私はもう忘れない

林檎

お母さん

  カズくんが持っている絵はおそらく、椿ちゃんが生きていた時に描いた家族の絵だ。
  その絵を見た悪霊は表情を変えずにずっと絵を見ていた。

(食いついた。やっぱりまだ記憶が奥底にあるんだ。だったらまだ、戻せるかもしれねぇな)

  そう思いカズくんは、ハルの方へ目線を向けた。
  その目線に気づき、ハルは小さく頷いた。

「椿!お母さんよ。忘れたの?アナタは昔からずっとお母さん子だったよね。毎日毎日。お母さんお母さんって。ちょっぴりうるさい時もあったけどそれでも、いつも笑ってくれた椿が私はとても可愛くて愛おしかった。アナタはこんなことをする子じゃないって分かってるから。だから、もう戻っておいで?お母さんの所へ戻ってきてちょうだい?」

 そういい前に出て手を広げた。それをカズくんは見ていたが、悪霊少女の様子がおかしいことに気づく。

(なんだ...なんか...さっきまでとは違う気が...)

  そう考えているといきなり悪霊少女はカズくんへ思いっきり突進しようとした。

「なっ?!」

  先程とは比べようもない速さでカズくんを捕らえた。何が起こったかわからず逃げ遅れたカズくんは悪霊少女の大きな手に捕まってしまった。

「がっ...」

  すごい力で潰そうとしている。

「や...め...」

  カズくんが手から逃れようとするが締め付けられる一方で上手く体が動かない。

「く...クソっ...」

(どうする...俺がこのブレスレットを取れば逃げれる。が、そしたらもうこいつに何も伝えられねぇー...また幽霊に戻っちまう。どうする...どうすればいい...)

  考えているとすぐ下にハルがいた。

「バカ!!そんなところにいたら...がっ...あ...あぶ...ねぇーだろ!!」

  手に力を入れられ思うように話せなくなってきた。

「椿!やめて!もうやめて!!こんなことをしても意味は無いのよ!!無駄に犠牲を出すだけよ!お願いだからもうやめて!!」

  ハルが悪霊少女の手を掴みカズくんから離そうとしたが力が強くてビクともしない。

「お願い...やめて!!」

  その声は悪霊少女には届かなく空いているもう片方の手でハルを摘み自分の顔の近くまで持ってきた。

「椿!お母さんよ!わかって!!」

  そう訴えるが届かなかった。
  悪霊少女はそのままハルを遠くへと飛ばそうとした。

「やめて!!椿ー!」

  叫びは届かず、手は離されハルは中に舞った。
  カズくんは体が動かず見てるしかなかった。ハルが地面に叩きつけられるのを。
  カズくんがもうダメなのかと自分の『消滅』を覚悟した時。地面に叩きつけられるはずのハルの体を誰かが捕まえ支えた。

  「大丈夫ですか?!」

  ハルは何が起こったのかわからずその場で固まっていた。
  カズくんには見えた。ハルを体を張って助けた葵の姿が。

「って...私のことは分からないんだった...」

  そう言うと葵はハルから離れカズくんに近づいた。

「カズくん!待ってて!次は私が助ける番だよ」

  そう言うと悪霊少女に走りながら近づいた。

「や...めろ...」

  今出せるだけのめいいっぱいの声を出したが上手く出すことが出来い。

(カズくんの体がもう限界なんだ!何とかしないと)

  そう思い近づきながらどうすればいいのか考えた。すると、カズくんの近くに落ちている紙を見つけた。

「あれは...」

  一瞬目をそらした瞬間に悪霊少女の手が葵に伸び捕まえようとした。それに葵は気づき既のところで右に体をそらし避けた。

「危ない...」

  ボソッと呟きつつ足元の紙を拾い上げた。

「椿ちゃん。この絵のお母さんすごく幸せそうに笑ってるね。」

  絵を悪霊少女に見せながら言った。

「3人仲良く笑ってる。すごく幸せそう。椿ちゃんからはみんながこう見えていたんでしょうね。」

  悪霊少女はそのまま手を止めていた。

「みんながこうやって幸せそうに笑っているのはなんでだと思う?それはね、椿ちゃんが心の底から笑うからだよ!」

  その言葉に悪霊少女は反応した。

「笑ってよ!心の底から幸せそうに。」

  葵も笑顔でそう言った。
  すると、悪霊少女の目からは大粒の涙が流れた。

「お...か......さん...わる...こ......わた...し...わるい...こ...おか.....さん...なか...し...た......わ...る...こ...」

  悪霊少女が涙を流しながら途切れ途切れだが声を出した。

「ううん。あなたは悪くないよ。大丈夫。さぁ、お母さんにめいいっぱいの笑顔を」

  葵が悪霊少女にほほ笑みかけた。

「お...かあ...さん」

  涙を流しながら『お母さん』とこぼした言葉は悲しく寂しい想いが込められた一言だった。
  カズくんを握っている手からは力が抜け小さくなっていった。
  いきなり離されたカズくんはまともに立つことが出来ずその場に膝を着いてしまった。

「カズくん?!」

  葵は慌ててカズくんに近づき支えた。

「大丈夫?」

  心配そうにカズくんの顔を見る葵は眉間に皺を寄せ今にも泣きそうな顔をしていた。

「なんでお前が...そんな顔してんだよ...」

  肩で息をしながらカズくんは手を葵の頭に優しく触れた。

「良くやったな。流石だ」

  優しく微笑むカズくんの顔を見て葵は今まで我慢していたものが涙となって目からはこぼれ落ちた。

「たく...お前は...本当に泣き虫だな...」
「だ...だって...よかった...ほんとに...よかった... カズくんが無事で...本当に...」
「ばぁ〜か。俺は死なねぇーよ。てか、今の体がもう、死んでるようなもんだろ」
「冗談に...なってないからね?」
「そーか?」

  二人はやっと緊張の糸がきれいつも通りの二人に戻った。

「だが、まだ全部終わったわけじゃねぇー。続きはまた後でな。それまでまだ涙はとっとけよ?」
「...もう泣かないから」
「ホントかね?」
「...多分...」

  二人は悪霊少女の方へと目を向けると泣いていた。
  一人でうずくまりながら。

「椿ちゃん...」

  葵が呟くとカズくんは立ち上がり椿ちゃんの方へと歩みを進めた。
  そして、椿ちゃんを支えるように肩に触れた。

「顔...上げろ...おめぇーのお母さんが待ってるぞ」

  その声に反応するように少しづつ顔を上げると、前には座り込んでいるハルの姿があった。
  ハルは先程の現象にまだ戸惑っている感じだが、椿ちゃんと目が合うと小さく名前を呼んだ。

「つ...椿...?」
「お...おかあ...さん」
「椿!!」

  ハルは立ち上がり椿ちゃんの所へ走った。そして、抱きついた。

「お...おかあ...さん...おかあさん!!」

  椿ちゃんもハルの大きな背中に手を回し泣きついた。

「椿!!」
「お母さん!!」
「もう!椿のバカ!こんなことをするのはもうやめなさい!また、お母さんを笑わせてちょうだい」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」

  椿ちゃんは何度も何度も謝りハルは何回も椿ちゃんの名前を呼んでいる。

「カズくん。良かったね」

  葵はカズくんの隣に近づいた。

「あぁ〜。だが、もう時間が無い。」
「え?」

  すると、椿ちゃんの体が光っている。

「成仏の時間だ」

  椿ちゃんの体がだんだん薄くなっていく。

「椿!椿!!」

  今までにないほど強く、優しくハルは椿に抱きついた。

「お母さん。笑ってよ。椿、お母さんの笑顔を見たい」
「椿...」

  二人は少し体を離し顔を見合わせた。

「椿、ごめんね...あの時私が貴方と一緒にいたらあんなことにはならなかったのにごめんね...ごめんね。そして、今までありがとう」
「お母さん。ごめんなさい。約束守れなくて...ごめんなさい...ありがとう」

  二人は今出来るめいいっぱいの笑顔でまた抱き合った。

「椿。椿!」
「お母さん!これからも笑ってね。椿。見てるから。ずっと!お母さんを見てるから!」

  そう言うと椿ちゃんの体が光となって空に消えていった。

「え...う...ぐ...つ...椿...」

  ハルは今まで抱き合っていた手を自分に引き寄せ泣いていた。

「これで...良かったんだよね...これが...正解だよね」

  葵が聞くとカズくんがハルに向かって歩き出した。そして、ハルの肩に手を置いた。

「椿が見てるぞ。親がそんなんでいいのか?」
「...そうね。そうよね」

  涙を拭きカズくんと一緒に空を見上げた。それにつられ葵も空を見上げた。

「椿ちゃん。お疲れ様。ゆっくり休んでね」


  夕方になりハルを家まで送ったカズくんと葵。「じゃーな」と、そのまま立ち去ろうとするカズくんをハルが呼び止めた。

「カズさん。今回はありがとうございました。」
「...おう」
「あの...アナタは自分のことを学生さんと言ってました。それって嘘なのでしょ?」

  カズくんが少し口を閉ざしていたが一言だけ言った。

「だったら...なんだ」
「...い〜え。何でもないですよ」
「何でもないのかよ!」

  カズくんが振り向きハルに向かって怒った。その時のハルの顔は初めてあった時とは別格でとても綺麗に見えた。

「あなたが何者かは私にとっては関係ないことよ。何より、貴方は私たちを救ってくれた。それだけ分かっていれば私は十分なのよ」

  一呼吸おき、笑顔をで「ありがとう」と言った。

  「もう会うことはねぇーだろーけど元気でやれや。あと、弁当は買わねぇーなら買うな!自分で作れ!栄養偏るぞ!」

  ハルは驚き瞬きをしたあと声を出して笑った。

「えぇ。気をつけるわ」
「ふん。じゃぁ〜な」
「うん。あなたもお元気で」

  そう言って、ハルは玄関の戸を開けた。入る前にもう1度後ろを見たがそこにはもうカズくんの姿はなかった。

「...不思議な人」

  そう言い残してハルは、玄関の中に入っていった。
  
「お疲れ様。学生さん」
「黙れ」

  葵がカズくんに向かって笑いながらそう言うと間髪入れずに返ってきた。

「ふふ」
「笑い事かよ。あれは咄嗟のことだったんだよ。仕方がねぇーだろ」
「何も聞いてないけどね」
「お前...最近俺に当たりきつくね?」
「そんなことないよ」
「目が口ほどに物を訴えてんぞ」
「あらら...それは残念。気づかれましたか」
「おい!!」

  そう二人ははくだらない話をしながら神社に行った。
  途中で葵は神社が壊されたことを思い出した。

「そういえば、私たちの帰るところ...無くなっちゃったね...どうしよう」

  そう悩んでいるとカズくんが顔の向きを変えずに答えた。

「そもそもあそこはお前の帰る場所じゃねぇーよ」
「え?...でも...」
「お前の帰る場所は神社じゃねえー。お前が帰るべき場所は、お前を大事に思っている奴らの隣だろ」

  そう言うカズくんはどこか真面目な顔だった。

「うん...そうだね」

  カズくんは真剣な顔でそういうから葵も頷くしかなかった。

(カズくんの帰るべき場所は一体...)

  そう考えていると目の前に鳥居が見えた。

「あれ?」

  神社の鳥居はしっかりありどこも壊されている感じはない。神社の方もいつもと変わらない感じだった。

「壊されて...ない?」

(なんで?)

  カズくんは当たり前のように神社の中に入っていった。

「...壊されてないの知ってたのかな...」

  葵もカズくんのあとを続いて入っていった。

「カズくん...神社なんで元に戻っているの?」
「あ?あぁ〜。あいつが成仏したからだろ」
「どういうこと?」
「悪霊が壊したものはその悪霊が成仏か祓われたら壊れたものは元に戻るんだよ。じゃなかったらこの世のものは殆どが壊されてるぞ」
「そ...そうなの?」
「人間共が知らないだけであっちこっちで悪霊がものを壊したり、人間を襲ってる。だから、祓い屋とかがいんだろ」

  壁に寄りかかりながら一通りの説明をしてくれたカズくんはいつも以上に疲れた表情をしている。

「お疲れ様。ありがとう」
「礼言われるようなことはしねぇーぞ〜」

  たくさんしてるのになと思いながら葵も壁に寄りかかり休んだ。

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