異世界に転生したので楽しく過ごすようです
第190話 彼の想いのようです
「ニンゲン如きが我に歯向かうなど愚かしい行為だということが分からぬのか」
「あんたみたいな上から目線で物言う奴に言われたくないわね。それと私達はあんたに歯向かうんじゃなくて、八つ当たりするのよ。彼の想いが私達に向いていないから」
ジュリは堕女神にそう言い放つ。
堕女神はジュリの言ったことが理解不能だった。
圧倒的な力を持った自分に、絶望どころか、恐怖すら抱かず、あまつさえ八つ当たりしてくるという。
ひ弱で神の力に服従するしかないはずのニンゲンが自分に向かってくる。それだけの事だが、その行動が心に少しの揺らぎをもたらした。
「主様を救ってくれた事は感謝致します。ですが、これとそれは別の話です。女神様がどれだけ主様の事を好きで、主様にどれだけ愛されていたとしても、今この瞬間の女神様は主様を苦しめる要因でしかありません」
レンのマモルへの強い想いが堕女神を射抜く。
何故、自分に向かってくるのか分からない堕女神。ニンゲンは神に従って生きる事が普通であり、意見する事も、歯向かう事も間違いなのだと考えている。
「あたしは彼が好き。それはあなたの好きと遜色ない。むしろあたしの方が上。そこは譲らない」
「煩い!」
「うるさくないもん! マスターを傷つける女神は許さないもん! 今更謝っても許してあげないからね!」
「そうですっ! あるじさまを苦しめるんですからそれ相応の罰を受けるべきなんですっ!」
「黙れ!」
「黙れと言われて黙るわけないでしょ! 聞いていれば人を見下して! 絶望ですって!? やってみなさいよ! そんなの私達には無駄よ!」
「あなたをそうしてしまったのはお父さんだから。あなたは私がこの手で!」
「黙れと言っているっ!!」
少女達の自分を否定する言葉を聞いて、激昴する堕女神。
こんな筈ではなかった。ニンゲンに絶望を与える事が目的だった。
だが、最初に絶望を与えたニンゲンのせいでおかしくなった。
そのニンゲンはあろう事か自分を含め他の者に記憶を見せてきた。
その光景自体は、求めていた絶望に等しいものと言えただろう。
しかし、その絶望と一緒に付いてきた気持ちなどは絶望に程遠いものもあった。
それが実に不愉快で認められなかった。
だが、ニンゲン達はそうではなかった。
記憶の中で見た女のニンゲン達。そのニンゲンは記憶を見た後から、おかしな行動をとるようになったのだ。
「お前達のようなニンゲンは認められない! 排除する!」
堕女神が少女達を消し去ろうと攻撃を開始する。
「皆散るのよ!」
ジュリがそう言うのと同時に各々が散り散りになり、堕女神の攻撃に備える。
堕女神の突き出した手から閃光が放たれた。
少女達はその攻撃を予兆しており、全員が難なく回避する。
「おのれおのれおのれぇぇええ!!!」
当たらなかった事に激怒する堕女神は所構わず閃光を放つ。
「なんて短絡的な攻撃なのかしら。それならまだ教皇の方が強かったわ」
「全くです。警戒していた私が馬鹿みたいですよ」
「ニンゲンが神である我を愚弄するかっ!」
「事実を言った迄よ。それとも何かしら? 図星過ぎてそんな事しか言えないのかしら?」
「ニンゲンが神に敵う筈がない!!」
「それはどうでしょうか?」
突如、堕女神の頭上にゼロが現れ、踵落としを繰り出した。
ジュリとレンにばかり気を取られていた堕女神は咄嗟のことで身を守る事しか出来ず地に落ちていき、轟音と共に地面がえぐれ、土煙が濛々と立ち込める。
「むっ。この女神よわーい」
「防御するだけで精一杯な所を見ると戦い慣れてないみたいね」
「八つ当たりするにはもってこい」
「ほんとミルの言う通りよね。神だって言ってるし、ある程度の攻撃くらい耐えれるでしょ」
少女達は堕女神の戦闘能力を低く評価する。
だがそれは全力を出してない時の堕女神の戦闘能力である。
八つ当たりする事しか頭になかった少女達は全力でないという可能性を考えていなかった。
土煙が晴れるまで少女達は動かなかった。迂闊に動けば逆にやられるかもしれないという危機感はこれまでの経験から染み付いた行動であったからだ。
「我に触れる事は万死に値する。我、ニンゲンを消滅す」
少女達だけでなく、その後ろで成り行きを眺めていた者達まで、空気が変わった事を肌で感じる。
今までの激昴は何だったのかという程の空気の変わりように、少なからず戸惑う少女達。
冷たい声音を放つ堕女神は暗黒のオーラを身に纏い、神力を全開にしている。
堕女神のその姿に神力による消滅という幻覚すら見てしまう程だった。
少女達は先程までの空気は捨て去り、全力を出さなければすぐに消されてしまうと直感した。
「我の名において召喚する。いでよ絶望の鏡、消滅の盃」
堕女神の左右の空間が裂けたかと思うと、そこから鏡と盃が現れる。
鏡は黒く装飾されて不気味な光を放っており、盃には黒く染まった液体が注ぎ込まれていた。
それらは、神だけが使用することを許された神具だった。
だが、少女達にそんな事が分かるはずもない。それでも危険である事はその神具が放つ異様な雰囲気から察しはつく。
「我が名が命じる。鏡よ、絶望を晒せ。盃よ、消滅を齎せ」
独りでに動く鏡と盃。
鏡に映るのはその者の最も絶望する映像。それは見た者に記憶として植え付け、一生忘れる事を許さないものだ。
盃に溢れる黒く染まった液体は尽きることが無く、その液体に触れたものは輪廻転生すら許さない完全なる消滅を齎す。
少女達はその神具から全身全霊をかけて逃げる。
走って、飛んで、時には魔法を使い、逃げ続ける。
しかし、神具はどこまでも付けてくる。
「くぅ……。このままじゃ……」
少女達は徐々に疲弊を初め、動きが鈍くなっていく。
「あっ……!」
その時、リンの方から小さな悲鳴が上がった。
リンはその場に倒れており、近くには盃が迫っていた。
誰が見ても助からないと思う状況だった。
「ぁ、あるじさま――っ!」
初めて少女達の中から恐怖によって叫び声が上がった。
既に盃はリンの手の届く所まで来ており、盃が傾き始めていた。
その状況に誰もがダメだと思ったその瞬間、その状況を覆す出来事が起こる――。
◇◆◇◆◇
記憶が鮮明に呼び起こされた。自分の過去をもう一度体験しているかのようで、死にたくなる程に辛かった。
このまま死ぬことが出来たらどれだけ楽だろう。
このまま何も考えずにいたらどれだけ楽だろう。
そして俺はそのまま、自分を見失ってしまった。
今まで生きてこれたのは、櫻井さんに護って貰った命と、詩織に救って貰った命を大切にしたかったからだ。
今だってその命は鼓動を続けている。
だが、その命の鼓動が俺を苦しめ、俺を絶望へと誘って来るのだ。
命は護りたい。だが、死にたい。
そのせめぎ合う感情が俺の中で嵐のように吹き荒れる。
『マモル』
その時誰かに呼ばれた。いや、誰かでは無い。俺の大切で大事で一番愛した人。
『シオリ……なのか?』
『うん。マモルの記憶が堕女神となった私の本来のあるべき心を取り戻してくれたよ』
『じゃ、じゃあ!』
『でも、それはほんの一部だけ。今こうして話すのでやっとなの。ごめんね』
『そんな……』
俺は再び絶望にくれた。どうしても詩織をこの手で抱くことは叶わないのかと。
『マモル。私ねずっと見てきたよ』
詩織は俺に囁くように話し始める。
『私ね、死んですぐに神様になったんだよ。転生するか神になるかって聞かれたから、マモルをずっと見守っていたくてね』
『そう……だったのか……』
『私は神様になってから、櫻井さんが転生した世界を管理させて貰うことになったの。それと同時にマモルの事もずっと見てきた』
女神の声のトーンが少し落ちる。
『私が死んでからのマモルは見ているだけで辛かった。どうにかしてあげたかったけど私神様になったから人間に手出しをしたらダメだった。だから、マモルを護ってあげることが出来ない事が苦しかった』
そんな事があったなんて知らなかった。今まで女神だった詩織はそんな事は一度も言ってくれなかった。
言ってくれれば、今の俺が最も違った事になってたかもしれないのに……。
『私ね、マモルが男の子を庇った所も見てたよ。その時に満ち足りた気持ちをしてたのも知ってるよ。だからね。私はマモルに幸せになって欲しくて、嘘を付いてこの世界に転生させたの。神様の色々な事情で私が人間だった事は話せなかったけど、教皇にされた攻撃で神の理から外れたから、今こうやって話せるの』
女神となったことで何も話せなくなってたのか……。
『ごめんね。本当はずっと話したかった。マモルが死んですぐに私の元に来た時から。嬉しかった。また会えたから。でもあなたは私がシオリだって気付いてくれなかったから……』
『それは顔や姿が違っていたから……』
『会えば分かってくれるって思ってたんだけどなぁ』
少し意地悪な言い方をする詩織。
だが、この感じは詩織だと今ならちゃんと分かる。
『この世界に来たマモルは本当に楽しそうで、色んな仲間に恵まれてくれて良かったって思ってるよ』
『あぁ、俺には過ぎたものだって思う……。だけど、その仲間達は大切にしたいって思ってる』
『特にマモルのパーティメンバーの皆はマモルにゾッコンだもんね?』
『……まぁ、そうらしいな』
俺だって気付いていなかったわけじゃない。
初めに勘づいたのは、ジュリとの結婚式の時だ。
俺とジュリが誓いのキスをしようとした時に、ゼロ達が止めに入った。それは多分好きな人がキスしてるのが他の人とキスしてるのが嫌だったからなんじゃないかって思った。
その時は自意識過剰だと決めて、放置していた。
でも、皆が時々見せる女の子の姿に思い違いではなく本当にそうなのではないかと思うようになっていた。
そして極めつけは、タクマを元に戻したあとだ。
あの時の『好き』は、ライクの好きではなく、ラブの好きだってことはすぐに分かった。
『マモルって転生前もモテてたもんね。誰かに告白されてる時にその人の所に行っちゃうんじゃないかって怖かったの覚えてるよ』
『俺はお前が好きだったらしいからな。その心配は杞憂だったな』
『うん。好きって言われたのすごく嬉しかった。私もずっと好きだったから。櫻井さんが死ぬ前からずっと……』
『そんなに前から……』
『櫻井さんがマモルを助けて死んだ時、私それを見てたの。怖かったけど、次は私がマモルを護る番だって思った。だからその時が来たら命を駆けてマモルを助けるつもりだった。それが思ったより早く来たのはちょっとあれだったけどね』
もしかしたら、詩織は気負っていたのかもしれない。
あの時はかくれんぼの最中だった。詩織はずっと隠れたまま俺を見てたのだろう。
連れ去られそうになる俺をただ見ているだけしか出来なくて、自分の代わりに櫻井さんが死んだとそう思っても不思議じゃない。
何しろ自分より相手を思いやる詩織なのだ。そう考える方が自然だと言える。
『私は幸せを貰った代わりに、マモルを助けてあげれた。それだけで満足だよ』
『お、おい! 満足ってどういう事だよ!』
『今では櫻井さん――ジュリもいるし、ゼロやレン、その他にも君を護ってくれる人達がいる。私がいなくなってももう大丈夫だよね』
『何言ってんだよ!』
『さっきはちゃんとお別れ出来なかったから。だからちゃんとお別れするね』
詩織はそう言うと、間を開けて別れの言葉を口にした。
『バイバイ。私、マモルの事大好きだったよ――』
そうして詩織の声は聞こえなくなった。
何がお別れだ。何が好きだっただよ。
そんな一方的な別れがある筈がないだろう。自分だけ過去のものにするなんて卑怯だろう。
俺はまだ詩織と一緒にいたい。まだ詩織の事が好きなんだ。
詩織の声は聞こえなくなった。もう会えないのかもしれない。
だけどそれはかもしれないだけで、絶対じゃない。地球で詩織が死んだ時と、今この瞬間では状況が全く異なる。
詩織はまだ生きている。堕女神となってしまったが、まだ生きている。堕女神を元に戻す事が出来れば詩織は帰ってくる。
さっきまで話が出来ていたのだ。ありえない話じゃないはずだ。
俺の心は絶望ではなく、希望に染まっていた。
『今度は俺が詩織を救う番だ。今までは自分の名前とは裏腹に護られるだけだった。だけど今回は護る側になる。絶対に救う。これだけは絶対に譲らない。詩織だけじゃない。俺を好きだって言ってくれる皆。俺を信頼してくれる皆。この世界で出会った人達の為に』
その時だった。
俺の心と身体がフワリと軽くなり、今までに感じたことの無い程の暖かい気持ちが流れてくる。
これは皆の人を思う気持ちだ。タクマやサトシさん。魔王や各国の王。俺の仲間達。
その人達の心が俺に流れ込んでくる。
これだけの想いを背負い、俺は戦う事を決めた。皆の気持ちを力に変え、皆を護る為に。
それが俺の想い。それが俺の力。
これが想いを力に変える俺の誓い。
俺はその場から立ち上がった。
「ぁ、あるじさま――っ!」
リンがやられそうになっている。
俺は新しく手に入れた力を解放する。
俺の体を球状の薄い白色の膜が覆う。俺だけじゃない。俺と繋がっている人達全員がだ。
リンに零れかけていた盃の液体はその膜に阻まれ、リンに掛かる事はなかった。
「「「え――」」」
一瞬何が起こったのか分からない皆が口を揃えてそう言った。
「皆、心配をかけたな。もう大丈夫だ。皆は俺が護る。だけどこれは俺だけの力じゃない。皆が居てこその力だって事を知っててほしい」
「あ、あるじさまっ!」
「リン。無事だな?」
「は、はい!」
「これから俺と――俺達と共に詩織を救う為に戦ってくれ」
「はいっ!」
俺はゆっくりと堕女神に近づいて行く。
「あなたその姿は……?」
「何かおかしいか?」
「ま、まぁそうね。髪が白銀に輝いて、黄金の目をして、あなたの周りにキラキラと何かが舞ってるわ」
「そうか……。それはおかしいな。だが、気にするな」
「そ、そうするわ」
ジュリは俺の姿に戸惑ったようだ。俺も聞いて戸惑っていないわけではないがそれより優先すべき事があるから戸惑ったいる暇はない。
「詩織、待っていろ。今度は俺の番だ」
俺は小さくそう呟いて堕女神に目を向けた。
「あんたみたいな上から目線で物言う奴に言われたくないわね。それと私達はあんたに歯向かうんじゃなくて、八つ当たりするのよ。彼の想いが私達に向いていないから」
ジュリは堕女神にそう言い放つ。
堕女神はジュリの言ったことが理解不能だった。
圧倒的な力を持った自分に、絶望どころか、恐怖すら抱かず、あまつさえ八つ当たりしてくるという。
ひ弱で神の力に服従するしかないはずのニンゲンが自分に向かってくる。それだけの事だが、その行動が心に少しの揺らぎをもたらした。
「主様を救ってくれた事は感謝致します。ですが、これとそれは別の話です。女神様がどれだけ主様の事を好きで、主様にどれだけ愛されていたとしても、今この瞬間の女神様は主様を苦しめる要因でしかありません」
レンのマモルへの強い想いが堕女神を射抜く。
何故、自分に向かってくるのか分からない堕女神。ニンゲンは神に従って生きる事が普通であり、意見する事も、歯向かう事も間違いなのだと考えている。
「あたしは彼が好き。それはあなたの好きと遜色ない。むしろあたしの方が上。そこは譲らない」
「煩い!」
「うるさくないもん! マスターを傷つける女神は許さないもん! 今更謝っても許してあげないからね!」
「そうですっ! あるじさまを苦しめるんですからそれ相応の罰を受けるべきなんですっ!」
「黙れ!」
「黙れと言われて黙るわけないでしょ! 聞いていれば人を見下して! 絶望ですって!? やってみなさいよ! そんなの私達には無駄よ!」
「あなたをそうしてしまったのはお父さんだから。あなたは私がこの手で!」
「黙れと言っているっ!!」
少女達の自分を否定する言葉を聞いて、激昴する堕女神。
こんな筈ではなかった。ニンゲンに絶望を与える事が目的だった。
だが、最初に絶望を与えたニンゲンのせいでおかしくなった。
そのニンゲンはあろう事か自分を含め他の者に記憶を見せてきた。
その光景自体は、求めていた絶望に等しいものと言えただろう。
しかし、その絶望と一緒に付いてきた気持ちなどは絶望に程遠いものもあった。
それが実に不愉快で認められなかった。
だが、ニンゲン達はそうではなかった。
記憶の中で見た女のニンゲン達。そのニンゲンは記憶を見た後から、おかしな行動をとるようになったのだ。
「お前達のようなニンゲンは認められない! 排除する!」
堕女神が少女達を消し去ろうと攻撃を開始する。
「皆散るのよ!」
ジュリがそう言うのと同時に各々が散り散りになり、堕女神の攻撃に備える。
堕女神の突き出した手から閃光が放たれた。
少女達はその攻撃を予兆しており、全員が難なく回避する。
「おのれおのれおのれぇぇええ!!!」
当たらなかった事に激怒する堕女神は所構わず閃光を放つ。
「なんて短絡的な攻撃なのかしら。それならまだ教皇の方が強かったわ」
「全くです。警戒していた私が馬鹿みたいですよ」
「ニンゲンが神である我を愚弄するかっ!」
「事実を言った迄よ。それとも何かしら? 図星過ぎてそんな事しか言えないのかしら?」
「ニンゲンが神に敵う筈がない!!」
「それはどうでしょうか?」
突如、堕女神の頭上にゼロが現れ、踵落としを繰り出した。
ジュリとレンにばかり気を取られていた堕女神は咄嗟のことで身を守る事しか出来ず地に落ちていき、轟音と共に地面がえぐれ、土煙が濛々と立ち込める。
「むっ。この女神よわーい」
「防御するだけで精一杯な所を見ると戦い慣れてないみたいね」
「八つ当たりするにはもってこい」
「ほんとミルの言う通りよね。神だって言ってるし、ある程度の攻撃くらい耐えれるでしょ」
少女達は堕女神の戦闘能力を低く評価する。
だがそれは全力を出してない時の堕女神の戦闘能力である。
八つ当たりする事しか頭になかった少女達は全力でないという可能性を考えていなかった。
土煙が晴れるまで少女達は動かなかった。迂闊に動けば逆にやられるかもしれないという危機感はこれまでの経験から染み付いた行動であったからだ。
「我に触れる事は万死に値する。我、ニンゲンを消滅す」
少女達だけでなく、その後ろで成り行きを眺めていた者達まで、空気が変わった事を肌で感じる。
今までの激昴は何だったのかという程の空気の変わりように、少なからず戸惑う少女達。
冷たい声音を放つ堕女神は暗黒のオーラを身に纏い、神力を全開にしている。
堕女神のその姿に神力による消滅という幻覚すら見てしまう程だった。
少女達は先程までの空気は捨て去り、全力を出さなければすぐに消されてしまうと直感した。
「我の名において召喚する。いでよ絶望の鏡、消滅の盃」
堕女神の左右の空間が裂けたかと思うと、そこから鏡と盃が現れる。
鏡は黒く装飾されて不気味な光を放っており、盃には黒く染まった液体が注ぎ込まれていた。
それらは、神だけが使用することを許された神具だった。
だが、少女達にそんな事が分かるはずもない。それでも危険である事はその神具が放つ異様な雰囲気から察しはつく。
「我が名が命じる。鏡よ、絶望を晒せ。盃よ、消滅を齎せ」
独りでに動く鏡と盃。
鏡に映るのはその者の最も絶望する映像。それは見た者に記憶として植え付け、一生忘れる事を許さないものだ。
盃に溢れる黒く染まった液体は尽きることが無く、その液体に触れたものは輪廻転生すら許さない完全なる消滅を齎す。
少女達はその神具から全身全霊をかけて逃げる。
走って、飛んで、時には魔法を使い、逃げ続ける。
しかし、神具はどこまでも付けてくる。
「くぅ……。このままじゃ……」
少女達は徐々に疲弊を初め、動きが鈍くなっていく。
「あっ……!」
その時、リンの方から小さな悲鳴が上がった。
リンはその場に倒れており、近くには盃が迫っていた。
誰が見ても助からないと思う状況だった。
「ぁ、あるじさま――っ!」
初めて少女達の中から恐怖によって叫び声が上がった。
既に盃はリンの手の届く所まで来ており、盃が傾き始めていた。
その状況に誰もがダメだと思ったその瞬間、その状況を覆す出来事が起こる――。
◇◆◇◆◇
記憶が鮮明に呼び起こされた。自分の過去をもう一度体験しているかのようで、死にたくなる程に辛かった。
このまま死ぬことが出来たらどれだけ楽だろう。
このまま何も考えずにいたらどれだけ楽だろう。
そして俺はそのまま、自分を見失ってしまった。
今まで生きてこれたのは、櫻井さんに護って貰った命と、詩織に救って貰った命を大切にしたかったからだ。
今だってその命は鼓動を続けている。
だが、その命の鼓動が俺を苦しめ、俺を絶望へと誘って来るのだ。
命は護りたい。だが、死にたい。
そのせめぎ合う感情が俺の中で嵐のように吹き荒れる。
『マモル』
その時誰かに呼ばれた。いや、誰かでは無い。俺の大切で大事で一番愛した人。
『シオリ……なのか?』
『うん。マモルの記憶が堕女神となった私の本来のあるべき心を取り戻してくれたよ』
『じゃ、じゃあ!』
『でも、それはほんの一部だけ。今こうして話すのでやっとなの。ごめんね』
『そんな……』
俺は再び絶望にくれた。どうしても詩織をこの手で抱くことは叶わないのかと。
『マモル。私ねずっと見てきたよ』
詩織は俺に囁くように話し始める。
『私ね、死んですぐに神様になったんだよ。転生するか神になるかって聞かれたから、マモルをずっと見守っていたくてね』
『そう……だったのか……』
『私は神様になってから、櫻井さんが転生した世界を管理させて貰うことになったの。それと同時にマモルの事もずっと見てきた』
女神の声のトーンが少し落ちる。
『私が死んでからのマモルは見ているだけで辛かった。どうにかしてあげたかったけど私神様になったから人間に手出しをしたらダメだった。だから、マモルを護ってあげることが出来ない事が苦しかった』
そんな事があったなんて知らなかった。今まで女神だった詩織はそんな事は一度も言ってくれなかった。
言ってくれれば、今の俺が最も違った事になってたかもしれないのに……。
『私ね、マモルが男の子を庇った所も見てたよ。その時に満ち足りた気持ちをしてたのも知ってるよ。だからね。私はマモルに幸せになって欲しくて、嘘を付いてこの世界に転生させたの。神様の色々な事情で私が人間だった事は話せなかったけど、教皇にされた攻撃で神の理から外れたから、今こうやって話せるの』
女神となったことで何も話せなくなってたのか……。
『ごめんね。本当はずっと話したかった。マモルが死んですぐに私の元に来た時から。嬉しかった。また会えたから。でもあなたは私がシオリだって気付いてくれなかったから……』
『それは顔や姿が違っていたから……』
『会えば分かってくれるって思ってたんだけどなぁ』
少し意地悪な言い方をする詩織。
だが、この感じは詩織だと今ならちゃんと分かる。
『この世界に来たマモルは本当に楽しそうで、色んな仲間に恵まれてくれて良かったって思ってるよ』
『あぁ、俺には過ぎたものだって思う……。だけど、その仲間達は大切にしたいって思ってる』
『特にマモルのパーティメンバーの皆はマモルにゾッコンだもんね?』
『……まぁ、そうらしいな』
俺だって気付いていなかったわけじゃない。
初めに勘づいたのは、ジュリとの結婚式の時だ。
俺とジュリが誓いのキスをしようとした時に、ゼロ達が止めに入った。それは多分好きな人がキスしてるのが他の人とキスしてるのが嫌だったからなんじゃないかって思った。
その時は自意識過剰だと決めて、放置していた。
でも、皆が時々見せる女の子の姿に思い違いではなく本当にそうなのではないかと思うようになっていた。
そして極めつけは、タクマを元に戻したあとだ。
あの時の『好き』は、ライクの好きではなく、ラブの好きだってことはすぐに分かった。
『マモルって転生前もモテてたもんね。誰かに告白されてる時にその人の所に行っちゃうんじゃないかって怖かったの覚えてるよ』
『俺はお前が好きだったらしいからな。その心配は杞憂だったな』
『うん。好きって言われたのすごく嬉しかった。私もずっと好きだったから。櫻井さんが死ぬ前からずっと……』
『そんなに前から……』
『櫻井さんがマモルを助けて死んだ時、私それを見てたの。怖かったけど、次は私がマモルを護る番だって思った。だからその時が来たら命を駆けてマモルを助けるつもりだった。それが思ったより早く来たのはちょっとあれだったけどね』
もしかしたら、詩織は気負っていたのかもしれない。
あの時はかくれんぼの最中だった。詩織はずっと隠れたまま俺を見てたのだろう。
連れ去られそうになる俺をただ見ているだけしか出来なくて、自分の代わりに櫻井さんが死んだとそう思っても不思議じゃない。
何しろ自分より相手を思いやる詩織なのだ。そう考える方が自然だと言える。
『私は幸せを貰った代わりに、マモルを助けてあげれた。それだけで満足だよ』
『お、おい! 満足ってどういう事だよ!』
『今では櫻井さん――ジュリもいるし、ゼロやレン、その他にも君を護ってくれる人達がいる。私がいなくなってももう大丈夫だよね』
『何言ってんだよ!』
『さっきはちゃんとお別れ出来なかったから。だからちゃんとお別れするね』
詩織はそう言うと、間を開けて別れの言葉を口にした。
『バイバイ。私、マモルの事大好きだったよ――』
そうして詩織の声は聞こえなくなった。
何がお別れだ。何が好きだっただよ。
そんな一方的な別れがある筈がないだろう。自分だけ過去のものにするなんて卑怯だろう。
俺はまだ詩織と一緒にいたい。まだ詩織の事が好きなんだ。
詩織の声は聞こえなくなった。もう会えないのかもしれない。
だけどそれはかもしれないだけで、絶対じゃない。地球で詩織が死んだ時と、今この瞬間では状況が全く異なる。
詩織はまだ生きている。堕女神となってしまったが、まだ生きている。堕女神を元に戻す事が出来れば詩織は帰ってくる。
さっきまで話が出来ていたのだ。ありえない話じゃないはずだ。
俺の心は絶望ではなく、希望に染まっていた。
『今度は俺が詩織を救う番だ。今までは自分の名前とは裏腹に護られるだけだった。だけど今回は護る側になる。絶対に救う。これだけは絶対に譲らない。詩織だけじゃない。俺を好きだって言ってくれる皆。俺を信頼してくれる皆。この世界で出会った人達の為に』
その時だった。
俺の心と身体がフワリと軽くなり、今までに感じたことの無い程の暖かい気持ちが流れてくる。
これは皆の人を思う気持ちだ。タクマやサトシさん。魔王や各国の王。俺の仲間達。
その人達の心が俺に流れ込んでくる。
これだけの想いを背負い、俺は戦う事を決めた。皆の気持ちを力に変え、皆を護る為に。
それが俺の想い。それが俺の力。
これが想いを力に変える俺の誓い。
俺はその場から立ち上がった。
「ぁ、あるじさま――っ!」
リンがやられそうになっている。
俺は新しく手に入れた力を解放する。
俺の体を球状の薄い白色の膜が覆う。俺だけじゃない。俺と繋がっている人達全員がだ。
リンに零れかけていた盃の液体はその膜に阻まれ、リンに掛かる事はなかった。
「「「え――」」」
一瞬何が起こったのか分からない皆が口を揃えてそう言った。
「皆、心配をかけたな。もう大丈夫だ。皆は俺が護る。だけどこれは俺だけの力じゃない。皆が居てこその力だって事を知っててほしい」
「あ、あるじさまっ!」
「リン。無事だな?」
「は、はい!」
「これから俺と――俺達と共に詩織を救う為に戦ってくれ」
「はいっ!」
俺はゆっくりと堕女神に近づいて行く。
「あなたその姿は……?」
「何かおかしいか?」
「ま、まぁそうね。髪が白銀に輝いて、黄金の目をして、あなたの周りにキラキラと何かが舞ってるわ」
「そうか……。それはおかしいな。だが、気にするな」
「そ、そうするわ」
ジュリは俺の姿に戸惑ったようだ。俺も聞いて戸惑っていないわけではないがそれより優先すべき事があるから戸惑ったいる暇はない。
「詩織、待っていろ。今度は俺の番だ」
俺は小さくそう呟いて堕女神に目を向けた。
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