侯爵と約束の魔女 一目惚れから始まる恋

太もやし

魔法が使えなくても


 ジョンは三日目の朝になっても目覚めることはなかった。エヴァは彼のそばから片時も離れなかった。

 杖を握り、辺りの音に警戒する。ジョンを襲撃した犯人が、いつまた襲って来るか、そのときにエヴァは相手を法の裁きに委ねることができるか、わからないことだらけの状況は、彼女に恐怖を与えていた。

 扉が叩く音が、部屋に響いた。
 エヴァは身構えながら、魔法で扉を開けようとしたが、できなかった。ミュルディスの魔法は精神に依るものだ。精神が不安定であれば、魔法は使えない。エヴァ自身、初めて陥る事態のため、それを理解したくなかった。

 息が詰まりそうになることを無視して、エヴァは声を絞り出した。

「入りなさい」

 扉の外にいた人間は、ベスとクリスだった。カップとティーポッド、軽食をエヴァのために運んできたのだ。

「エヴァ様、そろそろお休みになってください。クリスを呼んできましたから、交代した方がいいですよ」

 エヴァはゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、ジョンから離れないわ。私がいた方が、彼は安全だもの」

 例え、魔法が使えなくても、彼を絶対に守ってみせるの。言葉にならない決意は、静かだが意志の強い雰囲気として、エヴァの体を包んでいた。

 それでもベスは悲しげな顔をして、そうではないと言った。

「確かにエヴァ様がおそばにいてくださった方が安全です。私はエヴァ様のお体が心配なんです。もう三日も、満足にお休みになっていません」

 そしてクリスは左胸を叩いて、力強く言った。

「エヴァ様、ベスもこう言ってることですし、お休みになった方がいいですよ。おれが必ずジョン様を守りますから、安心してください」

 それでもエヴァは、また首を横に振る。

「絶対に離れないって言ってるでしょう? 私だって、軍でひどい場所で何日も過ごす訓練してるのよ。こんなの全然、苦じゃないわ」

 そして安心させるように、エヴァは二人に笑ってみせる。二人は顔を見合わせて、悩んだ。

「わかりました、エヴァ様を信頼しているので、無理強いはしません」

 先に折れたのは、クリスだった。彼は簡易机をエヴァの隣に置き、お盆を置いた。

「クリス! でもエヴァ様には休憩が必要なのよ?」

 クリスはベスの方を向くと、首を横に振った。ベスはそれで悟ったようで、肩をがっくりと落とし、頷いた。

「わかりました。何か御用があれば、すぐに呼んでください」

 エヴァは二人の思いやりに感謝した。二人は客人であるエヴァを追い出そうと思えば、追い出すことができる。それをしないということは、クリスが言ったとおり、二人はエヴァを心から信頼しているのだ。

「ありがとう、二人とも」

 そしてクリスとベスの二人は、エヴァに礼をし、部屋から出て行った。


 二人分の足音が遠くなり、また静かになった部屋で、エヴァはジョンの手を握っていた。

「私、あなたがいなければ、魔法を使うこともできないみたい……今まで、どんな辛い状況でも魔法を使えたのに……あなたの魂がこの世界から消えていくと思うと、怖くて堪らないの!」

 エヴァは流れる涙を気にせず、彼の魂がこの世界から消えないように、強く握った。

「嫌よ、絶対に嫌! あなたがいない世界なんて、嫌なの……」

 エヴァのすすり泣く声に、うめき声が一つ混じった。
 彼女の繊細な手は、真っ白になるほど、力が込められている。それから逃げるように、ジョンの無骨な手が動いた。

「……私も、私は君のそばを、もう二度と離れたくない」

 ジョンはかすれた声で、そう呟いた。

 エヴァは歓喜の涙を流し、ジョンの体に突っ伏して、大きな泣き声を上げた。

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