ネトゲ廃人、異世界攻略はじめました。
08 死体への用事
奥に進んでいくほど少しずつ狭くなっていく渓谷の底。
緑ばかりが広がっていた上の大地と打って変わり、この渓谷の底はごつごつとした岩ばかりだった。
最初に降り立った渓谷の端は三人が横に並んでも少し余裕があるほどだったが、少しばかり奥に進んだ今では縦に並んで歩かなければ進むことができない。
岩の間からしみだしてくる水滴が地面に落ち、ぽたぽたと音が狭い空間に響く。
「ミケ、目標まであとどれくらい?」
「メニューが無効化されているので正確な距離はわかりませんが、あと40メートルほどかと」
「まだそんなにあるの? 全く……外から見たらただの小さな割れ目だったのにね」
前からアイリス、僕、ミケの順で進む僕たちは、少しの言葉を交わしながらゆっくり進んでいく。
ふいに周囲が暗くなった。上を見ると先ほどまで見えていた青空はなくなっており、ごつごつとした岩に光はさえぎられているようだ。
「渓谷っていうか、洞窟にになってきたな……」
「そうね。この奥に本当に人工物なんてあるのかしら」
僕の言葉に前のアイリスがこちらに振り向かずそう言った。
その後、彼女は腰のポーチから懐中電灯を取り出すと、スイッチを入れて前を照らす。
「警戒は怠らないようにね。あたしはこれで片手がふさがっちゃうからバックアップよろしく」
「了解」
言われた通り、僕は警戒態勢をとるため腰のナイフをさやから抜き去った。それとともに少しばかり刀身の輝きが増す。
抜いたナイフを右手に持ち、狭い通路を少しずつ進んでいく。
……思いのほか、落ち着いている。
僕はそう内心に呟いていた。それが何に対してかといえば、もちろん自分自身に対してだ。
突然、何の前兆もなくシャヘルという未知の土地へ送り込まれ、凶悪な原生生物に襲われもしたのにこんなに落ち着いている自分が不思議でならなかった。
しかし、よく考えればおかしい話ではないかもしれない。僕はゲームの世界からこの土地へ直接送り込まれたし、さらに心臓を刺されたぐらいじゃ死にはしないということも身をもって体感している。
この、非現実的な事実の連続が僕の感覚を麻痺させているのだろう。
そうやってこの状況を飲み込んで、とりあえず今やるべきことをやろう。
それが、このシャヘルに送られた僕の結論だった。
「止まって。……この奥、広い空洞になってる」
手を挙げて停止するアイリス。彼女の言う通り狭く細長い道は終わり、その奥には広い空間が広がっていた。その中へゆっくりと入っていくアイリスに続き、僕も足を前へ。もちろん周囲への警戒は怠らない。
その空間は直径10メートルほどの円形で、天井もそう低くない。その壁には僕たちが歩いてきたのよりかなり大きい洞穴がいたるところにある。もしかしたら、その洞穴もすべて先ほどの渓谷のような場所に繋がっているのかもしれない。
アイリスの照らす懐中電灯の光を追っていると、明らかに自然の中のものではないものが目に入った。この空間の中央、そこにそれはあった。
「あれが、例の人工物……?」
「そのようです。……微弱ではありますが、電磁波が発生しています」
そう会話を交わす二人とともに僕はそれへ歩み寄った。
そこにあったのは、一本の細い棒が伸びる箱と、何かの燃えカスのようなもの。それに加えて、もう一つ。
それらの横には、すでに白骨化した人間の死骸が横たわっていた。その骸骨の頭のそばには墓標のような板が一つ立てられている。
「これは……!」
「10年前の探索隊の一人のようですね。この箱は彼……もしくは彼女の持ち物のようです」
ミケがそのそばに寄って、しゃがみ込む。そして、骨さえも風化しかけているその死骸へ彼女は手を合わせてうつむいた。僕とアイリスもミケに倣って手を合わせる。
「……しかし、不可解ね。どうしてこの人はこんな状態で死を遂げたのかしら」
「え? 別に不思議な点はないと思うけど」
「ちょっとは頭が回るのかと思ってたけど、間違いだったみたいね。少し考えればわかるでしょ? この様子だとこの人はこの場所で野営をしてたってことぐらいはわかる?」
アイリスにそう言われてその彼の周りを見てみる。そばの箱は携行するためのバックとしては大きすぎるし、その横の燃えカスはもしかしたら焚火の跡か? そういう視点で見てみれば、これが野営の跡だというのにも頷ける。
「まずおかしいのはそこ。当時にもフロントなんていうたいそうな基地があったんだから、野営なんてする必要ほとんどないのよ。遠くの土地ならまだしも、ここはフロントからそう離れていない場所でしょ?」
「なるほど。確かにそうだ……」
「あと、この墓標。ただの板を石で挟んで立たせただけのものでしょ。あまりにも手抜き過ぎない?」
「それは時間がなかったんじゃないのかな」
「まぁ、一理あるわね。でも、大切な仲間が死んだのなら、もう少しちゃんと弔ってあげてもいいような気がするのよね……」
アイリスは顎に手を添えて考え込む。やけに様になるそのポーズを見る僕の横で、ミケが周りをやけにきょろきょろと見回していた。
それにつられて僕もまわりを見回してみるが、暗闇なので何も見えない。
「ミケ、なにかあるの?」
「……何かが、います。数は、11、いや、12。壁の洞穴からこちらを窺っているようです」
その言葉に息をのむ。しゃがんでいたアイリスもすっくと立ちあがり、周囲を警戒する。耳が痛くなるような静寂。そんな中、僕たちはお互いに背中を合わせて全方位に目を向ける。とくとくと激しく脈打つ自分の心音。指先に流れる血液の脈動さえ、今ははっきりと感じられる。
暗闇の中、一か所がうねった気がした。
「あそこだ!」
「わかってるっての!」
暗闇の先を指さす僕に、アイリスがそう応じて懐中電灯を向ける。そこに照らされ姿があらわになったのは、一匹の白い化け物だった。
そう、あいつは、今朝俺を襲ったあの……
「ルースだ!」
「周囲にも反応多数! 完全に囲まれました!」
「もう……面倒くさい……! 3秒後にフレアを焚く。そのすきに入ってきた穴に飛び込んで! 3、2、1!」
カウントが終わると同時に、アイリスは瞬時に腰のポーチからフレアガンを取り出し引き金を引いた。直後、射出された赤い光をまとう弾丸は空気を切って飛び、天井へ突き刺さった。その光で、この空間全体が照らされ、僕たちを囲うルースたちの姿があらわになる。その目のない化け物たちは野性的で、暴力的な殺意を僕たちへと向けていた。
「早く! 行きなさいっ!」
アイリスの絶叫じみたその言葉にはっと意識を取り戻し、僕は踵を返す。そして、無我夢中で地面を蹴り、先ほど入ってきた岩の割れ目に飛び込む。その直後、ミケも僕に続いて入ってきた。この狭さなら、あのルースたちは入ってこれない……!
束の間の安堵を覚えつつ、僕は振り返る。
「アイリスも早――!!」
振り返り、目に入ったのは、一人の少女の微笑だった。彼女の持つ銃剣の銃口はこちらに向けられている。
アイリス――何を――!?
金色の髪が、赤色の警戒色を浴びて輝いていた。その瞳は少し濡れていた。銃口から発射された銃弾は僕がいる岩の裂け目の少し横へ着弾。そして、爆発。
爆音とともに僕とミケは後ろへ弾き飛ばされた。
なんとか受け身をとって、空洞へ目を向ける。立ち込める煙の奥。そこにあった空洞への入り口は、巨大な岩によって塞がれていた。
「アイ、リス……?」
先ほどルースがいた空洞までの道は完全に断ち切られてしまった。これで、ルースがこちらを追ってくる心配は完全になくなった。それと同時に、アイリスがこちらへ逃げてこれる可能性も、限りなくゼロとなってしまった。
「マスター。ここは危険です。早く退避しましょう」
「……? 何言ってるんだよ……あの奥にはまだアイリスが!!」
道をふさいだ岩へ僕は駆けよる。思いっきり押してみるが、それでも岩はびくともしない。
「ミケ、手伝ってくれ! 僕一人じゃ動かせそうにない!」
自分が持ち得る全力で僕は岩を押しながらミケに叫んだ。早く……早くしないとアイリスが……!
「マスター。わかっているのでしょう? ……アイリスは、自分を囮に私たちを逃がすことを選んだ、と」
あまりにも冷やかな声音が、僕の身体を後ろから貫いた。ゆっくりと背後に歩み寄ってきたミケは、僕の背中にそっと手を当てる。
再び岩の奥から爆発音が聞こえた。今度は単発ではなく、連続的な爆発音が。その直後、胸を震わせ、息を詰まらせるような重い振動が僕にも伝わる。
「……天井の岩を爆破し、ルースたちをすべて生き埋めにしたのでしょう。さぁ、戻りましょうか。報告をしないと」
「……は?」
背中に感じていた手の感触がふっとなくなる。と、同時に背後のミケは元来た道を戻り始めていた。
「ちょっと待て! まだアイリスが!」
絶叫する僕に、ミケは足を止めた。そして、はぁ、と溜息を吐くとこちらに振り向いた。
「もう死んでいるに決まっているでしょう? 死体には何の価値もありません。まずは、私たちの安全が最優先です」
何も変わらず、ただそう淡々と告げ、彼女は踵を返した。かつかつと響く足音は、狭い岩の間で反響し、僕の耳朶を繰り返し打った。
緑ばかりが広がっていた上の大地と打って変わり、この渓谷の底はごつごつとした岩ばかりだった。
最初に降り立った渓谷の端は三人が横に並んでも少し余裕があるほどだったが、少しばかり奥に進んだ今では縦に並んで歩かなければ進むことができない。
岩の間からしみだしてくる水滴が地面に落ち、ぽたぽたと音が狭い空間に響く。
「ミケ、目標まであとどれくらい?」
「メニューが無効化されているので正確な距離はわかりませんが、あと40メートルほどかと」
「まだそんなにあるの? 全く……外から見たらただの小さな割れ目だったのにね」
前からアイリス、僕、ミケの順で進む僕たちは、少しの言葉を交わしながらゆっくり進んでいく。
ふいに周囲が暗くなった。上を見ると先ほどまで見えていた青空はなくなっており、ごつごつとした岩に光はさえぎられているようだ。
「渓谷っていうか、洞窟にになってきたな……」
「そうね。この奥に本当に人工物なんてあるのかしら」
僕の言葉に前のアイリスがこちらに振り向かずそう言った。
その後、彼女は腰のポーチから懐中電灯を取り出すと、スイッチを入れて前を照らす。
「警戒は怠らないようにね。あたしはこれで片手がふさがっちゃうからバックアップよろしく」
「了解」
言われた通り、僕は警戒態勢をとるため腰のナイフをさやから抜き去った。それとともに少しばかり刀身の輝きが増す。
抜いたナイフを右手に持ち、狭い通路を少しずつ進んでいく。
……思いのほか、落ち着いている。
僕はそう内心に呟いていた。それが何に対してかといえば、もちろん自分自身に対してだ。
突然、何の前兆もなくシャヘルという未知の土地へ送り込まれ、凶悪な原生生物に襲われもしたのにこんなに落ち着いている自分が不思議でならなかった。
しかし、よく考えればおかしい話ではないかもしれない。僕はゲームの世界からこの土地へ直接送り込まれたし、さらに心臓を刺されたぐらいじゃ死にはしないということも身をもって体感している。
この、非現実的な事実の連続が僕の感覚を麻痺させているのだろう。
そうやってこの状況を飲み込んで、とりあえず今やるべきことをやろう。
それが、このシャヘルに送られた僕の結論だった。
「止まって。……この奥、広い空洞になってる」
手を挙げて停止するアイリス。彼女の言う通り狭く細長い道は終わり、その奥には広い空間が広がっていた。その中へゆっくりと入っていくアイリスに続き、僕も足を前へ。もちろん周囲への警戒は怠らない。
その空間は直径10メートルほどの円形で、天井もそう低くない。その壁には僕たちが歩いてきたのよりかなり大きい洞穴がいたるところにある。もしかしたら、その洞穴もすべて先ほどの渓谷のような場所に繋がっているのかもしれない。
アイリスの照らす懐中電灯の光を追っていると、明らかに自然の中のものではないものが目に入った。この空間の中央、そこにそれはあった。
「あれが、例の人工物……?」
「そのようです。……微弱ではありますが、電磁波が発生しています」
そう会話を交わす二人とともに僕はそれへ歩み寄った。
そこにあったのは、一本の細い棒が伸びる箱と、何かの燃えカスのようなもの。それに加えて、もう一つ。
それらの横には、すでに白骨化した人間の死骸が横たわっていた。その骸骨の頭のそばには墓標のような板が一つ立てられている。
「これは……!」
「10年前の探索隊の一人のようですね。この箱は彼……もしくは彼女の持ち物のようです」
ミケがそのそばに寄って、しゃがみ込む。そして、骨さえも風化しかけているその死骸へ彼女は手を合わせてうつむいた。僕とアイリスもミケに倣って手を合わせる。
「……しかし、不可解ね。どうしてこの人はこんな状態で死を遂げたのかしら」
「え? 別に不思議な点はないと思うけど」
「ちょっとは頭が回るのかと思ってたけど、間違いだったみたいね。少し考えればわかるでしょ? この様子だとこの人はこの場所で野営をしてたってことぐらいはわかる?」
アイリスにそう言われてその彼の周りを見てみる。そばの箱は携行するためのバックとしては大きすぎるし、その横の燃えカスはもしかしたら焚火の跡か? そういう視点で見てみれば、これが野営の跡だというのにも頷ける。
「まずおかしいのはそこ。当時にもフロントなんていうたいそうな基地があったんだから、野営なんてする必要ほとんどないのよ。遠くの土地ならまだしも、ここはフロントからそう離れていない場所でしょ?」
「なるほど。確かにそうだ……」
「あと、この墓標。ただの板を石で挟んで立たせただけのものでしょ。あまりにも手抜き過ぎない?」
「それは時間がなかったんじゃないのかな」
「まぁ、一理あるわね。でも、大切な仲間が死んだのなら、もう少しちゃんと弔ってあげてもいいような気がするのよね……」
アイリスは顎に手を添えて考え込む。やけに様になるそのポーズを見る僕の横で、ミケが周りをやけにきょろきょろと見回していた。
それにつられて僕もまわりを見回してみるが、暗闇なので何も見えない。
「ミケ、なにかあるの?」
「……何かが、います。数は、11、いや、12。壁の洞穴からこちらを窺っているようです」
その言葉に息をのむ。しゃがんでいたアイリスもすっくと立ちあがり、周囲を警戒する。耳が痛くなるような静寂。そんな中、僕たちはお互いに背中を合わせて全方位に目を向ける。とくとくと激しく脈打つ自分の心音。指先に流れる血液の脈動さえ、今ははっきりと感じられる。
暗闇の中、一か所がうねった気がした。
「あそこだ!」
「わかってるっての!」
暗闇の先を指さす僕に、アイリスがそう応じて懐中電灯を向ける。そこに照らされ姿があらわになったのは、一匹の白い化け物だった。
そう、あいつは、今朝俺を襲ったあの……
「ルースだ!」
「周囲にも反応多数! 完全に囲まれました!」
「もう……面倒くさい……! 3秒後にフレアを焚く。そのすきに入ってきた穴に飛び込んで! 3、2、1!」
カウントが終わると同時に、アイリスは瞬時に腰のポーチからフレアガンを取り出し引き金を引いた。直後、射出された赤い光をまとう弾丸は空気を切って飛び、天井へ突き刺さった。その光で、この空間全体が照らされ、僕たちを囲うルースたちの姿があらわになる。その目のない化け物たちは野性的で、暴力的な殺意を僕たちへと向けていた。
「早く! 行きなさいっ!」
アイリスの絶叫じみたその言葉にはっと意識を取り戻し、僕は踵を返す。そして、無我夢中で地面を蹴り、先ほど入ってきた岩の割れ目に飛び込む。その直後、ミケも僕に続いて入ってきた。この狭さなら、あのルースたちは入ってこれない……!
束の間の安堵を覚えつつ、僕は振り返る。
「アイリスも早――!!」
振り返り、目に入ったのは、一人の少女の微笑だった。彼女の持つ銃剣の銃口はこちらに向けられている。
アイリス――何を――!?
金色の髪が、赤色の警戒色を浴びて輝いていた。その瞳は少し濡れていた。銃口から発射された銃弾は僕がいる岩の裂け目の少し横へ着弾。そして、爆発。
爆音とともに僕とミケは後ろへ弾き飛ばされた。
なんとか受け身をとって、空洞へ目を向ける。立ち込める煙の奥。そこにあった空洞への入り口は、巨大な岩によって塞がれていた。
「アイ、リス……?」
先ほどルースがいた空洞までの道は完全に断ち切られてしまった。これで、ルースがこちらを追ってくる心配は完全になくなった。それと同時に、アイリスがこちらへ逃げてこれる可能性も、限りなくゼロとなってしまった。
「マスター。ここは危険です。早く退避しましょう」
「……? 何言ってるんだよ……あの奥にはまだアイリスが!!」
道をふさいだ岩へ僕は駆けよる。思いっきり押してみるが、それでも岩はびくともしない。
「ミケ、手伝ってくれ! 僕一人じゃ動かせそうにない!」
自分が持ち得る全力で僕は岩を押しながらミケに叫んだ。早く……早くしないとアイリスが……!
「マスター。わかっているのでしょう? ……アイリスは、自分を囮に私たちを逃がすことを選んだ、と」
あまりにも冷やかな声音が、僕の身体を後ろから貫いた。ゆっくりと背後に歩み寄ってきたミケは、僕の背中にそっと手を当てる。
再び岩の奥から爆発音が聞こえた。今度は単発ではなく、連続的な爆発音が。その直後、胸を震わせ、息を詰まらせるような重い振動が僕にも伝わる。
「……天井の岩を爆破し、ルースたちをすべて生き埋めにしたのでしょう。さぁ、戻りましょうか。報告をしないと」
「……は?」
背中に感じていた手の感触がふっとなくなる。と、同時に背後のミケは元来た道を戻り始めていた。
「ちょっと待て! まだアイリスが!」
絶叫する僕に、ミケは足を止めた。そして、はぁ、と溜息を吐くとこちらに振り向いた。
「もう死んでいるに決まっているでしょう? 死体には何の価値もありません。まずは、私たちの安全が最優先です」
何も変わらず、ただそう淡々と告げ、彼女は踵を返した。かつかつと響く足音は、狭い岩の間で反響し、僕の耳朶を繰り返し打った。
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