転生少女は王子様をハッピーエンドに導きたい

久里

第16話 動揺

「からかわないでください! 私ごときが神様にも値するあのお方にそのような不敬なお気持ちを抱くこと等ありえません!」


その言葉は発したと同時に針となり、私の心臓をぷすりと刺しました。


あ、れ?


こんな風に胸が痛むことは、おかしい。
私は、エルシオ様がティア様と結ばれることで過去の闇を断ち切り、幸せになるということだけを望んでいるのに。


ヨルン君は突然の私の気迫にたじたじになりながら、額に汗を浮かべていました。


「ネリさん? 何を言って……」
「これは、何にも代えられない神聖で尊い道程への第一歩なのですよ」
「……え、えっ? 今、なんて……?」
「必ず、お伝えしてください。分かりましたね?」


鬼神を背後に背負っているかのような圧倒的な凄みをその言葉に込めると、ヨルン君はわけがわからぬという顔をしたままこくりと頷いたのでした。それから、飛んで私から逃げていきました。


強ばっていた身体から力が抜けていき、軟体動物のようにへにゃりとなります。


さっきの私、どうかしていました。まるで、何かが乗り移ったみたいでした。


ちょっとヨルン君にからかわれただけのことで、動揺するなんて……あんな冗談は、軽く笑い飛ばしてしまえばよかったのに。


何はともあれ、ヨルン君は根の良い真面目な子なので、言伝はきちんと伝えてくれるはずです。後は夕刻を待てば、二人は出逢うことができますでしょう。


私は胸に残った鈍い痛みから目をそらすようにして、朝の仕事に出向きました。



本日の朝の仕事は、城内の清掃です。


広すぎる城内を一人で掃除することは不可能なので、割り当てられた範囲を掃除してゆきます。最初は談話室の掃除からはじめ、皆が朝食を食べ終えて出ていった頃に食堂に戻り、一通りテーブルを水拭きします。どこもかしこも広いので無心で掃除をしている内にあっという間にお昼となり、そのまま食堂でお昼をとりました。特に仲の良い知り合いも見当たらなかったので、黙々とお昼ご飯をとって、再び午後の仕事に取り掛かります。


大量に出る軍人さんたちの洗濯物を一通り干し終えた頃には、ちょうどおやつの時間ごろになっていました。


ラフネカース城における召使い達は、決められた仕事さえきちんとこなしていれば、いつ休憩をとっても構わないことになっています。特別な祭典等のある日はやや忙しいですが、それはそれで楽しいものです。


私は基本的には朝早めに起きておやつの時間頃まで根を詰めて働き、その後はペースを落として働いたり休んだりというライフスタイルをとっています。


おやつの時間に談話室でしばし休憩することが、私の日課となっていました。


談話室は簡単なキッチンの備え付けられている歓談用の部屋であり、城に暮らす者であれば誰が使っても良いことになっています。しかし、それにしては不思議なくらい人がよりつかず、今やまともに使用しているのは私と王子様方くらいのものです。


同僚のメイドは『いつ王子が入ってくるかもしれない部屋なんて、気づまりで窒息死しそうだから無理。休憩のときくらい、ゆっくり羽根を伸ばしたいもの』と言っていました。私は前世の記憶と血筋の恩恵にあずかり王子様方を恐ろしいなどと思ったことは一度もありませんが、そうでもなければ、彼女と同じことを考えていたかもしれません。


この部屋には、真ん中に少し大きめの木のテーブルがあり、それを取り囲むようにして二つずつウッドチェアが向かい合っています。城内地下ならまだしも、城内一階における錚々たる部屋の中では、群を抜いてこじんまりとした素朴なお部屋です。私はとても気に入っています。


紅茶を淹れてほっと一息ついていたら、ノックの音が響き渡りました。


返事をするよりも先に開いたその扉から現れた人物は、今私が会って真相をたしかめねばならぬその人でした。


「シャルロ様……!」


彼が歩くたびに、ストンと真っ直ぐに落ちている銀の髪がサラサラと揺れて、光を散らしているようです。今日も今日とて麗しい。シャルロ様は私の目の前のウッドチェアに腰かけると、悠然と微笑みました。


「嬉しそうだね。そんなに僕に会いたかった?」
「ええ! ちょうどシャルロ様にお会いしたくてたまりませんでした!」


昨日の重大システムエラーの真相を解き明かさねばならない。
シャルロ様が現時点でティア様に抱いている感想について、詳しく調査しなければ。


意気込んで、身を乗り出し気味にそう言ったところ、シャルロ様は人を虜にしてしまう妖しい魔力を備えたバイオレットの瞳を泳がせたのでした。心なしか、その雪の頬がうっすらと赤らんでいます。


「そ、そんなに会いたかったの? 兄様じゃなくて、僕に?」
「ええ。他でもない、シャルロ様に」
「ふ、ふぅん……。まぁ、べつに、嬉しくなんてないけど――」
「昨日、ティア様とお会いしましたよね?」
「へ? あ、あぁ、あの薬草師の女の子か。会ったけど、それがどうかしたの?」
「印象はどうでした?」
「うーん。顔は可愛らしかった気がするけど、特に何の変哲もない普通の女の子だったよ。それがどうかしたの?」


シャルロ様が特に何の感慨もなさそうに告げた時、背筋に冷や汗が流れ落ちました。


やっぱり、ゲームの展開と違っている……!


本来ならばシャルロ様のちゃらい行動を徹底拒否するはずだったシーンで、ティア様は特にその行為を嫌がるそぶりを見せなかった。だからシャルロ様は、彼女を他の女性と変わらない、普通の女の子だと思ってしまっている。


しかし、考えようによっては、これは好都合なのかもしれません。


ティア様にはエルシオ様という結ばれるべき運命のお相手がいらっしゃいますので、シャルロ様と恋仲になられたら非常に困る。


何が原因か分からないけれどもティア様はシャルロ様に多少なりともご興味がおありのようでしたが、シャルロ様の方はといえば今のところ全くティア様のことを気にかけていなさそうだ。彼の方がこのご様子であれば、お二人の仲がすぐにどうこうなってしまうことはなさそうです。


「なるほど……! 大変参考になりました、お話ありがとうございます」
「……………………もしかしなくても、僕に会いたかったのってその子のことを聞きたかっただけ?」
「その通りです! ティア様のことに関しては、今の私の一番の関心事ですので」


迷いなく断言すると、彼は見る見るうちに菫の瞳を三角に吊り上げて、私を親の仇でもとるような目で、睨みました。心なしか、うっすらと涙ぐんでいます。


「っ……ネリの馬鹿!」
「なんで突然の罵倒!?」
「ほら! ぼさっとしてないで早く僕にも紅茶を淹れなよ」


そう言って、私からふいっと顔をそむけてしまいます。
何が、そこまで彼の気を損ねてしまったのでしょうか。


唇を尖らせて不機嫌モード全開のシャルロ様でしたが、私の注いだアールグレイの香りをすった瞬間、それまでの尖った表情はなりをひそめていき、かわりに気の緩んだ柔らかい表情が浮かんでいきます。


ぽつりと、その形の良い唇からぼやきがこぼれました。


「…………今日の昼食は、本当に疲れたよ」
「他国の王様方と会食されていたんですよね?」
「いつから僕のことをつけていたの。そんなに僕のことが愛おしかったわけ?」
「心外です! ヨルン君からたまたま聞いたのです!」


私の必死の弁解に、シャルロ様はつまらなそうにふうんと相槌を打っただけでした。


「…………そういえば、あのエルシオ兄様の様子が、いつになくヘンだったけど」
「えっ」


突然飛び出たその名前は、いとも簡単に私の心臓を揺り動かしました。
先ほどまでのヨルン君との会話が脳内にフラッシュバックし、胸に残った鈍い痛みが、かすかに疼きました。


目の前のシャルロ様は、私の動揺に気づいた様子もなく、訝しげな顔つきをしてその時のことを語ります。


「……あの氷像そのものみたいな兄様が、珍しく目を泳がせて何度も時計の方を見やってた。挙句の果てには、会食の最中にフォークを落としてオロオロしてたし」


驚きのあまり絶句しました。


あの完全無欠の超人みたいなお方が、貴賓との会食中に、ナイフを取り落しておろおろしていた!?


エルシオ様が他国の王様や王妃様との会食ごときで動じるわけがない。シャルロ様の言う通り、彼はあの氷のように冴え冴えとした無表情を浮かべながら、それでも失礼にはならない程度にそつなくスマートに会食をこなすことでしょう。


あのお方が動揺して失敗するなんてそんなこと、想像もつかない。


「……ネリ。何か、心当たりがあるんじゃない?」


直接、素手で心臓を握られたみたいでした。
肩がびくっと震えます。


「な、なにもないですよ……」


シャルロ様は私の心のうちまで見透かすように、その瞳をすうっと細めました。
絵本の中の夜空を閉じ込めたような瞳の中には、不安な顔つきをした私が映っていました。


そんな風に探るように見つめられたところで、本当に私には分からないのです。
会食中に、またあの凄惨な過去を思い出すきっかけとなるものに出くわしてしまったとか?


しかし、彼は、この十年間、人前で弱さを晒してきたことなどなかったはずです。エルシオ様は、他人の前では、徹底して自分の弱さを見せないお方だ。


頑なに口を閉じて震えていたら、シャルロ様がぽつりと言いました。


「驚いた。君には本当に自覚がないの?」
「え?」
「……もし、本当にそうなんだとしたら、僕にとっては好都合だけど」


シャルロ様は不可解な言葉をぼやいたかと思いきや、何か考え事をするように口を引き結びました。
ややもしてそのまま何も言わずに立ち上がり、談話室を出ていく彼の後姿を、唖然としながら見つめることしかできなかったのでした。

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