平凡騎士の英雄譚

狛月タカト@小説家になろう

第一章9\u3000\u3000『無力感』



 目の前を、大の男を背負った女性が歩く。
 自分は、その歩いた道をただついていくだけ。
 先を歩いていた女性――フィーネが額に汗を滲ませながら、こちらを振り向く。

「ユリア様、もう少しで森を抜けます。村に着いたら、まずはジークムント様の治療をしましょう」

「うん……」

「――ユリア様?」

 怪訝な顔をするフィーネに、ふるふるを首を振る。
 今自分が思い悩んでいる事は、きっと悩んでも意味がない事だ。

 ――でも、それでも。

「私、何もできなかった。ジークムントさんも、ラウルくんも戦っていたのに……ただ震えてた。今だって、フィーネに何もかも任せてついていくだけ」

「ユリア様……」

「分かってるの。私は使命を与えられて、それはとっても大事な事で、その為にみんなが助けてくれてる事も。だからこそ、何もできない自分が……嫌い」

「――ユリア」

 その懐かしい呼び方に、ハッと顔を上げた。
 そこには、かつて一緒に過ごしていた孤児院にいた時の表情があって。

「あのね、ユリアは何もできなかったって言うけれど、ならジークムント様の酷い傷を治したのは誰?」

「そ、れは……でも、ラウルくんからそう頼まれたから……」

「頼まれたという事は、頼りにされたって事でしょう? それに、あなたがいなければ彼は死んでいたわ。それ程に深い傷だったのだから」

「傷ついてからじゃ、遅いの……私は、傷つく人を見たくないの」

「そうね。確かに、あなたが持つ治癒魔術は傷を癒す力。誰かを守る力ではないわ」

「だから、私は――」

「でも、守る力しか持たない人は誰かが傷ついた時に助ける事が出来ない」

 ユリアが青碧の瞳を見開く。
 フィーネが優しい笑みを浮かべて、続ける。

「あなたはジークムント様の傷を癒し、この方の命を守ったの。治癒魔術は、人の命を守る力よ。それは私にも――ラウル様にだって出来ない事なのよ。あの場であなたにしか出来なかった事。それを何も出来なかったなんて、竜を止める為に残って下さったラウル様にも失礼でしょう」

「ラウルくん……」

 彼は無事だろうか。
 自分に自信のなさそうだった、男の子。
 それはどこか自分と似てるな、とユリアは思っていた。

 だから、ラウルが自分が残ると言い出したのはびっくりした。
 自分に自信がないのに、どうしてそう強がれるのか。
 ユリアには分からない。あんなに恐ろしい存在とたった一人で立ち向かう勇気はどこから出たのだろう。
 何故彼は――あんなにも震えた手で立ち向かえたのだろう。

「ラウル様が殿を引き受けて下さった時間を無駄にしない為にも、私達は一刻も早く村に戻りましょう。ジークムント様の治療をした後、王都に戻りユーティリス陛下にこの事をご報告し、討伐隊を出してもらわねばなりません」

「そうね……行きましょう。ラウルくんが私達にその役目を任せてくれたのだから」

 分からない事だらけだけど。今立ち止まる事はラウルの勇気を、決断を無下にする事だから。
 ラウルと再会したら、聞いてみようと思う。
 だって、絶対に戻ると約束してくれたから。
 ラウルが戻ってくると、強く信じている。
 そう新たに決意して、足を進めようとした時――。

「ッ、ユリア伏せて!」

 フィーネが叫ぶと、森の茂みから飛び出してきた狼の魔獣がユリアを噛みつこうと飛び出してきた。
 ユリアが悲鳴を漏らしながらしゃがむ。

「ラファル!!」

 ユリアの身体に狼の牙が食い込もうとする寸前、フィーネの展開した術式から鎌鼬が発生し、狼の身体が縦に分かれた。
 魔獣の凄惨な最期に引きつった声が漏れた。

「これは……囲まれていますね」

 フィーネが辺りを見渡すと、周りの茂みからいくつもの唸り声が聞こえてきた。
 獲物を威嚇する低い音と、次々と姿を現す魔獣にユリアの顔が青褪める。
 今、ここにいるのは気を失ったジークムントと、その身体を背負っているフィーネ。
 そして戦う力を持たない自分。
 どこからどう見ても今のユリア達は、魔獣にとって格好の獲物である。

「行きは見当たらなかったのに、なんで……」

「恐らくですが、火竜が徘徊していたから魔獣たちは逃げ隠れていたのでしょう。それがこうして動き出しているとすれば――火竜が倒されたか、何らかの理由によって身動きが取れなくなっているか」

「まさか――ラウルくんが!?」

「分かりません。ですが、ラウル様が残った目的は果たされた、と見ていいはずです――その弊害がこちらにきていますが」

「ど、どうしよう……こんな数が多いなんて」

「ユリアは私の傍から離れないで。大丈夫、私も魔術師の端くれなんだから――ルミ・ラファル!」

 フィーネが創り出す魔力の術式から無数に生み出された鎌鼬が、こちらに飛びかかる狼の魔獣を次々と切り刻んでいく。
 そうして切り刻まれた仲間を見て、魔獣たちはその場で足踏みをする。
 囲んではいるが、その獲物はこちらを害する力を持つ者と本能で理解したからかもしれない。

「フィーネ、凄い……」

「あなたがそう言ってくれるから、私は頑張れる――ッ」

 そんな膠着状態を打ち崩すように、森の奥から一回り大きい魔獣が姿を現した。
 他の魔獣が灰色の体毛を纏わせているのに比べて、その巨体を纏うのは黒の体毛。
 一際大きい魔獣が出てきた事で、周りの魔獣が恐れを忘れたかのように襲いかかってきた。
 その後ろでは新たな狼の魔獣が次々を姿を現していく。

「あれがこの群れの長――! くっ! こう数が多いと捌き切れない!」

「――きゃあっ」

「ユリアっ!」

 襲いかかる魔獣がフィーネの魔術によって分断されていく中、とうとうその範囲から漏れた一匹がユリアを押し倒す。
 目の前に開かれる大きな口から、凶暴な牙が獲物の息の根を止めようと涎に輝く。
 思わず、恐怖から目を瞑った瞬間――剣閃によって魔獣が倒れた。

「その御方を御守りするのが僕の使命――だからお前らが気安く触れる事は許されない」

 栄える金髪が風に揺れ、その凛々しい端正な顔を苦痛に歪めながらも、『英雄』と呼ばれた騎士は己の使命を全うする為に立ち上がっていた。

「ジークムントさん!」

「申し訳ありません。どうやら情けない姿をお見せして、皆に迷惑をかけてしまったようです――この場にいない、ラウルにも……」

「気が付かれたのですね。お身体の方は?」

「残念ながら本調子ではないです。でも、そうは言ってられないみたいだ」

 聖剣を構え、黒狼の魔獣と相対するジークムント。
 両者が見つめ合い、互いに動きが数舜止まる。
 長い時間に感じられたその刹那――勝負は一瞬で片がついた。

 ジークムントの斬撃によって縦に分かたれた黒狼を見て、周りに残っていた灰狼が後ずさりをしてバラバラに茂みの奥へと逃げ去っていく。
 それを見届けたと同時に、ジークムントの体が崩れ落ちた。

「ジークムントさん! やだ、傷口が開いてる、今治療するから!」

「はは……何度もお手を煩わせてしまい、申し訳――」

「謝る必要などありません。誰もあなたの事を責めたりなんかしませんよ――それに、謝罪よりも感謝の気持ちを述べた方がユリア様は喜びます」

 謝罪をバッサリと切り捨てるフィーネに、ジークムントの目が見開く。
 そしてしばし瞑目して、頷いた。

「そう、ですね。ユリア様、ありがとうございます。この御恩は決して忘れません」

「いいの。私に出来る事はこれだけだから。さっき守ってくれたお返し! ね?」

「はい――ところで、ここは? それに、ラウルは一体どこに……」

「今、火竜から撤退して村へ戻っている途中です。そしてラウル様は……火竜の足止めをする為にあの場に残られました」

「ッ! ――ラウルが、そんな判断をしたのでしょうね」

「ええ、それが最善だと、仰ってました――それと、ジークは王国に必要な男、だとも」

 ジークムントはフィーネの言葉に、喜んでいいのか悲しめばいいのかよく分からないような表情を浮かべた。
 自身が倒れ、友がその場に残った。その事実を重く受け止めながらも、その友からの信頼、評価に喜びを感じてしまう愚かさ。
 自分の力が不足していたから、友は後始末をする為にあの場に残る選択をしたのだ。

「そうか……ラウル、君はどこまでも僕を『英雄』にしたいらしい」

 思わず苦笑が漏れ出る。
 誰よりも重いその期待に応えなければならない。
 騎士の誇りにかけてでも、その期待だけは裏切れない、裏切りたくない。

「行きましょう――ラウルがそう判断を下したのなら、僕たちは一刻も早く王都に戻らなければならない」

 ユリアの治癒魔術によって、傷が塞がったのを確認したジークムントは、山に視線を向けながら言った。

 一人の男が己の命を賭けて逃がした英雄、聖女、魔術師の三人は、男の意思を無駄にしない為に前に進もうとしていた。





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