蒼空の守護

むらさん

『接触』(第2章・上)

 目的地の無い航海を始めて1ヶ月。翠の国の最後の生き残り達を乗せた船は、一路北を目指していた。翠北すいほく港を出てから28日、豊富に積んであった食料も燃料も底をつきかけている。極限状態の中で尚暴動が起きないのは、かつて「絆の民」と呼ばれた人々の最期の意地でもあった。
 この船は、翠の国の最速の戦艦である。彼らの帰るべき国はすでに無い。「暗黒の女王」と呼ばれる黒の国の女王・ミューザの軍の攻撃は凄まじく、老若男女に至る全ての翠の民を殺戮しようとしていた。圧倒的な国力差のある相手に対し、善戦敢闘した翠軍も遂に支えきれなくなり、敵の空爆で王都・翠都は灰塵と化し、残されたのどかな辺境の町々は一つずつ侵略され、虐殺されていった。王都を奪われ、流浪の身となった翠の国の王・優王ゆうおうは降伏の申し出を歯牙にもかけない敵に絶望し、残された兵を集め最後の攻撃を行うことを決めた。彼の唯一の心残りはまだ17歳の一人娘、テノン姫のことであった。王は自らと長い間苦楽を共にした老臣・ウェルタと竣工して間もない高速戦艦・リプトスの艦長・ラルバにテノンを託した。高速だが多くの人が乗れるこの国最速の船はテノン、ラルバ、ウェルタを始めとする2000人の民を乗せて、ひたすら北を目指した。枯渇しつつあった燃料と食料を掻き集めて、積載限界ギリギリまで乗せてくれた父を、テノンは1日も忘れたことはない。出航した時は、最後の砦である翠北港を守る北方航空隊が別れを惜しむかのように艦の上を旋回し続けた。
 優王が遺した言葉を守り、艦はひたすら北を目指した。船に慣れない者達ばかりが乗るこの艦の艦内では、船酔いする者が続出した。いつ終わるか分からない航海、食事も満足に取れない、眠れない日々が続いても文句を言う者は誰もいなかった。本土に残った者達の方が、遥かに苦しい日々を送っていることをみんな理解していたからである。

 「姫、もう少し食べられた方が良いですぞ。あまり食べられぬと、お身体が心配です。」
 そういうウェルタの髪の毛も、翠都にいた頃よりも目に見えて少なくなっていた。何がそうさせたかなど、いうまでもない。
 「よい。民を差し置いて食べるなど、気がすすまぬ。それに、そなたの方が食べてなかろう。」
 「老い先短い者の事など気にされますな。さぁ、食べられませ。」
 「馬鹿を言え。今お前に死なれたら、誰を頼ればいいのか…」
 そう言ってテノンは窓の外を眺めた。もう何度この窓から景色を見ただろうか…。見える景色はいつも決まっていた。どんなに眺めても、あの憎らしい水平線は一向に形を変えようとはしない。
 
リプトスはこの国の最新鋭の艦で、この国のあらゆる大型艦の中で最速のスピードと最長の距離を航行する事が出来る高速戦艦・ルプトス級の末妹艦であった。何より特徴的だったのが、戦艦であると言うのに他の艦に比べて圧倒的に燃費が良かった。同型の艦はルプトスを始めとして4艦あり、どの艦も十分な仕事を果たしたが、黒の国の大量の航空機を前に全て撃沈された。リプトスはこの黒翠戦役こくすいせんえきの開戦直後に起工されて同型艦として建造が進んでいたが、戦況が日増しに悪化するにつれ避難船としての側面を持つ必要が出てきた。そこで従来のルプトス級よりも居住区域と貯蔵スペースを増やし、多くの人員を乗せられるように改造された。元々からルプトス級は攻撃に特化した艦ではなく、小型艦と共に遠征を行い資源を確保するのが主な任務であった。他の戦艦と比べると、燃費が良い代わりにその攻撃能力は貧相なもので、甲板の前方に三連装砲が1門、後方に連装砲と高射砲が2門ずつ、側面についている単装砲は両面合わせても10門もなかった。しかしそのような艦でも戦況の悪化に伴い、前線に出ざるを得なかった。輸送中に潜水艦の魚雷で沈んだ船は1隻に過ぎず、残りは全て海戦における航空攻撃によって深海へと旅立った。この最後のルプトス級戦艦は、他の姉妹艦とは違い従来の力を存分に発揮して希望を繋ぐことを求められていたのである。

 ラルバが双眼鏡を顔に当てる仕草は、日に日に増えていた。もはやどんなに食料を節約した所で、3日で底をつくのは間違いない。燃料だって5日も持たないだろう。王は出来る限りの食料と燃料を持たせてくれたが、所詮儚い望みに過ぎなかったのだ。
 どうせ朽ち果てるのであれば自分が何よりも愛した、あの「翠藍海峡すいらんかいきょう」でこの艦と運命を共にしたかった。翠藍海峡は、かつて翠の国と藍の国の国境線となった海峡の名である。翠の国と藍の国は時に盟友であり、時に敵国となる間柄であったが海に生きる者達は皆あの海峡の景色を眺めることが好きだった。特によく晴れた日の朝の海峡には、霧が立ち込めて幻想的な雰囲気になる。その海峡の近くにある小さな町で生まれたラルバもよく海岸に足を運んだものである。彼が恋や夢に悩んだ時、人生の岐路に立たされた時は決まって海に向かって悩みを叫んだ。もちろん答えが返ってくるわけではないのだが、胸の中が幾分か晴れるのであった。
 黒の国が藍の国を滅ぼして翠の国に攻め入って来た時、真っ先に犠牲になったのがラルバの住む町だった。ラルバはその知らせを赴任先の翠北港で聞いた。家族を残してこの北の港に赴任して来たラルバは、その報を聞いて気が気ではなかったがどうしようもなかった。軍人たる者、国家の非常時に軍務を離れる訳にはいかない。その日以来家族はおろかその町から脱出出来た人がいるという話すら聞けていない。その報告を聞いてから、ラルバは家族の夢をよく見るようになった。幼少期から厳しく育てられたものだが、不思議と優しくしてくれた時の夢ばかり見るのである。

 感傷的な気分になっていることに気づき、ラルバは自嘲した。このような死に様で、果たして自分は武人と言えるのだろうか。まさにそう思った次の瞬間だった。
 「前方、何がが見えます!」
 その声を聞いてラルバは無意識に首にかけてあった双眼鏡を手に取り、食い入るように覗き込む。
 (どこだ…どこだ…?)
 ラルバの目に飛び込んできたのは、小さな点だった。目が飛び出さんばかりに、その点のようなものを見つめる。
 それは間違いなく、一隻の船の形をしていた。

 ラルバはすぐに命令した。
 「進路そのまま北、あの船に寄せるぞ、見失うな!それから甲板に人を出せ、皆で呼ぶのだ!」
 呼んだ所で声が届くはずもなかったが、止める者はいなかった。未だ見ぬ北の大陸を求めて28日、ようやく現れた希望の光を見て何かせずにはいられなかったのである。
 相手の船もこちらに向かっているようだった。距離はぐんぐん縮まり、船の姿はどんどん大きくなる。翠、藍、黒…自分の知っているどの国の船でもなかった。甲板で手を振っている人々は興奮しきって、三連装砲の上に乗って手を振る者まで現れ始めた。
 「あれでは万一攻撃された時、反撃できませぬ、すぐに降りさせましょう!」
 副艦長のハバクが言うことも最もである。しかし、ラルバは
「かまわん。」
 と言った。
 「ここで戦うような事があれば、この国は我々を受け入れないということだ。むしろ砲の上に人が乗ることで、戦うつもりが無いことも分かるかも知れん。この船を逃したら次はないだろう。何としても活路を見出さなねばならんのだ。」
 いよいよ、お互いの乗っている人の姿が分かるところまで来た。相手の船の兵装は、見た限りでは単装砲1門だけである。よく分からない飛行体が上についているプロペラを勢いよく回して上昇し、南へ飛んで行った。甲板、艦内で驚きの声が漏れる。どうやら、全く違う文化の国であることだけははっきりした。
 「停船するぞ!」
 艦が減速を始める。甲板の興奮はいよいよ高まり皆手を振って飛び跳ねていた。対照的に司令室には緊張が広がる。
 「錨を下ろせ!」
 ラルバの声と共に錨が海に投げ込まれた。相手の船はその後もゆっくりと動き、こちらの感に並ぶようにして停船する。
 「俺がいく。」
 そう言ってラルバは立ち上がった。
 「なりません!危険です!」
 止めようとするハバクに対してラルバは言った。
 「姫に出ていただく訳にはいかんだろう?」
 そう言われて返す言葉をハバクは持っていなかった。
 「…必ずお戻り下さい。いつまでもお待ちしておりますぞ。」
 「…行ってくる。艦を頼むぞ。」
 そう言ってラルバは司令室を出た。

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