蒼空の守護

むらさん

『刺客』(第7章・下)

 雲宮邸にも大勢の民衆が押し寄せて屋敷を取り囲み、雲宮護衛隊と睨み合っていた。ある者は石を投げつけ、またある者は卵を投げつけた。護衛隊隊長のパラチノはぎゅっと拳を握りしめて耐えていた。ジェファリの言葉が蘇る。
 (絶対に民衆に手を出してはならん!統宮の思うツボじゃ!)
 民衆を蹴散らすことなど一瞬で出来る。しかし、統宮がこれを利用すれば更に雲宮の悪評は高まる。見えざる民意の力に雲宮派は完全にねじ伏せられようとしていた。
 このような状況で雲宮が遊説を行えるわけはなく、彼は自室に閉じこもる他なかった。
 「殿、せめて動画を撮ってネットに流し、一人でも多くの支持者を得ましょう。このまま座して待つわけにはいきません。」
 「そんなことをして何になる、ますます叩かれるだけではないか!」
 「しかし」
 「ああもう聞きたくない!」
 雲宮は錯乱していた。
 「どうしても私を動かしたければあのマセガキ皇后を殺せ!皇后令さえなければ、あの煩わしい民衆もデタラメな記事もふざけた出版社も消し去れる!」
 枕元にあったグラスを叩きつける。乾いた音とともに、ガラスの破片がジェファリの頬を傷つけた。
 「…分かりました。」
 ジェファリはトボトボと部屋を出て行った。

 ここ数日、テレビは臨時ニュースばかり流していた。どのニュースも普通ならその年を代表する話題になっただろう。ここ100年、これだけ大きな出来事が立て続けに起きたことはない。
 この日のニュースはキサン内閣の総辞職と、翌日に迫った蒼候選挙の特集がメインだった。遂に与党からも見限られたキサンの不信任案が可決されたのである。同時に、政界再編を見据えて庶民院は議会の自主解散を選んだ。帝王が幼少で議会が解散した今、翌日の蒼候選挙が重大な意味を持つことになったのである。
 「煌宮様、そろそろお時間です。」
 この日、煌宮は皇后とのお茶会に呼ばれていた。統宮との間には色々あった煌宮だが、皇后との関係は良好だった。こうして度々お茶会や夕食会に呼ばれては、歓談し合う仲である。

 二人には読書という共通の趣味がある。お菓子でお腹が満たされた後は、窓から差し込む柔らかな光の下でそれぞれ好きな本を読むのが決まりだった。部屋には二人の専用の本棚があり、侍女たちが定期的に二人の好みの本を棚に入れている。
 「テアちゃん!」
 皇后・輝宮は煌宮の顔を見るなり満面の笑みを見せた。
 「皇后陛下におかれましては、ご機嫌麗しくー」
 「ちょっと!」
 皇后が口を尖らせる。
 「今まで通り、ルーちゃんでいいわ。」
 「ルフレ様」
 「ちゃん」
 「さま」
 「ちゃん!」
 テアは思わず笑ってしまった。
 「ルーちゃんは強情ね。そんなんじゃ、皇后は務まらないわ。」
 「皇后になったら、みんな更にかしこまっちゃってさぁ、堅苦しいのは好きじゃないのよ。」
 若冠11歳で皇后になったルフレには打ち解けて話せる友達がいなかった。小さい頃から次期皇后に目されていた彼女に気安く話しかける人はほとんどいなかったのだ。初めてルフレと会った時、メル以外に親しい友達がいなかったテアはこの少女に自分に似た親近感を感じたものである。
 「イーレちゃんがね、また珍しい花を持ってきてくれたのよ。」
 テアがブーケを渡す。何と、その花の7つの花びらは全て違う色をしていた。
 「虹の花イーリス・アントス、と言うそうよ。元々は真っ白な花なんだけど、特殊な水やりによってこうなるんですって。」
 「きれい…」
 ルフレはテーブルの真ん中に虹の花を置いた。ルフレお手製のケーキやクッキー、チョコレートで鮮やかに彩られたテーブルが更に華やかになる。
 「ホント、あの女の子らしさのかけらもない人に、こんなに可愛い妹がいるとはねぇ。」
 「メルちゃんも十分可愛いじゃない。」
 「顔の話をしてるんじゃないのよ。」
 テアは苦笑いしながらクッキーを口に運ぶ。
  「このクッキー、サクサク!」
 「やった!」
 ルフレは満面の笑みを浮かべた。
 「おばあさまが新種の薄力粉を送ってくれたの!タンパク質の量が減って、より軽い食感を出せるようになったのよ。」
ルフレのお菓子は『プリンセスクッキー』という名前で市販品にもなっており、定評があった。
 「これ、プレゼント!」
 かわいい箱の中に新種の薄力粉が袋詰めされている。
 「ありがとう。」
 正直、料理はあまり得意ではない。今度イーレちゃんと一緒に作ろうかしら。そう思いながらグラスを手に取った瞬間だった。
 グラスが映し出した自分の背景が不気味に動く。ハッとして振り向くと豪華な庭の木々の間から男がライフル銃をこちらに向けているではないか。
 「ルーちゃん、危ない!」
 テアがルフレにとびつく。二人はゴロゴロと床に転がった。次の瞬間銃声が響き、窓ガラスが砕け散る。
 「な、何!?何が起こってるの?」
 「いいから隠れて!」
 二人は本棚の裏に身を隠した。男はライフル銃を捨てるとポケットから拳銃を取り出した。
 「どこに隠れた!悪運の強いやつめ…」
 ヒビの入った窓を蹴破って部屋に入ってくる。
 (テアちゃん、護身用の銃持ってないの?)
 (皇后陛下と会うのに持ってるわけないでしょ。持ってるのは…)
 テアが左手に持っていたのは、ルフレがくれた袋詰めの薄力粉である。その瞬間、テアは閃いた。
 「そこだな…」
 男が二人の隠れている本棚に近づいてくる。テアは薄力粉の袋を開いた。
 (ルーちゃん、実は私、料理が得意じゃないのよ。)
  (え?)
 ルフレは半泣きになっている。
 (私が得意なのは…)
 テアは本棚からとび出した。
 「人を料理することよ!」
 男は虚を突かれて、一瞬銃の引き金を引くのが遅れた。テアが銃弾を躱すのにはそれで十分だった。テアはしゃがみながら薄力粉の袋を男に向かって投げつけた。袋が男の顔面に向かっていく。男はすぐに袋を払いのけた。次の瞬間、大量の薄力粉が空気中を舞って白煙が男の視界を奪った。
 「小癪な…!」
 テアは素早く男の懐に入り込むと、強烈な蹴りをお見舞いした。
 「ぐはぁっ!」
 テアのハイヒールが男の脇腹に突き刺さる。男は身悶えしながら倒れ込んだ。煙が晴れる迄にテアは男の拳銃を奪い取っていた。
 「大丈夫ですか!」
 銃声を聞きつけた護衛達がようやく中に入ってくる。
 「遅い。すぐにこの者を捕らえなさい。他にも潜んでいないか、急いで調べて!」
 「ハッ!」
 護衛達はすぐに男を縛り上げた。無事に刺客を撃退したというのに、テアの心の中にはどこか違和感が残っていた。
 (もしかして、あの男、本当は…)
 「テアちゃん!」
 ルフレに抱きつかれて、テアは我に返った。
 「ダメ、服が汚れるわよ。」
 テアは薄力粉を被って真っ白になっていた。
 「構わないわ。これから一緒にお風呂に入りましょ。二人きりで、色々聞きたいこともあるしね。」
 二人きり。この一言でテアの違和感は確信に変わった。この事件は、最初から仕組まれていたのだ。

 皇后暗殺未遂事件は、すぐに国中を駆け巡った。新聞社は競って号外を出し、そのどれもが雲宮の陰謀だと断じた。
 『言論の自由を圧殺するため、雲宮殿下は王族命令書で気に食わない出版社を潰そうとした。彼は言論の自由を守るため命令書を無効にした皇后陛下を恨み、暗殺を企てたのである–』
 雲宮は号外をビリビリに引き裂いた。
 「ジェファリ、なんてことをしてくれた…。」
 「恐れながら、私ではありません!」
 「ええい、黙れ黙れぃ!」
 雲宮が紙くずを投げつける。ひらひらと落ちていく灰色の紙くずは、まるで雲宮家の未来を暗示しているかのようだった。
 「暗殺にしくじり、国民を全て敵に回した挙句私に平然と嘘までつくか!絶対に許さん!」
 雲宮はパンパンと手を叩いた。護衛がジェファリを縛り上げ、ずるずると引きずっていく。
 「殿、お願いです!信じてください!殿ぉぉぉ…。」
 バタン、と扉が閉まる。訪れた沈黙に耐えきれず、雲宮は自分の好きな音楽の世界に身を沈めた。

 最南島は第六艦隊の入港を翌日に控え、受け入れ準備が大詰めを迎えていた。第六艦隊の人員は総勢約30000人である。南海事件以降次々と店が閉まる中、30000人分の食事や部屋を用意するのは至難の技かと思われた。
 守宮が思いついたのは、最南島最大のリゾートホテルを借りることだった。リゾートホテルは最大で50000人が宿泊できる。問題は、ホテルが空いているかどうかだった。最悪王族命令書を使う覚悟でいたが、なんと二つ返事で快諾された。事件以来ホテルではキャンセルが相次ぎ、経営的に苦しくなっていたのである。30000人の宿泊はまさに渡りに船の申し出だった。
 歓迎パレードの段取りや、両首脳部の日程など細部に渡って調整していく。援軍が兄上で本当に良かったと守宮は思った。護宮は全てを任せてくれたのである。他の指令宮が来ていたら、この程度の労力ではすまなかっただろう。
 夜までになんとか受け入れ態勢が整った。最終確認でこの日は色々な場所を駆け回ったため、さすがの守宮もヘトヘトになった。
 「じい、今日は早く寝るぞ。こんな顔を兄上に見せる訳にはいかない。」
 「メル様がお顔を気にされるとは、珍しいですな。」
 「ただでさえイスカさんの事があるのに、これ以上心配させてはならん。」
 空宮イスカの父、雲宮があんなことになってはとても平静ではいられないはずだ。イスカの胸中を思うと、メルはいたたまれなくなるのだった。
 突然携帯が振動する。『テア』の二文字と煌宮の写真が写っていた。不覚にも、このタイミングであくびが出る。なんとか嚙み殺して電話に出た。
 「もしもし…。」
 「英雄さん、おネムね。」
 テアは寝坊した時のことを忘れてはいなかった。
 「悪かったわね。私も人間よ。」
 「一応私たち、神の子孫ってことになってるんだけど…。」
 「勝手に信じてなさい。」
 メルは大げさにため息をついた。
 「大体、今はあなたの方が英雄でしょう?皇后陛下をお護りしたフラワー・プリンセス小麦粉の姫ってネットで話題になってたわよ。それにしても3年前にお世話になった雲宮様の刺客を倒さなければならないとは、運命はつくづく因果なものね。」
 「メルもやっぱりそう思う?」
 「そう思うって?」
 「犯人は雲宮様だって」
 「不思議はないわ。あれだけの事をされたんだもの。憎んで当然よ。」
 テアが急におし黙る。
 「…違うの?」
 「確証はないんだけどね…。」
 「聞くわ。」
 「犯人は…統宮様よ。」

 数秒間、沈黙が走った。
 「いくら統宮様でも実の娘を殺すはずはないわ。」
 「本当に標的はルーちゃんだったと思う?」
 「まさか…。」
 メルはテアの言わんとする事が分かった。皇后を暗殺する様に見せかけてテアを殺し、その罪を雲宮になすりつける。後は『大逆罪』で雲宮派を一掃すれば、王宮に彼の敵はいなくなるのである。
 「辻褄は合う。でも、どうしてそう思ったの?」
 「ライフルの発射地点と壁に残った弾痕、これを繋ぐと丁度私が座っていた椅子の頭を通るわ。」
 「なるほど…」
 「それからもう一つ。いつもお茶会の際にそばにいる、ルーちゃんの侍女が一人もいなかったの。おそらくこれは…」
 「狙撃の邪魔になるから、ね。」
 「うん…」
 どれも状況証拠に過ぎず、立証することは出来ないだろう。刺客が口を割らない限り統宮に罪が及ぶことはないのだ。

 選挙は、統宮の圧勝に終わった。投票率92%、得票率95%はいずれも史上最高記録で、歴史的圧勝だった。
 「ふぇっふぇっふぇ…統宮様、やりましたな。」
 グラーファが奇妙な笑い声をあげる。
 「先手必勝だな。雲宮、恐るるに足らず。」
 「所詮血筋だけで上級文官になった人物。この程度でしょう。」
 「蒼侯として、最初の仕事は雲宮の逮捕だな。フフフ…。」
 「ふぇふぇふぇ…。」
 二人の不気味な笑い声が部屋にこだました。
 「さて…この事件で唯一株を上げた、直宮の人間は如何しましょう…。」
 「悪運の強い奴だ。雲宮に見切りをつけた直宮派は、恐らく奴の元に集まるだろう。」
 「どんな美しい花も、いつかは必ず枯れますぞ…。」
 「待てん。必ず我が手で腐らせてやる。今のうちに咲き誇っておくがいい、フラワー・プリンセス…。」

 「見えたぞ。」
 飛雲の指令宮室からも、いよいよ最南島が見えるようになった。護宮が最南島を訪れるのは2年ぶりのことである。
 「懐かしいわ。この島でラディに告白されてから、もう4年も経つのね。」
 クスクスと笑うイスカを、ラディは突然抱き寄せた。
 「…俺の前では強がらなくていいよ。」
 ラディの体温がイスカに流れ込んでくる。思わず胸に顔をうずめた。
 「雲宮様がどうなっても、お前だけは絶対に守るから。」
 雲宮逮捕のニュースが流れたのは、統宮が蒼侯選挙に勝ってから僅か一時間後のことだった。週刊誌の事件以降イスカは毎日メールを送っているのだが、父からの返信は未だにない。
 「うん…」
 ラディがイスカの滑らかな髪をゆっくりと撫でる。しばらくされるがままになっていたが、スルリとラディの腕から抜け出した。
 「ありがと。もう大丈夫だから。これから戦いに行くというのに、司令官とエースパイロットが愛に溺れてちゃダメよ。」
 スタスタと部屋から出て行こうとするイスカに、ラディはサラッと声をかけた。
 「メルに頼んでホテル同室にしてもらったから。」
 (あのバカ、余計なことを…)
 最南鎮守府に着いたら説教してやるんだから。顔が赤くなっているのを見られたくなくて、イスカは黙って部屋を出た。

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