ハッタリ!!

masa0980

初めに!!

 遠い沖縄の小さな離島に、この物語の主人公、正人(まさと)は育った。1日もあれば島は制覇できる程の狭い島の中でも、
市内から車で40分程離れた、コンビニもない場所で14年生活した。
平成5年、正人が7歳の時、平成になってから5年も経つのに、村には水道が通ってなくて、いわゆる山水を民間でろ過して、配給するスタイルだった。雨が降った時に、
蛇口をひねって赤い水が出てきたことを今でも鮮明に覚えてる。
平子(ひらこ)地区という村に住んでた訳だが、いわゆる過疎地で、全員合わせて100人いるかどうかの村。当然、
子供はその中の一割程度。今にして思えば、自販機が置かれるようになったのも、物心ついてからだった気がする。

さて、彼の生い立ちを少し説明させていただくと、
3歳で両親が離婚。以後、親父方の実家が平子地区である。物心つくかつかないかの離婚で話あったが、
今にして思えば不思議な光景なのだが、親父6人兄弟の末っ子なのだが、長男おじさん、長女のおばさん以外の人は所帯を持ってなくて、基本的に大家族だった。
由緒ある漁師と農業、七面鳥も養って居たりと、昭和初期の貧乏家族を絵に描いたような家庭で、3つ下の弟の有志(ゆうし)と育った。

物語は、正人が10歳の頃から始まる。



親父の姉さん、雅子(まさこ)叔母さんは、親父と母さんが離婚してから、育ての母みたいな人で、基本雅子叔母さんが面倒を見てくれた。
有志は身体が弱くて、喘息持ちだし、親父は借金まみれで出稼ぎに行ってたし、正人は物心つくころには、しっかりしなきゃって思ってたんだよね。
ウチの家は、おじさん達が酒飲みで、マヂで週に3〜4くらい、喧嘩の通報で警察の厄介になってた。
お陰様で、平子地区では有名な家でした。
おじさん達は容赦がなかった。親父が子供を押し付けるような真似したからだろうね、態度悪けりゃベルトで叩かれ、爺ちゃんが生きてる頃からの伝統で木刀が常に常備されてた。
でも正人はアホだからさ、どうせ、やられても一発殴られてゴメンなさいで終了でしょ?
って、思ってたの。
そんな時、いつもの様に調子に乗って舐めた態度取ってたら、伝家の宝刀の木刀持ってきて、殺すって言うんですもん。目がいつもと違ってたから、本気でビビって全速力で家から逃げたよね。
きっと29歳の現在の性格は、この時に培われたんだと思う。
この頃から、人の顔色をよく見るようになった。

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