ネトゲ廃人、異世界攻略はじめました。

陽本奏多

02 大会の裏側

 微睡まどろみの中。ふわふわと浮いているような心地よい感覚を覚えながら、僕は目を醒ました。
 重い瞼をゆっくりと持ち上げ、ぼやけながらも視界は開かれていく。

 確か、僕は女の子に心臓を刺されて……それから、どうなったんだっけ……?
 徐々に覚醒し始める意識の中、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。

「目が覚めましたか」

 まるで、冷たい氷を打ち鳴らしたような声。そんな、冷やかさを持つ声音を聞いた瞬間、僕の意識は完全に戻った。
 視界の真ん中には、蒼い瞳でこちらを見つめる一人の少女の姿が。僕はどうやら、座った状態で意識を失っていたようだ。

 ……確か、この子が僕を……

「……!」

 蘇る胸の痛み。火傷しそうなほど冷たい刀身。脳裏に映ったあの一瞬の出来事を思い出し、僕は極力ゆっくりと、寄りかかっていたものに体重を預けながら立ちあがった。
 そして、その彼女から一歩後ずさる。

「そう怯えないでください」

 彼女はそう言い、こちらに歩み寄ってきた。
 その無表情に、僕はそこはかとない恐怖を感じ、後ろへ走り出そうとする。

 しかし、ふいに足がふらつき、僕はまたもや地面に倒れこんだ。
 すぐさま体の正面を少女に向けて、しりもちをついたまま再び後ずさる。

「こ、来ないでくれっ!」

「だから、あなたに危害を加えるつもりなどありません」

 白銀の髪を揺らして彼女は僕に一歩近づいた。

「嘘だっ! 今さっき……僕を刺し殺したじゃないか!」

「私が殺した、と。ならなぜ、あなたはいま生きているのですか?」

 立った状態から、彼女は僕を見下ろす形で首を傾げた。それに僕は、言葉を詰まらせる。

 そうだ。僕はあの時確実に心臓部を刺された。なのに、なぜ今こうして生きている? 回らない頭で考え、その刺されたはずの部位を見る。

「……ない」

 刺された傷など、そこには全くなかった。その場所に触れても痛みなんて一切感じない。

「……どういうことなんだ?」

 少しばかり落ち着いた声で、僕は彼女に尋ねた。それに彼女は一切の抑揚なく答える。

「その質問を引き出すため。そして、これからする説明をマスターに信じてもらうため、このような行為に及びました。そのような身勝手な理由で、苦痛を与えてしまったこと、心から謝ります」

 粛々とと頭を下げるその彼女。それに、僕は無言で話の続きを促した。

「まず、マスターが私に刺されて、生きている理由。それは、あなたがもう人間ではないからです」

「……人間では、ない?」

「えぇ。あなたはある目的のために、この大地へ降り立ちました。しかし、この場所で、生身の体をもつのは危険すぎる。そこで、あなたの意識はその、ヒューマノイドインターフェイスに移し換えられました」

 腰を抜かし、地面に座る僕。それに、ひたすら語り掛ける彼女。
 その無機質な語り部が話す内容は、僕にとってあまりにも難解だった。

「意味が分からない」

「そうですね、一般的な言葉を使うなら、あなたはアンドロイドになったのです」

「アンド……ロイド?」」

「えぇ」

 相も変わらず、表情もなく彼女は答えた。
 詰まる話、僕は意識だけをヒューマノイドインターフェイス、という機械に移され、いま生きているということになる。

 はっきり言って、何も感じなかった。
 こういう状況では、きっと驚いたり、悲嘆したりするのが普通なのだろうが、僕は状況をまだ飲み込み切れておらず、したがってそれらしい感情が僕にはわかなかったのだ。自分自身の体がもう生身の人間ではなく、ただのからくりの作り物。いきなりそう告げられても、現実味なんてないに等しい。

 いや、待て。そんなことを考えている場合じゃない。こんな意味の分からない状況だからこそ、現状の把握をしないといけないといけないのではないか。

「じゃあ、ここはどこなんだ? なぜ僕はこんなところに?」

 立ち上がりながら僕は彼女に尋ねる。

「その質問の答えは、移動しながら話すことにしましょう。一か所にとどまり続けるのは危険です」

 何が、と僕が尋ねる間もなく、彼女は踵を返して歩き始めた。何の迷いもなく暗い森の中に入っていく彼女。僕もそれに続いて歩く。

「まず、ここがどこか、という質問について。ここは、地球ではありません。宇宙のどこか。おそらく地球から遥か離れた場所にある惑星……ここを私たちは『シャヘル』と呼びます。しかし、地球からの移動手段はいまだ確立されておらず、場所も分かっていない……ある種の異世界と言ってもいいかもしれませんね」

「異世界、か……。とりあえずそれは置いておくとして、僕はなぜ、ここ、シャヘルに?」

「はい。では、マスターの地球での最後の記憶を教えてください」

「えっと……VRのゲームで優勝したこと、かな」

 微かに残るあの時の高揚。それを思い出しながら僕は彼女に答えた。あのスポットライトとたくさんの歓声。それらはいともたやすく僕の脳裏に映し出された。あの後、ゲーム内の僕はどうなったのだろうか。少しばかりの疑問を感じながらも僕は彼女の話に意識を戻した。

「そうですね。あなたはそのゲームで優勝した。端的に言ってしまえば、それがマスターがシャヘルに来ることになった原因です」

「どういうことだ? ただのVRゲームと関係があるようには思えない」

 やけに冷静に会話を交わす自分に少し驚きつつ、僕は言葉を紡ぐ。どうやら僕たちは森の外側へ向かっているようで、木々の感覚は少しづつ広がっている。緑葉たちの隙間から差し込む月光は、光の線となって森の中をわずかに照らしていた。

「関係はあります。VRゲームと、ヒューマノイドインターフェイスには大きな関係が」

「この、僕の今の体とVRゲームが?」

「えぇ。まず言わせてもらうと、普通の人がそのヒューマノイドインターフェイスに意識を移せば、指先を動かすことさえ難しいでしょう。

 彼女はそう言うと、足を止めてこちらに向き直った。

「ですが、あなたはこうして何事もないように歩いている。それはなぜかわかりますか?」

「VRゲームと何か関係があるんだよな……。……もしかして、VRゲーム内でのアバター操作と、ヒューマノイドインターフェイスの操作は似通っている、とかか?」

 その僕の推察に彼女は小さく頷いた。

「ご明察です。あなたは仮想世界の中で何百時間もの時間を過ごしてきた。その中で、仮想のアバターも現実世界と変わらないほどスムーズに動かせるようになっている。そうですね」

 彼女の問いかけに今度は僕が頷いた。
 VRアバターの操作は、最初かなり難しい。長い間仮想世界に入って、動きに慣れていかなければまともに歩くことさえ厳しいのだ。

「このヒューマノイドインターフェイスの操作は、VRゲームの操作を一回り複雑にしたようなものなのです。しかし、VR世界でのアバター操作は、あくまでコンピューター上での操作。それに対して、あなたが今操作しているのは、れっきとした現実世界に存在する体です」

「だから、VR以上に様々な演算を頭の中で行う必要がある、と」

「えぇ。そして、今の時点でマスターはそれを悠々とこなしている。それがどれだけすごいことかわかりますか?」

 少し強まったように感じる彼女の眼光。それに気おされて僕は息をのんだ。

「それが、マスターがこのシャヘルに来ることになった理由。代表的なVRゲームで優勝したことで、あなたのアバター操作能力、状況判断力、反射神経が日本で最も優れていると証明されたから、あなたはこの大地に立っている」

「つまり……あの大会は、このシャヘルに送られる一人を決める、オーディションのようなものだった……」

「そういうことになります。この、シャヘルにあなたが降り立ったのは、あなたのその能力が必要だからです」

 あまりにも現実味がない話に僕は表情をこわばらせた。しかし、目の前の彼女はいたって真剣な様子で、嘘をついているようには見えない。

 僕は、考える。
 所詮、娯楽でしかないゲームで優勝したからと、遥か遠くの星まで飛ばされるようなことがあるだろうか。彼女の話したVRアバターの操作とHIとかいう人工の体。この操作が似通っているから僕がここに呼ばれたという話は確かに筋が通っている。しかし、しかしだ。だからと言って彼女の話した事柄をすべて信じ切ることは僕にはできない。

 しかし、ほんの少し。ほんの少しだが、自分のVR世界での能力を認められ、嬉しく感じてしまった自分もいる。人がゲームをするのは他者に自分を認めてもらいたいからという言葉を聞いたことがあるが、今の自分はその言葉を体現しているようだ。

 彼女はそこで言葉を切ると、再び歩き出した。周りの木々は森と言えないほど少なくなっており、頭上に広がる空は、わずかに白み始めている。

「僕は……今まで出来損ないって言われ続けて生きてきた。周りの人間から見下されて、蔑まれて……そんな弱い僕が僕は嫌いだった」

 突然の自分語りを始めた僕の言葉を、彼女は何も言わず聞いてくれていた。足を止めずに、ただひとりごとのように話す。

「だけど、ゲームの中の僕は強くて、人から頼ってもらえることなんかもあって……でも、たまに思い出すんだ。この自分は、所詮ゲーム内での作りものなんだ、って」

「……だけど、その作り物が、本物となる時が来た……」

 僕の言葉を継ぐように、彼女が歩きながらそう語った。

「そう。……こんな現実離れした話を聞かされて、そう感じてしまった。その話が本当なら……」


 僕なんかでも、現実で人に認めてもらえるかもしれない、と。

 そう苦笑いする僕。その言葉のあと、歩く彼女は唐突に足を止めた。
 足元の草は低くなり、周りにはもう木なんてない。草原とでもいうべきその場所、その『端っこ』。

 唐突に現れた崖の手前で、彼女は足を止めた。一歩踏み出せば確実に落下死してしまうようなそんな場所。
 だけど。

「……きれいだ」

 そこから望む景色は息が詰まるほど美しかった。つい先ほどまで暗かった空も、今は少し青みを帯び、明るみ始めている。
 そして、僕と、隣に立つ彼女が見つめる先。

 中腹がくびれ、頂上が横に広がるおかしな形の山。そこから、まばゆい光がこぼれだしていた。
 まるで、磨き抜かれた宝石のような輝きを放つ陽の光。それは、オレンジから紫へと移っていく美しいグラデーションで空を彩った。

 それから目を離さずに、僕は彼女へ尋ねる。

「なんで、ゲームのプレイヤーから選定するなんていう回りくどいことを?」

「そうですね。私たちも最初は優れた陸自の隊員を訓練していました。ですが、届かなかったのです。反射速度、動きの滑らかさ、長時間の耐久性、それら全て、あなたには」

「なるほど。……一つ聞かせてもらいたい。陸自、と言ったね。それは陸上自衛隊のことだよね。 ……これは、国まで絡んだ出来事なのか?」

 その問いに彼女は首肯する。

「そうか……」

 その、一つトーンの下がった僕の声を彼女がどうとらえたのかはわからないが、彼女は少し間を開けて一つ提案をした。

「マスターが望むのであれば、今すぐ地球に帰ることも――」

「ありえない」

 僕に新たな選択肢を提示しようとした彼女。だが、僕はその言葉を途中で遮った。

「こうして、国までに僕の価値を認められて、僕はきっといろんな人から期待を受けてるんだよね。……なら、途中で降りるなんてありえないよ」

 そうだ。昔から僕は、何か即物的なものが欲しかったわけじゃない。お金や、物なんていりやしない。
 欲しい物はずっと昔から一緒だった。

 ……人から認められ、そして、期待されること。

 たったそれだけでいい。それを僕はずっと求めていた。
 そして、その機会がいま目の前に転がっている。期待を達成し、称賛を手にする自分がこの先に見える。

 あぁ、わかってる。馬鹿だな、って。だってそうだろう? 突然、訳も分からない場所に連れてこられ、SFとか、オカルトじみた話聞かせられて、それを信じちゃって。その上、おだてられていい気になってる。本当に、大馬鹿者だよ。

 だけど、僕は。

「聞かせてくれ。このシャヘルに降り立った、僕の使命を」

 ついに顔を出した陽の光が、少し紅潮した僕の顔をさらに朱へと染めていた。


 

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