名無しの魔法使い

さとう さん

#5 仲間入り

 数秒の沈黙。
 キッチンからこぽこぽとコーヒーを淹れる音が流れます。
 ほろ苦い上品な香りがリビングへ漂い、ナサリと青年の鼻を掠めてようやく沈黙は破られました。
「ナカマ?」
 涙はもう止まり、ぱちぱちと瞬きしたナサリの妙な片言に青年は肯首し、
「うん、仲間。俺たちの仲間なら誰にも怒られないよ」
 と微笑みました。
 仲間になるだけで怒られない職業とは一体何なのか、まだ夢の中なのではないかとナサリは自分の頬をつねりましたが夢ではありません。現実です。つねった頬の痛みで我に帰り、慌てて両手を振り椅子から立ち上がりました。
「いや、いやいやいやっ! そんなご迷惑をおかけできませんっ!」
「迷惑じゃないよ。な、ジェン?」
 振り返り尋ねた青年の後ろからちょうど、淹れたてのコーヒーとミニ苺タルトを持ったジェンが現れました。
「ナサリ、『全てを消せる魔法使い』を探してるんだろ?」
 青年の前にコーヒー、ナサリの前にタルトを置いたジェンがそう訊ねると、ナサリは食い気味にジェンに迫ります。
「何か知ってるんですか!?」
 ジェンは後ろへ引きながらいや、と答えて続けます。
「知らない。だが俺たちはこの国の、クロティカの各地を回っている。基本的に宿代と交通費は依頼料に含まれるから、探しやすくなるぞ」
 ジェンの答えにナサリは息を呑みました。お金は大事です。それはナサリが故郷からリクルスに辿り着くまでに十分に学びました。
 しかし命の恩人とはいえお金に釣られて知らない人の仲間になるなんて、もし送り出してくれた人たちに会ったら絶対に怒られます。
 ナサリが悩んでいると、座っていた青年も二人に合わせて立ち上がり、ジェンの肩に腕を回してそれに、と付け加えました。
「仲間にならなかったらナサリ、捕まっちゃうよ? いいの?」
「う……」
 挑発的な笑みを浮かべる青年は選択肢を与えているようですが、実際ナサリが選べる道は一つしかありません。

「……よ、よろしくお願いします」


 ナサリが返事をしてすぐ、青年は淹れてもらったばかりのコーヒーを飲み干して「じゃあ俺ちょっと用事済ましてくるね!」と出かけてしまいました。
 残されたジェンは新しいカップを用意して、同じく残されたナサリにコーヒーを注ぎ「ゆっくり食べてろ」とキッチンに隠れてしまいました。
 ゆっくりと言われてもミニタルトは味わって食べても二口で終わる大きさで、全て平らげてしまい手持ち無沙汰なナサリは食べ終えたプレートとカップを持ってキッチンへと向かいました。
「ご馳走様でした。私も洗うの手伝います」
「いや、客にそんなことは」
 先に流しに立っていたジェンは食器を置いて腕をまくるナサリを止めようとしましたが、ナサリはスポンジを持ち首を横に振りました。
「助けていただいたんです。これくらいさせて下さい。それに、」
 言い淀み、視線を落として続けます。
「な、仲間、ですから」
 俯いていて表情は見えませんが、ナサリの耳はほんのり赤く染まり、ジェンもつられて頬を赤く染めました。
「あ、ああ。頼む」
 二人に間に流水音だけが響きます。
 しかし三人分の食器はそれほど量もなく、ナサリが来たときにはもうほとんどが洗い終わっていたので、今洗っているのはナサリのデザートの食器だけでした。
 間もなくしてその食器たちも洗い終わりナサリが水を止めると、沈黙が漂いました。
「……家事は、得意か?」
 気恥ずかしい空気を破ったのはジェンでした。突然の問いにナサリは手を止め、
「えっ、あ、はい。一通りできると思います」
 と答えました。
「そうか。なら俺が私用で居ないときの家事は任せる。あいつにだけはやらせるなよ」
 絶対にだ、と念を押すジェンの重々しい表情でナサリは察し、しっかりと頷きました。
 ジェンはそれから、と続けます。
「敬語は無しだ」
「! そんなこと、」
 できません、と言いかけてナサリは口を止めました。
 ジェンの頬が先ほどのように紅く染まり始めていたのです。
「仲間なんだろ。さん付もするな」
 そっぽを向いたジェンでしたが、下から見上げるナサリにはばっちり伝わったようです。
「ふふ。努力しま、するね、ジェン」
「……っくそ、あいつ帰ってきたら殴る」
 口に出すとくすぐったくて少し照れ臭い『仲間』という言葉が、二人の距離を縮めました。

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