3次元嫌い・隠れヲタの俺の家に歌姫が転がり込んで来た件

みりん

7 不意打ち

「いらっしゃいませ~☆」

 鈴を転がすような美声が、来店したお客を出迎えた。

 白シャツに黒のミニスカートというポモドーロの女子の制服を着こなした土岐みくるは、お客に元気に駆け寄ると、若干オーバーリアクションながら、卒なくテーブルへ案内を開始した。

 持っていたメニュー表を開き、お客に手渡し、笑顔で頭を下げると、土岐みくるはお客の前から下がろうとした。しかし、20代くらいの男性客2人連れは、土岐みくるを呼び止めた。

「お姉さん、可愛いね~。いたっけ? 俺この店よく来るけど初めて見た。新入り?」

 土岐みくるは、笑顔で頷く。

「うんっ☆ 今日でバイト始めて三日目だよっ!」

「へ~。ほんとに入ったばっかりだ」

「そうなの。もう、覚えることばっかりで大変! でもでも、みくる毎日シフト入れてもらったから、すぐに覚えちゃうよ!」

「おお~。偉いじゃん。みくるちゃんって言うの? みくるちゃんみたいに可愛い子がいるなら、俺ら毎日でも来ちゃうよ。なあっ」

「ああ。その代わり、みくるちゃんが接客してね」

 男性客が上機嫌で鼻の下を伸ばす。それに、土岐みくるは笑顔で頷いた。

「喜んで♡」

 いや、「喜んで♡」じゃねえよ。居酒屋じゃねえんだよここは。結構洒落たイタリアンレストランだ。土岐みくるの周囲だけ、何故かキャバクラか安い居酒屋か、そうじゃなかったらメイド喫茶みたいになっている。

 厨房から土岐みくるしんいりの様子をうかがっていた俺と早希さんは、ため息をついた。

「う~ん。敬語が全然です。うちのカラーとちょっと違います。私、あの子ちょっと苦手ですぅ」

 早希さんが、ハラハラした顔で土岐みくるを見つめて言った。

「同感です。俺も苦手です」

 困った顔で顔を見合わせていると、注文を取り終えた土岐みくるが、厨房まで戻って来た。

「シェフー! 本日のオススメパスタ2つだってー!」

「リョウカイです」

 イタリア人のシェフはみくるにウィンクを送ると、調理を開始した。シェフは、みくるの美貌の前にあっさり堕ちてファンになってしまった。従業員と仲良くするにこしたことはないので、それに関しては問題ではないが、シェフが張り切るので、賄いが豪華になりすぎて彼は店長に怒られていた。

「ねー、すごいでしょ! みくる、もうちゃんと注文とれるようになったんだよ♡」

「おまえ、あれでちゃんと出来てると思ってるのかよ。敬語はどうした敬語は!」

 俺が小突くと、みくるは、てへ、と舌を出した。

「みくる、敬語喋れない子なんだよねー」

「なんだよねーじゃねえ、ちゃんとしろ仕事だろ」

「はーい♡ 気をつけます♡」

 みくるは、左手で敬礼をしてみせた。逆だ。敬礼は普通右手だ。

「あのね、ゆう君。みくるこのお仕事だいすき! お客さんも紳士だし、お酒も飲まなくていいし、とっても楽しい! みくるがここで働けるようになったのも、二階堂さんにみくるをここで働かせてやってくれって頼んでくれたゆう君のおかげだよ。ありがとうね、ゆう君」

 土岐みくるは上機嫌で微笑んだ。

「お前の言う紳士の基準ってなんなんだ?」

 さっきの男性客のどこらへんが紳士だったんだろう。

「うーんと。おっぱいとか、お尻触って来ないところかな!」

 にっこりと笑顔で言い切る土岐みくるの発言を聞いて、早希さんが青ざめた。

 俺はため息をついた。

 敬語はめちゃくちゃだし覚えることはまだ山のようにあるが、本人はいたって楽しそうだ。

 それに、なんだかんだ言ってとりあえず注文はとって来た。やる気も十分。価値観の違いと問題発言で早希さんや一部の女子たちとは馴染めてないようだが、それを除けば土岐みくるはポモドーロでうまくやっていた。

 正直もっとグダると思っていたので、意外だった。まだここで働き始めてから3日なので、この調子で色々覚えられるようなら、存外戦力になるかもしれない。俺がここで働けるよう促した手前、土岐みくるが案外使えるという事実は、俺を安心させた。

 ◇

 土岐みくるは、毎日シフトに入り、俺や早希さんが大学に行っている間もポモドーロで働き詰めた。店長の指導もあってか、敬語もそれなりに身につき、重宝がられているらしい。

 俺はと言えば、7月に入り試験の日程が発表されたため、勉強とレポートに追われて、シフトにもなかなか入れない日々が続いた。

 家で猛勉強する俺と、ラストまで働いて遅くに帰って来るみくるとで、俺と土岐みくるは夜に少し顔を合わせる程度ですれ違う日々が続いた。

 特に問題は感じない。というより、俺はそれどころじゃなくなっていた。

 かなり努力して偏差値の高い大学に入ってしまったので、単位を獲るのも死に物狂いなのだ。

 特に、今季の授業は、想定よりレポートを出す授業が多かったため、書き上げるのに手こずっていた。あと語学。アカデミックイングリッシュがしんどい。旅先で困らない程度に喋れりゃいいじゃねえかと思うのだが、そう言う訳にはいかないのだ。来年3年になってゼミが始まってから、より専門的に文献研究を進めるためには、いまのうちからある程度読めるようになっていないと厳しい。

 そんなこんなで、俺は寝食忘れて勉強に没頭していた。

 金を貯めるためにバイトも週3で入れていたせいで、毎日夜中の3時くらいまで勉強して、朝9時の講義に出るために睡眠時間4時間半くらいの日々が続いた。

 それが3週間ほど続いたある日、俺はついに体力の限界を迎え、30分仮眠を取ろうとベッドに横になった。しかし、気づいたら0時を回っていた。つまり、寝過ごした。

 夕飯を食べた直後からだから、軽く5時間程寝てしまった計算になる。

 またやっちまった。

 俺は勉強を始めると周りが見えなくなる癖があるらしい。よくそれでおふくろにも怒られていた。勉強するな、寝ろ、と。

 自己管理ができないなんて、まだまだ子供だなと自分にげんなりしながら、ベッドに寝転んだままぼうっと天井を見上げた。まだ眠れそうだ。自分が疲れているということを自覚して驚いていた。せっかくだから、もう少し寝るか。

 そんなことを考えていると、玄関の鍵が開く音がした。

 土岐みくるが帰って来たようだった。

 俺は、とっさになぜか寝たふりをした。

 ガリ勉モードになっている時に会っても何も感じなかったのだが、ふと正気になった時に出会ったのは久しぶりで、どう接していいのか、分からなかったのだ。同じ部屋で一緒に生活してるのにおかしな話だが、実際、どう接していいのかわからない。

「おかえり」とでも言えばいいのか?

 いやいや、なんか変だろ。俺と土岐みくるは、そんな優しげな、家族みたいな挨拶をし合うような間柄じゃない。もっと他人で、殺伐とした、ただの同居人だ。

 俺がそんなことを考えていると扉が開いて、土岐みくるが開口一番、

「ただいまー! ゆう君、今日も勉強してるー!?」

 とあっさり、当たり前のように馴れ馴れしく挨拶をして、部屋に入って来た。

 俺は無視して、寝たフリを決め込む。

 0時を回っているので、就寝していたところで不自然ではないはずだ。

「あれ? 今日はうるせー黙れって言わないの? おーい」

 土岐みくるは、そう呼びかけてから、俺がベッドに寝転がっていることに気づいたらしい。様子をうかがって忍び寄る気配が近づいてくる。

 しまった、なんで俺、天井を向いたまま寝たふりしちまったんだよ。気まずいだろ。みくるもみくるで、俺の寝顔なんか観察してるんじゃねえよ。

「寝てる……」

 土岐みくるは、そう呟いた。いや、本当は起きてるけどな。さっさと風呂でも入って来いよ。ていうか、なんで気配が動かないんだ? 俺の顔に何かついてるんだろうか。後でまたからかわれるパターンのやつか、これ。

 内心俺がキョドってる間も、土岐みくるが動く気配はない。

 それどころか、気配が近づいてないか?

 不審に思い、俺はそっと薄目を開ける。

 まつ毛!?

 視認した瞬間、唇にふに、とした柔らかい感触が押し当てられた。

「っ!?」

 俺はとっさに土岐みくるの肩を掴んで引き剥がした。

「なにすんだ!」

 上半身を起こして座り、土岐みくるを睨みつける。

 土岐みくるは、心底驚いた、という顔で俺を見ていた。

 いや、驚いたのは俺の方だ。

 生まれて初めてのキスを、よりによって土岐みくるに奪われた。それも、寝込みを襲われた。初体験の唇は柔らかく、それを俺は屈辱的に感じて、手の甲を擦り付けて感触を消そうとした。

「――や、やだな~! ゆう君ったら、起きてたんなら、返事してよねっスケベ! みくる、起きてるかどうか確かめるためにキスまでしちゃったじゃん!」

「やめろよ」

 土岐みくるは、ヘラヘラと笑った。

「なに怒ってるの! もう、ゆう君ったら真面目なんだからっ。キスくらい挨拶みたいなもんでしょ! そんなに英語得意なのに、変だよっ! あ、もしかして初めてだった?」

「やめろって言ってるだろ! 俺をからかって楽しいかよ」

 さすがに許容を超えたおふざけに、俺は真剣に土岐みくるを睨みつけた。

 やっていいことと、悪いことがあるだろう。

 ここは合コン会場の居酒屋じゃないし、俺たちは日本人同士だ。挨拶でキスをする文化もあるが、多くの場合頬に、それも触れないようにする場合も多いと聞く。唇同士を触れ合わせるキスなんて、恋人同士のそれ以外にない。少なくとも俺の中では。それを、この1ヶ月半ほどの付き合いでわからなかったとは言わせないぞ。

「俺は、お前と違って好きでもない奴とほいほいこういうことをしたいと思う人間じゃねえんだよ。しかも、俺の意識のない寝込みを襲うなんて、なに考えてるんだ? おふざけにしても、やっていいことと、悪いことの区別もつかないのか?」

 睨み据えて言うと、土岐みくるは、みるみる萎れた。そして、見間違いかもしれないが、瞳を潤ませて、泣いた!?

「だって。――だって、ゆう君のこと、すきなんだもんばか!」

 顔を真っ赤にして、それだけ言うと、土岐みくるは「お風呂入ってくる!」と言って逃げた。

 走って廊下に出て行き扉をバタンと閉める土岐みくるを、俺は呆然と見送った。

 は?

 いまなんつった?

 すき、とか聞こえたが。まさか。そんなことってあるか?

 土岐みくるは無闇に人にすきだとかの類の言葉は使わない主義なんじゃなかったのか? だとしたら、社交辞令じゃなくて、本気で言ってるのか?

 まさか。俺はその仮説を否定した。

 じゃあ、なんであの時、間瀬とやったんだよ。話の辻褄が合わないだろ。

 土岐みくるは中2のあの日、俺が時計広場で待ちぼうけを食らわされた日、間瀬と浮気した。俺のことが好きなら、浮気なんかせず、待ち合わせ場所に時間通り来たはずだ。一緒にプラネタリウムに行ったはずだ。

 そんな計画を全部無視したのは土岐みくるで、その後、クラスメイトの面前で俺を振ったのも土岐みくるだ。

 土岐みくるが、俺をすきだなんてありえない。

 それとも、すきになったのは、あの頃の俺じゃなくて、いまの俺ということだろうか。

 背も延びて、高学歴と自称しても笑われない大学に入った現在の俺に惚れたんだろうか。あの頃の俺はダメで、いまの俺は良い、と言うのは、ある意味下克上できたのかもしれない。

 あるいは、あの涙もただの女の武器の嘘泣きで、俺がキレて分が悪くなったから逃げる方便のためにああ言っただけだろうか。

 俺は、そこで急激に考えるのが面倒になり、とりあえずヘッドホンを被り大音ミコの新曲を爆音で流しながら試験勉強の続きを始めた。勉強に集中してさえいれば、土岐みくるのことを考えなくてすむから。

 唇を無駄に噛みながら、俺は朝方まで勉強を続けた。

 風呂から上がって来た土岐みくるのことは、完全無視を決め込んだ。

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