月夜の太陽 〜人と人ならざる者達の幻想曲〜

古民家

第4話 小さな酒宴

オーネストの屋敷は真上から見ると、コの字を描くように建てられており、正面から見ると花壇を囲むような形をしている。

正面1階は、広いエントランスと応接間。2階には、領主の執務室がある。

向かって右側は、1階に食堂や厨房、食料庫があり、その2階は使用人達の各部屋がある。

反対に左側には、資料庫や武器庫などがあり、その上の階のいくつかを客室として
改装していた。

ロキは客室に案内されてから ベッドに寝転がったり、部屋の中を歩き回ったり、1人考えを巡らせていた。

何度か、アンナマリーやオットーから、夕食の案内をされたが、食べる気が起こらない。

そうこうしている間に、夜が深みを帯びて屋敷の周りには静寂が幕を降ろしていた。

頭の中をめぐる考えはまとまらず、気持ちも落ち着かないロキは、適当に屋敷を出歩く事にした。

夜の屋敷内は静まり返っており、聞こえるのは廊下を歩く自分の足音だけだった。

ふと、中庭の方に目をやると薄い灯がともっており、誰か人の気配があることはわかった。

館の外に出ると、虫の音が一層強まり、少しうるさいくらいになる。

灯の元に近づくと、艶のある紅い髪が
静かに項垂れていた。

「こんな夜に、領主様が外で一人でいて良いのか?」

カサンドラはゆっくりと顔を上げたが、目線はこちらを見ず、中庭の暗がりへ向けられていた。

薄い肌色はランプの灯りで少し赤みを帯び、唇は髪と同じくらい赤く、大きくクルミのような瞳の奥には、この世の憂いを感じさせる深い藍色を呈していた。
もしも、窓辺で微笑むカサンドラを見れば、誰でも心奪われるに違いない。

(こうやって普通に見たら綺麗なのに)

「見とれた?」
「...............」

いきなり、心の内を見透かされた様な感じがして、ロキは内心ドキッとした。

「何も言わずにそうしていたら、綺麗だとと思う。」

「あら、ありがとう。あなたに容姿を褒められるのは、素直に嬉しいわ。」

そう言って微笑むカサンドラは、昼間の落ち着いた微笑よりも、彼女本来の笑顔の様に見えた。

「ロキ、あなたも如何?」

「.............」

ロキは何も言わずに空いている席に着いた。

それを見てカサンドラは、空いているグラスにワインを注ぎ、ロキへ進めた。

ワインのことはよくわからないが、後味は軽く、香りは優しく柔らかい。おそらく、彼女の1番の好みなのだろう。

「ノルトの領主として、オーネスト家の当主として、普段からその立場を使い分けているつもり。でも、私のことを知る人が寝静まるこの夜だけが私らしくいられる唯一の時間。」

彼女は自分の立場や役割をよく理解している。

理解しているからこそ、自分らしくいられる限りある時間を大切にしたいのだろう。

「....オレはいいのか?リー」

一瞬、カサンドラは少し目を大きく開けて驚いたが、すぐに微笑み返す。

「驚いた…久しぶりにリーと呼んでくれた。
………そうね。あなたは特別。特別に、私との時間を共有する事を認めてあげる。」

「いや、よくわからないんだが…」

「いいのよ、それで。それに今は、アシュレイ……、リーと呼んでちょうだい。」

彼女は、今はカサンドラ・オーネストと名乗っているが、元々はアシュレイ・オーネストという名前であった。

家督を継ぐ際にアシュレイでは、弱い女性を連想させるという事で、カサンドラ(隣国で魔女と呼ばれた女性)を名乗ることにした。

「ねぇ、少し……。少しだけで良いから、話を聞いてもらえる?」

「........」
ロキは了解も否定もせずに、グラスのワインを飲み込んだ。

それを見てカサンドラは、少し微笑んで話し始めた。

「10年前、あなたは父を殺した。」

ロキの手が止まる。

「ごめんなさい、違うわね。あなたは、私と私の母を父の業から救ってくれた。」

ワインの助けもあるのか、カサンドラの口調は、一言一言に感情が含まれていく事をロキは感じた。

「でも、あの時はどうしてもあなたを許すことが出来なかった。世間では父の死は、不慮の事故として扱われているけれど、あの血が招き起こした事を、私は忘れることはないわ。だから、あの血が流れるあなたのことも、当時は許せなかった。」

「リー、オレを憎んでいるなら……」

「違う!……違うのよ。」

気丈さを形にしたようなカサンドラは、
今はもういない。

一瞬、藍色の瞳は涙でにじみ、その顔を見られまいと、顔を背ける彼女の容姿は、幼い少女のように弱々しく写った。

いま、彼女は背負うべきモノと背をわされたモノを抱えきれずに、感情が溢れ出ようとしていた。

「ごめんなさい。もう大丈夫。」

「いや、いいよ。それに、リーの言っていることは間違いじゃない。オレは、あの時あんたの父親を手にかけた。」

「ええ、だからこそ、あなたにアリシアの事を守ってあげてほしいの。私のために、強いてはあなたのためにもなるわ」

話の本筋が中々見えてこない。カサンドラにしては、話の構成がバラバラだなとロキは少し心配した。

よく見ると、すでにボトルの殆どが空いており、ワイングラスの中身も無くなっていた。
これほど飲むのは、本当に稀なのだろう。

(動けなくなる前に、切り上げないと)

「なあ、リーそろそろ…!!」

カサンドラの方に視線を戻すと、カサンドラがふらりと横に倒れそうになる。

咄嗟に彼女の肩を抱えると、目の前に彼女の美しい顔が、手のひらほどの距離にあった。

深い藍色の目は潤いを増し、ランプの灯りで煌めき、唇はワインで更に赤く感じる。

アルコールで呼吸も熱く、動悸が伝わるような感覚をロキは覚えた。

「ロキ……わたしは……、あなたの…」

ロキの頰にカサンドラの細き長い指が触れた瞬間、カサンドラは脱力しロキの腕に身を預ける形となった。

「リー!?おい、大丈夫か?
……参ったな。」

ロキは、自分の腕の中で静かな寝息を立てる美女を抱えて屋敷の中へ入っていった。

夜は更に深くなり、静けさの中に残る熱気を中庭に灯るランプと二つのワイングラスだけが覚えていた。

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