記憶のない冒険者が最後の希望になるようです
第35話 御山探索
亜竜ディグ、険しい山岳部に生息する亜竜の一種で、その機動力に攻撃力、高い持久力は亜竜の中でも知られている。
特に、その咆哮は凄まじく、至近距離で喰らえば硬直のみならず、吹き飛ばされる。
険しい山岳や深い自然も手伝い、時に軍勢さえ蹴散らす暴虐の存在でもあるのが亜竜ディグの一般的な認識だった。
「来ましたね。母上、樟葉殿、お下がりを」
水鏡神社の神主である静を探すために奥の社が存在する御山へと足を踏み入れたユイ、アズラエル、樟葉の三人。
御山の中腹まで進むと、進行方向にある崖の上からディグがこちらを見下ろし、唸り声をあげていた。
ディグの姿は被膜のついた前足と後ろ足がついた青い鱗に包まれた巨大な蛇。
長い尻尾はだらりと崖に垂らし、二股に別れた舌先が口からチロチロと見え隠れしている。
「参ります」
アズラエルは二人を後方に下げると、霊装の鎧を纏う。
真紅の炎を連想させる赤い鎧に身を包めば、格闘の構えをとり、ディグに向かって跳躍する。
「ハアアァァァーッ!!!」
跳躍した瞬間、アズラエルの背中から炎が噴き出し、噴射の勢いで飛行する。
ディグはまさか相手が飛行でき、自分の目の前まで近づけるとは思っておらず、目を見開き驚いた顔をしている。
アズラエルはディグの横っ面をぶん殴り、背後に回る。
「炎を噴射させて……空を飛んだ? なんて、力技を……」
「む、無茶苦茶ですね……!?」
「うううりゃあああああああ!!」
「ギィア――ッ!!」
アズラエルはディグの背後に回ると尻尾を抱き抱え、ジャイアントスイングの要領でディグを振り回す。
「セイッ!!」
「ぐ……るる……」
アズラエルは近くの岩山にディグを投げ飛ばす。
轟音とともに岩山に激突し、脳震盪を起こしたのかディグは起き上がろうとするが、脚に力が入らないのかよろけてこける。
「実力差はわかったでしょう、引きなさい、ディグ。私は、あなたを倒しにも、縄張りを荒らしに来たのではありません」
いまだ眩暈を起こしふらつくディグの眼前にアズラエルは仁王立ちするように立ちふさがり、言い聞かせる。
「ですが! なおも戦うと言うのならば、手加減はしません」
「ぐ、る……」
アズラエルとディグは睨み合う。
しばし睨み合い、ディグが小さく唸ると、背を向けて走り去っていく。
「ふう、これでもう襲って来ないでしょう」
「驚いた、まさかディグに負けを認めさせちゃうとは……」
ディグが完全に姿を消すのを確認するとアズラエルは兜だけ解除して、ユイ達に振り向いてほほ笑む。
ユイは本当にアズラエル一人でディグを撃退したことに驚き、そしてあきれている。
「確かに、ですが助かりました。ディグもまた、この御山の自然の生態系のひとつ。それを狂わせることなくすんだのは、僥倖です」
「ですね、あれが生態系を乱すなら狩猟依頼が出ていたでしょう。そうでないのなら、こちらの都合で乱すべきでないでしょう」
ディグを討伐せずに撃退したことに樟葉は喜び、その喜びを表すように狐耳がピコピコと活発に動く。
アズラエルも本来は争いが嫌いなのか、樟葉に同意する。
「そうね、なら先を急ぐとしましょうか?」
「はい、こちらになります」
樟葉が先導し、奥の社がある渓谷へと向かう。
そこは自然豊かな場所で、ディグの生息地であることと険しく危険な山道でさえなければ風光明媚な観光地になりそうな景色だった。
「すごい自然ね……渓谷にこんな場所があるなんて……」
「厳しい自然と危険な生物を越え、そして正しい道筋で至る。深山幽谷の化身という力を身につけなければ本来侵入もできません」
ユイは眼下に広がる大自然の美しさに言葉を失って見入っていた。
樟葉も自慢の景色なのか狐耳をピンっと立てて胸を張っている。
「うわ~、凄い奇麗です。父上にも見せてあげたかったですね」
「ふふ、どんな顔したかしらね? 帰ったら、あなたが教えてあげるといいわ」
アズラエルも目を輝かせて御山の大自然に感嘆の声を上げる。
ユイは興奮したアズラエルの様子にほほ笑み、チャンスがどんな対応するか想像して、また微笑む。
「それでは、『奥の社』へ――!?」
「待って!!」
「? どうされました? 母上、樟葉殿」
樟葉が先導しようとして奥の社へと向かおうとした時、異変を感じて足を止める。
同じくユイも樟葉と同じ違和感を感じたのか、エストックを抜いて刀身に炎を纏わせる。
アズラエルは二人が感じた異変を感じとれないのか、急に足を止めたユイと葛葉の二人の様子に首をかしげる。
「ご説明は後、こちらへ、身を隠しましょう。 隠形!!」
樟葉はユイとアズラエルの服の袖を引っ張って岩陰に隠れ、呪文を唱える。
周囲の草木が岩陰に隠れた樟葉達を包み隠すように伸びてくる。
外側から見るだけでは樟葉達が隠れているかどうかは分からないほどの偽装だった。
「Tick-Tuck……Tick-Tuck」
樟葉達が隠れると同時に遠くの岩山から錆びた歯車や螺子が集まってできた巨人が姿を現す。
一歩一歩歩くたびに不快な金属音を響かせ、チクタクチクタクと呟いている。
(……あれは?)
(……少なくとも、樟葉は知りません。生き物でもなく、精霊の類でもないですが……生物とアストラル体の中間……? 悪魔でしょうか?)
草木の隙間から外の様子を窺っていたアズラエルが錆びた螺子と歯車の巨人を指さし、樟葉に正体を聞く。だが樟葉は首を横に振って巨人の正体は分からないと述べる。
(それなら、まだマシねあれ、もしかして……『落とし子』じゃ、ないかしら?)
(落とし子!? そんな、まさか!?)
ユイが巨人の正体に予想をつけると、樟葉がぎょっとした顔になる。
落とし子とは一般的に神、悪魔、邪神などがこの世に産み落とした子供といわれている。
その強さはピンキリで、棒を持った子供が叩き殺せるときもあれば、国一つが一夜で滅亡するほどの力を持っていたりする。
(あれは、私達の対処できる相手じゃないわ)
(……それなら、私が出るというのは?)
ユイは落とし子を見つめて、自分たちの腕では対処できないと判断する。ユイの判断を聞いて、アズラエルは自分が戦いに出ると宣言する。
(駄目よ、敵の実力が未知数な時点で許可できないわ。亜竜とは、訳が違うのよ?)
(……不服ですが、承知しました)
ユイがアズラエルの肩に手を置いて首を横に振って引き留める。
アズラエルは母であるユイに自分が活躍するところを見せたかったが、止められて不承不承ながら飛び出すのをやめる。
(静様が、あれに足止めされたのなら心配です。まずは『奥の社』へ、隠蔽されているので見つからないでしょう)
落とし子の様子を窺っていたユイ達。落とし子はユイ達に気づくことなくチクタクと呟きながら遠くへ離れていく。
離れていくことにほっとした瞬間、落とし子は足を止めて、首を180度回転させて、ユイ達が隠れている岩陰を睨み、大きく振り上げた拳をユイ達が隠れている岩に向かって振り下ろした
「!? 母上、樟葉殿!私の背後へ!!」
落とし子に自分たちの存在がばれた。アズラエルは咄嗟に両手から炎を噴射させて拳の軌道を逸らす。
落とし子の逸れた拳は近くの木々を薙ぎ払い、大きな爪痕を残す。
「Tick-Tuck、Tick-Tuck」
相変わらず落とし子はチクタクという言葉が鳴き声なのか繰り返しながらまた拳を振り上げる。
アズラエルが構えていると、ユイが飛び出しだしてくる。
「母上!!」
「後退するわ! アズラエル、牽制よ!!」
ユイがエストックに纏わせた炎を落とし子に噴射させる。
ユイと同じようにアズラエルも炎を噴射させる。
落とし子は炎を浴びて体を構成する螺子や歯車が炎の高熱で融解する。
「Tick-Tuck、Tick-Tuck」
だが次の瞬間、まるで時間が巻き戻ったように融解したはずの歯車や螺子が元通りになり、傷を負った形跡すらなくなる。
「ダメージが再生!?」
「とにかく、目晦ましと足止めに終始して!!」
実のところ、この落とし子と式神の間にそこまで絶望的な差はない。亜竜ディグとの戦いの違いは、その身体能力の差に過ぎない。
猫が本気で獅子に挑んでも、じゃれつく獅子に猫があしらわれる――ようは、そういう話だ。
だが、これが獅子同士であれば話は違う。力を使いこなしている方が強い、当然の話だ。
ましてや、ユイや樟葉……他人を守りながら戦うアズラエルに万に一つの勝機もない。
(せめて、私が樟葉を請け負えたら……!)
ユイとアズラエルが炎を操り、攻撃を繰り返すが落とし子の再生能力の方が上回っており決定打を打てず、じりじりと追い詰められていく。
(クッ……こうなったら! 命と引き換えの切り札……使う!? ――ルクレ――)
「!? いけません、母上!!」
ユイは隠していた切り札を使おうとする。ユイから力の流れを感じたのか、アズラエルが切り札を使おうとするユイを止めようとする。
「Tick-Tuck!!」
落とし子もユイから脅威を感じたのか、ユイを睨みつけ口を大きく開くと無数の螺子や歯車の礫を噴き出す。
「!?」
「間に――あ、って――ぇ!!」
急に殴りつける以外の攻撃をしてきた落とし子の行動に意表を突かれたのかユイは防御が遅れてしまう。
母を助けるべくアズラエルが射線上に飛び出し、身を挺してユイを護る。
「アズラエル!?」
「う、あ……に、げて、く、だ……はは、う、え……!」
落とし子の直撃を受けたアズラエルは吹き飛び、怪我を負う。
ユイがアズラエルを助け起こそうするが、落とし子は容赦なく二人の頭上に拳を振り下ろそうとする。
(このままじゃ、ふたりとも――!!)
「た、すけて、父上……――」
迫りくる巨大な落とし子の拳。アズラエルを抱えて逃げられないユイ、呻くように父親に助けを求めるアズラエル。
「お二方っ!?」
絶体絶命、その絶望ともいえる状況に樟葉は叫ぶしかなかった。
無慈悲に振り下ろされる拳。ユイとアズラエルは互いを庇いあい目を閉じる。
「………?」
「!?」
いつまでたっても衝撃が来ない。ユイとアズラエルがうっすらと目を開けると、二人の目の前に着流しと呼ばれる薄汚れた東洋の民族衣装に身を包んだ、一人の男性がサムライブレードと呼ばれる東方の片刃の剣を振り上げて立っていた。
ユイとアズラエルに向かって振り下ろされたはずの落とし子の拳は肘から切り落とされ、彼方へと吹き飛び、螺子や歯車を周囲にまき散らす。
「親父さんじゃなくて、悪いな。本当、偶然、通りがかっただけだが――」
男がサムライブレードを腰に下げた鞘に納刀しながら振り返る。
手入れのされていない不潔なもじゃもじゃの黒髪、黒い布を眼帯代わりに左目を覆い、無精ひげを生やした軽薄そうにへらへら笑う二十歳ぐらいのスオウ人顔の青年だった。
「安心しな――俺は幼女と少女をこよなく愛する、紳士だ」
男はキメ顔で変態発言をした。
          
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