでくるある思い。

　母さんの手料理なんていつから食べてないんだろう……

    そして、そんな事を考えていたら私は家に着いていた。いつもの様に鍵を差し込んで回すと、いつもの解錠の感触が無い。
　私は急いで玄関のドアを開けると、そこには見慣れない靴が無造作に脱ぎ捨てられていた。

　違う……この靴は見覚えがある。

「母……さん？」

    俺は急いで家へと駆け込んだ。薄暗い廊下を抜け、リビングのドアを押し破るような勢いで開く。すると、目の前に飛び込んできた光景に私の足がピタリと止まった。

「なにやってんの……」

　テーブルの上に置かれた母さんのバッグには、乱暴に詰め込まれた通帳や印鑑が見えた。私の呼び掛けに返事は無く、私は硬直したまま微動だにしない母さんの反応を待った。

　……病院から母さんに連絡がいっている事は病院に確認をとって聞いた。それなのにこの三日間、連絡も返さず、家にも帰って来なかった理由が知りたい。そりゃ勿論この姿を見て驚くだろう。驚かないわけがない……だけど、こんな時だからこそ逃げずにちゃんと向き合って話をして欲しいのだ。

　"あなたはこの世界でたった一人の俺の母親なのだから"

    しかし、母さんは俺を見ることもなくバッグを手に取ると、すっと私の横を通り過ぎ、足早に玄関へと向かい出したのだ……

「なんで……」

    その瞬間、全身の力が抜け、崩れ落ちてしまいそうになってしまう。だけど……今、母さんを出て行かせてしまったら俺は……

    俺は意を決して玄関へと走った。恐怖と不安がその足を止めようとしても……

    すると母さんは靴を履くこともせず手に持つと、玄関のドアを掴む。そして俺は咄嗟に母さんの腕を掴み、叫んだ。

「逃げんなよッ！」

    それはまるで泣きじゃくる子供のような声だった……と思う。

    そして、俺が掴んだ母さんの腕は……震えていた……俺の手から手から力が抜け、ぶらりと垂れ下がる。
　すると母さんは、喉の奥から絞り出すように、小さな小さな声でこう言った。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」

    母さんの口から出たその言葉の意味が理解できない。

なにに……謝ってんだよ……聞きたかったのはそんな言葉じゃないのに。

　そして何かが弾けたように、突然声を出してその場に泣き崩れた母さんを見て、私の身体から一気に力が抜けていく。

　おれは……かあさんのなんなんだ……

    頭の中で大きな渦巻きが波飛沫を立て、無音のまま大きくなっていく……それから意識が遠のいていって……どれくらい経ったのかは分からない。
　……徐々にはっきりとしていく視界に映り込んだ、玄関の小さなガラスの向こう側はすっかり暗くなっており、そこから廊下へと差し込む頼りない街灯の光が、ぼんやりとした二つの影を浮かびあがらせていた。

　……母さんは座り込んだまま動かない。私はその姿をぼーっと見つめているだけで、力の入らない身体を冷たい壁に預けていた。
　暫くして寝息みたいな小さな深呼吸が静かな廊下へと響くと、ゆっくりと動いた母さんの影が、真っ直ぐに俺を見つめた。

「瑠衣……言わなくちゃ……いけないことが……あるの」

    母さんの口から語られたその内容は、あまりにも身勝手で、利己的で、エゴに溢れていた……そしてそれは、俺の存在をも否定しているかのように思えた。

「そういう事なの……本当に……ごめんなさい」

    気が付くと、俺は裸足のまま、弾き出されたビー玉の如く玄関を飛び出していた。