召喚してきた魔術王とか吸収してドッペルゲンガーやってます
13.ドッペルゲンガーはメイドになる
その女……モリオン・クルムラウフは生粋の詐欺師であり、主にスパイ活動を生業としていた。
言葉巧みに他人を騙す才能は非常に大きな力であったが、その才能故に彼女は他人を騙さずにはいられなかった。
だからこそ彼女は騙し騙されることが日常の殺伐とした業界であるスパイの道を邁進し、流れ着いた先は「イルミンスール教会」という、この大陸で最も大きな宗教団体……の、暗部。
世界の調停者を標榜する彼らの耳目として、他の様々な勢力に潜入し情報を集める。時には逆に教会の情報を流出させたりもして、とても危ういバランスの上で生きてきた。
……今日までは。
魂の質の高さは感じていたが、予想以上に良い拾い物をしたとドッペルゲンガーは喜ぶ。
今の姿は、ウェーブのかかった豊かな黒髪を纏う美女。華奢だが女性的な肢体、神秘的な紫の瞳に、張りのある褐色の肌が印象的だ。
ならば「シトリン」という冴えない風貌のメイドは何処に? と思う者もいるだろう。それは彼女、モリオンの変装によるものだ。
身体強化系の術式を基に特殊な改造が施された秘伝魔術《色素変換》により、彼女は自身の体内の色素細胞を自由に操作出来る。
肌に瞳に髪の色、これらが変わるとヒトの印象は驚く程に変化する。加えて熟練の変装用化粧術を併用すれば、他人に化けることは不可能でも見ず知らずの他人を偽ることは容易だ。
彫りの深い派手な容貌は化粧によりのっぺりとした見た目に偽装され、それにより王宮内では程良く目立たない立場を得ていたのだ。
一応彼女は女性として標準的な身体能力しか持たなかったようで、運の値が僅かに上がった程度にしか能力値の上昇はない。
しかしモリオンのスキルと知識は非常に有益だ。応用範囲は相当に広いと思われる。
ドッペルゲンガーのこれからの生活は、これにより更に「実りあるもの」になるだろう。
さて、とドッペルゲンガーは素早く身だしなみを整える。予め生前の彼女が持ち込んでいたメイド服を纏い、髪をきっちりと結い上げる。
《色素変換》で体色を弄り、最後にそばかすを模した化粧を……と思ったところで、ふと思い付いて《形態模倣》からその化粧を再現してみる。
すると一瞬でその顔に化粧が施された。どうやら化粧も装備品として認識されるらしい。しかし装備品の完全再現は吸収時のものに限るようで、彼女が過去に試した化粧は……通常の模倣と同程度、見た目だけの再現になった。
具体的には、見た目はほぼ完璧なので化粧という用途としては問題はないが、認識阻害効果のある特殊な化粧品などは再現不可能、といった感じである。
一通りの身繕いを完了させ、満足げに一人鏡の前で頷いたドッペルゲンガーは……そこから更に《詐術》を併用した"仕上げ"に取り掛かった。
結い上げた髪は僅かに弛ませ、軽く後れ毛が出るように。一分の隙もなく着こなしていたメイド服も、気付かないくらい少しだけ乱す。
そしてモリオンが化粧品と共に常時持ち歩いている、手の中に握り込めてしまうくらいの小瓶……霧吹きが装着されたそれを用いて、肌に薄っすらと「汗」を演出する。
中身は水でだけはなく、ほんの少しの油分と「体臭を少し濃くする薬品」が含まれている。これを纏うことで、非常にリアルな発汗が表現出来るのだ。
完成したその姿は、まさに「朝帰りで疲れの残る女」といった風情。それも大胆な表現ではなく、気付ける者にしか気付ねない程度の控えめなもので、だからこそ普段の「優秀なメイドであるシトリン」をよく知る者にとっては逆に印象的に映るだろう。
このような変装術はモリオンのスキル《詐術》によってクオリティを向上させることが可能である。
《詐術》の影響は自らが発した"嘘"だけでなく"他人を騙すためのあらゆる行動"に適用される。
例えば文章を書くとして、そこに嘘を含ませると《詐術》の適用範囲となり、内容や細かな言葉選びから僅かな筆跡の乱れまで、その全てが"嘘"を成立させるために躍動するのだ。
ちなみに彼女はこの《詐術》のスキルの他、過酷な訓練の末に《解錠》も手に入れている。効果は言わずもがな、いずれ役に立つこともあるだろう。
その他ステータスに表れない特記事項としては、先述の《色素変換》の魔術などいくつかの潜入に特化した魔術がある。この《色素変換》は幻術の類ではないため、一度前以て使ってしまえば魔力の流れによる感知には影響しないようだ。
しかし何よりもドッペルゲンガーを楽しませたのは、彼女の膨大な知識だ。この大陸中のあらゆる主要勢力のとても表に出せない情報が、それこそ山のように詰まっていた。
活用出来るかは別として、豊富な知識は『情報』を何より愛するドッペルゲンガーにはこの上ない価値があったのだ。
この身繕いの他、せっかくだからとスキルを利用した様々な工作を部屋に仕掛け終え、ドッペルゲンガーは意気揚々と扉を開く。
——さて、この王宮を出て広い世界を……喰らい尽くそう——
潜った扉に振り返り、中に向けて丁寧な一例。そっと扉を閉めた『シトリン』は、静々と廊下を歩き始めた。
その歩みは王宮メイドらしい洗練された動き……に見えて、実はほんの少しだけ歪ませている。
非常にごく微かな……疲労と苦痛、そして憔悴を誤魔化すかのような足取りは、目端の利く者ほどその意味に敏感だ。
案の定、廊下の向こうで待機していたメイド長がこちらの姿を確認するや否や、メイドとして許されたギリギリの速度で歩み寄って来る。
近付きながらも素早く動くその瞳は『シトリン』の全身を念入りにチェックし、それとなく爪の枚数まで数えていたのが見て取れた。
「…おはようございますメイド長。滞りなく慰撫の勤めを終えたことを報告致します」
「おはようございます、シトリン。……その、詳細な報告は待機室にて聞きましょう」
「はい。それと陛下は非常にお疲れのご様子でしたので、少なくとも午後までは誰も立ち入らない方が良いかと」
一見厳格そうに見えて、しかし優しげな瞳が印象的なメイド長は、控えていた他のメイドにいくつか指示を飛ばすと、踵を返して今度は普段より2割ほどゆっくりとした歩みで先導する。
そのまま入り組んだ廊下を抜けた先、ひとつの小部屋へと2人で入ると、彼女は質素な作りの椅子をこちらへ勧めた。
そして向かい合って座り、目を伏せて小さく溜息を吐く。
「…………正直なところ、貴女にこのお役目が指名されるとは予想していませんでした。まだ貴女は陛下に付いて1年程、でしたか……その、身体の方は?」
「はい、どこにも欠損はありません。念のため頂いたポーションは服用しましたが……あとは、この程度ですね」
少しばかり袖を捲り"くっきりと赤黒い跡の残る手首"を見せる。もちろんそれは《色素変換》による擬装だ。
『シトリン』の言葉にほんの少し安心し、しかし直後に見せられた手首に目を見張って、メイド長は声のトーンを上げた。
「この程度ではありません! それに貴女の様子を見れば、色々と誤魔化しているのくらい分かります。……いえ、何をされたかは問いません。とりあえず貴女には無期限の休養……もとい謹慎を命じます」
「……ありが……いえ、承知致しました。それでは私は部屋へ戻ります」
立ち上がって扉へと向かう『シトリン』の背に、メイド長は小さく言葉を漏らした。
「…………それでも、まだ無事な方で良かったです。あの愚王には今まで何人の若いメイドを壊されたか……本当に、貴女は優秀ですね……」
そんな呟きが聞こえなかったかのような振る舞いで、一礼して部屋を出る『シトリン』。
誰もいない廊下を歩くその魔人の顔は、抑えきれない喜悦で不気味に歪んでいた。
言葉巧みに他人を騙す才能は非常に大きな力であったが、その才能故に彼女は他人を騙さずにはいられなかった。
だからこそ彼女は騙し騙されることが日常の殺伐とした業界であるスパイの道を邁進し、流れ着いた先は「イルミンスール教会」という、この大陸で最も大きな宗教団体……の、暗部。
世界の調停者を標榜する彼らの耳目として、他の様々な勢力に潜入し情報を集める。時には逆に教会の情報を流出させたりもして、とても危ういバランスの上で生きてきた。
……今日までは。
魂の質の高さは感じていたが、予想以上に良い拾い物をしたとドッペルゲンガーは喜ぶ。
今の姿は、ウェーブのかかった豊かな黒髪を纏う美女。華奢だが女性的な肢体、神秘的な紫の瞳に、張りのある褐色の肌が印象的だ。
ならば「シトリン」という冴えない風貌のメイドは何処に? と思う者もいるだろう。それは彼女、モリオンの変装によるものだ。
身体強化系の術式を基に特殊な改造が施された秘伝魔術《色素変換》により、彼女は自身の体内の色素細胞を自由に操作出来る。
肌に瞳に髪の色、これらが変わるとヒトの印象は驚く程に変化する。加えて熟練の変装用化粧術を併用すれば、他人に化けることは不可能でも見ず知らずの他人を偽ることは容易だ。
彫りの深い派手な容貌は化粧によりのっぺりとした見た目に偽装され、それにより王宮内では程良く目立たない立場を得ていたのだ。
一応彼女は女性として標準的な身体能力しか持たなかったようで、運の値が僅かに上がった程度にしか能力値の上昇はない。
しかしモリオンのスキルと知識は非常に有益だ。応用範囲は相当に広いと思われる。
ドッペルゲンガーのこれからの生活は、これにより更に「実りあるもの」になるだろう。
さて、とドッペルゲンガーは素早く身だしなみを整える。予め生前の彼女が持ち込んでいたメイド服を纏い、髪をきっちりと結い上げる。
《色素変換》で体色を弄り、最後にそばかすを模した化粧を……と思ったところで、ふと思い付いて《形態模倣》からその化粧を再現してみる。
すると一瞬でその顔に化粧が施された。どうやら化粧も装備品として認識されるらしい。しかし装備品の完全再現は吸収時のものに限るようで、彼女が過去に試した化粧は……通常の模倣と同程度、見た目だけの再現になった。
具体的には、見た目はほぼ完璧なので化粧という用途としては問題はないが、認識阻害効果のある特殊な化粧品などは再現不可能、といった感じである。
一通りの身繕いを完了させ、満足げに一人鏡の前で頷いたドッペルゲンガーは……そこから更に《詐術》を併用した"仕上げ"に取り掛かった。
結い上げた髪は僅かに弛ませ、軽く後れ毛が出るように。一分の隙もなく着こなしていたメイド服も、気付かないくらい少しだけ乱す。
そしてモリオンが化粧品と共に常時持ち歩いている、手の中に握り込めてしまうくらいの小瓶……霧吹きが装着されたそれを用いて、肌に薄っすらと「汗」を演出する。
中身は水でだけはなく、ほんの少しの油分と「体臭を少し濃くする薬品」が含まれている。これを纏うことで、非常にリアルな発汗が表現出来るのだ。
完成したその姿は、まさに「朝帰りで疲れの残る女」といった風情。それも大胆な表現ではなく、気付ける者にしか気付ねない程度の控えめなもので、だからこそ普段の「優秀なメイドであるシトリン」をよく知る者にとっては逆に印象的に映るだろう。
このような変装術はモリオンのスキル《詐術》によってクオリティを向上させることが可能である。
《詐術》の影響は自らが発した"嘘"だけでなく"他人を騙すためのあらゆる行動"に適用される。
例えば文章を書くとして、そこに嘘を含ませると《詐術》の適用範囲となり、内容や細かな言葉選びから僅かな筆跡の乱れまで、その全てが"嘘"を成立させるために躍動するのだ。
ちなみに彼女はこの《詐術》のスキルの他、過酷な訓練の末に《解錠》も手に入れている。効果は言わずもがな、いずれ役に立つこともあるだろう。
その他ステータスに表れない特記事項としては、先述の《色素変換》の魔術などいくつかの潜入に特化した魔術がある。この《色素変換》は幻術の類ではないため、一度前以て使ってしまえば魔力の流れによる感知には影響しないようだ。
しかし何よりもドッペルゲンガーを楽しませたのは、彼女の膨大な知識だ。この大陸中のあらゆる主要勢力のとても表に出せない情報が、それこそ山のように詰まっていた。
活用出来るかは別として、豊富な知識は『情報』を何より愛するドッペルゲンガーにはこの上ない価値があったのだ。
この身繕いの他、せっかくだからとスキルを利用した様々な工作を部屋に仕掛け終え、ドッペルゲンガーは意気揚々と扉を開く。
——さて、この王宮を出て広い世界を……喰らい尽くそう——
潜った扉に振り返り、中に向けて丁寧な一例。そっと扉を閉めた『シトリン』は、静々と廊下を歩き始めた。
その歩みは王宮メイドらしい洗練された動き……に見えて、実はほんの少しだけ歪ませている。
非常にごく微かな……疲労と苦痛、そして憔悴を誤魔化すかのような足取りは、目端の利く者ほどその意味に敏感だ。
案の定、廊下の向こうで待機していたメイド長がこちらの姿を確認するや否や、メイドとして許されたギリギリの速度で歩み寄って来る。
近付きながらも素早く動くその瞳は『シトリン』の全身を念入りにチェックし、それとなく爪の枚数まで数えていたのが見て取れた。
「…おはようございますメイド長。滞りなく慰撫の勤めを終えたことを報告致します」
「おはようございます、シトリン。……その、詳細な報告は待機室にて聞きましょう」
「はい。それと陛下は非常にお疲れのご様子でしたので、少なくとも午後までは誰も立ち入らない方が良いかと」
一見厳格そうに見えて、しかし優しげな瞳が印象的なメイド長は、控えていた他のメイドにいくつか指示を飛ばすと、踵を返して今度は普段より2割ほどゆっくりとした歩みで先導する。
そのまま入り組んだ廊下を抜けた先、ひとつの小部屋へと2人で入ると、彼女は質素な作りの椅子をこちらへ勧めた。
そして向かい合って座り、目を伏せて小さく溜息を吐く。
「…………正直なところ、貴女にこのお役目が指名されるとは予想していませんでした。まだ貴女は陛下に付いて1年程、でしたか……その、身体の方は?」
「はい、どこにも欠損はありません。念のため頂いたポーションは服用しましたが……あとは、この程度ですね」
少しばかり袖を捲り"くっきりと赤黒い跡の残る手首"を見せる。もちろんそれは《色素変換》による擬装だ。
『シトリン』の言葉にほんの少し安心し、しかし直後に見せられた手首に目を見張って、メイド長は声のトーンを上げた。
「この程度ではありません! それに貴女の様子を見れば、色々と誤魔化しているのくらい分かります。……いえ、何をされたかは問いません。とりあえず貴女には無期限の休養……もとい謹慎を命じます」
「……ありが……いえ、承知致しました。それでは私は部屋へ戻ります」
立ち上がって扉へと向かう『シトリン』の背に、メイド長は小さく言葉を漏らした。
「…………それでも、まだ無事な方で良かったです。あの愚王には今まで何人の若いメイドを壊されたか……本当に、貴女は優秀ですね……」
そんな呟きが聞こえなかったかのような振る舞いで、一礼して部屋を出る『シトリン』。
誰もいない廊下を歩くその魔人の顔は、抑えきれない喜悦で不気味に歪んでいた。
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