転生少女は王子様をハッピーエンドに導きたい

久里

第1話 孤独な王子様

こ、これからついに、生エルシオ様にお会いできる……!


この世界において五歳になった私は今、心臓を破裂させんとする勢いで高鳴らせていました。


だって、前世に神のように崇め奉っていたエルシオ様にこうして実際にお会いできる日が来るだなんて……! 興奮しないわけにいきません! 実際にお会いしたらアドレナリンが放出するあまり鼻血を噴き出しかねませんが、彼にそんなお見苦しいものを見せようものなら死罪に匹敵する! 折角、エルシオ様の生きていらっしゃるこの世界に生まれついたというのに死んでしまっては元も子もないので、ここはぐっと堪えなければ。


自然と荒くなる鼻息をどうにか堪えて、ドキドキと胸を高鳴らせながら、私は母に手を引かれてエルシオ様のお部屋の前までたどり着いたのでした。


「ネリ。これからお前がお会いするのは、とーっても偉いお方なんだよ。失礼のないようにね。まぁ、こんなことを言ってもまだ分からないかもしれないけれど」


膝を折り、柔らかく微笑みかけてくれた母に向かって、私はにっこりと微笑み返しました。


この世界では五歳の私ですが、前世の記憶を所持しているため、実際の精神年齢は二十三歳くらいです。実は流暢にお喋りすることも簡単にできてしまいますが、怪しまれないようにするべく見た目通り小さい子供の振りをしております。リオン様がご誕生された時の過ちを再び繰り返すわけにはいきませんから。


私の今世の母がエルシオ様のお部屋の扉を開いたその時、私の心臓は高鳴り過ぎて、このまま張り裂けてしまいそうなくらいでした。


きらきらとしたシャンデリアの光が眩しく、私は咄嗟に目を細めました。


見るも豪華そうな調度品がたくさん並んでいるそのお部屋は、たった一人のための子供部屋にしてはあまりにも広すぎるのでした。


大きすぎる部屋の真ん中に置かれたソファに腰かけた細身の子供が、ドアの開く音に弾かれたようにして振り向きました。


透けてしまいそうなほどに淡い金色の髪が、ふわりと揺れました。
抜けるように白い顔の中心で炎のように燃え立つ赤の瞳がギロリと、私たちを射抜くように睨んだ瞬間、心臓が縮み上がりました。


わずか五歳の子供が放っているとは思えない、見る者を一瞬にして居竦ませるような凄みに圧倒されて、自然と身体が強張ってしまいました。私の緊張に気づいたのか、母は「大丈夫だよ」と語りかけるように、私の手を強く握り返しました。


「エルシオ様。ここにいるのは、私の娘のネリでございます。貴方様の休憩時間の遊び相手として、王妃様から抜擢された者です。不束者ではございますが、どうかよろしくお願い致します」


母が警戒心むき出しの彼をなだめるように言った時、エルシオ様の視線が私に向けられて、肩が跳ね上がりました。


相手を刺し貫いてもおかしくないと思えるほどに、鋭い睨み。
それは、間違っても初対面の相手に向けてはいけない類の、心臓を冷えあがらせるような視線でした。


しかし、彼が初対面の相手に対して氷柱のごとく冷たいのは、前世にエルシオルートを何十周もやりこんだ身としては、想定済のこと。


目の前にいらっしゃるエルシオ様がゲームの中での彼と同じ境遇であるなら、彼は次期国王陛下としてふさわしく成長するため、血も涙もない冷徹にして厳格な教育に耐え忍んでいる最中なのです。


エルシオ様のお父上であらせられる現ラフネカース国王は、一世代にして傾きかけていたこの国を大きく成長させた、凄腕の陛下です。しかし、情も涙もなく、国のためならばどこまでも冷たくなれる現国王は、為政者としては素晴らしいお方ですが、一人の父親としては失格なのではないかと思わざるをえません。


何故なら、今八歳である彼はきっと、お父上とまともに遊んだことすらない。


エルシオ様にとって唯一の癒しであるお優しい王妃様も、国王様から『エルシオを甘やかすことだけは許さない』と忠告を受けているため、一週間に一度会うことのみ許されているという状況。


全ては、エルシオ様が情に流されることなく必要とあらば心をも殺して、将来立派に国を治めるため。


その厳格すぎる境遇が、幼い彼の心を切り刻んだのはわけもないことなのでした。


現に、私の目の前にいる彼は、視線だけで相手を屈服させかねない凶暴な目つきをしている。ゲームのヒロインであるティアが出逢ったばかりの頃のエルシオ様も、こんな風に、彼女を強く睨んでいた。


その強い視線に、ぎゅっと心臓を握りこまれたかのようでした。


幼いエルシオ様に強く睨まれた瞬間、ゲームでのティアと彼との出逢いが一気に頭の中にフラッシュバックし、慄きはときめきへと変換されました。


ああ。


ついに、画面を隔てることなく、実物のエルシオ様にお会いすることができてしまった。


感動と緊張と興奮とがない交ぜになって一気に私の中で爆ぜて、頭の中は大騒動の混乱状態でした。


私は、目の前の私を睨みつけている彼に向かって、緊張に打ち震えながらどうにか言葉を発したのでした。


「ネ、ネリと申しまつ! よ、よろしくお願いしましゅっ……!」


か、噛んだーーーーーーーーっ!? しかも二度も!?


前世よりかねて待ち望んでいたエルシオ様との感動的な初対面だというのに、なんという失態! 顔中に血が立ち昇ってきて、ひどく熱くなりました。


死にたい。穴があったら入りたい。


彼は私が失態をおかしてあわあわしていることにすら寸分の興味も示さず、いまだ鬼のような目つきを崩さぬまま、ただ不愉快そうに眉をしかめたのでした。そして、再び母に視線をうつしました。


そして、聞く者を凍えさせるような冷たい言葉を放ったのでした。


「……不愉快だ。今すぐ出ていけ」


その声は、まだ幼い少年のものらしくあどけなかったですが、従ってしまいかねない凄みが潜んでいました。思わず肩がびくっとなりました。


母は、初めからこうなることを予想していたかのように小さくため息をつきました。


「エルシオ様。貴方様に遊び相手を抜擢したのは、王妃様たってのご希望があったからです。たとえ貴方様の命であろうとも、簡単に従うわけにはいきませぬ」


エルシオ様にとっても、私の母は、乳母にあたる存在です。
彼は母の言葉に一瞬たじろいだようでしたが、またその瞳に怒りの炎をくゆらせたのでした。


「子にまともに会いに来ることすらしない母の願いなんぞ知るか!」
「それはっ! 理由があってのことなのです!」
「分かっている……! だからこそ、私には遊び相手なんて、必要、ないだろう……っ」


唇をわなわなと震わせながら発されたその言葉は、虚しく子供部屋にしては広大すぎる部屋に落ちました。


実際に彼と対峙して、そのお言葉をこの耳で聞いた時、心臓がひりつくようでした。


ゲームでも、大人になった彼が過去の記憶を語るシーンがありました。その時に、国の為ならば鬼にでも悪魔にでもなれる父王の話も出てきており、彼のお話を何度も繰り返して読んだ私は彼の抱えていた痛みを深く理解しているつもりでした。


でも、実際の彼の心は、想像を絶する程に荒んでいるのでした。


私は、国王様の厳格すぎる教育が、エルシオ様の心をこんなにも締め上げていたとまでは思っていなかったのです。


今にも噛みつかんばかりの勢いで、私たちを睨みつける彼の姿は、敵を発見した時の狼のようでした。母も、エルシオ様から苦しげに吐き出されたその言葉を聞くと目を伏せ、何と声をかけて良いやら逡巡しているのでした。


でも、私には、そんなギラギラとひりつくような剥きだしの敵意の中に、エルシオ様の心の叫びが現れ出ているように思えました。


彼は心の底から、遊び相手等要らないと言ったわけじゃないのだと思います。
だってそうだとしたら、こんなにも動揺して、声を荒げるわけがない。


「エルシオ様」


私が真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返して一歩歩み出た時、エルシオ様の肩がびくりと揺れました。
本当のところ、エルシオ様は、ひどく淋しいのだと思います。
でも、そのことを素直に認めてしまうのは、今の彼にとってはすごく難しいことなのでしょう。エルシオ様は、誰かに弱みを見せることは、弱者のすることだと教えられてきたのだから。


だからこそ、伝えなくてはと思いました。


「貴方様がどんなに嫌がろうと、私は貴方様のお傍を絶対に離れません」


その時初めて、彼の瞳が、大きく見開かれました。


見開かれた彼の瞳には、微笑む私の姿が映し出されていました。


私は、ボロボロに傷ついているにも関わらず周りに救いを求めることすらもできずに塞いでいる彼の心を、少しでも温めてあげたいと強く望んでいました。


このお方は今でもこんなにも辛い状況に置かれているけれど、ゲーム通りに事が進行するならば、今から二年後には彼のそれまでの人生がまるごと引っくり返ってしまうような酷過ぎる体験をすることになる。


運命の相手であるティア=ファーニセスと出逢い、恋に落ちるまでの約二十年間のエルシオ様の人生は、いっそ死んだ方がマシなのではないかと本気で悩んでもおかしくない程に暗く絶望的なのでした。


彼女と出逢うまでの後残り十二年間、この茨の道をたった一人きりで進み抜くことはきっとあまりにも苦しい。ゲームでの彼はこの道を一人きりで歩んできたのだけれども、この世界には、ゲームとは違って私がいる。


幸い、私は王家から深く信頼を寄せられているディーン家に生まれつくことができた。
私はヒロインではないし、ティアのように彼の抱える闇の全てを振り払う太陽になることはできないけれど。せめて、彼が彼女と出逢うまでの間、彼の重く暗い運命における小さな明かりのような存在になれたら良い。


だから、何があっても彼を肯定する存在であろうと、思ったのです。


「罵られようと、蹴られようと、殴られようと、私は貴方のお傍におります。どんな時でも、私だけは貴方の味方になります」


隣に立つ母が、突然私が流暢に喋りはじめたことと、その言葉の内容に卒倒しかけているのを見た瞬間、また自分が失態を犯してしまったことに気づきました。


まずい、流石に喋り過ぎた……! と焦るのも束の間、エルシオ様にギロリと睨まれて、足が震えました。


「…………ネリ、といったか」
「は、はいっ!」
「…………私は、絶対に誰にも気を許さない。お前のことなんて認めない。無駄な努力はやめておけ」


これが、私とエルシオ様の出会いでした。

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