結末のわからない恋の物語

出雲沙之介

うらやましい

マラソン大会から数日、普段ほとんどメールもLINEも里香ちゃんから連絡がくることはないのですが、その日は珍しく夜にLINEが入りました。



『店長さんに会えない日はつまんないよ』



と。

その日は、私は休みだったのですが彼女は出勤だったようで、用事以外でまず連絡の来ることがない彼女からのLINEに、そうとう寂しかったのだろうと憶測しました。

私はこういった女性関係に対し、常日頃から自意識過剰にならないように気を付けています。若い頃にたいしてモテるわけでもないのに自意識過剰になり、散々恥ずかしい失敗をしてきた経験からでした。

あ、常日頃からっていうのはないですね。そんなに日常的に女性関係で悩むようなことは起きてないですからね(笑)

すでに自意識過剰でした。反省。

まぁ、そんなこんなで里香ちゃんに対しても、彼女が言葉や行動で示して来る愛情表現を、半分以下…三分の一ぐらいで受け止めるようにしています。

だから、この日のLINEも里香ちゃんが寂しがっているんだろうなと憶測しましたが、こうして寂しい想いを積み重ねていくことで、あっという間に彼女の心は私から離れて行ってしまうんだろうなと…彼女の『好き』はその程度のものだろうなと考えていました。

だって、結婚もしている30過ぎた大人ですよ?そんな、若い娘みたいに恋に執着するようなことなんて…ねぇ?

たぶん、最初のきっかけは偶々ちょっと寂しい気持ちの時に、私が何か優しい言葉がけでもしたのだろうと最近は考えています。私には全く心当たりはないのですが、寂しい時なんてどんな言葉が刺さるかなんてわかりませんからね。

そんな偶然から生まれた恋心なんて、私の本質を知れば知るほど冷めて行くに決まってます。

そして、一線を越えないために私が日頃の関わりを薄くしていることを、相手にされていないと感じ、その寂しさからまた次の恋愛を探しにいくのでしょう。



そんなことを独りで考えていると、思考はどんどんネガティブになり、もうこれはきっと里香ちゃんに嫌われる予兆なんだと思ってしまうほど、ちょっと負のスパイラルに落ち始めていました。

そんなネガティブな気持ちで、どう返信しようか考え込んでいたら、続けて今度は画像が送られてきました。

その画像は、浴衣姿の里香ちゃんでした。

可愛いなぁ…と、思うより先に、里香ちゃんの左側に写る男性らしき白い浴衣の人影が目に入ります。よく見ると、その白い浴衣に里香ちゃんが寄り添っているように見えました。

きっと旦那さんでしょうか。なんかちょっと…うん、まあいいや。



『店長さん、浴衣好きって言ってたよね。あんまり可愛くないけど、これ今年の私』



そう、確かにそんな話しをしていました。私が好きな女の子の格好は、1番好きなのが浴衣で、その次がサンタの格好と、先日のスーパー銭湯で話していました。

夏に二人で浴衣で出掛けたいねーなんて話してましたが、この写真を見てしまうと、ちょっと切なくなります。しょうがないですけどね、そういう関係ですからね。

そんなネガティヴな想いを強引に拭い去るように、私は努めて明るい返事をしようと、スマホの画面に指を動かしました。



『可愛い写真ありがとう!!
いつか一緒に浴衣着て夏祭りの屋台が並ぶ通りを歩きたいね』



絵文字やスタンプをアラフォーのオジサンがふんだんに使うのは、若い女性からは嫌がられるそうですが、恋仲の相手であればハイテンションアピールとして申し分ない…と、私は思っております。

少なくとも、里香ちゃんはポジティブに受け止めてくれるでしょう。

そして待つこと数分。明るい雰囲気の返事を期待して待っていた私は、里香ちゃんの返信に、心臓が一つ大きく打つのを感じました。



『店長さんとエッチした女の子たちが羨ましいよ、、、 
私には店長さんは手に入らないんだね、、、』



『女の子たち』とは、おそらく、いや間違いなく、先日話した私の過去の恋愛のことでしょう。

『女の子たち』と書いてますが、正直そんなに恋愛経験豊富ではないです。妻を含めても片手で余る数です。念のため。

里香ちゃんには何度も、『一線を越えないこと』を話しています。

女性は、その体の特性から、ひと時に一人の男性を好きになるといいます。

すなわち、本来添い遂げなければいけないパートナーがいる身で別の男性と関係を持ってしまうと、本来のパートナーを受け入れ難くなってしまう恐れがあるのです。

なので、私は里香ちゃんとは決して一線を越えないようにとしているのですが…

彼女の心は一線を越えかけているようです。

心に突き動かされた身体を持て余し、心と身体の葛藤に耐えられなくなっているのでしょう。

悪いとは思っています。そんな我慢をさせるぐらいなら、最初から何もしなければよかった…理性はそう考えます。

けど、煩悩は彼女との今の関係を崩したくないと強く訴えてきます。

その理性と煩悩の狭間で揺さぶられる弱い心は、次に言い訳がしやすい言葉を選びます。

すなわち、相手のせいにする言葉を。



『そんなにしたい?』



決して私の方から卑しく求めているわけではないと主張できる地盤が欲しいだけの言葉です。

里香ちゃんがしたがっている、私はそれに応えるだけ。だから里香ちゃんから強く求められているという『言質』を取るための布石のような問いかけ。

狡い男です。

解ってやっている分、タチが悪いです。

若い頃の私は、こういう保身の言動を『狡い』とは気付けませんでした。幾つかの経験を経て、「アンタは狡い男だよ」と指摘をされて、覚え身に付いてしまいました。

そして、彼女からの返事は私の思惑通りの言葉でした。



『したい』



たった一言、シンプルな返事。

だからこそ、彼女の強く深い想いと今の関係への葛藤が伝わってきます。

さて、どう返したもんか…と、思っていたら然程間を空けずにまた里香ちゃんから



『ごめん、酔ってるから
変なメールして、ごめんなさい』



そこに綴られた、急に冷静さを取り戻したような言葉に、今の彼女の心境を探ります。



『全然いいよ。
むしろ、普段あんまり話せないから、そうやって心の内を見せてくれて嬉しいよ』



仕事柄の癖ですかね。相手の言動から求めているものを探り、その中で最上の答えを出そうとするのは。

文字にして冷静に見直すと、恋仲の相手に送る熱情に火照った感情など微塵も感じませんね。むしろ『話を聞いてあげてる年上の友人』『悩み相談を受けている知人』といったような印象ですね、これは。

そして、そんなクールな私に対し里香ちゃんは



『大好きなの』

『涙が出るぐらい大好き』



感情を丸ごとぶつけてきているような、シンプルでストレートな言葉。

私は正直戸惑いました。

不適切な関係だからというのではなく、ただ純粋に一人の女性からこんなにも感情をぶつけられることに。

全く不慣れな現状に、どう答えていいのか混乱しています。

結婚して子供もいるような男が今更何をと思われるかもしれませんが、私の妻は感情表現がものすごく乏しい人なのです。

結婚する前からそうでしたが、なぜ妻が私を選び、結婚し、10数年経つ今も大した文句も言わずに付いてきてくれているのかさっぱりわかりません。

思えば、妻と知り合ってから今までの20年近い年月の中で、「好き」の一言も聞いた覚えがありません。結婚を決めるときに悩んで妻の当時の友人に相談した際、「あの子本当にアンタのこと好きだよ」と言われたぐらいです。本当かどうか今でもわかりませんが、当時の私はそれを信じることにして結婚に至りました。

そんなわけで、結婚に至るに当たって燃えるような大恋愛をしたわけでもないし、それ以前の恋愛もそんなに激しく愛し合ったこともないので、そうやって想いをストレートにぶつけられることに全く慣れてないんですよね。

また、先程も言いましたが、自意識過剰な過去の経験から、私は女性の気持ちを素直に受け止めることができません。

好かれていること自体は嬉しいのですが、自分を客観的に見たとき、いったいどこにそんなに好きになる要素があるのかさっぱりわからないのです。

環境の中に比較対象となる男性もいるのですよ。例えば今の彼女との共通の環境であるショッピングモールであれば、ちょっと見渡せば私よりも見てくれが良くて、気の回る良い男性は掃いて捨てるほど溢れています。

『kururi』の山口くんだって、若くて爽やかで私より全然イケメンですし、とても優しい男です。いいやつですよ、山口くん。ちょっと奥手だけど。

私が女だったら私よりも絶対山口くんを選ぶと思います。

そんな中で私を選ぶ彼女は、私の中ではとても変わり者、言ってしまえばヘンタイです。

そんなヘンタイの酔った勢いのドストレートな感情に、やっぱり私は冷静になって答えてしまいます。



『不思議だね。
好きになる前は、ほとんど話したこともないのにね。』

『なんか、運命的なものでもあるのかなー』



冷静な中でも、なんとか愛情表現しようと頑張ってひっぱりだした言葉は『運命』でした。

女性は『運命』という言葉に弱いと、どこかで聞きかじった覚えがありましたので。

彼女が私を好きになってくれた経緯を考えると、ファーストコンタクトの段階から好意を寄せてくれていたように思います。なので、彼女もそういったものを感じてくれているだろうと、勝手に推測しました。

この時の私は、なんとか気持ちのこもった返事ができたと思っていました。



『店長さんは冷静だね。
またね』



え?そう見えました?

里香ちゃんの言葉に、私は自分で書いた文章を見直し、気持ちを込めた言葉が綴れたと思い込んでいただけだと思い知らされました。自己満足だったとも言えるかもしれません。

駆け引きをしようとしている。私はここで初めて自覚しました。

そして、彼女は追い討ちをかけるように次の言葉を綴ります。



『もう、あきらめます』



え?

あきらめる?

何を?

最後まですることを?

それとも、付き合いそのものを?

突然の言葉の爆弾に私は混乱して、全身から血の気が音を立てて引いていくのを感じました。

「冷静だね」と言われて冷静さを失うのは、熱情溢れる里香ちゃんに対して、冷静に対応していた何よりの証拠で、それを理性も本能も受け止めたのでしょう。

思考は最悪の事態を想定するかのように働き、里香ちゃんがこの関係を終わりにしようとしているのだと思って、なんとか彼女の心を引き戻そうと焦りました。

その焦りが、少しだけ私に感情を表すことを助けてくれました。



『冷静ねぇ……
そうでもないけど』



少しだけ、嘘を付いている自覚がありました。言われてみればですが、確かに冷静だったと思います。

少なくとも、保身の言葉を選べるぐらいには。



『冷静ってより、たぶん臆病になってる』



だから、今度は少し本音を付け加えました。冷静になって保身の言葉を使うということは、きっと私は臆病になっていたんだと、自身を客観的に見て思います。

ネットで得た知識、身近な人達の体験談。そういった知識から、二人の不安定な関係は簡単に壊れてしまうと理解しているが故に、臆病になっていたんでしょうね。

そして、本当のところの本音は、里香ちゃんを失いたくないのだということに、一周まわって改めて気づかされました。



『いろいろ知ってるから
壊したくないから
壊れないように必死だよ』



その本音を、言い訳や回りくどい説明口調は無しにして、心のまま短くわかりやすい言葉に乗せます。

スマホに指を滑らせながら気持ちはフラフラになり、なんだか泣きたくなってきました。

里香ちゃんを失いたくない。とにかく必死で里香ちゃんを引き止めようとしていました。

本当は電話をかけたかったです。けど時間も時間でしたし、当然同じ屋根の下には旦那さんがいるわけですし、それは叶わなかったですが。



『いえ、困らせてごめんなさい!  
めちゃ酔ってメールしちゃった。気にしないでね。  
顔見るだけで幸せだから、大丈夫!これ以上望まないよ』



本音を見せたのが遅すぎました。彼女はもう感情の深く落ち窪んだところから出てきてしまったようです。

もっともっと、里香ちゃんの心の奥深くを一緒に感じていたかった。里香ちゃんの本音に寄り添いたかった。そんな後悔に飲まれながら、もう一度それを引き出そうと今度は私が取り乱します。



『気にするよぉ(´・ω・`)
まぁ、その『これ以上』っていうのも、したくないわけじゃないし、むしろ俺もものすごく我慢してるけど、さっきも書いたけど、いろいろ知ってるから、臆病になってる。
ごめんね、たぶんかなり不安にさせてるよね。』



相手の気持ちが落ち着くのを、気持ちが冷めてしまったのだと錯覚して、更にまた臆病になってしまったようです。

どうしよう…

どうしたら里香ちゃんは私を見放さずににいてくれる?

どうしたら里香ちゃんはずっと側にいてくれる?

焦る気持ちは巡り巡って負のスパイラルを生み出し、イメージできる未来には彼女との別れしか無くなってしまいそうになった頃、里香ちゃんからの返事が来ました。



『ほんと、取り乱してしまい、申し訳ないですm(_ _)m  
ただ、好きな気持ちが溢れすぎて、メールしてしまいました。   

また、夜会える日にお話ししましょ』



救われました。



取り乱して…気持ちが溢れすぎて…



その言葉を疑ったら、きっとこれから彼女がくれる全ての好意的な言葉も行動も疑ってしまうでしょう。

だから、全部素直に受け入れました。

夜更けにひとり酒に浸り、想い人のことで涙を流し、それでも溢れて止まらない感情を言の葉に乗せ、届くとも知れない彼の人へと贈る。

彼女の純粋な気持ちを、ここへ来て初めて感じることができたように思います。

私の何にそんな想いを抱くことができるのか、それは未だにさっぱりわかりませんが、里香ちゃんがそういう想いを常に胸の奥底に抑え込んで苦しんでいるというのは理解できました。

そうして、臆病になっていた私の弱い心は、救われました。




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