蒼空の守護

むらさん

第8章(嵐戦)

眩しい日差しの下、第六艦隊が堂々と入港してくる。港では歓迎旗がはためき、軍楽隊が「英雄降臨曲(ディーセント)」を奏でていた。空母『飛雲』からゆっくりとラディが降りてくる。
 「お待ちしておりました、兄上。」
 「ご苦労。」
 護宮(ラディ)と守宮(メル)、二人の司令官ががっちりと握手を交わす。まるで二人を喝采するかのようにシャッター音が降り注いだ。

 歓迎のパレードは夜まで続いた。リゾートホテルではラディとメルの部下たちの交流を兼ねて、豪華な夕食会が開かれる。
三人の王族は一緒にパレードを見学した後、最南鎮守府に向かった。夕食会を兼ねて今後のための会談を行うのである。
 「私はホテルで食べます!アブエロ様だけ鎮守府に向かって下さい!」
 「ならん!メル様の命令だぞ!」
 ノノウとアブエロも最南鎮守府に呼ばれていた。この5人が連合軍の中枢を担うことは間違いない。
 「嫌です!私ごときがいていい場所じゃありませんっ!」
 気弱なノノウがいつになく抵抗する。
 「ごちゃごちゃ言うな!」
 アブエロはノノウを抱え上げた。ノノウは全力で足をばたつかせたが全く効果はない。必死の抵抗も虚しく、ノノウは最南鎮守府へ向かう車に乗せられてしまった。

 この時ほどメルの下に来なければ良かったと思ったことはない。せめて末席に座ろうと思ったのに、テーブルは円形だったのだ。
 「守宮様、お考え直しを…。」
 「私の左側が嫌なのか?ならば、右側に座れば良い。」
 メルはニッコリと微笑んだ。
 (パワハラだー!)
 と心の中で毒づきながら、メルの隣の椅子に座る。
 「来た。」
 右側に座っていたメルとアブエロが立ち上がるとドアがガチャリと開いた。ノノウも慌てて立ち上がるが、足の震えが止まらない。
 司令の服をバッチリと着こなしたラディはまさに王族の風格を漂わせていた。隣にいるイスカは先帝の姪で、現帝王である白帝のいとこである。まさか生で会うことになるとは…。ファンなら大喜びのシーンだが、ノノウは一刻も早くこの場から逃げ出したかった。少しでも目立たないようにとメルの方ににじり寄る。
 「あなたがノノウね!」
 いきなりイスカが駆け寄って来てノノウの手を掴む。ハイ、といったつもりだが、口が乾いて声が出ない。やむなく、コクコクと首を上下に動かした。
 「コラッ!ちゃんと答えんか!」
 「まあまあ、ノノウは緊張してるのよ。」
 イスカが一喝したアブエロをなだめる。ラディは悠然と椅子に座った。
 「最南島の料理を食べるのも久しぶりだな。ログリスの肉、あれは美味かった。」
 ログリスの肉はとにかく柔らかいのが特徴で、この肉の登場により最南島は煮込み料理に加えて焼肉が広まることになった。
 「もちろん用意していますよ。」
 メルがゆっくりと腰を下ろす。アブエロが座るのを見て、ノノウは静かに後に続いた。
 前菜は野菜スープだった。南国の日差しを浴びて育った最南島の野菜はどれもしっかりとした甘味を持っていて、優しい味に仕上がる。ノノウも大好きな一品であった。早速スプーンを手に取る。
 「ノノウの趣味はなんだ?」
 「は、はいぃ?」
 突然ラディに声をかけられ、ノノウの体に電撃が走った。持っていたスブーンが床に落ち、カランカランと音をたてる。メルがニヤリと笑って後ろの侍女に声をかけた。
 「スプーンの替えを。」
 「ハイ。」
 ノノウの顔は真っ赤になっていた。最南島名物の辛口料理がくるのは、もう少し後のことである。

 「…さて。」
 メインディッシュのログリスの肉料理を堪能したラディは、そっとフォークを皿の上に置いた。
 「明日は夕方から雨だ。雨雲が敵レーダーを妨害してくれるかもしれん。雨雲が最も分厚くなる夜に出撃する。」
 ついにきたか。メルは持っていたフォークをぎゅっと握りしめた。
 「早期警戒管制機の情報によると、先日の偵察以降、敵船舶の往来が頻繁になっています。」
 「滑走路と対空戦闘設備の修築だろう。」
 フィデルタ率いるラーク隊によって滑走路は全壊、地対空ミサイルもことごとく破壊された。敵は修復に躍起になっているだろう。
 「問題はどのくらい回復しているかですね。」
 ノノウもようやく雰囲気に慣れつつあったが、まだ少し声が震えている。
 「ノノウはどのくらい戻ってると思う?」
 イスカがゆっくりと肉にナイフを入れる。空にいる時の素早さと比べると、まるで別人のようであった。
 「最南事件の際にあの人工島が完成していれば、巡視船がリプトス(翠の国の戦艦)以外にも何らかの艦影を見つけたはずです。最南沖空戦の際、敵機が1機だけ引き返しました。最南島から向こうの大陸までは1万キロ以上離れています。仮に敵がミューナと同性能のエンジンを積んでいた場合、いくら特別な燃料を積んでいても、あれだけの戦闘をした後に大陸には帰投出来ません。その時には既に人工島は完成していたと思います。」
 「なるほど…。」
 ラディは腕を組んだ。
 「最南事件から最南沖空戦まで3日。偵察戦から今日までで既に4日経過している。敵が万全の状態に戻っていても不思議はないわけだ。」
 「望むところよ。」
 イスカはグサリと肉にフォークを突き刺した。
 「そのくらいじゃないと、面白くないわ。旧式の戦闘機を落としたくらいで王国民から持て囃されている南のお嬢様との違い、飛雲航空隊が見せてあげる。」
 「言ってくれますね…。」
 メルは一気にウイスキーを飲み干した。
 「最南一の翼が蒼空一の翼であること、証明してみせますよ。」
 「あら、面白い冗談ね。」
 鋭い視線がぶつかり合う。次の瞬間、お互いクスクスと笑いだした。唖然とするノノウの隣で、アブエロが盛大にため息をついた。
 「お願いですから、無茶だけはなさらないように。お二人は指揮官ですぞ。」
 「まったくだ。」
 ラディは苦笑した。
 「ファイターパイロットはこれだから困る。本番はまだまだ先だ。ノノウ、本番とは何か、君なら分かるだろう?」
 「は、はい…。艦隊決戦ですね。」
 「そうだ。レーダーの発達した今なら確実に起こる。」
 デザートのイベリス乳製プリンが運ばれてくる。ラディはカラメルソースをかけながら続けた。
 「デザートまでしっかりと味わってこそのコース料理だ。前菜でお腹いっぱいになっては仕方ないだろう。」
 「はぁ?」
 イスカが眉をひそめる。
 「先は長いってことだよ。」
 ラディがイスカの頭をポンポンする。なぜかメルがほんのり赤くなった。

 「全く、とんだ貧乏くじですな。」
 ワーレンがそう言うのも無理はなかった。最南島では盛大に夕食会が開かれていると言うのに、最南海上警備隊だけはSTSB(最南鎮守府運輸安全委員会)の護衛として海で探し物をしなければならなかった。この仕事が始まって4日目。隊長のダルヤも疲れの色を見せていた。
 「仕方がない。敵戦闘機の性能を知ることは国家の急務だ。」
 最南沖空戦の際に撃墜された29機の戦闘機の破片は少しずつ回収が進んでいた。回収された破片はSTSBの工場に送られて、慎重に復元されつつある。
 「尾翼と思われる残骸を視認!左舷45度の方向!」
 「STSBへ連絡せよ。周辺にも浮遊物がないか確認を忘れるな。」
 ノノウが入念に探して貰いたいと言っていたのはエンジン部位である。ミューナと比べてどの点に優れ、どの点が劣るのか。今後の戦略の鍵を握るらしい。明日はこのポイントに潜水調査船を投入だな。そう思った時だった。
 「魚雷発射音確認!2基、右舷60度、距離4000!」
 (魚雷…!?)
 想像もしていなかった言葉を聞いて、ダルヤの疲れは吹き飛んだ。ワーレンがレーダーを見てほっとため息をつく。
 「よかった。本艦への命中コースじゃない。」
 (バカな…。)
 ダルヤは腑に落ちなかった。この距離で魚雷を外す?蒼の国の潜水艦なら絶対に外さない…その瞬間、ダルヤに悪寒が走った。
 「魚雷の射線上に、我が国の船はいないのか?」
 STSBの船は3日前から残骸回収のためにフル稼働しているはずだ。
 「います!本艦前方1500mに大型探査船『スカイサウス』!魚雷との距離7500、魚雷命中までおよそ6分!」
 「すぐにスカイサウスに連絡、ヘリを飛ばして魚雷に向かって爆雷を撒き散らせ!発射地点に向かってこちらも魚雷を発射せよ!急げ!…それから」
 ダルヤは一種ためらった。
 「本艦は全速前進、魚雷の射線上にむかえ。」
 「隊長…まさか」
 ワーレンの顔が青ざめる。ダルヤは頷いた、
 「魚雷を止められなかった場合、我々がスカイサウスの盾になる。」
 「なりません!死人が出ます!」
 「本艦はダメージコントロールが出来る。魚雷の1発2発では沈まん。スカイサウスには、虎の子の『海底8500(高性能潜水調査船)』が乗っているのだ。あれを失うわけにはいかん。」
 「機械よりも人命です!」
 「分からんのか。スカイサウスは軍艦ではない。魚雷を受ければすぐに轟沈、乗組員950名の命も海に消えるのだぞ!」
 ワーレンは不満そうな顔をしていた。右舷にはワーレンと仲の良い部下が乗っている事をダルヤは知っている。しかし、今大事なのは全体の損害を如何に最小限にとどめるかだ。大型船であるスカイサウスはこの距離で魚雷を避けることは出来ない。私情を捨て大局を見られなければ、指揮官は務まらない。

 (この時期は特に風が強いな…。)
 火照った体を冷ますために、メルは司令宮室のベランダに出ていた。
 この戦争が終わったら、ラディはイスカと結婚するつもりらしい。テアも二宮と結婚しているし、長姉に至っては既に子供までいる。
 (ノノウには負けられませんな。)
 アブエロの言葉が蘇る。そう言われても気になる男はいないし、望宮家に見合い話が来たと言うニュースもなかった。
 「ここにおられましたか。」
 ひょこっとノノウが顔を出す。
 「…ねぇ、ノノウはどんな男(ひと)がタイプなの?」
 「はい?」
 突然上司から恋バナを振られ、ノノウは戸惑った。
 「うーん…。本が好きな方ですかね。話が合いそうですし。」
 守宮様みたいな人、とはさすがに言えない。
 「守宮様は?」
 「私より強いファイターパイロットかな。まだ見ぬ強者を、私は心のどこかで待ってる気がするのよ。」
 (婚期を逃さないといいですね…。)
 ノノウが心の中でそう呟いた次の瞬間、司令宮室の電話のベルがけたたましく鳴り響いた。酒が入っているとは思えないスピードでメルは受話器をとる。
 「敵潜水艦、スカイサウスに向かって魚雷発射!最南警備隊の巡視船から救援のコールが来ています!」
 「すぐに南一空(最南第一航空隊)に連絡!哨戒機を現場海域に急行させよ!」
 「ハッ!」
 「第六艦隊に救援を仰がないのですか?」
 第六艦隊のイージス艦は対潜ミサイルや誘導魚雷など最新鋭の装備がある。
 「残念だが、今から出撃しても間に合わん。それに…」
 二人の邪魔はしたくない、という言葉をメルはなんとか飲み込んだ。
 「とにかく、南一空に任せる。」
 スィラはまた嫌な顔をするだろう。しかし、出撃前に損害を出すわけにはいかない。彼らの踏ん張りが、明日の士気を左右することは間違いなかった。

 この日の当直であるケアスにとって、これが3度目の出撃だった。ケアス隊2番機は最南沖空戦で撃墜され、パイロットは無事だったものの戦列に復帰するまでまだ時間がかかる。このため、ケアス隊は一時的に2機となっていた。どうしてズーマではなく、自分ばかりこういった場面に出くわすのか…。ケアスはそう思わずにはいられない。
 任務は哨戒機の護衛である。哨戒機の搭乗員達は今回が初めての出撃で、皆張り切っていた。2機の戦闘機が闇夜に飛び立つ。飛び立ってすぐに、ケアスはスカイサウスの救援を仰ぐエマージェンシーライトを見つけた。最南港の鼻先、敵はすぐそこまで来ていた。

 「爆雷による敵魚雷の誘爆に成功!こちらのホーミング(自動追尾式)魚雷は迷走して爆発!敵潜水艦を見失いました!」
 「探知急げ!スカイサウスに連絡、最南港に引き返させろ!」
 最南港周辺は比較的浅い海域である。いくら高性能な潜水艦でも、海底より深くは潜れないはずだ。スカイサウスの退避までなんとか時間を稼がねば…。しかし敵は、ダルヤに考える時間を与えさせなかった。
 「敵潜水艦、本艦右舷90度で飛翔体を発射!真っ直ぐこちらに接近しています!着弾まで30秒!」
 「機関砲急ぎ撃て!撃ち落とすのだ!」
 対艦ミサイルで間違いない。邪魔な巡視船を沈めてスカイサウスを丸裸にするつもりなのだ。機関砲が果敢に応射するが間に合わない。ダルヤがぎゅっと目をつぶった瞬間、艦内に轟音が鳴り響いた。

 (危なかった…)
 ケアスは大きく息を吐いた。ミューナの誘導ミサイルがギリギリのところで敵ミサイルを撃ち落としたのである。後3秒遅れていたら今ごろ巡視船は炎に包まれていただろう。哨戒機が直ぐに発射地点を特定し、爆雷をばらまく。闇の海に大きな水柱が次々と立った。

 アブエロから報告が入ったのは、それから数分後のことだった。
 「南一空(最南第一航空隊)より連絡、敵潜水艦がレーダーから消えました。撃沈したかは不明とのことです。」
 「被害は?」
 「現在のところ怪我人はいないとのことです。」
 ふうっ、と息を吐くメルの隣でノノウが釘を刺した。
 「敵潜をロストしただけかもしれません。警戒を怠らず、速やかに現場海域を離脱すべきです。」
 「その通りだ。」
 三人が一斉に振り返る。そこにいたのはラディだった。
 「あ、兄上、なぜここに?」
 「戦闘機(スクランブル)の音が聞こえたからな。夜襲か?」
 「はい、敵潜の夜襲です。あの…イスカさんは?」
 「疲れてぐっすり眠ってるよ。私は血が滾(たぎ)ってしまってな…。あいつの方が、度量は大きいらしい。」
 本当に度量のせいですか…?とメルが心の中で呟く。ノノウは率直な疑問を投げた。
 「作戦に変更はないのですか?」
 「ない。ただし、警戒は厳とする。敵潜の音紋は取れているのか?」
 「おそらく。巡視船にも音紋の解析装置が装備されていますから。」
 「よし。」
 ラディは深く頷いた。
 「我が第六艦隊の潜水艦と敵潜、どちらが優秀か明日ハッキリする。」
 ラディは強気だった。積みあげてきた訓練の質は一流であるという自負を第六艦隊の誰もが抱いている。その自信の裏に危うさが隠れているのではないか、メルは一抹の不安を拭い去ることが出来なかった。

 最南島を照らしていた太陽が傾き始めた頃、積乱雲がもくもくと空を覆い始めた。蒸し暑かった街に冷たい風が吹き抜けていく。その風は、これから空軍の作戦会議が行われようとしている最南鎮守府司令宮室の窓をカタカタと揺らした。
 「よく眠れたわ…。」
 イスカが思い切り伸びをするとお腹がグーッとなった。メルが思わずクスッと笑う。
 「じい、紅茶とお菓子の用意を。」
 「ハッ。」
 アブエロがスタスタと部屋を出て行く。昨日の夕食会で免疫がついたのか、ノノウはよどみない声で早期警戒管制機からの情報を読み始めた。
 「本日早朝、人工島に10隻の船団が入港した模様です。」
 人工島が発見されて以来、これだけまとまった数の船が入港したのは初めてのことだった。
 「入港直後、戦闘機と思われる多数の機影が確認されるようになりました。おそらく、機動部隊であると思われます。」
 「艦隊が出てこようが出て来まいが、私たちのやることは変わらないわ。」
 イスカはガムシロップをどっぷり入れた紅茶を一口すすって言った。彼女は大の甘党である。
 「私たちの飛雲航空隊が艦隊と人工島地上部隊を掃除するから、メルの南二空(最南第二航空隊)には空をキレイにしてもらうわ。この作戦の一番大事な部分は敵の対空、対艦兵器を全て戦闘不能にすることよ。」
 「分かりました。」
 「守宮様は前線に出ないで欲しいのですが…。」
 「止めるな。王族命令書を書かねばならなくなる。」
 ハァ、とため息をつくノノウを見て、イスカは苦笑した。
 「まぁまぁ、メルの腕を信じてあげて。リラトル隊(メルの隊)1つで、最南沖空戦の敵部隊と互角に戦えるくらい強いから。」
 「互角どころか、圧倒してみせますよ。」
 2人のやり取りを見て、ノノウはまたため息をついた。
 「守宮様の強さを信じていない訳ではありません…。でもそこまで言うなら、」
 ノノウはパタンとノートパソコンを閉めた。
 「見せて貰いたいですね。データでは測れない強さを。」
 メルはニッコリと笑った。
 「データが如何に無意味なものか、教えてあげる。」

 激しい雨が最南島中に降り注いでいた。街を流れる南央川では、茶色く濁った泥水が勢いよく海に向かって流れていた。
 「揺れますね、今日は…。」
 体の弱いノノウは、抜錨して間も無く船酔いに襲われた。
 「弱音を吐くな、お前がそんな調子では将兵に示しがつかん。」
 ぐったりとテーブルに突っ伏しているノノウに、アブエロがそっと梅干しの袋を手渡す。
 「民間療法は信じません…。梅干しで酔いが覚めるというのは、迷信です…。」
 憤慨するアブエロを横目にメルは笑った。
 「ノノウ、言い返せる元気があるならまだまだ大丈夫だ。航海長!隊列を乱すなよ。紫雲の意地を見せてやれ。」
 『はい!第六艦隊にはまけません!』
 無線から聞こえてくる航海長の声は元気だった。海の者はこの程度の揺れではビクともしない。
 『飛雲CICより紫雲へ!まもなく作戦開始ポイント!』
 「了解。」
 嵐の中でも40ノットで移動できるこの艦隊は、早くも作戦開始地点に到達しようとしていた。敵に動きは全くない。こちらが見えていないのか、それとも待ち伏せか。
 「航空隊、発艦スタンバイ!」
 メルはスッと司令宮席を立った。
 「じい、後は任せた。」
 「無理だけはなされませんよう…。」
 「分かっている。」
 司令宮室のドアを開ける前に、振り返ってニッコリと笑ってみせた。
 「安心しろ、じいより先には死なん。」

 ミューナの窓に叩きつける雨は、最南鎮守宮になると決まった日の雨にとてもよく似ていた。あれからまだ二ヶ月も経っていないのに、とても長い時間に感じる。今、自分の人生の中で間違いなく一番濃厚な日々を生きている気がした。
 「リラトル1、発艦スタンバイ!」
 『飛雲CICよりリラトル1、発艦許可出します!』
 「了解、離陸する!」
 土砂降りの雨を切り裂いて、メル率いる最南第二航空隊のミューナ30機が飛び立った。
 「リラトル1から全機へ。出来るだけ低空を維持する。今日は海も空も大荒れである。注意せよ。」
 波は、風の強さ、時間の長さ、距離の長さに比例して大きくなる。時には10mを超える高波が起こることもあった。当然、風はミューナの操縦を妨害する。蒼の国の自動操縦は低空のミューナでは使えない。王将学校で培った経験と技術が問われる時が来ていた。

 「大体100mといったところかしら。甘いわ。飛雲航空隊(ウチ)なら50で飛べる。」
 最南第二航空隊の飛行高度である。
 「無茶な…。」
 「あら、司令宮殿、我が軍のエースを信頼できませんか?」
 「あのな、」
 ラディが言い返すのと同時に無線がなった。
 「飛雲CICより司令宮室へ!南二空(最南第二航空隊)、人工島上空まで後2分!未だに敵に動きはありません!」
 ラディはフッと笑った。
 「どうやら、完全な奇襲になるな。敵のレーダーはただ広いだけで、精度はないらしい。」
 ラディはイスカの頭をポンポンと叩いた。
 「行って来い。50で飛べるところ、是非見せてくれ。」
 「ついでに艦船も全部沈めてくるわ。」
 イスカがドアノブに手をかけた瞬間、無線が入った。
 『魚雷発射確認!左舷前方70度、4本、距離6000!全弾先頭艦『龍護』への命中コースです!』
 この警戒の中、よくその距離まで近づけたものだとラディは思った。ソナーには、魚雷の到達まで約2分と表示されている。
 「音紋は?」
 「昨日と同じ艦(ヤツ)です!」
 「全艦直ちに応射、次弾を撃たせるな!龍護は全速前進しつつ囮魚雷(デコイ)を発射せよ。残りの艦は面舵60度!」
 ラディは飛雲の安全の確保を最優先に考えていた。狙われた先頭艦を囮にし、潜水艦から距離をとる。魚雷の応射によって第二弾の発射を防ぎつつ敵にも回避行動を行わせ、その間に潜水艦同士の戦いに持ち込む。これがラディの狙いだった。
 (これで飛雲航空隊の出撃は大幅に遅れる。発見された以上、敵は無線封鎖を解いて人工島に連絡を入れるだろう。そうなればすぐに敵が動き出す…。)
 『正体不明の電波を探知!敵無線と思われます!』
 敵が動き出す前にどれだけ叩けるか、全てはメルの南二空の動き次第となっていた。

 敵レーダーの弱点が天候にあることは、もはや明白になっていた。人工島がミューナの射程圏に入るまで1分を切ったというのに、一切応射して来ないのである。
 (このままいけば、南二空だけで敵を蹂躙出来る…。)
 そう思った時、無線が入ってきた。
 『敵潜、飛雲艦隊に魚雷発射!対潜戦闘に突入!』
 飛雲航空隊はしばらく投入出来ないだろう。イスカの悔しがる姿が頭をよぎる。それを振り払うかのようにメルは全機に呼びかけた。
 「プランBでいく!我がリラトル隊は滑走路と敵戦闘機、α隊は敵艦隊、β隊は地対空ミサイルを始末しろ!」
 プランAは対空戦闘が主体のプランであった。飛雲航空隊が動けない以上、敵兵器の攻撃を出来る限り黙らせるしかない。対空戦闘のみの予定であったために南二空は対艦ミサイルを一切積んでいないが、対空ミサイルだけで敵艦を戦闘不能に追い込めるとメルは考えていた。全艦を大破させれば、全体の作戦に支障は出ない。
 「全機、目標をロックオン!直ちに攻撃開始!」
 南二空のミューナから一斉に対空ミサイルが発射される。闇夜と暴風雨で漆黒に覆われた地上のあちこちで、小さな赤い火の手が上がるのが見えた。誘爆しているのだろう、滑走路では断続的に爆炎が上がっている。
 『β隊よりリラトル1、目標の一部で爆発が確認出来ません!』
 「一部?全てではないのか?」
 『はい!』
 メルの第六感が警鐘を鳴らした。
 「α隊、β隊は直ちに帰投、低空に逃れろ!リラトル隊は私に続け!」
 数秒後、予感が現実となった。目標以外の地点からミサイルが発射されたのである。
 『α隊、β隊に向けて地対空ミサイル発射!20基!』
 「発射地点は5ヶ所、リラトル隊は直ちに攻撃せよ!」
 メルはすぐに発射地点を特定し、僚機にデータを送り込んだ。間髪入れずにミサイルを発射して人工島空域から離脱する。もはや長居は無用だった。α、β隊のフレアだろう、小さな無数の光が一瞬瞬いて消えていく。
 (まるで、この嵐の夜の中で散ったであろう敵の命のような…)
 メルはそのように感じて、一瞬黙祷を捧げた。

 翌朝再びラーク隊(臨時偵察隊)が編成され、人工島上空を飛んだ。既に嵐は去っているのに一発も応射されないのも驚くべきことだったが、更に皆を驚愕させたのはラーク隊が送ってきたライブカメラの映像だった。船は全て大破し、粉々になった滑走路上にある戦闘機は黒い鉄屑と化していた。
 「南二空にこれほどの力があったとは…。」
 驚きのあまり、ノノウは船酔いを忘れて画面に見入った。
 「分かっただろう。データなど無意味だ。じいのくれた梅干しの方が信じられるぞ。」
 メルは嬉しそうに梅干しをほうばる。ノノウは悔しくて、酔い止めの薬を一気に飲み干した。
 「それでも私は認めません。あれは蛮勇です。」
 ノノウがわざとらしくため息をついた瞬間、無線が入った。
 『メル、良くやった。これで次の作戦に入れる。』
 「兄上…」
 メルは一瞬胸が詰まった。この時を自分はどれだけ待ち望んでいただろう。
 『α隊の2機は残念だった。見つかるといいが、あの嵐ではな…。』
 「兄上の龍護も…」
 『自力航行出来るだけマシさ。しばらくは最南島でゆっくりしてもらおう。』
 飛雲艦隊の先頭艦・龍護は結局魚雷を振り切れなかった。2本が命中し、沈没こそ免れたものの戦線離脱せざるを得ない状態になっていた。死者数は未だに定かではない。龍護も心配だったが、メルにはもう一つ心配の種があった。
 「イスカさんは…。」
 『ああ、』
 急にラディの歯切れが悪くなる。
 『自室にこもりきりだ。引き止めたら頰を平手打ちされたよ。全く、敵潜も酷い置き土産を残したものだ。』
 結局敵潜は撃沈出来ず、行方をくらませた。次の作戦でも大きな障害になるのはまず間違いない。
 「敵潜も心配ですが、そちらも心配です。私、恨まれていないといいのですが…。」
 『あ、ああ、』
 ラディの歯切れが更に悪くなった。
 『大丈夫だ。さっき謝りのメールが入っていたから。最も、変な写真が一枚付いてきたが…。』
 「変な写真…?」
 『後で転送しておく。とにかく、良くやった。』
 無線が切れる。ラディがあれほど歯切れが悪くなるのは珍しかった。転送されてきたメールをすぐに開く。
 『ラディ、ごめん。ついカッとなって…。メルにはおめでとうって伝えておいて。どうしても自分からは言えなくて…。本当にごめんなさい。サービスショットをあげるから、許して。』
 写真を見て、メルは真っ赤になった。テアに撮られた『自分(メル)の』水着姿ではないか。
 (テアめー!なんてことを!)
 遠くにいる親友を毒づく。絶対に帰って仕返しをしなくては。花火を見た日の夜を思い出して、メルの表情は自然と柔らかくなっていた。

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