蒼空の守護

むらさん

『開戦』(第5章・上)

 今日は風が強い。帝王逝去を悼み、いたるところで掲げられている黒い弔旗はどれも激しくはためいていた。まるでこの国の心を表しているようだな、とスィラは思わずにはいられない。
 思えば不思議な運命である。尊敬する空宮の下から引き離されて、20にも満たない守宮が新しい上司になり、さらにその一つ下で将兵養成学校をクビになったノノウに今飛べと言われている。普通の訓練なら命令を突っぱねたかもしれない。しかし今スィラがプライドを優先したら、この島は後一時間もしないうちに灰燼に帰すであろう。30機の敵機がこちらに向かっているのである。
 「…以上15のミューナ小隊は直ちに発進し敵を撃滅せよ!」
 最南第一飛行隊は、3機を一小隊とする16の飛行小隊とスィラの隊であるグベイル隊の隊長機および護衛の5機、合計54機で成り立っていた。データリンクがブラックアウトし、機体を修理中のミクロス隊とグベイル隊を除く45機にスィラは出撃の令を下したのである。

 いよいよ実戦か。ケアスは身震いした。一昨日人生最大の緊張を味わったばかりだというのに、わずか二日で更新されるとは。前回とは違い今回は明確な『敵』である。一昨日引き揚げられた戦闘機の情報はここ最南第一飛行隊の中にも伝わってきていた。その情報を聞いて皆安心した。戦闘機のスペックはこの国でいう大艦巨砲主義時代のものとほとんど同じだというのである。ミューナに向かってそのような戦闘機が飛んできたとしても、蝿を叩き落とすようなものだ。黒の国、恐るるに足らず。自分は何機落とせるか計算し始める者もいた。そんな雰囲気がガラリと変わったのは、つい数分前のスィラの一言だった。
 「皆心して聞け。一昨日引き揚げられた戦闘機だが、あれは翠の国の物である。ラルバ殿の話では、黒の国の戦闘機は音速以上の速さが出る上、誘導ミサイルも備わっている!心して当たらねば、痛い目をみるぞ!」
  一瞬の沈黙、しかし次の瞬間パイロット達はみんなそれぞれ覚悟を決めた。
 南海海戦以来、この国の兵士には「全力で戦え、ただし絶対に生きて帰らねばならない」という気風が初代希宮イルストルによって植えつけられた。ただ生きて帰る訳ではない。生きて生きて生き延びて、死ぬまでこの蒼の国に尽くす。退却、敗走した際は反省し、その反省を次に生かすのである。パイロットの養成に時間のかかる空軍では、かなり徹底してその気風があった。もちろん、それを可能にするだけの資源と物量がこの国にはある。
 ケアスも故郷の浜島に女手一つで自分を育ててくれた母を置いてきている。母の為にもここで死ぬわけにはいかなかった。
 「おい。」
 覚悟を決めてミューナに向かうケアスに、野太い男の声がかけられた。振り返ると、そこにいたのはミクロス隊隊長のズーマである。
 「俺と代われ。」
 ズーマはケアスにとって先輩の小隊長である。しかし、いくら先輩の命令でも上官命令を曲げてまで従う訳にはいかなかった。
 「無理です。スィラ大隊長の命令には逆らえません。」
 「いいから代われ!」
 歴史が変わる空を飛びたい。それがズーマの夢だった。今が正にその時である。国家の存亡を賭けた戦いが始まるのだ。ケアスの胸ぐらを掴んで締め上げる。そのままケアスを持ち上げて睨みつけた。苦しむケアスが足をばたつかせる。
 次の瞬間、ケアスは苦しみから解放された。何者かがズーマを殴り飛ばしたのである。殴った主を見て、ケアスは思わず敬礼した。
 「ゼーメン副隊長!」
 「早く行け。遅れてはならん。」
ゼーメンは最南第1飛行隊の副隊長で飛行隊の中では最長老であり、スィラが最も信頼を寄せる人物であった。ゼーメンはケアスを見送った後、ズーマに向かって一喝した。
 「馬鹿者!これから戦いに行く者に対してふざけた真似をするな!」
 「しかし」
 言いながらズーマはしまったと感じた。この老パイロットは言い訳を激しく嫌う。身構える暇もなく顔面にもう一発鉄拳を喰らった。老人と言えども全盛期は隊最強と言われた人物、生半可な威力ではない。ズーマの体は一瞬宙を舞い、壁に叩きつけられた。なんとか身を起こしたが、立ち上がれない。そんなズーマを見下ろしながら、ゼーメンは言い放った。
 「罰は課さん。立ち上がるまでに頭を冷やしておけ。」
 クルリと振り返ってゼーメンが立ち去っていく。その姿を眺めるズーマの眼からは、涙が溢れていた。殴られた痛みからでも、殴られた悔しさからでもない。言いようのない無念さが、彼の心を支配しているのだった。

 空に舞った45機のミューナは5小隊15機を一編成としてα編隊、β編隊、γ編隊に分かれた。先鋒にケアスが小隊長を務める隊がいるα編隊、その後方50Kmの右翼にβ編隊、左翼にγ編隊が展開する。一糸乱れぬ動きで展開している事をレーダー上で確認したスィラは、淡々と指示を出した。
 「最南航空隊本部からα隊に告ぐ。現在、目標との距離600Km。互いに高度は10000mである。ラグールの有効射程距離500に達し次第、直ちに撃て。」
 ラグールとは空対空ミサイルのことである。戦闘機業界に革命的進歩をもたらした、いわゆる「ミューナの奇跡」以後、従来のミサイルより射程が二倍になり命中精度も大幅に上がったラグールは、一躍ミサイル業界の主役に躍り出た名兵器である。定期的に改良が加えられて、今ではフレア火球チャフレーダー妨害材がなければ確実に命中する領域まで来ていた。
 「ゼーメン、第一弾はどの程度命中すると思う?」
 α隊15機が合計30発、敵機1機につき1発を発射する。まずは、敵が蒼の国の最新鋭ミサイルを避けられるのか。スィラはそれを見ようとしていた。
 「全て当たるなら、この戦争は勝てます。当たらなければ、間違いなく長引きますな。」
 ゼーメン程の老将でも、この戦いの行方を見極めるのは難しかった。まず、敵の能力が未知数である。
 レーダー監視官が戦争の幕開けを告げた。
 「α隊15機、ラグール発射!計30基、敵編隊に向かいます…敵編隊、散開。回避行動をとっているものと思われます!」
 「β、γ隊、敵に撃たせる暇を与えるな。距離350。直ちに敵機を捕捉し、発射せよ!」
 後方両翼に展開している二隊が合計60基のラグールを発射する。敵編隊は、左右から空対空ミサイルを受ける格好になった。これを避ける技量を、敵は有しているだろうか。

 「最南航空隊本部から各隊に告ぐ。第一弾は全て躱された模様。」
 クソッ、躱されたか。ケアスは思わず軽く舌打ちした。敵はラグールを回避出来る。これは南一空最南第一飛行隊の各パイロットに少なからず衝撃を与えた。しかし、既に第二弾が敵編隊100Km圏内に入っている。更に2基、敵は躱せるのか。
 「最南航空隊本部よりα隊へ、第三弾を発射せよ。発射後直ちに反転、敵と距離をとれ。」
 そろそろ敵編隊との距離が200Kmを切ってくる。敵編隊はラグールを躱すために上昇していた。これ以上敵の懐に入るのは危険、とスィラは判断したのだろう。第三弾を放つため、敵機をロックオンしようとした時だった。ロックオンの警告アラームが不気味に鳴り響く。
 「ケアス2よりケアス1へ!ロックオンされました!」
 ケアスの隊はまだ出来て間もないため、隊の名前がなかった。便宜上、隊名の代わりとしてケアスの名前を用いている。
 「ケアス3!ロックオンされているか?」
 「いえ、アラームは鳴っていません!」
 「よし、第三弾発射後直ちに反転、回避行動をとる!」
 ケアスは直ぐに敵機を捕捉し、2発のラグールを撃って反転した。直ぐに無線が鳴る。
 「敵ミサイル120基、α隊に向かいます!」
 120基。1機あたり4発撃って来たということか。絶対に逃げ切ってみせる。命もミューナも失うつもりはない。

 レーダー上は輝点だらけになっていた。第一弾も合わせれば、数分で240基ものミサイルが飛び交っているのである。そんな状況でもゼーメンは冷静だった。
 「敵は回避行動よりも攻撃を優先しました。ミサイルを撃ったのはいいですが、第二弾との距離は50Kmを切っています。普通なら逃げきれません。」
 「普通…ならな。」
 自信の表れか、功を焦ったか、はたまた国柄なのか。スィラは判断しかねた。距離50Kmからラグールを撃たれて逃げ切った人物をスィラは2人知っている。1人は尊敬する元上司、『空神』と謳われる空宮、もう1人は現上司、就任早々の王族航空ショーで『最南一の翼』と呼ばれるようになった守宮である。海面スレスレまで一気に急降下しつつ、ギリギリまでミサイルを引きつけて一気にバンクする。おおよそ人の技ではない。普段全く神を信じないスィラが、王家の血の神秘を感じた瞬間であった。
 とはいえ、これはもちろんシミュレーター室での話である。
 「引き分けかー。次会う時は、30Kmに挑戦ね。」
 と笑顔で守宮をツンツンしていた空宮だったが、そんなことが言えるのは、現実ではないからだ。実戦は命のやり取りである。その実戦で、敵は回避行動でなく攻撃を選んだ。何故か。その答えは、後30秒でハッキリする。
 「敵編隊、回避行動をとりますが第二弾との距離残り5Km…間に合いません!」
 輝点と輝点が交差するー次の瞬間、50個の輝点が消滅した。
 「敵機25機の撃墜を確認!残り5機、尚も回避行動をとります!」
 上ずった声でレーダー監視官が戦果を告げる。海面に向かって急降下を試みているのであろう。それが成功したら、相当な腕の持ち主である。
 敵編隊は壊滅した。しかし、喜ぶにはまだ早い。敵の置き土産のミサイル120基がα隊に向かっているのだ。

 上手いことバラけさせたな…回避しても回避しても新たにミサイルが飛んでくる。ケアスは既に10本躱していたが、なおも2本のミサイルが5Km以内に迫っていた。チャフもフレアも残量は殆ど残っていない。しかしミサイルを躱すためには、最後のチャフとフレアを撒くしかなかった。
 異変に気付いたのはミサイルが残り1Km以内に迫った時だった。ミサイルが妨害を一切受けずに迫ってきたのである。
 (何故だ…?)
 考えている暇はなかった。ミサイル接近のアラームがけたたましく鳴る。『脱出』の2文字は頭になかった。反射的に、ミサイルを振り切るため急旋回した。
 一瞬、目の前にミサイルが見えた気がした。
 ケアスは目を瞑った。様々な思い出が脳裏を駆け巡る。
 ミサイルは当たらなかった。ミューナの横を通り抜けたのである。
 (追尾式ではない…?)
 つまり、敵はこちらの動きを予測していたということか?そんなことが出来るのだろうか。考える暇もなく、無線が鳴った。
 「ケアス2より!チャフ、フレア、ミサイルに効きません!ミサイルとの距離500m!」
 「急旋回出来ないか?」
 「無理です…振り切れません!」
 「直ぐに脱出しろ!」
 返答はない。ケアスは、脱出が間に合った事を祈るしかなかった。

 既に、α隊3機の撃墜が確認されていた。ミサイルに追われていた最後の1機が消える。10機のミューナが1機につき12本のミサイルに追われ、4機を失った。南海戦争以来、実に116年ぶりに戦争による被害が出た。最南航空隊本部に重い空気が流れる。スィラが静かに口を開いた。
 「…救難信号は出ていないか?」
 「確認されていません。」
 「脱出に成功している可能性もある。直ぐに救助ヘリを回せ。」
 敵はさらに4機を失っている。残り1機は戦闘空域から遠ざかりつつあった。
 この戦闘で多くの事が分かった。敵はラグールを回避でき、ミューナを撃墜に追い込めること。チャフやフレアが効かないミサイルを有していること。どれも衝撃的な事案である。今回はこちらが1.5倍の数で、しかも良く知っている空域であったから圧勝出来た。しかし、それでも損害は出た。これから敵が今以上の物量で攻めてきたら、この島はひとたまりもないかもしれない。この後の事を考えると、スィラの気持ちは暗くなるばかりだった。
 そんなスィラに上を向かせたのは、レーダー監視官の一言だった。
 「救難信号確認!ケアス隊の2番機です!」
 おお!と幹部達が沸く。そうだ、希望を捨ててはいけない。将たる自分が希望を捨てたら、それこそ負けなのだ。こちらもまた、敵編隊を壊滅に追い込める力がある事を証明したのだ。勝負はまだまだここからである。

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