茜色の錬金術師と餓えた少年が出会い事件を起こすまでの顛末

アウトサイダーK

第4話 どうして、先生

アンセレット家。ウィルは二階廊下の、正門が見える窓から外を見ていた。今日、両親が一日中家にいることはウィルが調べ上げた。この機を見計らい茜色の女性が家に来ることになっている。ウィルはドキドキしていた。


もしも先生が彼の両親と話をすることができ、すんなり話が通れば、ウィルはすぐに家を出て行くつもりだった。荷物は既にまとめてある。
もしも話が決裂するか、そもそも門前払いをくらってしまったら、そのときは出直すことになっていた。それでもウィルは希望を持っていた。先生は一緒に暮らそうと言ってくれた。その言葉をくもりなく信じていた。


「なにそわそわしてんだよ」


ウィルは頭から冷水を浴びせられたような気がした。ぎこちない所作で振り返る。


いつの間にか、異母弟デフロットがウィルを馬鹿にするニヤニヤ笑いを浮かべながらすぐ側に立っていた。


「なにか見てたのか? 誰か待ってるのか? あんたを訪ねてくるやつなんているわけ……あの女、誰だ?」


ウィルは慌てて窓の外を見た。家を囲む塀の外、正門の前に、黒いドレスとヴェールをまとっている女性が立っていた。髪を覆う薄手のヴェール越しでも彼女の茜色の長髪はよく見えた。
門番と話しているようだ。


「ほんとにあんたの知り合いなのかよ。驚いた。ひょっとして、あんたが外に出るのはあれに会いに行っているからなのか? ……へえ」


ウィルの怯えた様子から、デフロットは自分の言葉が的を射ていることを確信し、ほくそ笑んだ。


「なるほどな、あんたにとって大切な人ってやつか? 良いことを思い付いた。父さんと母さんに言って、あの女をひどい目に遭わせてやる」


ウィルは自分の耳を疑った。今、こいつは何て言った? ぼくの先生に何をすると?


「父さーん! 母さーん!」


大声を出して親を探し出した異母弟の手を、ウィルが掴む。


「なんだよ」


デフロットは不機嫌そうにその手を振りほどこうとしたが、ウィルの力の方が強かった。


「な、なんだよ、母さんに言いつけるぞ?」


相手の声に耳を貸さず、ウィルは廊下を見回した。台座に大きな花瓶が飾ってあり、いくつもの花がけてある。


その台座の隣に向かって、ウィルは自分よりも小さな異母弟を投げ飛ばした。簡単に投げられたデフロットは台座の側の壁に頭をぶつけ、痛みにうめき声を上げた。


何が起こったのか。デフロットが目を開けると、自分の眼前で異母兄が花瓶を持ち上げ、彼へ振り下ろそうとしているところだった。
陶器の花瓶が割れる音。異母弟の悲鳴。仕留められなかったと見るや、ウィルは次の行動へ移った。花瓶をぶつけられ、その破片で傷つき、中に入っていた水でびしょ濡れになっている異母弟に馬乗りになる。
デフロットは腕で自分の頭を守ろうとしたが、反応が遅れた。


大きな音や悲鳴を聞きつけて召し使い達が駆けつけた頃には、既にデフロットは事切れていた。






ウィルは廊下の真ん中でぼんやりと立っていた。


異母弟は動かない。ぼくが殺したらしい。ウィルは思考を働かせようとしたが、考えはまとまらなかった。


召し使い達は遠巻きにウィルを取り囲み、口々に「悪しき神のつかいめ」などと罵っている。


甲高い女の悲鳴。


何だろうとウィルが声の方向を向いてみると、継母が絶叫していた。我が子に駆け寄り、狂ったようにその体を揺さぶるが、反応が返ってくるはずもない。


継母がやって来た方角にはウィルの父もいた。いつもと同じしかめっ面、しかし顔色は青い。
何も言わずに父親は腰の剣を抜いた。窓からの日光で剣身がきらめく。召し使い達がさらに距離を取る中、父親だけはウィルに近付いていく。剣を横に薙ぎ、狙うは愛しき我が子を殺した憎き我が子の首。ウィルは目を閉じた。


ガキンッと硬い金属同士がぶつかる音。


ウィルが目を開けると、黒いドレスと茜色の髪が目に入る。彼の先生がウィルを背にかばい、戦鎚の柄で父親の剣を受け止めていた。
父親は腕に力をこめるが、女性の防御を崩せない。彼女は周囲を見渡し、黒髪の少年が息絶えているのを目にした。


「ウィル、この少年を殺したの?」


「……うん」


誤魔化す方法はないと思ったので、ウィルは正直に告白した。ああ、先生に嫌われてしまう。先生に嫌悪の目で見られるくらいなら、その前に死にたかった。


「そう、分かった」


教師はそれだけ言うと、つばぜり合いをしていたウィルの父親を押し返した。剣をはじき、体勢を崩させる。その隙を狙って、戦鎚を振り下ろした。赤い花が咲く。


誰かの悲鳴。


茜色の女性は動じることなく、眉一つ動かさず、淡々とその場にいるウィル以外の者達を殺していった。戦鎚を振り下ろし、一人、また一人と。その度に黒いドレスが血に染まっていった。


逃げようとした召し使いに対しては逃走方向へ小瓶を投げた。割れた瓶からけむりが噴き出し、召し使いをしびれさせ、足止めする。その間に他の者を殺し、それから逃走者をゆっくり追いかけて戦鎚で潰した。


その場で息をしている者は彼女とウィル以外いなくなった。


「先生……どうして……」


ウィルが震えている前で、茜色の女性は最後の仕上げを行った。ウィルが殺した異母弟に対して戦鎚を振り下ろす。他の死体と同じように、小さなデフロットの体はひしゃげた。彼女は全く顔色を変えなかった。


「私が全員を殺した。ウィルはその凶行を目撃し、逃げて、衛兵に助けを求めに行った」


「え?」


「騎士一家の殺人犯として私は追われることになる。正門で通行人に目撃されているから、手配書が出回るまでそう時間はかからない。じんそくに逃げなければならない。さようなら、ウィル、この家の遺産はあなたのものになるはず。それを使って好きに生きなさい」


そう言い残して去ろうとした先生にウィルが縋り付く。血が服に付いたが、そんなことに構っていられない。


「ぼくを置いて行くの?」


ウィルの声は悲愴ひそうさに満ちていた。


「あなたを連れて行けば、私は殺人犯である上に、誘拐犯としても追われることになる。あなたと二人では逃げる速度も遅くなる。連れて行くわけにはいかない。どうか平穏に生きて」


女性はウィルを振り払った。彼がよろけている間に彼女は走り去っていった。


赤。赤。赤。廊下には赤が満ちていた。それなのに先生の茜色はどこにもない。ウィルは絶望し、すすり泣いた。

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