ネトゲ廃人、異世界攻略はじめました。
09 スペア
あの渓谷を後にした僕は、フロントに戻り、ミケに案内された自室で寝転がっていた。
ルカへ報告に行くまでは待機だそうだ。
「……意味が分からない」
そう独り言ち、目を腕で覆い隠す。
僕は、正確に言うとあの渓谷から立ち去ったのではなく、ここまで連れてこられた。
あの後、ミケへ散々喚き散らした僕は、彼女の手刀を受け気絶。そしてそのままこのフロントまで引きずられてきたそうだ。
……あの、アイリスの微笑がまだ脳裏に張り付いている。
あの時、無理やりにでも彼女の手を引いて一緒に脱出していれば。自分のことしか考えず、必死になって自分だけ逃げたあんな弱ささえ僕が持っていなければ。
頭の中を駆け巡るのは自責の念と後悔ばかり。
正方形の形をした部屋の端。そのベッドで仰向けに寝転がっていると、否応もなく様々なことを考えてしまう。
なぜ、アイリスは今日初めて会った僕なんかのために自身の命をなげうった?
なぜ、ミケは人が死んだというのにあれほど無関心で無感情な状態でいられる?
なぜ、なぜ、とひたすらに問いかけるが、そのうち一つも答えは出なかった。
「マスター。司令の都合がついたようです。報告に行きましょう」
自動開閉式の扉が開いて、そこからミケが入ってきた。その表情は、相も変わらず張り付けたような無表情。
「……行かなきゃ、だめか?」
「はい、もちろんです。調査後は必ず司令へ詳しい報告をすることが義務づけられています。基本は紙面ですが、今回はこのような状況ですので、直接報告したほうがいいでしょう」
彼女のその言葉に、「そっか」と一言返して僕はベッドから体を起こした。しかし、そのまま立つ気にはなれず、そのまま座り込んでしまう。
「どうかしたのですか?」
小首を傾げてミケはこちらに尋ねてくる。それに僕は、できるだけ正確に今自分の胸に渦巻いているものを言葉にする。
「……わからないんだ。今まで、身近な人が亡くなることなんてなかったし、何より人が死ぬ場所に立ち会うことなんて人生で一度あるかないかだろうし……それで……実感がわかないんだ」
自分でも何を言っているのかわからなかった。だから、もう少し言葉を加える。
「ほんの少し前まで一緒にいて、しゃべっていた相手が、この世界にはもういない。その事実が、頭では理解できてるんだけど……なんだろう。心、っていうのかな。それではまだ、理解しきれてないんだ」
そこまで口に出して、この思いを言葉にできた気がした。現実世界のニュースで、人が死んだというニュースを見ても、大して何も感じなかった。そりゃあ、かわいそうに、と思うことはあった。だけど、人の死というのがここまで周囲の人間の心を震わせるというのは、今まで知りもしなかった。
「マスターの気持ちはよくわかります。ですが、今はとにかく報告に向かいましょう。司令を待たせるのはあまりよくない」
そうして、彼女は部屋を出ていった。そのどこか他人行儀な態度に静かな怒りを覚えながらも僕は部屋を出て、指令室まで向かった。
短い廊下を突き当りまで歩いてエレベーターで下へ。そうすれば、指令室はすぐそこだった。
「失礼します」
「うん、お帰り。ミナトちゃん、ミケ」
その指令室の端の椅子。そこにルカは座っていた。机の上のホログラムキーボードに何やら打ち込んでいた彼女だったが、こちらを見るとにこりと微笑みかけてきた。
「ただいま帰りました。わかっているとは思いますが、帰還したのはマスターと私、二人のみです」
そうルカに淡々と告げるミケ。彼女とともに僕は入り口そばの椅子に腰かける。
「なるほど、アイリスは二人を庇って……ってところかな」
ルカの問いに僕は唇を噛みしめながら頷く。
……あぁ、嫌だな。悔し気な顔を見せて責められる可能性を少しでも減らそうとしている自分が、とてつもなく憎い。
しかし、そんな僕を見てルカは笑った。
「ミナトちゃん? アリスちゃんのことは残念だったけど、そう自分を責めることはないよ。これはアリスちゃんが望んだ結果だろうし、それに――」
「何言ってるんですか?」
にこにこと笑いながら話を進めるルカに、僕は思わず口を開いていた。普段の声とは全く違う、冷たく低い声に彼女は目を見開く。
……確かに僕は、彼女がいなくなったことにショックを受けた。そして、内心、心の奥深くでは誰かに「君のせいじゃない」と言ってほしかったのも事実だ。
でも、それでも。なんでそんなへらへらとしていられる。人が死んだんだぞ? かけがえのない、唯一無二のアイリスという存在が消えてしまったにもかかわらず、なぜルカは、ミケは、悲しまない。落ち込まない。
「違うでしょう……人が死んだのになんでそんな……!」
「ミナトちゃん。人の話は最後まで聞くものだよ。――さぁ、入ってきて」
今度は逆に僕の言葉をさえぎったルカが少し大きめの声でそう言う。それに呼応して、ドアの向こうから「失礼します」という澄んだ声が聞こえた。
そして、開かれるドア。その奥に佇んでいたのは、金髪を揺らす誰が見たって美少女と認めるであろう一人の女の子。
「ただいま、トランスティング完了しました。各器官への信号統制は問題ありません」
そうして、指令室の中に入ってきた彼女。その姿は紛れもなく――
「アイリス……?」
あの、アイリスに違いなかった。その彼女は僕のつぶやきに気づきこちらに目を向けると、「無事に帰還できたようね」とわずかに頬を綻ばせた。
いや、待て。アイリスはさっきあのルースのいた洞窟で岩の下敷きになって……。じゃあ、なぜここにいま彼女はいる?
まじまじと彼女を見つめるが、どうやら目の前にいるアイリスは本物に違いないようだ。ならなんで……。
「なにじろじろ見てるのよ。気持ち悪い。ねぇルカ。早く説明してくれない?」
「言われなくったってわかってるよ。ミナトちゃん。君はいま、こう思ってるはずだよ。『どうして死んだはずのアイリスが今ここにいるんだ』って」
その言葉に僕は迷いなく頷く。
「答えは簡単だよ。今、ルカ達のこの体は生身のものではなくHIという人工的な身体だね」
「そんなの知ってる。それに何の関係があるのさ」
「関係も何も、それがアリスちゃんがここに生きていれる理由そのものだよ。はっきり言っちゃうと、アリスちゃんの今の体はさっきミナトちゃんと探索に行った身体とは違うものなんだ。――つまり、さっき活動不能になったあの体を破棄して、アリスちゃんは意識を別の体に乗り換えたことで、この場所に存在できている、ということだね。この説明で理解、できる?」
「……つまり、スペアの体……?」
その言葉にルカは、「うん、そうそう!」と無邪気にはしゃぐ子供の如くけらけらと笑った。
……冗談じゃない、と思う。そんなSFみたいなこと実現できるわけないし、なにより生命倫理的に、いや、法律的にだってきっと不可能だ。
「あ、ミナトちゃん今、法律がどうとか、って考えたでしょ。まったく、おバカさんだなぁ」
僕の思考を完全に読み取ったかのように彼女は再び笑う。
「こんな、星で、法なんてものが力を持ってると思う? もっと言えば、倫理も道徳もこんな場所であるわけないじゃない」
直後、彼女の顔に浮かぶ純粋な笑み。口元は歪み、目は細められる。その表情は、僕が知っている笑顔ではなかった。
……ここにいたら、殺される。
反射的にそう感じ取った僕は、勢いよく席を立ち指令室の扉をくぐった。背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、もうそれが誰の声か聴き分ける理性も保っていない。
廊下を走り、エントランスを抜け、外へ。そしてそのままフロントを全速力で横切っていく。
ダメだ。最初から何かがおかしかったんだ。
がんがんと何かに打ち付けられているかのような頭痛が続く。地面を蹴る足の感覚は遠のいていく。だけど、止まるわけにはいかない。僕はひたすら走り抜け、フロントの端、エレベーターまでたどり着く。瞬時にその扉を開き、中へ入ると拳をたたきつけて上昇ボタンを押した。
「くそっ!」
もう一度、拳を壁に打ち付ける。
今まで自分の中で誤魔かしてきた違和感、恐怖がこの一瞬で爆発した。
わからないことばかりの連続に、自分を全力で殺そうとかかってくる原生生物。このシャヘルという星に来て、まだ一日も経っていないのが嘘のようだ。……いや、ここが本当に別の星である、というのも事実ではないのかもしれない。
移動が止まり、エレベーターの扉が開く。
その奥は、探索に来た時のように太陽――のような頭上に浮かぶ星だが、おそらくそれとは別の星だろう――の光がさんさんと降り注いでいるものだと思っていたが、実際はもう空は闇に染まっており、冗談のように大きな月が浮かんでいた。
そのあまりにも壮大で神秘的な光景を見ただけで、体の中の熱が徐々に冷めていき、僕は身近な岩に歩み寄り、腰を下ろした。
「なんで、優勝なんかしちゃったかな……」
浮かんでくるのはやはり後悔。あの決勝戦で僕がもし負けていれば、こんな場所に連れてこられることなどなかっただろうに……。
そんなことをいまさら言っても何の意味もない。そんなことわかっている。わかっていても、どうしても言ってしまうのが愚痴というものなのだろう。
「はぁ……」
我知らず、ため息が出ていた。なんというか、悲嘆とかそういうものではなく、このどうしようもない状況に呆れる溜息。
「まったく……いきなり逃げ出すことはないでしょう?」
背後からエレベーターの駆動音が聞こえたと思ったら、アイリスだったか。僕はそちらを振り向かず、大きな月を見つめたまま彼女に応じた。
「アイリスは、このことを……いや、このシャヘルやいろんなことについて聞かされた時、どうした?」
「あたし? そりゃあ、あんたみたいに泣き叫んだわよ」
「えっ?」
思わずそんな素っ頓狂な声が出てしまった。いや、普通の女の子ならそうなるのがきっと当たり前なのだろうが、アイリスが泣いている姿を想像して僕は少し驚いてしまった。
「だって、こんな場所に何も知らされず突然飛ばされたのよ? 混乱して当然よ。むしろ、最初の探索には冷静なまま参加できたあんたは心から尊敬するわ」
「いや、僕はただ、状況を飲み込めてなかっただけで……」
「それでも、よ」
そう言って彼女は僕のとなりにすとんと座った。あまり大きな岩でもないので、二人の距離は自然と近くなる。
「……僕は、戦わないといけないのかな」
「えぇ」
なんだか、気取りすぎた言葉かと心配してしまった。だが、彼女はそんなこと気にする様子もなくただ頷いた。
「あなたには、その才能がある。そして、才能がある者はそれを行使する責任がある――」
「そんなの――!」
「――って、あたしは最初、司令に言われたわ。だけど、そんな理屈で納得できると思う?」
「じゃあ、アイリスはどうして……」
僕はその問いとともに初めて彼女へ目を向けた。その瞳には白い月が映り込み、きらきらと輝いている。
「生きる、ためかしら。あたしもね、ミナトみたいに最初は戦いたくなかった。だけど、そうやって自室に閉じこもってたらある日突然、何人かの男が押しかけてきて、あたしを外へ放り出したわ。もちろん、エネミーのうろつくフロントの外へ、ね」
「そんなの――!」
「そして、あたしは死んだ。死んでは新たな体を手に入れフロントで生き返り、また外へ放り出される。そして、また死んで生き返る……。それを、たぶん10回は繰り返したわね」
「……ひどすぎる」
アイリスの顔は、苦笑で誤魔化してはいるものの、僕から見れば明らかに恐怖に染まっていた。
「司令――……ルカはね、それをミナトにも実行しようとしてる。だから……」
「僕も、黙ってあいつの言うことを聞けと?」
「そうは言わないわ。だけど、表面的にだけでも従順なところを見せておいたほうがいいわよ、って話」
そう言い終えると彼女は立ち上がり、くるりと僕のほうを向いた。
「さ、帰りましょ。HIの体だって、食事は必要なのよ?」
まるで、たった一枚だけ残った花弁のように、彼女は儚く、そして心を震えさせられるような笑顔を咲かせた。その月光に照らされた笑顔はそこはかとない哀しみを湛えているようで、何とも言えない美しさを僕は一人感じた。
ルカへ報告に行くまでは待機だそうだ。
「……意味が分からない」
そう独り言ち、目を腕で覆い隠す。
僕は、正確に言うとあの渓谷から立ち去ったのではなく、ここまで連れてこられた。
あの後、ミケへ散々喚き散らした僕は、彼女の手刀を受け気絶。そしてそのままこのフロントまで引きずられてきたそうだ。
……あの、アイリスの微笑がまだ脳裏に張り付いている。
あの時、無理やりにでも彼女の手を引いて一緒に脱出していれば。自分のことしか考えず、必死になって自分だけ逃げたあんな弱ささえ僕が持っていなければ。
頭の中を駆け巡るのは自責の念と後悔ばかり。
正方形の形をした部屋の端。そのベッドで仰向けに寝転がっていると、否応もなく様々なことを考えてしまう。
なぜ、アイリスは今日初めて会った僕なんかのために自身の命をなげうった?
なぜ、ミケは人が死んだというのにあれほど無関心で無感情な状態でいられる?
なぜ、なぜ、とひたすらに問いかけるが、そのうち一つも答えは出なかった。
「マスター。司令の都合がついたようです。報告に行きましょう」
自動開閉式の扉が開いて、そこからミケが入ってきた。その表情は、相も変わらず張り付けたような無表情。
「……行かなきゃ、だめか?」
「はい、もちろんです。調査後は必ず司令へ詳しい報告をすることが義務づけられています。基本は紙面ですが、今回はこのような状況ですので、直接報告したほうがいいでしょう」
彼女のその言葉に、「そっか」と一言返して僕はベッドから体を起こした。しかし、そのまま立つ気にはなれず、そのまま座り込んでしまう。
「どうかしたのですか?」
小首を傾げてミケはこちらに尋ねてくる。それに僕は、できるだけ正確に今自分の胸に渦巻いているものを言葉にする。
「……わからないんだ。今まで、身近な人が亡くなることなんてなかったし、何より人が死ぬ場所に立ち会うことなんて人生で一度あるかないかだろうし……それで……実感がわかないんだ」
自分でも何を言っているのかわからなかった。だから、もう少し言葉を加える。
「ほんの少し前まで一緒にいて、しゃべっていた相手が、この世界にはもういない。その事実が、頭では理解できてるんだけど……なんだろう。心、っていうのかな。それではまだ、理解しきれてないんだ」
そこまで口に出して、この思いを言葉にできた気がした。現実世界のニュースで、人が死んだというニュースを見ても、大して何も感じなかった。そりゃあ、かわいそうに、と思うことはあった。だけど、人の死というのがここまで周囲の人間の心を震わせるというのは、今まで知りもしなかった。
「マスターの気持ちはよくわかります。ですが、今はとにかく報告に向かいましょう。司令を待たせるのはあまりよくない」
そうして、彼女は部屋を出ていった。そのどこか他人行儀な態度に静かな怒りを覚えながらも僕は部屋を出て、指令室まで向かった。
短い廊下を突き当りまで歩いてエレベーターで下へ。そうすれば、指令室はすぐそこだった。
「失礼します」
「うん、お帰り。ミナトちゃん、ミケ」
その指令室の端の椅子。そこにルカは座っていた。机の上のホログラムキーボードに何やら打ち込んでいた彼女だったが、こちらを見るとにこりと微笑みかけてきた。
「ただいま帰りました。わかっているとは思いますが、帰還したのはマスターと私、二人のみです」
そうルカに淡々と告げるミケ。彼女とともに僕は入り口そばの椅子に腰かける。
「なるほど、アイリスは二人を庇って……ってところかな」
ルカの問いに僕は唇を噛みしめながら頷く。
……あぁ、嫌だな。悔し気な顔を見せて責められる可能性を少しでも減らそうとしている自分が、とてつもなく憎い。
しかし、そんな僕を見てルカは笑った。
「ミナトちゃん? アリスちゃんのことは残念だったけど、そう自分を責めることはないよ。これはアリスちゃんが望んだ結果だろうし、それに――」
「何言ってるんですか?」
にこにこと笑いながら話を進めるルカに、僕は思わず口を開いていた。普段の声とは全く違う、冷たく低い声に彼女は目を見開く。
……確かに僕は、彼女がいなくなったことにショックを受けた。そして、内心、心の奥深くでは誰かに「君のせいじゃない」と言ってほしかったのも事実だ。
でも、それでも。なんでそんなへらへらとしていられる。人が死んだんだぞ? かけがえのない、唯一無二のアイリスという存在が消えてしまったにもかかわらず、なぜルカは、ミケは、悲しまない。落ち込まない。
「違うでしょう……人が死んだのになんでそんな……!」
「ミナトちゃん。人の話は最後まで聞くものだよ。――さぁ、入ってきて」
今度は逆に僕の言葉をさえぎったルカが少し大きめの声でそう言う。それに呼応して、ドアの向こうから「失礼します」という澄んだ声が聞こえた。
そして、開かれるドア。その奥に佇んでいたのは、金髪を揺らす誰が見たって美少女と認めるであろう一人の女の子。
「ただいま、トランスティング完了しました。各器官への信号統制は問題ありません」
そうして、指令室の中に入ってきた彼女。その姿は紛れもなく――
「アイリス……?」
あの、アイリスに違いなかった。その彼女は僕のつぶやきに気づきこちらに目を向けると、「無事に帰還できたようね」とわずかに頬を綻ばせた。
いや、待て。アイリスはさっきあのルースのいた洞窟で岩の下敷きになって……。じゃあ、なぜここにいま彼女はいる?
まじまじと彼女を見つめるが、どうやら目の前にいるアイリスは本物に違いないようだ。ならなんで……。
「なにじろじろ見てるのよ。気持ち悪い。ねぇルカ。早く説明してくれない?」
「言われなくったってわかってるよ。ミナトちゃん。君はいま、こう思ってるはずだよ。『どうして死んだはずのアイリスが今ここにいるんだ』って」
その言葉に僕は迷いなく頷く。
「答えは簡単だよ。今、ルカ達のこの体は生身のものではなくHIという人工的な身体だね」
「そんなの知ってる。それに何の関係があるのさ」
「関係も何も、それがアリスちゃんがここに生きていれる理由そのものだよ。はっきり言っちゃうと、アリスちゃんの今の体はさっきミナトちゃんと探索に行った身体とは違うものなんだ。――つまり、さっき活動不能になったあの体を破棄して、アリスちゃんは意識を別の体に乗り換えたことで、この場所に存在できている、ということだね。この説明で理解、できる?」
「……つまり、スペアの体……?」
その言葉にルカは、「うん、そうそう!」と無邪気にはしゃぐ子供の如くけらけらと笑った。
……冗談じゃない、と思う。そんなSFみたいなこと実現できるわけないし、なにより生命倫理的に、いや、法律的にだってきっと不可能だ。
「あ、ミナトちゃん今、法律がどうとか、って考えたでしょ。まったく、おバカさんだなぁ」
僕の思考を完全に読み取ったかのように彼女は再び笑う。
「こんな、星で、法なんてものが力を持ってると思う? もっと言えば、倫理も道徳もこんな場所であるわけないじゃない」
直後、彼女の顔に浮かぶ純粋な笑み。口元は歪み、目は細められる。その表情は、僕が知っている笑顔ではなかった。
……ここにいたら、殺される。
反射的にそう感じ取った僕は、勢いよく席を立ち指令室の扉をくぐった。背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、もうそれが誰の声か聴き分ける理性も保っていない。
廊下を走り、エントランスを抜け、外へ。そしてそのままフロントを全速力で横切っていく。
ダメだ。最初から何かがおかしかったんだ。
がんがんと何かに打ち付けられているかのような頭痛が続く。地面を蹴る足の感覚は遠のいていく。だけど、止まるわけにはいかない。僕はひたすら走り抜け、フロントの端、エレベーターまでたどり着く。瞬時にその扉を開き、中へ入ると拳をたたきつけて上昇ボタンを押した。
「くそっ!」
もう一度、拳を壁に打ち付ける。
今まで自分の中で誤魔かしてきた違和感、恐怖がこの一瞬で爆発した。
わからないことばかりの連続に、自分を全力で殺そうとかかってくる原生生物。このシャヘルという星に来て、まだ一日も経っていないのが嘘のようだ。……いや、ここが本当に別の星である、というのも事実ではないのかもしれない。
移動が止まり、エレベーターの扉が開く。
その奥は、探索に来た時のように太陽――のような頭上に浮かぶ星だが、おそらくそれとは別の星だろう――の光がさんさんと降り注いでいるものだと思っていたが、実際はもう空は闇に染まっており、冗談のように大きな月が浮かんでいた。
そのあまりにも壮大で神秘的な光景を見ただけで、体の中の熱が徐々に冷めていき、僕は身近な岩に歩み寄り、腰を下ろした。
「なんで、優勝なんかしちゃったかな……」
浮かんでくるのはやはり後悔。あの決勝戦で僕がもし負けていれば、こんな場所に連れてこられることなどなかっただろうに……。
そんなことをいまさら言っても何の意味もない。そんなことわかっている。わかっていても、どうしても言ってしまうのが愚痴というものなのだろう。
「はぁ……」
我知らず、ため息が出ていた。なんというか、悲嘆とかそういうものではなく、このどうしようもない状況に呆れる溜息。
「まったく……いきなり逃げ出すことはないでしょう?」
背後からエレベーターの駆動音が聞こえたと思ったら、アイリスだったか。僕はそちらを振り向かず、大きな月を見つめたまま彼女に応じた。
「アイリスは、このことを……いや、このシャヘルやいろんなことについて聞かされた時、どうした?」
「あたし? そりゃあ、あんたみたいに泣き叫んだわよ」
「えっ?」
思わずそんな素っ頓狂な声が出てしまった。いや、普通の女の子ならそうなるのがきっと当たり前なのだろうが、アイリスが泣いている姿を想像して僕は少し驚いてしまった。
「だって、こんな場所に何も知らされず突然飛ばされたのよ? 混乱して当然よ。むしろ、最初の探索には冷静なまま参加できたあんたは心から尊敬するわ」
「いや、僕はただ、状況を飲み込めてなかっただけで……」
「それでも、よ」
そう言って彼女は僕のとなりにすとんと座った。あまり大きな岩でもないので、二人の距離は自然と近くなる。
「……僕は、戦わないといけないのかな」
「えぇ」
なんだか、気取りすぎた言葉かと心配してしまった。だが、彼女はそんなこと気にする様子もなくただ頷いた。
「あなたには、その才能がある。そして、才能がある者はそれを行使する責任がある――」
「そんなの――!」
「――って、あたしは最初、司令に言われたわ。だけど、そんな理屈で納得できると思う?」
「じゃあ、アイリスはどうして……」
僕はその問いとともに初めて彼女へ目を向けた。その瞳には白い月が映り込み、きらきらと輝いている。
「生きる、ためかしら。あたしもね、ミナトみたいに最初は戦いたくなかった。だけど、そうやって自室に閉じこもってたらある日突然、何人かの男が押しかけてきて、あたしを外へ放り出したわ。もちろん、エネミーのうろつくフロントの外へ、ね」
「そんなの――!」
「そして、あたしは死んだ。死んでは新たな体を手に入れフロントで生き返り、また外へ放り出される。そして、また死んで生き返る……。それを、たぶん10回は繰り返したわね」
「……ひどすぎる」
アイリスの顔は、苦笑で誤魔化してはいるものの、僕から見れば明らかに恐怖に染まっていた。
「司令――……ルカはね、それをミナトにも実行しようとしてる。だから……」
「僕も、黙ってあいつの言うことを聞けと?」
「そうは言わないわ。だけど、表面的にだけでも従順なところを見せておいたほうがいいわよ、って話」
そう言い終えると彼女は立ち上がり、くるりと僕のほうを向いた。
「さ、帰りましょ。HIの体だって、食事は必要なのよ?」
まるで、たった一枚だけ残った花弁のように、彼女は儚く、そして心を震えさせられるような笑顔を咲かせた。その月光に照らされた笑顔はそこはかとない哀しみを湛えているようで、何とも言えない美しさを僕は一人感じた。
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