名無しの魔法使い

さとう さん

#6 敬語は無しで

 緑生い茂る林の中に焦げ茶色の整備された道が一本ありました。東区の迷いの森と違い、分かれ道では立て札が立っている、わかりやすい道です。真上では太陽がさんさんとその道を照らしています。
 その道を一人の青年が歩いていました。短く整えられた黒髪に紺碧の瞳を持つその青年は、手の平サイズの小箱を持っており、上機嫌で鼻歌を歌います。
 青年は途中、二つに枝分かれした道で足を止めました。鼻歌も止まります。左を指差す立て札には『アッチ』、右には『ソッチ』といい加減に書かれていました。ところが青年はそのどちらにも向かず、間の茂みを掻き分けて進みます。そのまま二、三分進み続けると再び整備された一本道が現れ、青年の鼻歌が再び始まります。もう分かれ道はありません。あとはただ進むだけです。青年の歩みは次第に跳ねてスキップに。鼻歌もより楽しげに。

 道の先の広い芝生に、れんが造りが主流のリクルスでは珍しい、木造のログハウスが立っていました。
 自然と笑みを浮かべた青年は鍵を開け、
「きょーおのおーひるーはなーんだーろな、っと!」
 扉を開けました。
「ただいまー!」
 玄関に青年の元気な声が響きます。しかし返事はありません。首を捻った青年はリビングへ突き進み、静かにドアを開けますが、やはり誰もいませんでした。
「ジェンー? ナサリー?」
 キッチンにも、洗面台にも、トイレにも、お風呂場にもいません。トイレやお風呂場に二人きりというのも問題ですが。
(買い物、かな。どこかですれ違ったか)
 腰に手を当て残念そうに息を吐いた青年はその足で自室へ向かいました。
 鍵はあるのに掛かっていないドアを開け、床に散らばった書類を踏まないように歩き、持っていた小箱を机に置きました。代わりに引き出しにしまっていた煙草ケースから煙草を一本と、椅子を窓辺に運びます。
 煙草を咥え窓を開き、さあ火を点けようかと指を煙草の先端に近づけた、その時、
「わっ!!」
 窓の外で待機していたナサリが手を広げて勢いよく立ち上がり、青年の前に現れました。ナサリを見下ろし目を丸くした青年と、青年を見上げ手を広げたままのナサリの視線がぶつかります。
(え、ナサリなにやってんの……?)
(気まずい……!)
 するといつのまにか、姿の見えなかったジェンが青年の背中に近づき、
「隙あり」
 と青年の広い背中を叩きました。バシン! と空気が震えます。
「痛い!!」
 クリティカルヒットです。痺れる痛みが走り、青年は膝から崩れ落ちました。服の下には真っ赤な紅葉が咲いているでしょう。
「大丈夫ですか!?」
 心配そうに声を上げるナサリに、
「大丈夫だ。ナサリは家に入って」
 すかさずジェンが答えます。その顔は無表情ですがどこか爽やかです。澄んだ瞳をしています。
「あ、えっと、じゃあ湿布持ってきま……くる!」
 そう言ってナサリは玄関へ走り出しました。
「持って、きまくるの?」
 何枚持ってくる気だろう、と背中をさすりながら立ち上がる青年は不思議そうに窓の外、ナサリが走って行った方向を見つめます。その後ろでジェンが、
「頑張ってるなあ」
 と呟きました。青年はそれを聞き逃さず、
「どゆこと?」
 振り返って尋ねます。ジェンは青年から顔を逸らし、
「敬語やめろって言った。……仲間だから」
 後ろ首を掻いて答えました。青年は首を傾げます。
「なんで照れてんの?」
「照れてない」

 玄関の扉が開く音が家に響きました。慌てているようで、パタパタと軽い足音がリビングへ移動し、すぐさま青年の部屋に向かってきます。
「いいな。俺も敬語無しにしてもーらおっと」
「勝手にしろ」
 足音が部屋の前で止まりました。同時にドアがノックされます。
((偉い))
 鍵はいつも掛かっていませんが、ナサリはそんなこと知らないので当然です。
「あのっ、ナサリです!」
 青年は小箱を手に取り、扉越しのナサリに一声、
「俺にも敬語使わないって約束してくれたら、開けてあげる」
 と、優しい笑みをこぼすのでした。

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