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薬師シャルロット

なつめ猫

薬師シャルロット(10)

 ワタシの周囲は、白い霧に包まれていて何も見えない。

「ご主人さま?」

 ワタシは、ワタシを呼んだご主人さまの名前を呼んで回りを見渡すけど、ワタシの存在を肯定してくれたご主人さまの姿はない。
 そんな時、ワタシの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
 声がした方へ、ワタシは走る。

 でも、体中に纏わりつくような空気が動きを阻害しているようで、どんなに走っても前に進まない。
 気がつけば後ろから何かが崩れるような音が聞こえてきた。
 振り返ると、さっきまでワタシが立っていた地面が崩れていて、少しずつ地面に亀裂が入りワタシが立っている場所まで近づいてくる。

 崩れた地面から見える底は、どこまでも深い暗闇で――。
 気がつけば、ワタシは走っていた。

「ご主人さま! ご主人さま!」 

 必死に走りながら、言葉を繰り返す。
 だけど、ワタシの思いに答えてくれるご主人さまは、どこにもいない。

「恐い……恐い……」

 走るたびに、地面が崩れていきワタシを暗闇の中に呑み込もうと近づいてくる。
 分かってしまう。
 あれに呑み込まれたらワタシは消える。
 ワタシという存在が――。

 

 どのくらい走ったのか。
 もう、どのくらい逃げたのか分からない。
 それでも、後ろから追ってくる存在。
 ワタシを奈落の底へと呑み込もうと、地面を崩す見えない存在に恐怖し走り続ける。
 転んで膝から血を流しても、本能が死にたくないと言っているから……。

「いや……死にたくないよ……」

 ワタシは、誰にも助けてもらえない世界で足を踏み外した。
 気がつけば地面が消えていた。

「……誰か……たすけ……て……」
「綾香」

 最後まで言葉を紡いだところで、声が聞こえてきた。
 それと同時に、誰かがワタシの体を力強く抱きしめてくれる人がいた。

 ゆっくりと瞼を開けていく。

「だれ……?」

 ワタシは、目の前に居る男の人を見ながら問いかける。
 すると目の前の男の人は、ワタシに笑顔を向けてきて「もう、大丈夫だ」と語りかけてきた。

 そして男性が指差した方向に何かが見えた。

 そこには、見たこともない小さな部屋に、大勢の人がいる風景。
 そして、白と黒の布が部屋の中を飾っている印象的な場所だった。

 見たことのない女の人が、「綾香!」、と誰かの顔が描かれている絵のような物を持っていて、体を震わせて泣いている。
 何故か分からないけど――。

「胸が苦しい……」

 何故か分からないけど、どうしてだか理解できないけど……。

 とても胸が痛い……。

「綾香、それは君の心が痛みを訴えかけているのだよ……」
「心?」
「そうだ」

 ワタシの言葉に、ワタシを抱いている男性は、ゆっくりと頷いてくる。

「君が、誰かを大事に思っているからこそ、記憶をなくしたとしても――」

 男性は言葉を紡ぎながら、ワタシの胸元に手を当てて「君の心が、大事に思っている人が傷つく事を悲しく思っているんだよ」と語りかけてきた。

「大事な人が傷つくと、心が苦しい……。痛い……。それが心……」
「ああ、そうだ……。そして、君が自分を追い詰めて苦しむのを見るのも、何の手を差し伸べることが出来なかったのも、こんなことになってしまったことも私や、静香は、とても後悔している。本当は、日本に住んでいたときに――綾香、君に伝えるべきだったのかも知れない。私たちは、綾香を心から愛していると――」
「綾香……。それがワタシの名前?」
「ああ、そうだ。そして――」

 男性は、いくつもの光景をワタシに見せた。

 綾香という人間が、どんな生活を送ってきたのか。
 そして、綾香という人間が転生することを。
 転生先では、利用され尽くされ最後には、全ての罪を着せられ殺される光景を。
 その運命を変えるために静香という女性が、綾香という人間を守るためだけに転生してきたということを。
 そして――。

「あなたは……」
「ああ、そうだ。私の名前は、暁孝雄――君の父親だ」
「父親……」

 私は呆然と言葉を紡ぐ。

「すまなかったな。綾香、私にはお前を守ってやることは出来なかった。私は……不甲斐ない父親だった……。娘を守ることもできず、静香に頼むことしか出来なかったのだから……」
「……」

 ワタシには、何て答えていいのか分からない。
 だって、記憶がまったくないから。
 そうしているうちにも、空中に映されている光景は変わっていく。

 そして映された光景は見たことがある部屋で。

 そこには、ベッドの上で、ワタシそっくりの子供を抱かかえて魔術を使っている女性がいた。

 女性の顔色は、とても悪い。

 そんな女性の様子を見て胸がざわつく。
 どうしてだか分からない。

 だけど――。 

 ワタシの中に、ご主人さまから与えられた魔術の知識が鮮明に浮かび上がる。
 その知識によると、あんな状態で回復魔術を使ったら死んでしまう。

「……いや……」

 気がつけば、ワタシは否定の意味を示す言葉を口にしていた。
 何故か分からないけど……。
 どうしてだか分からないけど……。
 女性には死んでほしくない。
 そんな思いが自然と心に浮かんできた。

「綾香?」
「いやっ! いやっ! そんなのいやっ!」

 ワタシは両手を額に当てながら必死に叫ぶ。
 叫んでもどうにもならないことくらい、なんとなくだけど分かる。
 だけど、叫ばずには入られなかった。

「綾香、あの女性を助けたいかい?」

 駄々を捏ねていたワタシを抱き抱えている男性は問いかけてきた。
 ワタシは、ゆっくりと頷く。
 すると男性は、少し思案顔をしたあと。

「よくお聞き。静香の死は、ほぼ確定している」

 彼の言葉にワタシは、体中から力が抜けていく。
 わからないけど、わかった。
 助からない。
 それだけが分かれば、もう――。

「そう。ほぼ確定しているが、確定はしていない」
「どういうこと?」

 ワタシは首を傾げる。

「この世界の回復魔術は、その成功を左右するのは地球の現代医学を、どこまで理解しているかに左右される」
「むずかしくてよく分からない……」
「ああ、いまは分からなくていい。だが……静香を救うためには、君が今もっている魔術の知識と、綾香が看護師になるために勉強してきた地球の医学知識が必要だ」
「それがあれば助けられるの?」
「助けることは可能だ。だが……、一つだけ重大な問題がある」
「重大な問題?」
「ああ」

 男性は、ワタシの言葉に頷く。

「今、静香が発動させているラーニング・メモリーは、綾香としての記憶を君に投射する魔術だ。そうすることで君を治す事ができるが……君は全ての記憶を、得た魔術の知識も失うことになる」
「それは、ワタシが消える? ワタシが消えたら女の人も助けられないの?」

 ワタシの言葉に、男性は頷いてくる。

「それはいやっ!」

 ワタシは、反射的と言っていいほどの速さで否定する。
 ワタシが消えるのは嫌。
 それと同じくらい、ワタシを助けようとしている女の人を助けられないのはもっと嫌。

「よくお聞き。もし、いまの君――シャルロットが受けた記憶を綾香が追体験したら、君は完全に壊れてしまうことだって在り得る。私も静香も君には平和で静かに暮らして欲しいと思っている。君を救うことは出来たんだ。だから――」
「それでもイヤッ!」

 ワタシは力強く否定する。
 何故か分からないけど……。
 何故だか理解できないけど……。
 それだけは――。
 それだけは……。

 誰かを犠牲にして、誰かに守られて、何もかも全て忘れて自分だけが幸せになるなんて、そんなのは間違っている。
 それだけは――。
 何もわからない。
 何も覚えていない。
 全部が足りてないワタシにも分かる。
 だって……。

 何も覚えてなくても……。
 何が起きたのかも覚えてない。 
 だけど男性が言うように心が覚えているから!  

「ワタシは、守ってもらうだけなんて絶対いやっ!」
「そうか……」

 一瞬、男性が微笑んだように思えた。
 それと同時に膨大な記憶がワタシの中に流れこんできて――。
 地球で何があったのか。
 異世界に転生してきてからどんなことが起きたのか。

 それらが全てワタシを私として作り変えていく。
 たくさんの痛みと、たくさんの遠回りと。

 そして……。

 どれだけ、私は両親に愛されていて、勘違いして二人に迷惑をかけていたのかを理解した。

「お父さん……、ごめんなさい……。わたし……」

 ようやく全てを思い出し、そして理解する。

「いいのだよ……。綾香は私の大事な宝物だから……。君が笑って生きてくれてさえいれば私は、それで満たされるのだから……」
「でも……」

 私は、瞳から涙を零しながら口にする。
 そう、私がどうして、あの本に興味を引かれたのか――。
 あれは、お母さんが使ったラーニング・メモリーという魔術そのものがお父さんだったから。

 そのラーニング・メモリーが本当の意味で、発動した時、ラーニング・メモリーの魔術が消滅する。
 それは、両親の本当の気持ちに気がつくこと。

「私、本当に馬鹿だ……。お父さんや、お母さんの気持ちも理解してなくて……、自分よがりな事ばかり考えてばかりいて――」
「気にすることはない。子供を守り導くのが親の仕事だ、それに……綾香、お前と一緒に暮らしてきた日々は、かけがえの無い日だったよ。そう……、本当に、毎日が煌びやかに彩られた、どんなお金も財宝も色あせる素晴らしい日々だった。そろそろ行きなさい。そして強く、優しく生きるのだよ?」
「お父さん!」

 私の言葉に、お父さんは手を振って答えてくれた。
 そして――。
 目を覚ますと……。

「お母さん!」

 私は、静かに意識を失っていくお母さんに向けて、回復の魔術を発動させた。






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コメント

  • コーブ

    る、涙腺がぁぁぁぁ~

    0
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