茜色の錬金術師と餓えた少年が出会い事件を起こすまでの顛末

アウトサイダーK

第2話 ぼくの居場所とお姉さん

お姉さん、とウィルは心の中で呟いた。明かりがないため真っ暗な自室のベッドの上で横になったまま、あの暑い日に出会った人のことを思い出す。もう何日も前のことなのに、まざまざと回想することができた。


優しい人だったとウィルは考える。態度こそ素っ気なかったが、食事を与えてくれ、怪我を治してくれ、そして家の近くまで送ってくれた女性のことが、ウィルの思考から離れない。


――また会いに行きたい。でも……。


強烈なに、一つの思考がかせをかけていた。


――迷惑だったらどうしよう。


あのお姉さんはぼくにほとんど興味がないようだったとウィルは考える。迷惑だったのかもしれない。
彼女はゴミをあさっていた見ず知らずの子供に厚意を示してはくれたが、それは好意を抱いたからではない。そのようなことをウィルは考え、一歩を踏み出せずにいた。


――会いに行って、嫌そうな顔をされたらどうしよう。


出会ってから別れるまで、ウィルはあの女性の顔に何らかの表情が浮かぶことをついぞ見なかった。もしもその美しい顔がウィルへの嫌悪に少しでもゆがんだら。そう考えると怖くて、ウィルはベッドの上で体を震わせた。






翌日も同じ思考に沈んでいたウィルは、気分を良くするために家の庭へ出てみることにした。庭師が綺麗に整えている庭で虫などを観察するのが彼のよくやる時間の潰し方だった。


勝手口から庭へ出て、今日はどこで過ごそうかを考えながら歩き回る。日差しを遮ってくれる木陰にしようと決め、お気に入りの大きな木に寄りかかった。


馬のいななき声。


ウィルははっとして耳を澄ませた。ひづめの音。引かれる馬車の車輪の音。ぎよしやが馬にむちをくれる音。


ウィルは木の後ろに隠れた。


門番が先んじて開けていた正門から、一頭立ての馬車が敷地内に入ってくる。馬車には目立つ箇所にいくつもアンセレット家の紋章が刻まれている。


最初に下りたのは、三十歳を多少上回っているだろうと思われる壮年の男性。私服だが、腰には華美な装飾がほどこされているさやに収めた長剣をげている。陽光を受けきっちり整えられた金髪がきらめいた。
男性はしかめっ面をしているが、それが普通の表情であることをウィルは知っている。


男性が馬車の中へ両腕を伸ばすと、男の子が飛び出てきてその腕の中に収まった。七、八歳くらいの、黒髪の子供だ。楽しそうに笑っている。


男性は子供を地面に下ろすと、馬車へ今度は片腕を伸ばした。その手を取り、流行の黄色いドレスを着た女性が下車する。男性に向かって微笑んだその顔は艶やかな黒髪で縁取られている。年齢は二十代半ばといったところだろう。


幸せそうな家族の様子を、ウィルは木陰から見ていた。
ふと男性の視線が動き、木から半身をのぞかせているウィルの姿をとらえた。
ウィルの体がこわばる。


夫が何を見ているのか気になった女性はその視線を追い、同じくウィルを見つけた。一瞬その顔が汚らしいものを思いがけず見てしまったときのような嫌悪で歪むが、何事もなかったかのように目を逸らし、側にいる我が子の黒髪を撫でた。


ウィルは、ままははが自分を嫌い、存在しないものとして扱うことにはもう慣れていた。しかし、じつが自分を認識しても路傍の石でも見たかのように何の反応も示さず、無視される度に暗い気持ちになった。
木陰に体全体を隠し、家族が去るのをただただ待った。


音から三人とも家に入ったことを確認したウィルは、家の敷地の外へと飛び出した。






ウィルは方向感覚には自信があった。入り組んだ路地を進み、目的の家へとたどり着く。
深呼吸をしてから、玄関の木製の扉を叩く。
返事はない。


「お姉さん、ぼくです。ウィルです。いませんか?」


彼としては比較的大きな声を出し、家の中に呼びかける。
がちゃりと錠が外れる音。
ウィルが一歩下がると、外開きに扉が開かれ、茜色の髪と目をした女性が姿を現した。
女性は無言かつ無表情に少年を見下ろしている。ウィルの心を、衝動的な行動をしたことの後悔が覆った。


「えっと、あの、ご迷惑ですよね、やっぱり。ごめんなさい。帰ります」


「何か用があるわけではないの?」


「その……ただ、お姉さんに会いたくなって」


「そう」


しばらくの沈黙。
ウィルは俯く。今すぐこの場から去りたかった。


「お腹は減っているの?」と女性が沈黙を破る。「空腹なのであれば、また食料を分けてもいい。前の薬を改良したから、それの被験者になることが条件」


ウィルははじかれたかのように顔を上げた。感情のない茜色の目とウィルのうるんだへきがんが合う。


「いいんですか?」


「そう言っている」


それだけ言うと、女性は玄関から屋内へ歩み出した。扉が閉まってしまう前に、ウィルは内部へ体をすべり込ませる。
食事は美味しく、薬は相変わらず苦かった。






季節は移り、暑さが和らいで作物が実りを迎える頃。


二度目の訪問以降、ウィルはちょくちょく茜色の女性のもとたずねるようになっていた。女性はウィルの訪問を笑顔で迎えることこそなかったが、嫌そうな顔もしなかった。


トントントン、と玄関をノックする。


「お姉さん、こんにちは。ウィルです」


家の中にいるであろう女性に対してウィルが呼びかける。女性は未だ名乗っていなかったため、ウィルは彼女のことを「お姉さん」と呼んでいた。もちろんウィルは名前を知りたかったが、聞いてもいいのか分からなかった。たずねて教えてもらえなかったらと思うと、聞けなかった。


がちゃりと扉の錠が外れる音。勝手に扉が開く。内部の薄暗い廊下は無人だ。


時々茜色の女性はこのようなことをした。魔法を使って、玄関に出向くことなく扉を開ける。これは彼女が手を離せない状態にあることを意味していた。つまりは錬金術の何かをしているのだ。


「お邪魔します」


ウィルが屋内に入ると、背後で勝手に扉が閉まった。廊下を渡る。壁際には物が積み重ねられているが、廊下には歩くための道が一本通っていた。


一階の居間に足を踏み入れる。物が散乱しているが、いくらか片付いてきているような気がした。


そして何より、ウィルがこの部屋に来る度嬉しくなるのは、机の隣に置かれた二脚目の椅子の存在。床まで足が届かない子供のため脚部に足置きが取り付けられた、真新しい木製の椅子。
自分のためにしつらえられたに違いないその椅子にウィルは腰かけた。


何もせずにウィルは待っていた。五分ほどして、二階から女性が下りてきた。いつもと同じ黒色のローブを着ており、茜色の髪はゆるく結んであった。
その手には一冊の本。


「研究で手が離せない」


開口一番、女性はそう言った。ウィルは驚かない。錬金術の研究にけいとうしているらしい彼女は、何よりも自分の研究を大事にしているようだったから。


「分かりました。ぼくはここにいてもいいですか?」


「構わない。しかし、何もせずにいるのは暇なのではないかしら」


確かに暇だった。できればお姉さんとおしゃべりをしたいとウィルは思っている。しかしながら、研究の邪魔をして嫌われたくなかった。家に入れてくれる、家の中にいることを許可してくれる人を失いたくなかった。だからウィルは黙って首を横に振った。


「私はしばらくかかるだろうから、その間これを読んでいればいい」


女性は手にしていた本をウィルに差し出す。呆けたまま、ウィルはそれを受け取った。


「私の本じゃない。子供向けのもの」


本に視線を落としたまま黙っているウィルを見て、彼女は首をかしげた。


「気に入らなかったかしら。子供に人気のぼうけんかつげきだと本屋は言っていたのだけど。好きな本のジャンルがあるなら言って欲しい」


ゆるゆるとウィルは頭を上げた。今にも泣き出しそうな顔をしている。茜色の女性はかすかに目を見開いた。


「ぼく……ぼく、字が読めないんです」


「……教育を受けていないの? つまり、文字の読み書きや足し算引き算などを教わったことはないの?」


黙ってウィルは頷いた。ついにすすり泣きを始める。彼女の前で自分の情けないところがさらされてしまったのが、たまらなく悲しかった。


茜色の女性は考え込んだ。同年代の子供が学校へ通っているはずの時刻であるのに、この少年は自分の家に来る。だから学校へ行っていないことは彼女も察していた。それゆえ、学びが遅れている可能性を考慮し、彼よりも幼い子供向けの表現が簡単な物語を選んで渡したのだ。しかしながら、字が読めないとまでは予想していなかった。全く教育を受けていないのかもしれない。


女性は思案する。ウィルは確か、十一歳だと言っていた。まだ間に合うだろうか。間に合うだろう。本人に学ぶ気さえあれば。


ではどこで教育を受けさせる? 学校に通わせるか? 自分より幼い子供達に交じって低学年の教室で学ぶことに、気の弱いこの子は耐えられるだろうか。無理だろう。十中八九いじめられる。


彼の家庭で学ばせることはさらに望みが薄い。どういう家庭であるのか聞いてはいないが、金はあれどろくでもない環境であることは容易に想像できる。これまでの方針を転換し、教育を受けさせる手間を取るはずがない。


女性はいきいた。ウィルの体がびくりとれる。


「分かった。私が教えてあげる」


碧眼から流れ続けていた涙が止まった。目をこすりながら、お姉さんとしたう女性を見上げる。相変わらず彼女の顔に表情はなかった。


「私が文字の読み書きも、算術も、他の生きていくためのすべも教える」


「え? お姉さんが、ぼくに?」


「そう言っている」


「……いいの?」


教育を受けたことのないウィルでも、教えることにはたくさんの時間がかかるに違いないと分かっていた。異母弟が家庭教師と毎日何時間も部屋に籠もっていることを知っていた。学校に通っている他の子供達がそこで多くの時間を過ごしていることも知っていた。


「私の研究がとどこおる。心配しているのはそこかしら。それなら構わない。数年の遅れくらい何ともない。それよりも私はあなたに問いたい。私に物事を教わるつもりはあるかしら? 勉強なんてしたくない、あるいは私に教わるのなんてぴらめんだと言うのであれば、私も教えない。やる気のない生徒は取りたくないから」


じっと茜色の目がウィルを見つめる。


「学びたいのであれば、協力する」


「……よろしくお願いします、先生」


「分かった、よろしく」


ぽんぽんとウィルの金髪を撫でた女性の手つきは優しかった。






自分の教師となった女性から、ウィルは様々なことを教わった。


自分がこれまで口に出していた言葉が、どのように文字と対応しているのかを教わった。学習の程度と合った本を、先生が読み聞かせてくれた。


身の回りにある数を効率よく数える方法を教わった。二人で安全な商店街へ出かけて、別行動でお使いを頼まれてお金を渡され、自分で計算をして物を買った。


身を守るすべも教わった。すなわち、危険を先んじてさつし、気付かれずに逃げる方法だ。これは実地で練習をさせるわけにはいかないので、教師は危機にひんした人のいつを話し、ウィルであればどうするかを尋ね、その判断が適切であるかを評価した。


ウィルにとって予想外であったことに、先生は褒めて伸ばす教育方針を採った。教育を始めて数日で、ウィルはこれまでの人生で受けてきたよりも多くの賛辞を受けた。褒め言葉を発する際も女性は無表情であったが、ウィルは先生が口先だけで褒めているのではなく、本当に褒めてくれているのだと何となく分かった。

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