fate/badRagnarökーー魔王の名はアーリマンーー

家上浮太

バッドエンド3


例えば、それは生きながら剥製になった女。
もう一人は、生まれながら白痴となった女。

サーヴァントは本来土地が欲しい、と言っただけで、人格面では、残虐行為を嫌う優しさを持った人間ではあった、残虐な統治で大いに悪名を高めたものの、それ自体は不本意だったようで現地の監督官らには残虐行為をやめるよう度々働きかけはしていたようである、王位という権威を傘にしたサイコパス。

それがこの統治の問題の本質である。
王冠を乗せた剥製と何も変わらない。

権威を傘にする人畜有害。
権力にこびりつく蛆害悪。

マスターもサーヴァントも疲れたのだった。
望まない支配である、王であって王であるだけで、権威のみがその二人の価値であった。

他は不必要。

自分は何者であってもよかったし、王冠を飾る剥製は誰でもよかったし、顔が同じならば誰でもよかったし、どちらも存在価値は王位という権威のみであった、他はどうでもいい、強いて言うならば王の気分を味わえただけでも良かった、と思えるだけで幸いだ、とはいえ、悲しいどころか己の野心で暴走して国益を損ねた時点で駄目君主の烙印は甘んじて受けるべきであるし、一切同情できる余地はない、下の者は寄生虫でしかない、それだから寄生虫は宿主より残虐性を発揮できた、自分が悪いのは、王の命令だと正当化したかった。

実際出来た。

悪徳貴族はいつだって品位の無さを表す。
それが利権のための傀儡政権だとしたら。
人間の醜さもまたまだまだ深部には到達しないのであろう、権力はいつだって腐肉なのである、それを蛆虫に集られぬ道理はない。

やがて多数の蠅の王が生まれるだろうな。

二人は自殺したが、連れ添ったサイコパス達は現代社会らしく精神病棟で狂っていた。

この物語性は、いつだってある。
ニヒリズムの巣窟こそ人間社会。

つまり崩壊した方がマシの世界。





第七章・完。

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